想像力の欠如との戦い

 高度に発達した科学文明で、人類は有史以来の栄華えいが享受きょうじゅしていた。

 永遠に終わらぬ繁栄が訪れたと、誰もがそう思った。

 だが、それはもろくも崩れ去る。

 宇宙からの侵略者も、ロボットの反乱も、ない。

 経済の破綻はたんや貧富の差もなく、それが引き起こす世界大戦も、ない。

 繁栄のあとに滅びは訪れた……調律されし平和のおとは、ずれ始めた。


「司令! ワクチン艦隊の損耗四割! これ以上は戦線を維持できません!」

「敵の第六波、第七波、ならびに第八波、第九波が接近中!」

彼我戦力差ひがせんりょくさは900:1です!」


 ここは銀河の覇権を争う大宇宙ではないし、巨大な宇宙戦艦のブリッジではない。だが、艦隊を率いる司令官として、男は決断を下さねばならぬ時期を迎えていた。

 名は、フライル・フライデ。

 人類抗体軍じんるいこうたいぐん提督ていとくである。

 そう、人類は今まさに、存亡の危機に立たされていた。

 高度に発達した文明に牙をいたのは、想像もつかぬ恐るべき敵だったのだ。


「クソォ! め……」


 直立不動の副長が、フライルの座る司令席の隣で唇をんだ。

 そう、敵の名はネガクリエイティブ・ウィルス……全長わずか、ゼロコンマの果ての大きさの微生物だ。突如発生したこのウィルスは、あっという間に全人類の四割に感染し、今もパンデミックを引き起こしている。

 フライルが数百万のワクチン艦隊を率いる戦場は、人体の奥底。

 ここはミクロの世界に縮小された人間たちが送り込まれた、極小宇宙ナノスペースなのだ。


「副長、切り札を使う……残念だが、奇跡に賭けるしかない」

「しかし、司令!」

「今という時期をいっすれば、偉大な才能が失われる。今、我々が戦ってるこの人体……その持ち主を知っているだろう?」

「え、ええ……」

川森章治カワモリショウジ監督……二十世紀を代表する偉大なクリエイターだ。その彼がネガクリエイティブ・ウィルスで想像力を破壊されたら……それは、人類全体の損失だ」


 ――ネガクリエイティブ・ウィルス。

 それは二十年前、突如として現れた。

 世界中で同時多発的に蔓延まんえんを始めた、全く未知のウィルスである。その特徴は、人体に全く害を及ばさないことにある。発熱もなく、嘔吐感おうとかんも腹痛もなく、倦怠感けんたいかんすらない。だが、このウィルスは恐るべき感染力で恐怖を広げていった。

 それは、想像力の破壊。

 ニューロンとシナプスに作用し、ある特定のパルスによる神経と脳の電気信号を遮断するのだ。それは、想像力……人間が発想する全てをネガクリエイティブ・ウィルスは根絶やしにした。感染者は想像力を失い、自発的になにもできなくなるのだ。


「想像力を失った時、人間は生きたまま死ぬ……そうだな、副長!」

「はい……マニュアルを与えれば、感染者たちは何不自由なく日常生活を送ることができます。しかしそれは、生きていると言えるでしょうか?」

「そうだ! 例えば、財布に500円しかない時に、吉野家の牛丼なら味噌汁をつけれるが、ちょっと歩いてパン屋に行くとか、それともカップラーメン大盛りを二つ買うとか、そういうことが考えられなくなる。いや、思考とは違う……想像力、それはひらめきなんだ。500円を超えて昼飯を食う選択だってある! 明日の昼抜きと引き換えに!」

「脳が発する特殊な電気信号……それをあのウィルスは徹底的に遮断します」

「想像力のない人間の世界がわかるか? 副長……考えても見ろ。例えば、想像力のない人間は制度やシステムに従うことで生きていけるが、それが手段ではなく目的になる。制度やシステムの中で旨味うまみを吸うことが目的になると、その外側を覆う全てをむしばむのだ」

「わかりますとも、司令……。その危機を想像できないから、平気で自分の土台を壊す」

「だから……我々にはもう、アレに頼るしかない!」


 フライルは立ち上がると、両手を広げて全軍に叫んだ。


「これより、リンメイ・アタックを開始する!」


 それは、現状で唯一の可能性。

 ネガクリエイティブウィルスは、電気信号をむさぼる機械的な細菌と考えられている。その弱点は、振動だ。爆発的な感染力とは裏腹に、物理的な振動に弱い。だから、ミクロンサイズに縮小された有機物の兵器群による、体内での有視界戦闘は効果的だった。

 毛細血管や細胞内で放たれるメディカルミサイルやヒーリングビームは、確実にネガクリエイティブ・ウィルスを殺す。だが……殺す数に万倍する規模で、敵は増殖するのだ。

 つまり……

 しかも、固有の決められた周波数でしか、ウィルスを自壊へと追い込めない。

 だが、それを可能にする切り札が人類にはあった。

 フライルが振り返ると、背後で切り札たる少女がうなずく。


「フライル司令、わたし歌います! この星の明日のために……この肉体で多くの未来を見せてくれた、患者さんのために!」


 ミン・リンメイはまだティーンエイジャーの女の子だ。だが、彼女が発する歌声は、特殊な周波数で響き渡る。それは、ネガクリエイティブ・ウィルスの自壊をうながす振動数にぴったり一致するのだ。

 そして、彼女の歌声を人類の科学力は、人体の隅々に響き渡らせることができる。

 リンメイはマイクを握ると同時に、イントロが流れ始める中でステージに立った。


「頼むぞ、リンメイ君……人類の全てを君の歌にたくす!」

「はい、フライル司令っ! わたし、歌います……誰かが得をするため、なにかの利益が生まれるためじゃない……ただ、自分のために! 自分が明日へ繋げたい未来のために!」


 そして、透き通る声音がたゆたう。

 崩壊寸前だった抗体艦隊を通して、患者の身体の隅々に歌が響き渡った。

 んだ清水しみずのように、軽やかに……しっとりと染み渡るように。

 リンメイの歌を前に、ネガクリエイティブ・ウィルスは止まった。

 そして、全身のあらゆる場所で崩壊を始める。

 これが、人類の反撃の狼煙のろし

 想像力を殺すという、恐るべき敵への反攻が始まるとしていた。


「いける……いけるぞ! 副長、サラウンドブースター最大出力!」

「ハッ! これは……勝利の凱歌がいか、魂を歌う人間賛歌にんげんさんかだ。これでまた、人類は想像の翼で羽撃はばたける」

「そうだ。想像クリエイティブはすなわち、創造ジェネシック……生まれはじめるこれからを祝福する――ン? なんだ?」


 その時、司令席の肘掛けにあった無線が鳴った。

 緊急コード、それも優先順位の高いSSS級アラートに匹敵する呼び出し音だ。

 人類の勝利を目前にしながら、いぶかしげに思いつつフライルは受話器を取って耳に当てる。

 そして、その瞬間……想像力を取り戻す戦いは、勝利を目前にして敗北した。

 他ならぬ、想像力の欠如に甘えた人類そのものの存在によって。

 この瞬間、人類の滅亡が確定した。



















「もしもし、お忙しい中失礼します。私共はJASRACジャスラックと申しますが、お時間頂けますでしょうか」

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