初恋と拳銃 Act.Final

 加賀谷翔太カガヤショウタ御統四季音ミスマルシキネは、交互に銃を撃った。

 朽ち果てた逢瀬おうせの場に響く、銃声。

 無言で銃を撃ち合う中で、二人は確実に共犯者だった。

 そして、すぐに弾は切れた。

 二人を結び付けた拳銃は、物言わぬ鉄のかたまりと成り果てた。

 それを今、処分しに二人は河原かわらに来ている。

 大きな夕焼けが真っ赤で、二人の影を長く細く引きずり出していた。


「なあ、四季音……いいのか? これ、捨てても」


 河原を歩く四季音を追いかけて、一定の歩調で翔太は続く。

 その手には、ホールドオープンのまま固まったベレッタM93Rがある。もはや翔太は、隠そうともせずそれを手に握っていた。

 夕暮れ時の河原に人影はなく、土手どての上を時折自転車や犬の散歩が通り過ぎる。

 誰の視線も感じない。

 そして、背を向けた四季音の気持ちだけが確かだ。

 今、完全に翔太は二人の世界しか見えていなかった。


「翔太、銃は弾が切れれば銃ではなくなってしまうんです。だから、再び弾を込めるか、それとも……銃であることをやめ、関わる者たちも銃としての認識を停止させる」

「まあ、弾は手に入らないと思う。Amazonアマゾンやヤフオクでも、無理だろうなあ」


 目の前に巨大な鉄橋が迫っている。

 一級河川いっきゅうかせんであるこの川をまたぐ、通勤通学の大動脈だ。

 その鉄橋の下へと入って、四季音は振り返った。

 熱い斜陽の日差しを浴びて、翔太は暗がりの中の四季音を真っ直ぐ見詰める。


「この銃は多分、真っ当なものじゃない。手にした瞬間から正義のヒーローにもなれないし、政府の陰謀にも巻き込まれないし」

「それでも、どうやらその銃にまつわるなにかがあって、人が死んでるんですよね」

「……あ、やっぱりダメだったんだ、あの人」

「さっきネットのニュースで見ました」


 この銃が発見されたのは、なんの変哲もない自動販売機の底からだ。そして、そこでは後に謎の男が重傷で発見され、どうやら病院で亡くなったようだ。

 だが、不思議と恐怖も嫌悪も湧き上がらない。

 翔太にとっては、顔も知らない他人だ。

 この銃の本来の持ち主か、それとも運ぶだけの人間か。

 どちらにしろ、この銃は一発の銃弾も当てずに一人の人間を殺したのだ。

 否、この銃を持ち出すことで、翔太と四季音が殺したのだ。

 だが、四季音の声は不思議と清水のようにんでいた。


「ねえ、翔太。その銃……わたしに向けてみてくれませんか?」

「ん、ああ。いいよ」

「ちゃんと狙ってくださいね、わたしのこと」

「……ああ、


 鉄橋の下で影になって、四季音の表情ははっきりと見えない。

 だが、笑っているような気がした。

 銃口を向けられ両腕を広げて、彼女は微笑ほほえんでいた。


「このまま撃ち抜きたい気分になってきた……けど、弾がない。でも……こいつのことは墓まで持ってくよ。お前と俺だけの秘密、お前が誰かに喋ったら……その時は、本当に殺す」

「喋らない限り、生きててもいいんですね?」

「ああ」

「とりあえず、しばらくは……翔太の隣でも」

「ああ」

「ふふ、少しキャラが変わりましたね……それに、殺し文句。素敵です」

「お前の共犯者だからな。名実ともに」


 男と女が愛し合ったあの部屋で、既にその名残なごりも匂いもない場所で、翔太は銃を撃った。

 ただ狙うでもなく、撃った。

 四季音が撃つのも見て、眺めて、支えて一緒に撃った。

 不思議な背徳感が奇妙な高揚感を連れてくるのを、はっきりと自覚できた。言い知れぬ興奮は、弾切れになった瞬間から今も続いている。

 拳銃という非日常はまだ、続いている。

 川底に投げ捨てても、この手は一生銃爪ひきがねの感触を忘れないだろう。

 硝煙反応しょうえんはんのうだって残っているだろうし、かすかな火薬がまだ臭う。

 午後の西日の中、四季音の汗と火薬の匂い。

 それもずっと、きっと忘れないに違いない。


「四季音、やっぱり俺、お前が好きだった」

「なんで過去形なんですか?」

「競争倍率も高いし、なんか……最初から好きかどうか有耶無耶うやむやにしておけば、恋の可能性を狙わなくていいからさ。……でも、今は違う」

「よかった、わたしもです。レールの上をなぞる生き方をやめれば、どうなるかと思ってました。でも、どうにかなっちゃうってことがわかったんです。だから」


 翔太は両手で構え直して、銃の狙いをつける。

 薄闇の中で両手を広げる、四季音の笑顔に照準を定める。

 弾丸はもうない。

 ただ、この銃爪トリガーと同時になにかが変わる気がした。

 もう変わっている一人と一人が、本当の二人になれる気がした。

 止まった時間の中で、電車の響きが徐々に近付いてくる。

 四季音は上気した頬を朱に染め、うっそりと、はっきり強く宣言した。


「翔太、わたしは日常に戻る気はありません。これからも、あなたとレールを脱線したい。時々はそうして、気持ちでしか動きたくない。だって、わたしはもう……翔太のことが――」


 鉄橋の上を電車が通過する。

 轟音が響く中で、翔太も声を張り上げた。

 ありったけの気持ちを叫んだ。

 音の濁流だくりゅうに飲み込まれてゆく二人の声と声。

 震える空気が満たされた中で、鼓膜の振動から拾えぬ言葉を感じた。

 そして、電車が通り過ぎてゆく。

 気付けば翔太は、叫ぶ四季音に銃を向けて絶叫していた。


「好きです、翔太! 好きになりました! 普通に恋してしまいましたっ!」

「前からずっと好きだった、みんなが狙ってるが俺だって狙ってた! かわいくておっぱいデカくて、スタイル抜群で頭もよくて――あっ……」

「……あ、えと」

「お、おう」


 瞬時に二人は真っ赤になって、それで沈黙を共有し合った。

 だが、あとはやることは一つだった。

 銃を降ろした翔太は、それを振りかぶるや水面へと向き直る。

 なにも言わずにブン投げたら、遠く遠く川の中ほどあたりで水柱があがる。

 トプゥン! と小さな音と共に、非日常が去っていった。

 しかし、翔太は確かに四季音と非日常の中にまだいる。

 生真面目きまじめ堅物かたぶつな優等生の美少女は、彼女が好きな自分を好きだと言った。二人で銃を撃ち合う中で、常軌をいっした関係性で結ばれた共犯者だ。ストックホルム症候群なんてもんじゃない、銃が銃であった時間の中で結ばれた不思議なきずなだった。

 翔太は永遠に銃を葬り去るであろう、川の流れを見詰める。

 そして、四季音に振り返った。


「っし、帰ろうぜ? お、俺とお前と……その、なんだ。これからも……フッ、楽しく火遊びに踊ろうぜ。俺のかわいいスィートハニー……四季音」


 決まった、と思った。ドヤ顔だった。

 だが、鉄橋の下で四季音は、そんな翔太を見ていなかった。格好いいと自画自賛じがじさんしてる真っ最中の台詞など、届いてはいなかったのだった。


「あ、翔太! ちょっと……なんか、ここに変なかばんが」

「鞄だあ? おいおい、よせよせ。誰かがなにか捨ててったんだろう。あとは……アレとかだよ、アレ」

「アレ、とは? ……開きそうですね、この鞄」

「おい待てっ、エロ本が詰まってたらどうする! ここじゃ昔、俺が小さい頃よく……あ、いや、それより! どうしてお前はすぐそうやって!」


 だが、遅かった。大きな大きな鞄を鉄橋の下の草陰から持ち出し、四季音は歩み寄ってくる。今日という日の最後の残滓ざんしが、茜色あかねいろに町並みを染めながら二人を照らしていた。


「ほら、開きますよ! この鞄……中身は、ええと……あら? まあまあ、どうしましょう。翔太、見てください」

「ああ? ……おい、マジかよ」

「マジ、ですね」

「……確かに俺、もう日常なんかいらねえって言った。お前がいれば非日常だって思えた。でも、これは……」


 四季音が笑顔で取り出したのは、

 百万円単位でまとめられた札束が、山ほど鞄に入っていた。

 そして、四季音の笑みが蠱惑的こわくてきな色気を帯びる。それは、不思議な非日常に魅入みいられた者としか思えぬ程に、妖しい魅力を漂わせていた。


「翔太、これは……二人の秘密、ですね?」

「え、あ、お、おう……」

「惜しいことをしました。これだけの大金があるとわかってれば、ベレッタさんを捨てずに弾薬を買えたのではないでしょうか」

「あのなー、値段の問題じゃなくて……と、とにかくっ! それちょっと貸せ、持ってやる!」

「わたしの家まで運んでくれますか? 結構重いですよ?」


 こうして二人の日常は、日常そのものを忘れてゆく。

 愛の共犯者が秘密を共有する日々が、再び始まろうとしていた。

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