スペースB級ポルノグラフィ

 軌道エレベーターで低高度ステーションまであがり、そこから定期便で月へ。

 質量が半分になってしまったが、月は今でも地球圏の巨大な玄関口として機能していた。ひっきりなしに外宇宙への巨大宇宙船スペースシップが出入りし、残された大地はすでにクレーターの荒野など存在しない。

 西暦2407年、人類の栄華は絶頂期を迎えようとしていた。

 月面へと着陸態勢に入ったローカルシップのキャビンで、アレン・バイリス捜査官は安全ベルトを着用する。長らく追っていた犯人の逮捕まで、あと少し。そして、定年までもあと少し。

 騒がしさを増すキャビンの中に、標準地球語エスペランドでアナウンスが響き渡る。


Attention, pleaseアテンションプリーズ! ようこそ月へ。当船は間もなく降下シークエンスに入ります。座席へお戻りの上で、安全ベルトの着用をお願いたします』


 数世紀前の宇宙乱開発スペースらんかいはつで、かつての超大国は競って月を削り合った。

 目に見える距離にあって、手の届かなかった資源の塊……それが月だ。あらゆる国が掘削件を奪い合い、人類初の宇宙戦争は人類最後の宇宙戦争になった。そして今、満ち欠けさえ忘れた残骸となりながらも、月はまだまだ虚空の闇に浮かんでいる。

 小さな船体が減速しながら着陸態勢に入った。

 妙に揺れて、アレんは肝を冷やした。


「やれやれ、とんだロートル船だな。ローカル線でロートル船……フン、笑えんよ。……プッ、ははっ! プププ……これは使える、メモしておこう」


 老後の生活は決めている。

 長らく宇宙捜査官スペースそうさかんとして過ごしてきた経験を活かして、回顧録かいころくを書くのだ。憂鬱な報告書や始末書ではない。事実を元に、面白おかしくユーモアを交えた、エスプリの効いた本を書くのである。

 咄嗟とっさに浮かんだフレーズを、いつものようにメモしようと宇宙携帯スペーススマホを取り出す。

 昔はこれを携帯電話と言ったが、今は違う。銀河ネットワークに接続できる世界の入り口であり、外星人とのコミュニケーションツールであり、全財産の入った財布だ。メールに通話は勿論、カメラになるお馴染みのものである。個人的にアレンは、ひげそり機能がついてる点を高く評価していた。

 だが、メモの用意をしようとした時、着信を知らせるメロディが鳴る。

 すかさずアンドロイドのキャビンアテンダントが飛んで来た。


「お客様、大変申し訳ありません。着陸中のご通話はご遠慮ください」

「すまん、私は銀保……銀河保安機構ギャラクシーガーディアンの捜査官だ。緊急度の高い通話だ、いいかね?」

「そういうことでしたら、どうぞ」


 アレンは通話に出た。

 この番号にかけてくるのは、任務の要件だ。

 そして、彼が関わっている任務と言えばあれしかない。

 ――ミアン・リューカス。

 職業、……エロリストとは、前世紀から出没し始めた反体制の過激派だ。表現の自由を求めて、違法なポルノを無差別にぶちまけるやからのことである。そしてミアンは、全銀河の400以上の惑星で指名手配されている大物だ。

 だが、通話に応じたアレンは目を見開く。


「もしもし、私だ。アレンだが……ッ!?」

「はぁい、元気かしらん? 仕事熱心なお爺ちゃん。ちゃんとアタシのお尻、追いかけてくれてる?」


 その声の主は、誰であろうミアン・リューカスその人だった。

 どうやってこの番号を?

 いや、そういうことは問題じゃない。

 どこからかけてるのか?

 周囲を見渡すが、着陸間際の宇宙船で通話をしている者は一人もいない。

 アレンは慎重に言葉を選ぶ。


「……貴様、今はどこにいる。当てて見せようか、月だな? 月面、それも宇宙港スペースポートだ」

「ビンゴ。とうとうアタシを追い詰めたわね……フォーマルハウト行きの船が出るまで、あと少し。その間にお爺ちゃんは、宇宙港を封鎖して包囲……どう?」

「そうだ、お前はもう終わりだ。破廉恥ハレンチな変態野郎」

「野郎じゃないわ、乙女になんてこと言うの?」

「やかましい! この◯&%#Pi――――野郎っ! そこを動くなよ!」


 思わず怒鳴ってしまい、周囲の客から怪訝けげんな視線が殺到する。

 慌ててアレンは頭を下げつつ、謝りながら声をひそめる。

 通話の向こうでは、若い女が楽しそうに喉を鳴らしていた。


「少し昔話をしましょう? ほら、覚えてるかしら……あれは二年前の夏よ。思い出して」

「忘れるものか、貴様は……太平洋に巨大な猥褻画像わいせつがぞうを! 衛星軌道上からの立体映像で」

「気付いてたかしら? 沢山の家畜になぶられてた、あれがアタシよ。もち、無修正」

「狂ってやがる……なにが目的だ」


 高度に発達し、惑星そのものが一つの国家となった地球。そうして外宇宙の同胞たちと接触して銀河の一員となった時、国家の呪縛を人類は捨て去ることに成功したのだ。権威主義や指導者の暴発、軍拡競争に飢餓や貧困……古い時代のいままわしい災厄を、外宇宙という無限のフロンティアが飲み込み受け止めて、そして消化してしまった。

 それでも、地球にはまだ犯罪がある。

 むしろ、地球が原産地、地球の特産品と呼ばれる犯罪があった。

 それが、だった。

 不思議なことに、外宇宙の民は全くポルノというものを持ってなかったのだ。そして、地球産のポルノは飛ぶように売れた。規制が厳しくなるとさらに売れて……そうして、全宇宙規模でエロリストと呼ばれる連中をのさばらせ始めたのだ。


「アタシにとってエロスはアートなの……ちゃんと自分のカラダを使わなきゃ気がすまないわ」

「では、あの時の事件も貴様か! 若い娘がなにを考えてやがる!」

「考えてなんかいないの、感じるままよ。そう、太平洋の次は三ヶ月後に火星……素敵だったでしょう?」

「火星の衛星フォボスをまるまる一つのスクリーンにして、地表から見上げるおぞましい下品なポルノだ。タイトルは確か『スターんほぉ!'S・手コキのアクメ臭』……最悪だ」

「古代のハリウッド映画も好きなのよ、アタシ」

「何考えてやがる……全星系のスターウォーズマニアが激怒して、危うく人類は戦争の悲劇を繰り返すところだったんだ!」

「ヌケなかったぁ?」

「無理だ!」


 月の弱い重力に身を委ねて、船は揺れる。

 その後アレンは、何度も痛々しい記憶をほじくり返されて、禿げ上がった頭をかきむしる。だが、確実に逮捕の瞬間は近付いていると確信していた。

 奴は、ミアンは焦っている。

 ここまで追い詰められるとは思っていなかったのだ。

 だから、こうして時間稼ぎをしているのだ。

 アレンは落ち着き払って、言ってやった。


「そこを動くな、変態野郎。今すぐフン縛って、宇宙監獄スペースプリズンに放り込んでやる!」

「んもぉ、せっかちねえ……それより、アタシの最新作は見えてるかしら?」

「……なに? なん……だと……!?」

「ふふ、アタシの最後にして最大の作品……この世のエロスを最大限に表現してみたの。そのことを教えてあげようと思って。だって、気付かれないのもしゃくだから」

「き、ききき、きっ、貴様ぁ!」

「ねえ、お爺ちゃん……どうしてポルノは駄目で、油絵の裸婦画らふがはいいのかしら。この表現はなにが違うと思う? これは真面目な話よ」


 アレンに答える義理はない。

 違法かどうかが問題で、ミアンの作品と称する猥褻物は全て、あらゆる法を無視している。だが、ミアンはうっそりと言葉を続けた。


「ポルノと芸術の差なんて、それを受け取る人次第だわ。お爺ちゃんだって、ルーベンスやシャガールでヌケる時があるかもしれないし、太古のグラビア雑誌におごかな神秘性を感じるかもしれないわ」

「だが、それを決めるのが個人一人一人だとしても、全員が従う法が必要だ」

「そうよ、それでいいわ。でもね、表現はもっとライブなもの……その時代の価値観で、評価は大きく変わるの。でも、未来の可能性へ向けての表現は、今という時代では犯罪だと言われる。アタシはそれでいいと思うけど、作品は残したいわ」

「なにが言いたい」

「アタシの最後の作品、ほら……見上げて。見据えてみて」


 アレンは船の天井を見上げて、慌てて窓に張り付く。顔面を押し付けるようにして、上を見ようとする。だが、そこには水の星が浮かんでいるだけだ。無数の星々も今、普段と同じ巡りで輝いている。

 なにも変わらぬ宇宙が広がっているだけだ。

 そして通話は最後の言葉と共に切られてしまった。


「じゃあ、アタシは引退して楽しい余生を過ごすわ。まだ三十路みそじ前だけど、すっごくやり遂げた気分。だから……お爺ちゃん、アタシを探すのはもうおやめなさいな。その代わり……アタシの最後の作品を探して。ちゃんとほら、目の前にあるでしょう? じゃあね」


 即座にアレンは、黙ってしまった宇宙携帯から逆探アプリを呼び出す。今の通話を発信していた先を特定すれば、近い……凄く近い。もう、10宇宙スペースキロメートルも離れていない。やはりこの船の中に? そう思いつつ、やはり窓から宇宙を見やる。

 なにもない。

 宇宙の闇しかない。

 そして……着陸する船とすれ違って、衛星軌道上にあがる船が飛んでいった。

 並ぶ窓の一つと、一秒にも満たぬ刹那、擦れ違う。

 そしてアレンは、サングラスを少しおろして笑う美女を見た。


「クソォ! ミアン! ええい、船を止めてくれ! あの船を追ってくれ! 機長キャプテンを呼べ、俺は銀保の捜査官だ! 機長を呼べーっ!」


 その後、全宇宙を前屈まえかがみにさせた稀代きだいのエロリストは姿を消した。

 彼女のことを誰もが思い出すのは、実に三百年後になる。

 初めて自分たちの住んでいた大銀河を飛び出た地球人類と異星の仲間たちは、唖然とした。大銀河の外から見た宇宙には……

 銀河の集合体より巨大なヌードは、それが見えない頃から存在していたのだった。

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