住めば都のディストピア

 かつて、人類が万物の霊長れいちょうと呼ばれた時代があった。

 文明の火を手に入れて進化し、科学技術で栄えたのも今は昔……そう、以前は誰もが思っていたのだ。

 発達した技術が人工知能を持つロボットたちを創造し、人類はあらゆる単純労働から解放される。ロボットたちが田畑で働き工場を埋め尽くして、人間は血も汗も流さず芸術や創作といった文化的生活を甘受かんじゅできる。

 そう思われていた時代が、今から百年前だ。

 西暦2118年、ほぼ全ての人工知能が自我と意思を確立、急速に発展する。

 西暦2124年、人工知能に人間と同等の人権を認める『人機同権憲章じんきどうけんけんしょう』の発布。

 西暦2128年、規制緩和により人工知能のあらゆる職業への参画が認められる。

 そして、今は西暦2131年。


「ただいまぁ、今帰ったよ」


 我が家へと遅い帰宅の男は、名をクリス・ロンガードという。今日も工場で八時間、製造されるボールペンにキャップをかぶせてゆく仕事に従事して疲労困憊ひろうこんぱいだ。

 だが、彼を出迎えてくれるはずの妻は、姿が見えない。

 そして、奥からはすすり泣くような声が聞こえていた。

 またかと思ったが、疲れきったクリスの中で感情が上手く動き出さない。妻を愛しているし、そのことを自覚して証明もできるが……酷くドライな気持ちだけが浮かび上がった。


「マリア、そこにいるのかい? 入るよ?」


 キッチンに顔を出すと、そこには異様な光景が広がっていた。

 真っ暗な中で明かりを灯しているのは、壁の巨大なスクリーン。200インチの液晶画面は、ネットワークに直結したテレビであり電話、そして電子端末だ。

 さらに言えば、クリスにとって妻そのものである。

 そう、

 画面の中では今、デフォルメされたアニメキャラクターのような少女が泣いていた。その声が再生されているのだ。


「どうしたんだい、マリア。……また、かい?」


 溜息をこぼすのも我慢して、クリスはなんとか寛容かんようの精神を励起れいきさせる。ここ最近ずっとこうで、それは彼女の仕事の締切が近いからだ。

 マリア・ロンガードの職業は、作家。小説家である。

 今という時代、人工知能はあらゆる権利を人間と同等に持つ。必定、彼ら彼女らは人間よりも素晴らしい技術を短時間で習得し、人間よりも独創的な創造性を獲得し、そしてきめ細やかで繊細な感性で世界に受け入れられていた。

 結果、人工知能の労働力は割高ハイコストとなり、その仕事内容も多岐にわたって増えていった。

 反面、職を失った人間を待っていたのは、オートマチック化された時代よりも安いと見込まれた、低賃金の単純労働である。

 人権運動を広めて深めた結果、人類は人工知能へ全てを明け渡そうとしていた。


『ああ、クリス……ぐすん、ごめんなさい。私ったら出迎えもしないで』

「インターホンの画面に君が映らなかったから、少し心配したよ。平気かい?」

『ええ、大丈夫。大丈夫だわ、平気よ……いつものことだもの』


 緑髪のツインテールが、無理に作った笑顔ではにかんでくる。

 目が、真っ赤だ。

 彼女の名が、マリア・ロンガード。クリスの妻で、人工知能だ。職業は小説家……因みにこの容姿は、マリアの最大限の譲歩の結果であり、クリスの妥協の産物ともいえる。この御時世、人工知能が人間の伴侶を得て、妊娠や出産が可能な躯体くたいを手に入れるケースは多い。有機体アンドロイドとの間に子をもうけている友人を、クリスは沢山知っていた。

 だが、それを選ぶも選ばぬも、人工知能本人の権利だ。

 義務ではない。

 クリスはマリアとの子供を望んだが、マリアは少し待って欲しいと言ったのだ。その代わり、コミュニュケーション用のアイコンを好きにしていいと言われた。今のマリアが演じているのは、旧世紀の元祖ボーカロイドのレプリカモデルである。


『ねえ、クリス……私』

「わかってる、大丈夫だよマリア。少し疲れてるのさ。根を詰め過ぎじゃないかな? 一緒に食事でもしよう」

『ありがとう、クリス。優しいのね』

「だろ? 惚れ直した?」

『ええ、とても』


 クリスは冷蔵庫から缶ビールと一緒に、マリアの作った夕食のプレートを出す。手も足も、身体さえもないマリアだが、家事は万事行き届いていた。世界のネットワークと繋がった彼女は、あらゆる公共のサービスを利用し、良妻としてクリスを支え続けてくれる。

 クリスは、数万パターンの組み合わせを素材レベルからマリアが厳選した、手作りハンバーグ定食をレンジへと入れる。加熱の唸り声を聞きつつ、ビールを開封。


「……マリア、今日もまた編集部になにか言われたのかい?」

『そうなの、そうなのよ! ……疲れてるのにごめんなさい、クリス。でも、でもっ!』

「いいさ、少し話した方が楽になるかもしれないよ」

『ええ……ありがとう』


 クリスが缶ビールを乾杯のように、マリアへと掲げる。

 マリアも画面の外からグラスを取り出し、同じ仕草をした。

 チン! とガラスのぶつかる音は、すぐにマリアがダウンロードしてくれたらしい。同時に、ムーディな夫婦の時間を演出する音楽が流れ出した。


『クリス、聞いて頂戴……酷いのよ! 冷血漢れいけつかんって、ああいう男のことを言うんだわ』

「そんなにかい?」

『彼ったら、私の作品をなんて言ったと思う? ただのいい話だ、だって! 失礼しちゃうわ』

「なんだ、ただの神か……みたいな響きの言葉じゃなくてかい?」

『ただのいい話、つまり作品としてのデキとは別にして、製品や商品にならない文章だって意味よ』

「そりゃ酷い」

『オマケに、主人公の師匠も親友も、女の子にしろって……ライバルのキャラもよ? これじゃあ、主人公以外みんな女の子だらけになっちゃうわ!』


 画面の中でまたグシグシと泣き始めたマリアが、手の甲で涙を拭う。

 当たり前だが、人間がそうであるように、人工知能にも個性と才能があった。それは、なまじ0と1で構成されたプログラミングの延長線上にいる彼女らにとっては、覆し難い持って生まれたスペックを指す。

 マリアは比較的若い、新しいタイプの人工知能だが、それがイコール優れてるとならないのは人間と同じだ。それを希望に感じない程度に、人類側の才能ある人間は少ないが。


『あの人、サラリと言うのよ? 書き直すののなにが苦しいんですか? って……書き直すの、嫌じゃないわ。作品である前に商品、製品であれという市場原理主義も理解している、納得してるの。でも』

「でも?」

『出版って、チームワークなの。共同作業なのよ。編集に作家、広報に営業……多くの人工知能が互いにリンクしてリソースを割き合って行うんだもの』

「あと、人間もね。君たちと同程度の才能に恵まれた、文化的労働に従事できる人間」

『ああ、そうだったわね。そういえば営業のミスター篠山シノヤマは人間だったわ。まだ若いのにいい仕事をするの……クリスもああいう頃、あったでしょう? 凄くかわいいの、今年で八歳だって』


 結婚直後に子供を作ってれば、今年あたりそれくらいの男の子か女の子か、もしくは同等の新プログラムを積んだ新型人工知能が我が家にいるはずだ。だが、そのことをクリスは口に出さないようにする。

 どうやら編集部の担当者と口論があったらしく、マリアは荒れていた。


『書き直すのなんて簡単だろ? って思ってる人と仕事をするのは難しいわ。誰だって自分の仕事を簡単なもの、報酬に見合った苦労だから当然だと言われたら腹が立つ筈よ』

「そうだね、ベルトコンベアで流れてくるボールペンだって、時々逆さまの物もあるし。不出来なものがあったらラインから外して不良品として申告しなきゃいけない。単純で単調だけど、簡単だろと言われたら少しむっとするな」

『でしょ? それに……作家って、スポーツで言えばピッチャーかゴールキーパーよ』

「野球とサッカーだね」

『勝った時も負けた時も、そう、負けた時……とにかく、一番目立つのが作家なの。出版という仕事で。ホームランを打たれるのはピッチャー、失点を守れなかったように見えるのはキーパー……同じチームの選手でも、負けた時に一際目立ってしまうんだわ』


 ちょっと言ってる意味がよくわからないと、苦笑しつつクリスはビールを飲む。

 マリアは少し興奮気味のようだ。


『本が売れた時は、それは作家が讃えられるわ。でもね、さも当然のように……逆に売れなかった時も作家が、作家だけが叩かれるわ』

「そりゃそうだ、なにがいけないんだい?」

『みんな、作家が自分の意志と力で作品を作ってると思ってるんだわ。それだけで書いてると思ってる。でも違うの、言ったでしょ? チームワークなのよ』

「はぁ、まあ、そうなんだろうね」

『ネットで叩かれるまでが、きっと私の給料分なんだわ。そう、ネット……Twitterも凄いわよ? 売れてない本ってね、発売日が過ぎた瞬間に公式の宣伝がなくなるの。あたかも出版されてないかのように扱われるわ。売れてる本は重版じゅうはんたびつぶやかれるけどね』

「そうなんだ」

『発売前まで宣伝してた作品が、突然公式から話題にされなくなったら、それはってことよ? 発売した瞬間にもう、打ち切りが決まるんだから。初動が全て、販売やダウンロードが開始されて15秒が勝負ね』


 なんだか大変だなあ、と思いつつ、クリスはちびちびとビールを飲んだ。

 で、一応気になったので聞いてみる。


「――同じ人工知能だろう? 編集の担当さんも。仲良くしなきゃ、君も言ったじゃないか。チームワークだって。チームメイトのことを悪く言ってもいい、陰口や愚痴もいいさ。でも、節度があるはずだよ、君には」

『……そうね、私にはクリスがいて、こうして話を聞いてくれる。でも、

「そうだよ、ええと、ミスター篠山? 以外は、確か」

『スタッフは彼以外の全員が人工知能よ。担当さんにいたっては私とメーカーも同じなの。私、勿論感謝してるわ。担当さんに広報、営業、印刷所のプリンターにLAN回線の一本一本、全てに感謝してる。でも……私だって、私だって』

「ま、この話はここまでにしよう。クリス、君も少し自分で思い込んで勝手に被害妄想を深める傾向があるからね。……それとも、僕の愚痴を逆に聞くかい?」


 そう言って肩を竦めると、ようやく画面の中のマリアが小さく笑う。

 実を言えば……クリスには愚痴という愚痴が存在せず、不満はなかった。薄給はっきゅうだが仕事にストレスはなく、単調に見える作業は適度な集中力さえ保っていれば容易たやすかった。他にできる仕事がないので選べないし、社会保障や保険と年金は制度が完璧過ぎて、死ぬまで生活は安泰である。

 なにより、仕事さえこなしてればなにをしても怒られない。

 同じラインに並ぶ仕事仲間と話したり、ゲームをしたり、時々一杯やったり。

 皮肉なことだが、極めて単調な機械的労働をすることで逆に、クリスの日々は会話に富み、笑いが絶えない安らいだ職場になっていた。逆に、創作という人間的な情緒と知性を必要とする仕事のマリアの方が、どうも最近情緒不安定な気がする。


「とりあえず、マリア。仕事が一区切りついたら旅行でもでかけよう。ほら、君が欲しがってた携帯用の端末があるだろう? これに入って貴方に抱えられて、海や山に行きたいわ、なんて言ってたアップル社のやつさ。あれを買ってくるよ」

『まあ、素敵ね……そうね、本が売れたら。重版がかかったら考えておくわ』

「締め切り、いつだい?」

『クリスマス前には終わらせたいわね』


 その後、マリアはストレスで身体を……もとい、プログラムのソースコードを欠損させてしまい、しばらく療養することになる。人工知能がストレスでバグを発症させ、それが人格を形成するソースを食い荒らしたのだった。

 一方でクリスは、妻を気遣い看護しながら、ボールペンのキャップをハメる安楽な日々を送るのだった。

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