青き森のダンジョン
ここではない時、今ではない場所。
迷宮と化した深い原初の森を、人はみな
「アラハバキ様、入ります。……アラハバキ様?」
ヨロキは
荘厳な重々しい扉が左右に割れると、広い空間の奥に
その社へと上がる小さな階段の上に、少女が眠りこけていた。
「アラハバキ様? 寝てるんですか? 寝てるなら寝てると、そうでないなら起きてると
「ムニャ、
「そうですか、では失礼して」
うつつらうつらと階段に座って
バシィン! と、乾いた音が周囲に響き渡った。
「ギャヒン!
「おはようございます、アラハバキ様。お目覚めになられましたか?」
「
「もう二、三発ぶちましょうか。まだ寝ぼけ呆けておられるようなので」
「……
この少女が、津軽の地に広がる大迷宮、昏き樹海のアラハバキと呼ばれる秘境の主だ。こう見えても
ヨロキは手足をばたつかせる少女を、ようやく解放した。
彼女の名はアラハバキ、彼女こそがこの土地の全てを
「
「そのデカい尻がこれ以上デカくなる訳がないでしょう。仕事してください、仕事」
「
「寝起きに下ネタでセクハラとはいい度胸ですね」
淡々と流すヨロキの前で、アラハバキは尻をさすりながら涙目だ。
因みに「おったってまった」とは津軽弁で「疲れてしまった」の意である。
「報告すべき案件がたまっています、アラハバキ様。お時間よろしいでしょうか」
「
尻をさすりながらも、アラハバキが社の階段に腰掛ける。彼女の
ヨロキは苦笑しつつも、各部署からあがってきている報告を告げる。
「迷宮の第二階層から、宝箱の補充を要請されています。許可いただければ手配しますが」
「
「……また林檎ですか。実は、南から来る冒険者たちから不評でして。どの宝箱を開けても、ほとんど林檎ばかりなのはどうかと」
「
腕組み考えるしぐさで、むーん、とアラハバキは
因みに彼女は、執務能力はゼロである。無能で無力で、その上に無気力だ。
だが、彼女が先代アラハバキからこの迷宮を受け継いだので、放り出すわけにもいかない。ヨロキとしては、たまには放り出すどころか抱え上げて叩き付けたくなる程度にはイライラするが。
半面、
「
「具体的にはなにを」
「ニンニク
「わかりました、手配しましょう。次の案件ですが」
「
アラハバキは仕事を、大事な使命を
あどけない童女のような顔に目を丸くするアラハバキに、思わず溜息が
「次は、第四階層の中盤の件です。回転床を多数設置したのですが」
「
「……僕が考えたんですよね、あれ。まあ、いいですけど。それで、実は」
「んあ?
「冒険者たちの行く手を遮る罠としては最高なんですが……
「
「笑いごとじゃありません、アラハバキ様」
頬を崩して豪快に笑うと、その表情はいっそう幼く見えて愛らしい。見た目は愛らしいのに、やっぱりヨロキには少しイラッとする。
だが、アラハバキは笑うのをやめると、珍しく前向きな意見を言ってきた。
「
「……珍しいですね」
「
「いえ、アラハバキ様がそうして建設的で有益な話をするのが珍しいのです」
「
ますます顔をしわくちゃにしてアラハバキが笑う。
そして彼女は、落ち着いたかと思うと……潤んだ瞳で上目遣いにヨロキを見詰めてくる。どういう訳か知らないが、時々彼女はもじもじと落ち着かなくて、ヨロキにだけ頬を赤らめながらこうしてまなざしを注いでくるのだ。
そのことを同僚に相談すると、ヨロキはいつも理不尽な怒りや
「
「どんだ、と申しますと」
「
「別に、なんとも……さ、仕事を続けましょう」
「……
足を組んでその上に肘を突くと、アラハバキは頬杖でプイとそっぽを向いてしまった。どうしてむくれてるのか、ヨロキにはわからない。理不尽、そして不条理を感じるだけだった。
「次ですが、大陸からの亡命者……西の果てから来たそうですが、その者たちの受け入れをどうしましょう」
「あー、
「ええ」
「んー……ま、
「では、そう先方にも……キリスト様にもお伝えしますね。流石はアラハバキ様、お優しい」
「デヘヘ、
そう、基本的に人畜無害な上に、義理人情に厚いお人好しなのが今のアラハバキだ。迷宮で冒険者が全滅したと聞けば、飛んで行って蘇生してやり、全財産の半分を没収することで許して帰してやる。わざわざ自分の
仕事はまるでできないが、ただ呼吸と鼓動を重ねてチョコマカ動いてるだけで、この迷宮に活気を呼んで皆を元気づけているのだった。
「では、アラハバキ様。最後ですが……朝廷に動きがありました。
「あー、
「
「
「来ますね。そして、迎え撃たねばならないでしょう」
「
アラハバキは脚を組み換えながら、思案に沈みつつ……チラリとヨロキへ視線を滑らせてきた。座る階段の隣をポンポンと手で叩くので、無言の誘いに促されてヨロキは彼女の横に座る。恐れ多いこととは思いつつも、時々こうして重大な案件を扱う時は、アラハバキは必ず隣にヨロキを呼んだ。
ヨロキが見下ろす小さな龍神様は、こてんと長い黒髪と角の頭を寄せてくる。
よりかかってくる小さな重さと温かさに、黙ってヨロキは身を固くした。
「
「それは、どのような」
「
「征夷大将軍です。征夷大将軍、坂上田村麻呂」
「
ニッコリと笑って、アラハバキはヨロキの腕に抱き着いて見上げてくる。
それなら確かに、油断するかもしれない。歓迎の意を示して歓待し、酒で酔わせてからなら仕留めるのも
だが、ヨロキとてこの迷宮の一員、アラハバキのもとに集った
この地を守護してアラハバキを守る為なら、どんな手段も厭わない。
そう思う自分の律義さが不思議で、ふとヨロキは隣を見下ろす。
「
「あ、いえ……息が
「なっ……この、
「今夜の
「うう……
「ん? なにか言いましたか? アラハバキ様」
「
こうして今日も、
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