青き森のダンジョン

 ここではない時、今ではない場所。

 はるかなる遠未来、青森県と呼ばれる地に巨大なダンジョンが存在した。北方のアイヌたちを大和朝廷やまとちょうていから守るべく、土着の民がまつろわぬ神をほうじて集まったのである。

 迷宮と化した深い原初の森を、人はみな畏怖いふ畏敬いけいの念を込めてこう呼んだ。

 くら樹海じゅかいのアラハバキ、と。


「アラハバキ様、入ります。……アラハバキ様?」


 ヨロキは頭巾ずきんを脱いで身を正すと、静かに返事を待つ。この迷宮のぬしに仕えて八年、少年は今や立派な従者として大成していた。端正な表情に僅かに緊張を滲ませ、声が返ってこないので扉を開く。

 荘厳な重々しい扉が左右に割れると、広い空間の奥にやしろがある。

 その社へと上がる小さな階段の上に、少女が眠りこけていた。


「アラハバキ様? 寝てるんですか? 寝てるなら寝てると、そうでないなら起きてるとおっしゃってください。アラハバキ様ー?」

「ムニャ、寝ってねねてません……わたしのはこれ、ただの居眠りだ……ムニャニャ」

「そうですか、では失礼して」


 うつつらうつらと階段に座ってふねぐのは、年の頃は十を過ぎてなかば程の小さな女の子だ。幼い容姿を裏切る発育が、乳やら尻やらに優美な曲線を膨らませている。長い黒髪の頭には、牡鹿おじかのような立派な角が生えていた。ヨロキは容赦なく華奢きゃしゃ矮躯わいくを小脇に抱えると、安産型の臀部でんぶを強く打ちえた。

 バシィン! と、乾いた音が周囲に響き渡った。


「ギャヒン! なしたなんですか!? わいあら、ヨロキ!?」

「おはようございます、アラハバキ様。お目覚めになられましたか?」

寝てねねてませんよわだっきゃわたしは寝て……ヒギャン!」

「もう二、三発ぶちましょうか。まだ寝ぼけ呆けておられるようなので」

「……わたしが悪かった、あんまし暇で寝ってらんだねてたみたいです


 この少女が、津軽の地に広がる大迷宮、昏き樹海のアラハバキと呼ばれる秘境の主だ。こう見えてもいにしえの時代よりこの地に住まう龍神である。

 ヨロキは手足をばたつかせる少女を、ようやく解放した。

 彼女の名はアラハバキ、彼女こそがこの土地の全てをべる神だ。


わいはぁあらまあどんずしり腫れてまったじゃしまいましたね……」

「そのデカい尻がこれ以上デカくなる訳がないでしょう。仕事してください、仕事」

わだっきゃもうわたしはもうまったんだじゃしまいましたよ

「寝起きに下ネタでセクハラとはいい度胸ですね」


 淡々と流すヨロキの前で、アラハバキは尻をさすりながら涙目だ。

 因みに「おったってまった」とは津軽弁で「疲れてしまった」の意である。


「報告すべき案件がたまっています、アラハバキ様。お時間よろしいでしょうか」

んだがそうですかへばまんずやっつけるべではまず、かたづけましょう


 尻をさすりながらも、アラハバキが社の階段に腰掛ける。彼女の御神体ごしんたいを祭ったここが、北の大地を守護する龍神の玉座だ。

 ヨロキは苦笑しつつも、各部署からあがってきている報告を告げる。


「迷宮の第二階層から、宝箱の補充を要請されています。許可いただければ手配しますが」

んだがそうですかへばでは林檎リンゴでも入れてけへぇいれてください

「……また林檎ですか。実は、南から来る冒険者たちから不評でして。どの宝箱を開けても、ほとんど林檎ばかりなのはどうかと」

あれまあんだかそうでしたか……へばではどしたらええかさどうしたらいいでしょう


 腕組み考えるしぐさで、むーん、とアラハバキはうなってしまう。

 因みに彼女は、執務能力はゼロである。無能で無力で、その上に無気力だ。

 だが、彼女が先代アラハバキからこの迷宮を受け継いだので、放り出すわけにもいかない。ヨロキとしては、たまには放り出すどころか抱え上げて叩き付けたくなる程度にはイライラするが。

 半面、いかつい土偶どぐうの化身だった先代に比べて、迷宮を守る国津神くにつがみたちには人気がある。

 日ノ本ひのもと創生の頃より息衝く太古の神々にとって、彼女はちょっとしたアイドルだ。


ほしたらそれではんだええあれだぁあれですねヨロキさヨロキさん、宝箱の中身半分ほど、別の特産品変えるべかえましょう

「具体的にはなにを」

「ニンニクだべでしょカシスっこだべカシスでしょ……ほいでよそれから、ながいもとかホタテもそろえてやれじゃあげてください

「わかりました、手配しましょう。次の案件ですが」

わいわいおやおやまだあるんずかまだあるんですか!?」


 アラハバキは仕事を、大事な使命をめてるとヨロキは思う。

 あどけない童女のような顔に目を丸くするアラハバキに、思わず溜息がこぼれた。


「次は、第四階層の中盤の件です。回転床を多数設置したのですが」

んだはい、あれは評判いいべいいでしょう? わだっきゃわたしとしては、自信あるじゃあるんです……わやすげえチョーすごい仕掛けだじゃよですよ

「……僕が考えたんですよね、あれ。まあ、いいですけど。それで、実は」

「んあ? なしたどうしました

「冒険者たちの行く手を遮る罠としては最高なんですが……御味方おみかたしてくださる神々も結構、道に迷ってしまいまして」

んだのかぁそうでしたか……わいわいあらあらまいってまるいなまいりましたね! わっはっは!」

「笑いごとじゃありません、アラハバキ様」


 頬を崩して豪快に笑うと、その表情はいっそう幼く見えて愛らしい。見た目は愛らしいのに、やっぱりヨロキには少しイラッとする。

 だが、アラハバキは笑うのをやめると、珍しく前向きな意見を言ってきた。


へばではあれだじゃあれですね。回転床さあるのある場所には、飛べる神たち配置すんべしましょう

「……珍しいですね」

んだかそうですか? 出雲いずもとか他の迷宮はどうなってるべかのどうなっているでしょうね……今度、念話メールさしてみるべけどをしてみますけど

「いえ、アラハバキ様がそうして建設的で有益な話をするのが珍しいのです」

わいはあら照れるじゃてれますよ! 褒めてもなんもなにも出ねえどでませんよ! ガハハ!」


 ますます顔をしわくちゃにしてアラハバキが笑う。

 そして彼女は、落ち着いたかと思うと……潤んだ瞳で上目遣いにヨロキを見詰めてくる。どういう訳か知らないが、時々彼女はもじもじと落ち着かなくて、ヨロキにだけ頬を赤らめながらこうしてまなざしを注いでくるのだ。

 そのことを同僚に相談すると、ヨロキはいつも理不尽な怒りやねたみを向けられるのだった。


わだってわたしだって、真面目にやることもあるんだぁありますよ。……だって、わもよぐわたしもよく見られてえみられたいです……ヨロキさんそったらわのことそういうわたしのことどんだどうですか?」

「どんだ、と申しますと」

わさしかへてけろわたしにおしえてください……わのことわたしのこと、どう思ってるがさおもっているのかを

「別に、なんとも……さ、仕事を続けましょう」

「……んだかそうですか


 足を組んでその上に肘を突くと、アラハバキは頬杖でプイとそっぽを向いてしまった。どうしてむくれてるのか、ヨロキにはわからない。理不尽、そして不条理を感じるだけだった。


「次ですが、大陸からの亡命者……西の果てから来たそうですが、その者たちの受け入れをどうしましょう」

「あー、そったらそんな話っこもあったのはなしもありましたね! どすべどうしましょう追われてるんだべおわれているのでしょう?」

「ええ」

「んー……ま、よかべいいでしょう! ええからいいから保護してやれはぁあげなさい。救い求めてる人っこばひとを、追い払えばめぐさいっきゃはずかしいですから助けてやれじゃたすけておあげなさい

「では、そう先方にも……キリスト様にもお伝えしますね。流石はアラハバキ様、お優しい」

「デヘヘ、んだべそうでしょう? わだっきゃわたしは、その、バテレン? そったのさもそういうかたにも平等なんだじゃなんですよ


 そう、基本的に人畜無害な上に、義理人情に厚いお人好しなのが今のアラハバキだ。迷宮で冒険者が全滅したと聞けば、飛んで行って蘇生してやり、全財産の半分を没収することで許して帰してやる。わざわざ自分の神通力じんつうりきで、迷宮の各所に回復の泉を設けたりしているし、最近は第三階層に冒険者たちの中継地点となる村を開いた。

 仕事はまるでできないが、ただ呼吸と鼓動を重ねてチョコマカ動いてるだけで、この迷宮に活気を呼んで皆を元気づけているのだった。


「では、アラハバキ様。最後ですが……朝廷に動きがありました。征夷大将軍せいいたいしょうぐんとかいうのが派遣されるそうで、大きないくさになりそうです。確か、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろとかいう――アラハバキ様?」

「あー、まただかまたですか……なしてそうどうしてそう、アイヌさつらつきするんだべのひどいことをするのでしょう? 南の民も話っこさすればはなしてみればたいしてあずましいすごくいい多いけんどですけど

高天原たかまがはらから降りてきた神々が、どうしてもこの日ノ本を平定したいそうです」

わいはぁおやまあ参ってまったのまいってしまいましたねなしてどうしてアチコチ鎮定ちんていしてらんだかしてるのでしょう……わっつわっつとやられてまってらっきゃザクザクゴリゴリとやられてるじゃないですかこさもこっちにも来るんだべかのでしょうか?」

「来ますね。そして、迎え撃たねばならないでしょう」

んだかそうですか……わいはぁあれまあ困ってまったのこまってしまいましたね


 アラハバキは脚を組み換えながら、思案に沈みつつ……チラリとヨロキへ視線を滑らせてきた。座る階段の隣をポンポンと手で叩くので、無言の誘いに促されてヨロキは彼女の横に座る。恐れ多いこととは思いつつも、時々こうして重大な案件を扱う時は、アラハバキは必ず隣にヨロキを呼んだ。

 ヨロキが見下ろす小さな龍神様は、こてんと長い黒髪と角の頭を寄せてくる。

 よりかかってくる小さな重さと温かさに、黙ってヨロキは身を固くした。


ほしたらそれではわさわたしは思うんだどもおもうのですけど……大和の朝廷将軍が来たら、もてなしてみっかみますか?」

「それは、どのような」

祭さしてまつりをもよおして酒っこさ飲まへておさけをのませて、イカとかヒラメとかかへでのたべさせて! んだぁそですね、その、なんつったかさなんといいましたか、ナントカ将軍

「征夷大将軍です。征夷大将軍、坂上田村麻呂」

んだええ、みんなで山車だし出して迎えて、一緒に祭っこすべおまつりしましょう。こう、竹と紙で山車作って、中蝋燭ろうそく灯してろともしてね? みんなで踊る、跳ねるべはねましょう! ラッセラーラセラ! てよというかんじでね


 ニッコリと笑って、アラハバキはヨロキの腕に抱き着いて見上げてくる。

 それなら確かに、油断するかもしれない。歓迎の意を示して歓待し、酒で酔わせてからなら仕留めるのも容易たやすいだろう。

 勿論もちろん、アラハバキにはそんな魂胆こんたんがないのは百も承知だ。

 だが、ヨロキとてこの迷宮の一員、アラハバキのもとに集った眷属けんぞくだ。

 この地を守護してアラハバキを守る為なら、どんな手段も厭わない。

 そう思う自分の律義さが不思議で、ふとヨロキは隣を見下ろす。


なしたどうしました? ヨロキさヨロキさんわのことばわたしのことをジッと見て……惚れ直しただかほれなおしましたか! わはは!」

「あ、いえ……息がくさいなと思って。お昼、ニンニク食べましたか?」

「なっ……この、ほんずなしだめにんげん! なしてそったらことどうしてそんなことを言うだいうのです! ……バラ焼き食べた、ニンニクがっつり入れて……今夜に備えて精力と思って……なのに、なのにーっ!」

「今夜の褥番しとねばんは僕なので、ニンニク臭いのはちょっと。おりをする身にもなってくださいね、アラハバキ様」

「うう……なしてわさどうしてわたしはこったらのにこんなひとに惚れててるんずよほれているのでしょう……」

「ん? なにか言いましたか? アラハバキ様」

なんでもねなんでもないです!」


 こうして今日も、蝦夷えぞのアイヌを守る国津神たちの時間はゆったりとたゆたう。大和朝廷からの恩賞おんしょうを目当てに、訪れる冒険者たちは絶えない。人は皆、この北の大地に広がる森の迷宮を……昏き樹海のアラハバキと呼び、おそうやまうのだった。

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