変態ですと名乗るレベルは変態じゃない説

 今日も今日とて、一ノ瀬瑞葉イチノセミズハ憂鬱ゆううつだった。

 いつものように今朝も、振り返る誰もがにこやかな笑顔で朝の挨拶をしてくれる。そう、誰彼構わず振り返らせるなにかがあって、正直うんざりする。

 そして、いつもそんなねたみとそねみの気持ちに自己嫌悪だ。


「おはようございます、一ノ瀬様!」

「ごきげんよう! 一ノ瀬様」

「今日も素敵ね……一ノ瀬様」


 一ノ瀬様、一ノ瀬様、一ノ瀬様。

 毎日飽きずにこれである、本当にうんざりする。

 そんな瑞葉のこじれた感情を、そうとは知らずに一身に受けて輝く少女が全ての元凶だった。その少女は今日も、女神のような笑顔で皆の声に応えるのだ。


「皆様、おはようございます。いい朝ですわね」


 これが一ノ瀬様……瑞葉の妹、一ノ瀬琴葉イチノセコトハである。

 全く同じ容姿、髪型、身長……体重はちょっとだけ違う、どう違うかは決して言えないが微妙に違う。それでも、同じ学校のセーラー服を着れば、同一人物である以上に酷似した妹だ。

 だが、見た目のヴィジュアル的な類似点を裏切るのは、その中身だ。


「ふふ、今日も皆様の視線が心地いい……嗚呼ああ、もっとわたしを見詰めて、目で犯して、視姦して。そう思うとまた、しとどに濡れて熱くなる琴葉であった」

「ちょっと、ちょっと琴葉! れてる、漏れ出てる! 恥ずかしいからやめて、お願い……心のモノローグを発音しないで」

「あら、お姉ちゃん。だって、皆様が私を振り返るんですもの。飢えた豚のような視線で、わたしを舐め尽くすように、じっとりとねぶるように」

「それは勘違い! 違うから、全く違うから!」


 妹の一ノ瀬琴葉は、淫乱である。

 超が付くほどのビッチなのだ。

 誰彼構わず分刻みで恋人を変え、自分をよく見せるためならなんでもする生粋の自分大好き人間……そして、今に至るまで彼女は、そういうドス黒く汚れた本性を誰にも悟らせることなく、皆の憧れのマドンナを演じてきたのだった。

 全ては、姉の瑞葉の陰ながらの尽力のたまものである。


「お姉ちゃんも彼氏の一人や二人くらい作らなきゃ! わたし、応援してるゾ☆」

「……あんたねえ、私がいなきゃその性格がバレて三秒で今の立場を失うのよ?」

「そう、そうよね……美しく可憐で麗しい妹のため、姉は犠牲となって汚れ仕事に身をやつしてゆくのよね」

「社会的に殺すぞ、愚妹ぐまい……」

「やめて、お姉ちゃん! わたしのために罪を重ねないで……そんな、わたしの本性をさらすと脅して、エロ同人誌みたいなことする気でしょう! 公衆肉便器こうしゅうにくべんきが熟れた団地妻で調教女教師ちょうきょうおんなきょうしな、薄い本がアツくなる展開に持ち込む気でしょう!」


 朝から頭が痛い。

 見た目も能力も全く同じ、天が二物どころか妄想の産物としか思えない全てを与えられた双子の姉妹。容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能……だが、妹のこの性格を陰でフォローする姉は、いつしか「一ノ瀬姉妹の影の薄いほう」とか「あいつ一ノ瀬様とキャラ被ってるよな」とか「おいパン買ってこい」とか、言われたい放題なのである。


「はぁ……髪型変えようかな、髪切ろうかな。眼鏡にするとかさ」

「お姉ちゃん、失恋? 捨てられた? 遊びだったのね? 産んでやるのね!」

「ちゃうわ、アホ……そのドドメ色の脳細胞をフォローするだけの影の生活に疲れてるの」


 だが、そんな瑞葉だって好きな人くらいいる。

 恋をしている、恋してる……愛しいほどに焦がれてる。

 それだけが今や、瑞葉の毎日の学園生活でのうるおいだった。こうして並んで歩くクソビッチが、まるで天使ような笑顔で世界を裏切ってる、その片隅で……瑞葉は一途な片思いを燻らしているのだった。

 そして、それが無謀で虚しいことも知っている。

 その意中の人物は今日も、校門の前で二人を待っていた。


「グッモーニンッ! 一ノ瀬姉妹。いい朝だな」


 周囲から女生徒の黄色い声援を浴びる、この男子の名は式条勝シキジョウマサル。すらりと長身に端正な細面のイケメン生徒会長である。ご苦労なことで、今日も朝から校門に立ち、朝の挨拶運動とやらにご執心だ。

 彼が、瑞葉の意中の人物である。

 残念ながら、瑞葉はこの男に恋をしているのだ。

 そして、それを知っているのは……悪いことに妹の琴葉だけなのだ。


「おはよう、色情魔猿シキジョウマサルくん。今日もかっこいいぞ? 思春期真っ盛りの男の子の匂いがしちゃう」

「ハッハッハ、よせよせ照れる。そう褒めてくれるな……相変わらず面の皮が厚いな、一ノ瀬琴葉。話は聞いているぞ? またさんざん貢がせてまたがった挙句にフッたそうだな」

「わたしって罪な女ね……この魔性の魅力のゼロ分のイチでもお姉ちゃんに分けてあげたいわ」


 おうこら、それってゼロじゃねーか、ゼロディバイドじゃねーか。

 そう内心吐き捨てつつも、勝の前ではついつい瑞葉は大人しくなる。良心の呵責かしゃくも感じず愚妹をなじる気概も、心底軽蔑してしかるべき機関に通報したくなる気持ちも萎える。

 彼の前では、いいでいたい。

 たとえその彼が……


「そういえば一ノ瀬、今日は英語のヒアリングがあるな。予習の方は大丈夫か?」

「ふっふっふー、完璧だよ式条くん! こんなこともあろうかと、わたしに代わってお姉ちゃんがバッチリ予習してきたから。いざとなったら入れ替わるし! そんなことしなくてもやればできちゃうのがわたしだし! 嗚呼、完璧過ぎる罪……欠点がないことだけがわたしの欠点」

「まさしく神の過ち、天のいたずらだな。その有り余る才能を大事にしろよ、一ノ瀬」

「式条君も独り遊びはほどほどにね? ティッシュの大量消費で地球温暖化に貢献してもダメなんだから」

「こいつは一本取られたな! ぬかしおる! ……しかし俺は、うかつにも英語のヒアリングがあるというのに昨夜は八時間もボコスカウォーズを遊んでしまった」

「なに、リメイク版?」

「ファミコン版だ。そのファミコン本体を納戸なんどの奥から発掘するのに七時間もかかってしまってな」

「あら……言ってくれれば。見たかったわ、式条くんが無様に自分より年上のゲーム機を探すとこ。わたしならエミュレーターで一発よ? 勿論、お姉ちゃんにダウンロードさせて」

「そうか……しかし俺はクリエイターへのリスペクトを忘れてはいけないと思うし、イリーガルなチョイスはゲーマーズマインドに反する、それはとてもサディスファクションだ」

「日本語で話しなさいよ、童貞奪いながら処女も蹂躙じゅうりんするわよ?」

「おおっと、怖い怖い。まあ、端的に言えば……一ノ瀬、その姉の方。聞いた通りの有様で、俺はあまり笑えない状況だ。だから……


 はたから見れば、耽美たんびみやびな光景だった。

 学園のアイドル、清楚で純真な一ノ瀬琴葉が、女生徒たちの憧憬どうけいを一身に集める生徒会長の式条勝と会話に花を咲かせている。背後に舞い散るは桜か薔薇か、それとも……といったおもむきである。

 だが、瑞葉には二人が、時代のゆがみが手違いで生んだ徒花あだばなにしか見えない。

 そして、清々すがすがしい笑みで手を出してくる勝に、瑞葉はキレた。


「今の文脈でどうしてっ! パンツが必要って話がでてくるのよっ! ……どうしていつも、いつもいつも私なのよ。琴葉じゃなくて私なのよ」

「おい、待てっ! 訂正しろ、一ノ瀬の姉の方!」

「えっ?」

「確かに英語のヒアリングがあることを忘れ、遊び呆けていた俺にも非はある。百歩譲って俺が悪いということにしておこう。だが、聞き捨てならんぞ……俺の熱い想いが許さん」

「勝くん……えっ、も、もしかして」


 だが、瑞葉は懲りない自分を二行後に呪うことになる。

 残念ながら勝は、琴葉と対をなす学園のプリンセスとプリンス、そして……同レベルの手に負えない変態なのだった。


「今っ、カタカナで発音したな! 、だ! ひらがなで発音したまえっ!」

「え……」

「ぱんつ、ぱんつだ! ひらがなでの発音を心掛けろ、さあ! リッスントゥミー!」

「アホくさ……行くよ琴葉。あんたがそれ以上バカになったら、私フォローしきれない」


 我ながら呆れる。

 勝も、勝を好きな自分にも。

 だが、それでも瑞葉は心のどこかで信じていたし、知っていた。

 勝だけがいつも、琴葉の横にいる自分を見つけてくれる。

 なぜ常にセクハラの対象が琴葉でなく自分なのか……それはわからない。だが、勝は常に思春期特有の青い性をむき出しに、見た目ばかりは格好良く瑞葉に構ってくるのだ。勝だけが、琴葉という光が生む影の闇に、瑞葉を見つけ出してくれる。


「……ねえ、勝くん」

「おっ、ありがたい! よし、なるべく早く頼む。ぱんつは脱いでから40秒が勝負だ」

「はぁ、私ってばなんで……でもそれを言ったら、さ。なんで?」

「うん? ああ、脱ぎたてのぱんつから発生するパンティング粒子は空気中ではすぐに霧散してしまい、その効力を失ってしまうのだ。これをオッキレス現象という、これは試験に出るからな。俺は常にパンティング粒子を味覚や嗅覚等、五感でフルに味わうべく40秒ルールを己に課している。そう、その因縁が生まれたのは今から10年前、あれはまだ暑い暑い夏の――」

「うっさいボケ! 一度と言わず五、六回死ね! ……なんで? なんで、琴葉じゃなくて私なのさ」


 不意の質問に勝は、フィットネスジムのインストラクターみたいな笑顔ではにかんだ。


「決まっているじゃないか、一ノ瀬瑞葉。俺の想いに気付いていないとはな」

「えっ……!? 勝くん、じゃあ……」

「ああ! 俺はあえて、お前が好きだ!」

「う、うそ……ちょっと、やだ、それ……は、恥ずかしいじゃない! ……あえて?」


 にこやかに微笑む勝は、次の瞬間にフットネスジムのインストラクターみたいな笑顔をさらに眩しく輝かせた。


「お前の体が好きだ、いわば体目当ての恋だからな! こればっかりは、一ノ瀬琴葉ではいかん。俺が好きなのはあくまで、一ノ瀬瑞葉、お前の微妙にだらしない体だ!」


 ――何故、そのことを知っているのだろう?

 そう、確かにスリーサイズからなにから一緒の双子だが、瑞葉の方が微妙に体重が……そればかりではない。最近は微妙に脚の太さやら腰回りの肉付きやら、ほんの少しずつ瑞葉の方がデッドウェイトを増やしているのだ。

 原因はストレスである……陰に日向に琴葉の世話を焼く日々に、疲れていたのだ。


「俺は本気だぞ、一ノ瀬瑞葉。純粋に体だけが目当てだ。金で繋がる関係でもいい、心からお前の体を愛している!」

「……勝くん。ねえ……ホント?」

「ああ! 本当だとも。お前がミリ単位で一ノ瀬琴葉よりだらしない、その体がいいんだ! むしろ、そのからだ……俺はむっちり派だし、お前の方が汗っかきなのも知っている。食べればすぐに太る体質で、しかもなかなか脂肪が燃えない体質なのもな!」

「……ふぅん、そうなんだ……へー、物知りだね」

「毎日欠かさず、お前の屋敷に忍び込んでいるからな。お前は昨夜も、風呂上りに体重計へ載って溜息をこぼしていただろう? あれを見たら辛抱たまらず、俺は煩悩ぼんのうをレゲーで追い出すべくボコスカウォーズをだな」

「おーまーえーはーっ! 歯ぁ食い縛れ! 死ぬまで殺してやるーっ!」


 瑞葉は思わず、握った拳を振りかぶるや泣きながら叩きつけた。

 こいつを殺して自分も死のう……までは思わなかったが、殺意は本物で否定の余地がない。それなのになぜ、自分が泣いているのかわからなかった。


「駄目っ、お姉ちゃん! わたしの評判が! 身内に犯罪者が出るなんて、だめぇーっ!」


 琴葉のあいかわらずな叫びを聞いた、その瞬間だった。

 ぱしり、と小さな拳が大きな掌に包まれる。

 瑞葉のパンチを受け止めた勝は、優しげに頬を崩した。


「そうじゃないだろ? 一ノ瀬瑞葉」

「バカ! アホ! 童貞! ゴミ! クズ! 童貞っ!」

「……傷つくな、一ノ瀬瑞葉。真実も時として人の繊細さをダメにする。だから……もっと言ってくれ、できれば大きな声で。あと、童貞は魔法使いに必要なスキルだから、俺は手放す気はない。知らんだろうが、漢は三十年間童貞を守れば魔法使いになれる。つまり、ハリー・ポッターもガンダルフも――」

「どうしてそうなの! バカにして!」


 力を籠めるが、瑞葉の拳は勝の手の中に会ってピクリとも動かない。

 そして勝は優しく、ささくれだった気持ちを握った瑞葉の手を包んでいた。


「だから、そうじゃないだろ? 一ノ瀬瑞葉……違う、そうじゃない」

「なにが違うのよ! わかる? 好きな人に好きって言われた、その瞬間に! 体が目当てだなんて……それじゃあ、全く同じ琴葉でもいいんじゃない。そりゃ、私の方が太ってるよ、実は太ってる。脚だって太いし、部活やってるから二の腕だって」

「だが、それがいい!」

「バカッ!」

「違うだろ、一ノ瀬瑞葉……拳で殴るなんて、女の子がしちゃいけない。例え殴らせてるのが俺でも……それはいけないさ。気持ちが伝わらないからな」

「勝くん……」


 そっと勝は、瑞葉の拳を手放した。

 そして、フィットネスジムのインストラクターみたいな笑顔にダメ押しの白い歯をこぼす。。


! 頬を、尻を! ぶってくれ! お前という自堕落じだらくな本性を隠して、輝かしい妹にオンブでダッコなダメ女に、俺はぶたれたい!」

「死ねええええええええっ!」


 後に一ノ瀬琴葉は語る。

 お姉ちゃんのあの必殺パンチは、世界を取れる右だったと。

 コークスクリュー気味の拳がじ込まれて、勝はきりもみにもんどりうって吹っ飛んだ。ようやく何事かと周囲が甘い幻想から我に返った時……肩で息をする瑞葉の涙は乾いていた。そして勝は、地べたに這いつくばりながら「ありがとうございます」を連呼していた。


「行くよっ、琴葉! 全く、信じられない!」

「わたしもー、信じられなーい。好きな男子を殴っちゃうなんて」

「誰が! あいつは……あいつは私の体が目当てだったのよ!」

「いいじゃん、お姉ちゃんの体じゃなきゃダメだってんだから。わたしなんか、男子なら顔と体と財布と家柄と立場とB級映画の趣味がオッケーなら、誰でもいいもん」

「……それ、誰でもよくなくね? なあ、愚妹……」

「でもさ、勝くんはさ……私って太陽の光を反射して輝く、一ノ瀬瑞葉という名の月が好きなんだよ? わたしはさー、月がなかったら……お姉ちゃんがいなかったら、夜道に迷ってたと思うもん」

「琴葉……あんた」


 だが、しみじみと語る琴葉の声は優しい。

 KOされてる勝のふところから財布を抜き取ろうとしているが、優しい。

 こういう時に外面がよくてブリッ子全開だと「ああっ、お姉ちゃんがゴメン! 大丈夫ぅ? 勝くぅん」なんて介抱しているように見えるから得だ。


「ま、ほら! お姉ちゃんは勝くんと相思相愛だってわかったんだから! これで元気出してよねっ」

「……イイ話でまとめつつ満面の笑みで現金突き出さないでよね。……ふふ、もぉっ!」


 瑞葉の中で怒りが急激に溶け消え、忌まわしい愚妹すら今は愛らしく見える。

 こんな自分を見てくれてる人がいた、体重や贅肉までちゃんと知ってくれてる人がいたのだ。それはキモいが、見方を変えればそれだけ執着と粘着を発揮してくれてた分……嬉しくないと言えば嘘になる。


「ほら! 遅刻しちゃう、行こ行こっ!」

「勝くんは? お姉ちゃん、ちょっと! ほーらっ、こゆ時はお姫様の目覚めのキスだよ!」

「いいのいいの……ちょっと、よく考えたし。そもそも論から考え直したいし」


 フラットな顔になりつつも浮かれた気分を隠せぬ瑞葉は、この時は思いもしなかった。昼休みに自分のクラスに「最高の放置プレイだったぞ!」と、勝が押しかけてくるとは、露程にも思いもしなかったのである。

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