ハメられた!

 気が付くと、桐井キリイゼンヤは見知らぬ空間に立っていた。

 正確には、遠ざかって久しい空間だ。

 見知った既視感デジャヴではなく、その場所がどういう目的で開かれたかということがわかる。当時のままの空気が教えてくれる。

 ゆらゆらと揺れるギャラリーたちの影が、不気味なほど静かで記憶と一致しない。

 だが、無数の筐体きょうたいが薄暗い店内に並ぶ様は、間違いない。


「おいおい、ゲーセンかよ……ちょっと待て、俺は今日も浴びるように飲んで、それで……?」


 記憶の糸を手繰るも、二軒目三軒目から先の飲み屋は思い出せない。

 それに、もう酔ってゲームセンターなどに通う歳でははかった。

 歳など関係ないと思っていた、酔ってゲーセンなど言語道断ごんごどうだんだと思ってた時期の記憶……即座に理解するゼンヤ。

 そう、これは夢だ。

 真剣勝負と交流の場を求めて、ゲーセンに入り浸りだった頃を思い出す、夢だ。

 そう感じて察した瞬間、背後で肯定こうていの声がする。


「御名答です、桐井ゼンヤさん。ここは過去の記憶から抽出された夢……みたいなものですよ」

「だっ、誰だ! ……えっと、おたく、どちら様?」

「私は、そうですね……死神とか天使とか、そういう概念イメージに近い機能だと思ってください」


 振り向くとそこには、モノクロームに彩られた少女が立っていた。黒い髪、白い肌、黒い上着に白いシャツ……ご丁寧に、白いタイツに黒いパンプスを履いている。彼女はこの時間と空間を、夢の様なものだと言った。

 そして、ゼンヤの前を通り過ぎると、ゲーセンを奥へと歩き出す。

 周囲の静かな人混みは蜃気楼しんきろうのようで、たまらずゼンヤは彼女の背中を追った。


「桐井ゼンヤさん、38歳。ですから、こちらの記憶は18年前……1998年になります」

「18年前……あ、ああ。俺が、俺たちがゲーセンに一番夢中だった時代だ」

「そうですね、データにもそうあります。まあ、昨今さっこん走馬灯そうまとう的なアレも比較的自由に選べるシステムになっております。逆を言えば、死にゆく人にはそれくらいしかしてあげあれないのです」


 ――死。

 確かに少女はそう言い放った。

 走馬灯……それは、死の間際に見る幻影、通り過ぎてゆく過去の羅列だと言われている。よくある、今際に見る夢というやつだ。

 では、自分は死んだのか?

 それで少女の姿をした死神、あるいは天使のお出ましとなったのか?

 だが、それを問うより早く少女はゼンヤを振り返った。

 彼女が立ち止まったのは、当時流行っていた対戦格闘ゲームの筐体だ。二つの筐体を背合わせに繋げ、それぞれに座ったプレイヤーが一つのゲームを共有して対戦するのだ。それも、キャラクターを操り殴りあって削りあう、一世いっせい風靡ふうびした対戦格闘ゲーム。


「こ、これは……KOF98!」

「そうです。最後の心残りということで、こちらを選ばれたんですね。呼吸と心肺は停止していますが、残りの時間は数分……長くて10分程度でしょう」


 KOF98…正式名称、THE KING OF FIGHTERSザ・キング・オブ・ファイターズ '98。後年にリリースされたULTIMATE MATCHアルティメット・マッチではない。1998年にゲーセンを席巻せっけんした、マニアたちが「最も優れたKOF」と今なお絶賛する人気作だ。

 そして、ゼンヤにとって忘れられないゲームだ。

 忘れたことすら覚えていなかった、あの記憶を思い出す。

 KOF98は、ゼンヤが最後に本気で遊んだゲームだった。

 そして、些細なことから多くを失い、結果としてゲーセンからは脚が遠のいた。当時、多くの仲間たちで賑わい、その一部とは深く濃い交流があったのに……それも今は昔の話なのだ。


「そうか……これが心残りだと? まあ、そうかもな……ハッ! 最後の最後でゲーセンかよ……よっぽどあの時代が、あの時が気に入ってたのかねえ?」

「それはそうでしょう。そして、心残りだったのだと思いますよ。さあ、座ってください」


 少女がうながす対戦台の椅子は、空いていた。

 そして、ゼンヤは奇妙なことに気付く。

 乱入者を待ってCPUコンピュータを相手に連続技コンボを決めるのは、とても良く知るキャラクターだ。そして、妙なことに……三人一組のチームバトルを売りにしているKOFで、対戦台の向こう側の男はそのキャラクターだけを使っていた。相手となっているCPUもチームではなく一人だ。

 通常の格闘ゲームのように、二本先取形式のモードになっているようだ。

 そして、嫌というほど知り過ぎているキャラが手際よくCPUを蹴散らしている。

 そう、男だ……見なくてもわかる、キャラクターの一挙手一投足に目を凝らすだけで知れる。向こう側に座っているのはよく知った男で、彼の持ちキャラだったのは、そう――


「……大門ダイモンか。ってことは、やっぱ……だよなあ。へっ、あの世に昇天って時に、お前が出てくるのかよ、テツシ! チッ!」


 迷ったがゼンヤは椅子に座って、ふとポケットに手を突っ込んでみる。

 指先はすぐに百円玉クレジットを探り当て、それを取り出した手はごく自然に筐体へとそれを押し込んだ。

 向こう側に座るのは友人……かつて友人だった男、毬岸マリギシテツシだ。

 そして、今の光景はまるであの時の再現。

 親友だったテツシとの、最後の思い出。

 親友同士がただの他人となって、それ以来道を交えず18年……このターニングポイントは、自分にとってそんなに未練だったか? 惜しいと思っていた? その答が今、目の前にある。

 乱入するとキャラクターの選択画面が割り込んで、ゼンヤはしばし迷う。

 三人一組チームバトルが前提のゲームであったし、各チームのエンディングを見るためゼンヤは多種多様なキャラを使いこなした。テツシと違って、ほぼ全てのキャラに精通していた。

 ゼンヤはキャラに頓着とんちゃくがなく、むしろキャラや技よりもプレイスタイルやマナーに煩いプレイヤーだった。

 テツシは違う……持ちキャラと決めた大門しか使えず、そこに自分の趣味や矜持、理念や理想を込めた。大門というのは、比較的鈍重で手数が少ないが、強力な投げ技を使うキャラだ。テツシは常に、大門を扱う精度のみを高め、申し訳程度に二人のキャラを後付して遊んでいたのだ。


「いいぜ……テツシ。あの時の決着をつけようじゃねえか。……そうか、俺は……そうなのか」


 ゼンヤは迷った後に、キョウを選択する。KOFの主人公チームの一人だ。京は強力な突進技や対空技に優れた、オールラウンダーである。なにより、僅かな隙に叩き込む連続技の威力に定評がある、いわゆるダメージディーラーとして人気のキャラだった。

 そして、強いて言えばゼンヤが好きなキャラだ。

 キャラクターへの感情移入に意味を見出せなかったゼンヤだが、京を使ってた時間は長かったと思う。……持ちキャラと言えなくもない愛着があるのは、どうして? それが、思い出せそうでわからない。わからないまま、バトルの第一ラウンドが始まった。


「ッ! そうやって当たりの強い大パンチを振り回して、前転や超受け身で投げ間合いに、ってかあ? その手はわかってんだよ! オラッ!」


 大門は機動力の低い、ワンチャンスで大ダメージを奪うキャラである。強力な投げ技は防御を崩せる反面、近距離に踏み込まなければ空振りに終わる。そして、不思議と乗り気で京を操るゼンヤには、インファイトを挑むべく間合いを詰めようとするテツシへの対処が備わっていた。

 そう、気付けばいつも一緒にゲームをしてた。

 ライバルだった、仲間だったのだ。

 だが、格闘ゲームという娯楽が次第に競技性を帯びて加熱し、緩やかに進化の袋小路ふくろこうじへと向かっていた時代……ゲームがゲームである以上に、一部の若者にとって青春だったのだ。

 故に激突し、激論を交わし、若さが傷つけあって反発しあった。

 それが過去、恐らくゼンヤが思い残したことなのだろう。


「おらっ、見たかよ! 見たかよ、俺の腕ぇ! 衰えちゃいないぜ……奴の弱点も、あの日のままだな」

「お見事ですね、ゼンヤさん。小足払いから目押しで繋いで、近距離立ち大パンチからの無式……連打キャンセルで小足からは屈み小パンチとして無式の方が簡単ですが」

「く、詳しいな、死神ちゃんよう。それとも、天使ちゃんって呼ぼうか?」

「お好きなように、ゼンヤさん。ほら、第二ラウンドが始まりますよ」


 第二ラウンド、慎重だったテツシの大門が急にアグレッシブになった。

 投げキャラは鈍重で機動性に欠く……大門というキャラもおおむねそうだが、このKOFというゲームの中では少し違う。小ジャンプや中ジャンプといった、俊敏なシステム上の基本動作。そして、いわゆる昇竜拳しょうりゅうけん的な技でなければ打ち勝ち難い、空中でのふっ飛ばし攻撃。なにより、アドバンストモードを使うことで短時間の無敵を伴う移動も可能だった。

 テツシの大門が小ジャンプからの大キックやふっ飛ばし攻撃でプレッシャーを浴びせてくる。

 そして、次の瞬間……ゼンヤの使う京が宙を舞った。


「やっぱそうくるかよ、汚え! ハメんなコラァ!」


 思わずゼンヤは怒鳴どなった。

 そして思い出す……最初は些細な、普段から交わしてるような会話だったのだ。テツシは苦し紛れに、小ジャンプ攻撃の合間にからジャンプを混ぜた。空ジャンプ、すなわち「」である。そして、そこからの必殺投げ……通称、スカシ投げを決めてきたのだ。

 KOFシリーズでは、着地キャンセルという独特のシステムが存在する。

 通常の格闘ゲームと違い、投げられ判定や地上やられ判定の発生する無防備な着地モーションをキャンセルできるのだ。故に、スカシ投げは低いジャンプ攻撃と相まって強力な技となる。

 ゼンヤはそれを、卑劣なハメ技だと当時から決めていた。

 決めつけていたし、それをずっとテツシに言い続けたのだ。


「……そうだ。俺は、あの時……テツシと、このあと。って、今度は当て投げかよ! 汚え……どこまでも汚え! ええい、最後だ! どうせあの世に行くんだ、最後ぐらい俺だって!」


 立ち小キックをガードさせた大門が、ガード硬直が解ける京へと僅かに歩いた後で……吸い込んだ。通常、格闘ゲームではガードモーション中のキャラは投げられることがない。ただし、ガード硬直が解けた瞬間、投げられ判定は復活する。

 故に、投げキャラは小技で相手を固めつつ、隙を伺い投げる戦術を常套セオリーとしていた。

 それは、わかる……頭では理解できるし、対策も実はあるのだ。

 だが……当時のゼンヤには、真っ先にテツシを一方的にとがめることしかできなかった。結果、二人の仲はこの一晩で急激に悪化、決裂したまま今にいたる。


「……なあ、死神天使ちゃんよ」

「どっちかにしてください、ゼンヤさん」

「俺ぁ……この瞬間をずっと? そうだなあ、気になってた。謝ろうと思えばいつだって謝れたんだ。たかがゲームだからとチャラにして水に流すんじゃない……テツシがゲームを通してぶつけてくるものを、俺もまたゲームの中で打ち返せばよかったんだ」


 当時、あの時……18年前、できなかった戦術をゼンヤは選択する。

 緩急をつけた牽制技をばら撒きつつ、テツシはまたも投げを狙っている。既にゲージの溜まったテツシの大門は、超必殺技を決めれば勝つだろう。そして、そのあとで歴史が繰り返すなら、負けた腹いせにゼンヤは理不尽な怒りを爆発させるのだ。

 だが、静かにゼンヤはレバーを操り、ボタンを押す。

 やや博打気味ばくちぎみに鬼焼き、いわゆる昇竜拳のガードポイントを利用して切り抜ける。

 テツシは大パンチやふっ飛ばしを迂闊うかつに振り回せず、ジャンプも控え始めた。逆に、相手の萎縮を感じたゼンヤの京が地を蹴る。そして――


「っし! 大逆転だぜ! ……ちょっちヒヨったかな。ま、まあ、安全策だぜ!」


 自分でも子供みたいなガッツポーズがおかしかった。

 ゼンヤの京は、小ジャンプでテツシの大門に近付き……。そして、下段攻撃を……ジャンプ攻撃に対処すべく立ちガードしていた相手の下段を小足払いで襲った。通常技では着地キャンセルはできないが、中段のジャンプ攻撃と見せかけての下段は、キく。そこからは屈み小パンチに繋げて、キャンセルで超必殺技の無式を叩き込んだ。

 そして、対戦台の向こうで立ち上がった人影がこっちにやってくる。

 少女の意外な言葉と共に。


「言い忘れていましたが、ゼンヤさん。本日は出演ありがとうございました……実は、お亡くなりになったのはゼンヤさんではありません」

「……ああ。わかってたよ、気付いてた……そうだろ? テツシ」


 ゼンヤもまた立ち上がり、曖昧な笑みを浮かべるテツシへ肩を竦めてやる。

 そう、この走馬灯はゼンヤが見ているものではない。それはつまり――

 だから、ゼンヤはあの時言えなかった言葉をようやく選んで、解き放つ。


「やっぱ強えな、テツシ! でも、他のキャラも練習しとけよ? 三人一組だからな、KOFは。京なら俺が教えてやるし、どんなキャラだって人並み以上に……なあ、テツシよう」


 あの時、まだゼンヤは子供だった。社会人になりたての二十歳はたち、ガキだったのだ。だから、モラトリアムのように打ち込んだ格闘ゲームの中で、自分だけが盲信する正々堂々に閉じこもり、それをテツシにも押し付けようとしていたのだ。

 そしてそれが原因で、大事な友達を失ったのだった。

 テツシははにかみながら、頭をバリボリと掻いて笑った。


「ゼンちゃん、空ジャンプ小足ずるいよ、見えないよー! しかも、安定優先で小パンから無式入れてくるし。セコッ! ヒット確認セコッ!」

「る、るせーなっ! 手前ぇだって、散々バカスカ投げやがって。……でも、よかったぜ。最後にお前とさ、こうして話せて。だから……あっちでも元気でやれよ。俺が死んだら……その時また、対戦しようぜ」

「……ああ」


 ゼンヤが伸べた手を、テツシが握り返してきた。

 そして、意外な言葉が少女の口から響く。


「ええと、なにか誤解があるようですが……テツシさんがお亡くなりになった、テツシさんの走馬灯ではございません。勿論、ゼンヤさんのものでもないのです」


 ゼンヤはテツシと一緒に「へ?」と、目を丸くした。

 そして、その時……忘れ去っていた声を思い出す。

 その声は突然、今までギャラリーとして二人の対決を見守っていた周囲から飛び出してきた。若い女の声……そう、少女の声だ。


「ゼンちゃん、テッシーも! ガチ対戦、終わった? もー、仲良くしなきゃ駄目だよ?」

「お、お前は……そうだ、お前! なあ、テツシ! こいつ」

「あ、ああ……俺は最初、てっきりゼンちゃんが死んで、こういうありきたりな走馬灯が」


 小柄な少女だった。はっきりと思い出した、いつも二人のあとを追っかけてきたゲーセン仲間の一人だ。


「でさ、エヘヘ……あたし、日本チームのエンディング、まだ見てないんだ。三人で、しよ? あたしが紅丸ベニマル使うから、ゼンちゃんはいつもみたいに京、テッシーが得意の大門! 三人で仲良く遊ぼうよ」


 ゼンヤは全ての記憶を取り戻した。何故、忘れていたのだろうか? それは、驚きに目を丸くするテツシも一緒だった。そう、ゼンヤが何故なぜかどうしてか、京だけやたら使わされて結局持ちキャラのようにしてしまった理由。いつも険悪になりがちな二人の間で、常に対戦の時は遠慮がちにギャラリーに混じって見詰めていた少女がいた。


「……もうお別れは済みましたか? そろそろお時間です」

「あっ、天使さん! んー、まぁ、こんなもんかなあ? ……あのあと、あたしも気になってたから。でも、走馬灯って本当にあるんだねー」

「まあ、そういう規則になってますので。では……ゼンヤさん、テツシさん、御協力ありがとうございました。どうやら私が天使に見えるということは、彼女は天国行きでしょう」


 それだけ言って、自称死神とか天使とか言う少女が、あの娘の手を取り消えてゆく。

 あの日のままに再現されたゲーセンの空気が霧散むさんしてゆく。

 そして、現実への覚醒を促すように……ゼンジは携帯が18年ぶりの着メロを鳴らすのを聴いた。そしてゼンジは、薄暗い中で目覚めると……電話の向こうのテツシと、改めて再会したのだった。

 そこから先が、あの娘の望んだ、あの娘ののこした未来に繋がるような気がした。

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