美味との遭遇

 ――その惑星の名は、地球。

 かつて人類発祥の地とうたわれた、今では宇宙でも珍しくない水の星。ヒトの楽園と言われていた世紀は、人類が非自然種族アン・ネイチャーと自らを宣言して外宇宙そとうちゅうへ進出した瞬間に終わりを告げた。

 人類があらゆる自然や天然物質ナチュラルマテリア、生命の搾取を絶ってより一万年。

 旧世紀監察官インスペクターのイットー・サカキは、上司と共に地球の大地に立っていた。


「これが、地球……我々人類以外の生命、その全てのゆりかご。凄い、こんなにも天然物で――!? ちょ、ちょっと! チーフ! ミスルギチーフ!」


 晴れ渡る空、吹き抜ける風、感じましたか?

 むせるほどに濃密な、萌える木々の緑の匂い、感じてますよね?

 駄目、それ駄目……協約違反アウト

 衣食住の全てが化学合成物質で暮らすイットーたちにとって、地球は別世界だった。そんな中で、自分たちを密封する防護服スーツのヘルメットを脱ぐ女性もまた、別世界の住人に見えた。

 イットーの上司、サミダレ・ミスルギは躊躇ちゅうちょなく、外気に肌をさらして呼吸をゆだねていた。

 慌ててイットーは、手首に表示されるディスプレイで大気組成や環境適応度を計る。


「外気圧、大気組成……大丈夫だ、方舟委員会プロジェクト・ノアの推奨環境との誤差、プラスマイナス0.08……なんだ、コロニーとほぼ同じか」


 ホッと胸を撫で下ろして、しかし防護服で遮られた小さな人型の世界からは自分を解き放てない。そんなイットーは、全てを人工物でまかなう今の人類にとっては普通で常識人だった。

 逆を言えば、翠緑色エムロードの長髪を翻すサミダレこそが、非常識で異常、突飛とっぴ埒外らちがいなのだ。

 そう、彼女は非常識で異常なまでに、突飛で埒外な程に……美しい。

 数多の遺伝子系譜ジーンマップが織りなす造形美は、今は否定された全宗教に存在する女神か天使だ。整った精緻せいちな小顔に瞳が星空とまたたき、白い肌は滑やかな中で僅かな汗に濡れている。全身をピッチリと覆う防護服の上からでも、優美で過不足のない女性的な、一種母性的な起伏が柔らかさと暖かさを湛えていた。

 イットーはその全てを、物理的に知っている。

 憧れの上司、サミダレ・ミスルギはイットー・サカキにとって、魅力的過ぎる女性だ。

 だが、そのエキセントリックな性格だけが、彼を毎度振り回して困惑と混乱に叩き込む。


「これが地球の匂いなのね、そして空気の味……ふう。イットー君? 方舟委員会の推奨環境が、真実の地球を基準にしてるのよ。……環境汚染というのはやはり、老人たちの迷信めいしんね」


 太古の昔、未熟な科学を神と信奉する地球人類は、その手で母なる星を汚して陵辱しまくった。サミダレに言わせれば「悪いフラグばかり立ててルート選択を間違えたのよ」とのことである。結果、人類は己を自然界にいてはならないモノ、自然ならざる存在……非自然種族と定義して外宇宙へと旅立った。

 人類以外の全てに地球を譲渡じょうとして一万年……イットーが知る地球は、感じて接すれば新鮮だ。


「この、極東の列島群は大昔……ニッポンという独特な国家が存在した場所よ。その文化と風習は今も、コロニーの各地に残っているわ」

「自分も遺伝子系譜コードの七割が、そのニッポンという文化圏に由来する人間らしいです。でも、自分のルーツを自分ではよく知りません」

「四方を海に囲まれた、四季の豊かな国……独自の伝統や信仰、風土や風俗を持った土地よ。滅びる百年程前までは名だたる先進国で、サブカルチャー文化の中心地。そして……あの悲劇の始まりの地でもあるわ」


 大昔の人類は、電力を得るために自然の力や燃焼運動、核分裂を多用した。

 今、という永久機関を持つイットーたちからは想像もできない未熟な愚かさ……だが、いつもサミダレは言っている。

 過去の歴史を、今の価値観で論じてはならない、と。

 重なり積もった時代の全ては、その時その時の「よかれ」と思ったベストが尽くされている。そう考えて客観的に受け止めねばならぬ程に、旧世紀監察官が接する太古の人類は哀しい種族なのだ。

 そんなことをふと考えていたら、目の前でサミダレが知的な笑顔を咲かせる。


「見て、イットー君……あそこ、畑だわ。畑というのは、もっとも原始的で非効率な有機栽培プラントよ。天然素材を食べていた頃の人類の、その発展に最も貢献したのが農耕なの」

「あれが、畑……? つまり、土そのものの滋養と栄養で、天然植物を育てる、あれですか」


 自然の全てに返され、自然そのものへとかえった筈の地球。

 そこに文明のきざはしである畑がある……農耕を行う生物が存在する証明だ。

 つまり、それはイットーたちが一万年ぶりの里帰りを果たした理由へと直結している。今、人類が巣立った地球から、人類とは別の知的生命体が生まれているのだ。

 原始的かつ非効率的な畑と呼ばれる運任せのプラントに、イットーが目を奪われていたその時だった。背後で枯れ枝が踏み抜かれる、パキり! という音が響く。

 振り返ったイットーは驚愕きょうがくに目を見開き、サミダレの歓声を聞く。


「まあ! ……イットー君、言語を有する種族かもしれないわ。翻訳術式モデレーターを」

「りょ、了解! これは……なるほど、老人たちが焦る訳だ」


 そこには、小人こびとが立っていた。

 だが、一メートル前後の姿は、ヒトではない。

 ぷっくりコロコロと肥満体で、簡素な服を着ているが両手はひづめ状だ。それでも、二本指が器用さを発揮しそうに思える。鼻だけが発達した顔には、一対の瞳と耳……哺乳類の基本的な特徴を持っている。よく見えないが、尻には小さな尾が螺旋らせんを描いていた。

 翻訳術式を展開するイットーの鼓膜を、未知との遭遇がもたらす第一声が撫でた。


「ああ、こんにちは。もしや、貴方たちは伝承にある星の海民あまひと……人類様ですか?」


 なんということだろう、フィクションに出てくる獣人のような種族が喋った。サミダレの予想通り、知的生命体だ。それも、かなり高度な精神性と知性を持っているようだ。この場合、文明的に未熟でもそれは関係ない。自らの意志で農耕を行う、二足歩行の知的生命体というのは、宇宙人以外では有史以来初めてだから。

 目の前で今の地球人……第二の地球人はプヒリと笑った。


「私は、私たちは、伝承を継ぐ者の末裔……星の土民つちびと豚類とんるいです」

「……豚、類」


 第一種接近遭遇が現在進行形なのに、豚類と名乗った少年は礼儀正しく落ち着いている。そう、少年だ。手首のディスプレイがセンサーから拾う全てを分析して告げてくる。雄で、活動年齢は十年前後。

 そして、感動に震えるサミダレの声が、端的に全てを物語っていた。


「豚だわ……イットー君、豚よ! 太古の昔に人類が決別した天然種、かつて家畜だった食用動物、豚なのよ!」

「そうです、人類様。私たち豚類は、人類様の栄養であった神話の時代より、調和をたっとびながら進歩を繰り返してきました。そうして今また、人類様と巡り会ったのです」

「凄い、凄いわ! 私以上に落ち着いてる! 嘘よ、嘘……ああん、痛いわ! 夢じゃない! 頬への圧迫刺激つねりによる充血を確認してるのよ。痛いわ、夢でも嘘でもない。これ以上平静が保てないわ、イットー君!」


 私以上にもなにも、イットーが見てもサミダレは取り乱している。平静が保てないなどと言っても、イットーにはそういう興奮状態なサミダレが平常運行に見える。

 研究一筋のかず後家ごけ、学会屈指のアラサー美人学者……それがサミダレだ。

 第一級差別用例だが、いわゆる残念美女のマッドサイエンティストなのである。


「人類様、よければ里にいらしていただけますか? 長老様たちにも会って欲しいのです。豚類は長らく伝承をとうとほうじて、人類様の帰還をお待ち申し上げておりました」


 また、豚類の少年はブッヒリと微笑む。

 今、イットーは歴史が生まれる瞬間に立ち会って、産声を聞いていた。

 だが、サミダレはよだれを手の甲で拭いつつ、性的難病者へんたいのような呼吸をハァハァと荒げている。そしてそれが当然で普通、至極真っ当な素顔に見える程度に、イットーは彼女を知り過ぎていた。


「イットー君、ここは……このニッポンの東北部は、大昔に大地震による環境汚染事故があったのよ。ファイルナンバーPPX-00aa478cの最深部領域、秘匿情報……本当だったのね」

「ミスルギチーフ、閲覧権限違反ですけど……」

「いいのよ! この地方は大地震で発電施設が津波にやられて、すったもんだで遺棄いきされた隔離地区だったの。そこで興味深い資料が残ってるわ。極めて軽度の放射線被害にもかかわらず、デマゴーグと誤情報、メディア腐敗等で捨てられた土地」

「はあ……一万年経ってもあんまし、人類って変わってないってことですね」

「当時の記録に、家畜化された豚と野生種のいのししが、遺棄地区全域で互いに出会って大量繁殖したとあるわ。無害な放射線レベルとはいえ、特異環境下で家畜が原生種と混血を……突然変異要項の一つにもあるもの。その末裔が……豚類」


 サミダレの言葉に、豚類の少年はうなずいた。

 だが、サミダレの興奮度は徐々に、学術的な探究心から離れてゆく。それは、長らく彼女の隣で憧憬どうけいを秘めてきたイットーには、新鮮な必然であると同時に……どうしようもなくダメダメな日常だった。


「人類様、私は豚類……この土地に住まう豚類五十氏族とんるいごじゅうしぞくが一つ、モエブタの長の子。名は――」

「待って! 名乗る必要はないわ、子豚ちゃん。そう、豚よ……豚なのよ!」


 サミダレの発言は、相手が未開種族であることを差し引いても差別発言だった。そしてイットーは、ネット接続された防護服の内蔵端末から情報を拾う。

 豚とは、旧世紀において侮蔑ぶべつ表現の一つとして使われた動物でもあるらしい。

 だが、穏やかな気質が彼個人のものか、種族全体の固有のものかは判別できないが……豚類の少年は気を悪くした様子もなく微笑んでいた。はっきり言って、豚類の少年には賢者の如き威厳いげん、静かで穏やかな知性が感じられる。温厚さと温和さがにじみ出ている。それを豚野郎だなんだと呼んでるサミダレの方が、あれだ……アレでナニだ、ガッカリだ。


「イットー君、豚……そう、我々人類が忘れて久しい、天然素材の肉! 合成肉じゃないわ、生まれて生きてる、生の肉なのよ! わかるかしら、この意味……人類が失って一万年、忘れていた味覚が目の前にいるのよ! トンカツが豚シャブに酢豚なポークソテーなの! チャーシューなの!」

「あ、あのー、ミスルギチーフ……今までの発言で既に、深宇宙追放刑や人格書換刑レベルの差別行動ですが。……ん、味覚? え、ちょっと待って下さいよチーフ」


 イットーは不意に、先ほどからの違和感の正体に直面した。

 研究第一、己の欲望のままに倫理も道徳も蹴っ飛ばす、それがサミダレ・ミスルギだが……彼女が本能的な生理要求にも正直過ぎるのを思い出す。数えきれぬ二人の夜が、教えてくれる。

 ダメ人間にして孤高の天才、サミダレ・ミスルギは……全てを合理で生きる今の人類には稀有けうな、欲望の権化ごんげにして欲望に正直な女性なのだった。


「イットー君、家畜の子は家畜、家畜の子孫も家畜、家畜は家畜よ! わかるかしら」

「待ってください! 彼らには知性があること、文明を持っていることが明らかです。これって学会に発表すれば大発見ですよ!? この地球は、人類が自然の全てに返上した星は今、もしかしたら……豚類の楽園かもしれないんです!」

「つまり……惑星規模の大牧場ね! 太古に絶滅した畜産による、天然肉の美味しさが復活する日も近いわ。駄目よ、イットー君。今時宇宙人なんて珍しくないのに、第二の地球人……いえ、地球豚に難しい理屈なんていけないわ」

「あーもぉ、チーフ!」

「さ、少年。案内して……豚類たちの楽園、我らが食文化復活の鍵を握る約束の地へ!」


 サミダレの物言いは無茶苦茶だったが、豚類の少年は礼儀正しく二人を案内して歩き出した。

 道すがら語られる、豚類の文化と文明、自然崇拝や調和の理念、そして高い精神性がイットーの罪悪感を増幅させた。一方でサミダレは、延々と豚肉料理の文献をダウンロードしていた。

 人類が自らを「自然ならざるモノ」と認めてから、一万年。

 自然の全てに返上した地球で、いつか同胞はらからへと育つやもしれぬ知的生命体を家畜と呼ぶ愚かしさ……一万年のときの流れも、宇宙こそを真の故郷ふるさととした科学技術の発展も、人類をなにも変えなかった。

 本能からくる欲求に正直過ぎる、愚かしいまでの自制心の欠如……それこそがなのだった。

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