二人で一つの夢の話

 世界は震度1か2か。

 揺れる世界の中心で、俺は酒精しゅせいおぼ泥酔でいすいしていた。

 もう一人では立てない……いつだってひとりなのに。

 周囲では十年ぶりの同窓会が終わったようで、俺の顔を覗き込む昔の級友たちが去ってゆく。居酒屋の一角で俺は、それをぼんやりと見送るしかなかった。


「えっと、じゃあ水無瀬みなせさん。如月きさらぎ君のこと、お願いしていいの?」

「なんか如月君、水無瀬さんのこと避けてたけど……気にすることないよ、負け組のやっかみってやつだろうから」

「悪いわね、こんなこと頼んで。適当なとこでタクシーにでも放り込めば大丈夫だから」


 徐々に喧騒が遠ざかってゆく。

 連中はまだまだ飲むつもりで、二次会の会場へと移動したようだった。

 そして、俺と彼女がその場に残された。


「大丈夫ですか、如月君。さ、私の肩に掴まってください。立って」


 ふわりといい匂いが俺を包んで、柔らかな体温が身を寄せてくる。

 如月四郎きさらぎしろう、それが俺の名だ。

 そして、既に四肢に力の入らぬ俺を抱き起こしたのは、水無瀬摩耶みなせまや……十年ぶりに再会した幼馴染。小さな頃からずっと一緒で、十年前に転校で離れ離れになって以来、音信不通だった女だ。

 俺は摩耶の華奢きゃしゃな肩に腕を回して、なんとか立ち上がる。

 不思議と摩耶は、折れそうな細い身体なのに力強く俺を支えた。


「如月君……いいえ、四郎。四郎、久し振りですね。十年二ヶ月と二十一日ぶりです」

「あ、ああ。ええと」

「以前のように、十年前のように摩耶と呼んでください」


 漆黒の髪がさらさらと揺れて、俺の鼻孔びこうへ甘い匂いを運んでくる。

 視線のすぐ近くに、僅かに頬を上気させた摩耶の横顔があった。

 昔の面影はそのままに、美しく成長した摩耶の姿が密着してくる。どうにか引きずられるようにして、俺は居酒屋を出た。吹き渡る風が歓楽街かんらくがいの喧騒をはらんで、俺の熱気にくすぶる肌をでてゆく。

 摩耶はしっかりした足取りで、俺に肩を貸しながら歩き出した。

 自然と俺は、十年前を……そのもっと前を思い出す。

 そんな俺の脳裏に散らばる記憶を拾うように、摩耶は静かに言の葉をつむいだ。


「酷いですね、四郎。十年ぶりなのに、私を避けて」

「いや、それは……その、スンマセン」


 同窓会に出るのも嫌だったが、摩耶が来ると知って参加のはがきを出した。だが、実際に会って美しく成長した摩耶を見たら、俺はみじめになってしまったのだ。

 大きなテーブルの対角線を挟むようにして、俺は摩耶と距離を取った。

 周囲の連中は皆、成功者として見違えた摩耶を中心に盛り上がっていた。詳しくは明かさなかったが、摩耶は今や外資系のトップらしい。俺とはもう、住む世界が違う。

 俺なんかとは吊り合わない、別世界に行ってしまったのだ。


「四郎、どうして私を避けるんですか? ……なにか、気にさわりましたか?」

「いや……ほら、お前は。お前はさ、立派になったよ」

「四郎も大きくなりましたね。十年前は私の方が身長も高かったのに」


 クスリと笑って、摩耶は俺に身を寄せ密着しながら歩く。不思議とじんわり温かくて、俺は千鳥足で摩耶の操り人形のように歩調を合わせた。

 こうして一緒に歩くなんて、何年ぶりだろう?

 先ほど摩耶が正確な年月を言ったが、それは俺には昨日のことのように感じられた。

 俺はまだ、あの日転校する摩耶を見送った場所に立ち止まっている。

 そこから一歩も進めてない気がして、恥ずかしかったのだ。


「俺は、さ。高校受験に失敗して滑り止めで三年、そのあとは大学受験にも失敗して浪人でさ」

「若い時ほど挫折のダメージは軽いです。……だからほら、アメリカは立ち直り始めているでしょう?」

「えっと……デカいテロがあったんだっけか? なんつったかな、イスラム系でもなくて……」

「アメリカは若い国だから、反応も過敏ですが立ち直りも早いです。……もっと徹底的に叩かないと」


 なんの話をしてるのか忘れてしまったが、俺と一緒に歩く摩耶は声を弾ませている。

 心なしか、同窓会で昔のクラスメイトたちと話してる顔とは別物に見えた。

 俺にしか見せない表情なんだと思ったら、奇妙な優越感が込み上げる。

 だが、すぐにそれは卑屈な劣等感に置き換わって、俺と摩耶とを見えないなにかで隔てた。人生の成功者として俺の前に再び現れた、美貌びぼう麗人れいじん……それが摩耶だ。


「俺ぁ今、契約社員だ……プログラマーだよ、IT土方デジタルどかただよ」

「職業に貴賎きせんなんてありませんよ、四郎」

「営業もSEも無茶言いやがる。こんな筈じゃなかったんだ、本当は。でも、こうなっちまった。なあ、摩耶……俺に失望しただろ? なあ」

「失望なんてしませんよ、四郎。まだ途中、まだまだ道半みちなかばじゃないでしょうか」


 大きくよろけて、俺は倒れ込んだ。

 咄嗟に摩耶を巻き込むまいと、突き飛ばして往来に顔面から突っ伏した。

 摩耶と一緒に転んで倒れて、そうしてまで彼女と一緒にはなりたくない。

 勝者を道連れにしないことだけが、敗者である俺の小さなプライドだった。

 だが、少しよろけながらも摩耶は、だらしなく大の字になった俺を見下ろしてくる。そこには、あの日別れた幼馴染の双眸そうぼううるんでいた。全く変わらない……あの日のままの摩耶がいる気がして、そうではない俺とのギャップが痛々しかった。


「……大丈夫ですか、四郎」

「あー? 平気だよ、平気。お前さ、終電は?」

「飛んで帰りますので、ご心配なく」

「そっか」


 俺は往来の白い目が発する視線に切り刻まれながら、ぼんやりと摩耶を見上げる。

 俺の顔を覗き込んでしゃがむと、摩耶はじっと見詰めてきた。


「四郎、覚えていますか? ……十年前、私と交わした約束を」

「ああ? えーっと……なんだっけ?」

「私と四郎で約束しました。同じ夢を見て、その夢に向かうと」

「あー……はは、そんな話あったなあ。ガキの頃だ、今になって思い出したぜ」


 十年前、まだ子供だった頃の思い出。

 生まれた病院から一緒で、並んで育った俺と摩耶。同じ幼稚園を出て、同じ小学校に通った。確かに彼女は、いつも俺にくっついていた、一緒にいたんだ。

 運命が二人を分かつまで。

 彼女が転校していってから、その頃から俺は徐々に間違え始めたのだ。

 なにをやっても、どう努力しても貧乏くじを引いてしまう、そういう人生が始まった。

 だが、微笑ほほえみながら接してくる摩耶は以前となにも変わってはいなかった。


「四郎は私のヒーローでした。そして、みんなのヒーローになると言ってましたね」

「ああ……その時、お前はなんつったかな、えーと……まあ、そういう時もあった。お前を守りたくて。でも、昔の話だ」

「私は願ったんです。望みました。四郎をヒーローにしたいと。その夢を叶えると」

「今じゃしがない契約社員、明日をも知れぬ命だぜ? はは、笑えらあ」


 だが、俺はセピア色の記憶を掘り起こしてみる。

 そう、確かに幼少期の俺は言っていた……みんなのヒーローになると。

 そして、摩耶はそれを助けると言ったのだ。

 俺をヒーローにするために、確か摩耶が語った夢は――?


「私の夢は叶いつつありますよ、四郎。あとは、四郎次第です」

「あ? なんだよ、それ」

「覚えていませんか? 四郎。私の夢は、四郎をヒーローにすること……その為に、私は」


 周囲が徐々に騒がしくなっていった。

 そして、酩酊めいてい状態で揺れる俺の視界で、覗き込んでくる摩耶の輪郭がにじんでゆがむ。いよいよ酔っ払って頭がまわらない中、俺はハッキリと見た。

 立ち上がる摩耶の、その姿が徐々に変化してゆく。

 外資系のエリートをかたどる、紺色のスーツとタイトスカートが消え去った。


「四郎をヒーローにするんです。その為に私は……ヒーローが救わねばならない世界を生み出す。。ほら、見てください」


 俺が別世界だと遠ざけていた、摩耶を包む全てがあらわになった。

 全裸になった摩耶の肢体を、黒いなにかが包んでゆく。

 どよめく往来の誰もが、その姿に声を失った。

 俺はただ、アスファルトに身を投げ出してそれを見上げていた。

 そこには、漆黒の翼を広げる死の堕天使ルシファーがいた。


「摩耶、お前……」

「この十年で、私は世界の敵になりました。今も私の命令で、この地球は危機に貧しています」

「あ、お、おう」

「四郎、条件は整いました……ヒーロー、しませんか?」


 手に持つ死神の鎌の如き巨大な刃をひるがえして、ふわりと摩耶は宙へ舞い上がった。

 背の翼が羽撃はばたけば、漆黒の羽毛が周囲へと舞い散る。

 俺はようやく思い出した……そう、俺はヒーローになりたかった。世界を守って悪をくじく、無敵のヒーローに。そうなれば、摩耶をずっと守れると思った。

 摩耶のヒーローで居続けたかった。

 そのために幼い頃の摩耶は、笑顔を咲かせてこういったのだ。

 四郎がヒーローになれるように、私が悪になってあげるね、と。


「そろそろ私、本格的にこの世界を壊します。四郎が別世界だと遠ざけ隔てた、世界の全てを破壊します……」


 玲瓏れいろうな笑みを浮かべる摩耶は、ぞっとする程に美しかった。

 彼女はどよめきに沸き立つ人間たちを睥睨へいげいしながら、徐々に闇夜の星空に吸い込まれてゆく。

 その最後の呟きと共に、彼女からなにかがこぼれた。


「四郎、私のヒーロー……私を、止めて。私だけのヒーローとして、世界を救って」

「摩耶、お前……待て、待ってくれ!」

「待ってます、待ってました……これからも待ちます。さあ、四郎……私を止めに来てください!」


 温かなしずくが、ぽたりと俺の頬に落ちた。

 それは、人ならざるモノと化した摩耶が、去り際に残した涙の一滴だった。

 この日、地球の未来は混沌へと投げ込まれた。

 そして、俺は……捨てたことさえ忘れた夢を思い出し、拾い集めて立ち上がった。

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