みじカク⇔すぐヨム

ながやん

人間椅子探偵

 僕の名はカウチ・チェアマン。このロンドンで知る人ぞ知る名探偵だ……産業革命で一変したこの魔都は今、まさしく大探偵時代だいたんていじだい。無能で不評な探偵が廃業して空き家になったテナントに、「あ、またあそこラーメン屋になったんだ」くらいの感覚で探偵が開業する、そういう世知辛せちがらい世の中さ。

 そして、そんなうまの目を抜く探偵戦国時代を、僕は生きる。

 ロンドン探偵ランキング序列じょれつ六位……人は皆、僕をこう呼ぶのさ。


 ――人間椅子探偵にんげんいすたんていと!


 さて、それでは懸命なる読者諸君に、僕の手並みを拝見していただこう。今、僕が手がけているのは遺産相続にまつわる殺人事件……ヤードロンドンけいさつもお手上げの迷宮入り案件だ。

 ファイルナンバー00047、そう……名付けて『洗いたての靴下くつした殺人事件』だ。

 おっと、階段を昇る足音が聞こえてきたようだね?

 可憐かれんで優秀な助手じょしゅ君のご出勤という訳だ。


「おはようございます、チェアマン先生! 早速ですが、現時点で全ての情報を洗い出してまとめましたの。それと、これ! 三番街のカフェで一日限定百杯のアッサムティーですわ」


 息せき切ってやってきたのは、僕の親愛なる助手、パートナーだ。

 ご紹介しよう、彼女はオシリーナ・ローズヒップ。名家の御令嬢ごれいじょうだというのに、しがないイケメン凄腕名探偵の助手を買って出た物好きな娘さ。だが、彼女の存在は僕にとって、なくてはならないものだ。

 彼女が情報を収集し、僕が推理で迷宮を照らして導く……その先で真実が今、泣いている。

 さあ、僕たちの商売を始めようじゃないか。


「ご苦労だったね、ローズヒップ君。流石さすがに仕事が手早い」

「いえ、先生。整理してみたんですが、やはりヤードが調べた情報以外に手がかりはありませんわ」


 ローズヒップ女史じょしは手早くかばんから手帳を出すと、付箋ふせんが入り交じるページをめくってゆく。そう、情報収集は全て彼女の仕事だ。見事な手腕で事件に挑み、いかなる小さな手がかりも逃さない。

 この僕、カウチ・チェアマンこと人間椅子探偵の、えんの下の力持ちさ。

 いや……どちらかというと、縁の上のお尻持ちかな?

 少しローズヒップ女史について紹介しておこう。上流階級ジェントリ紳士淑女しんししゅくじょも持て余す、なかなかの跳ねっ返りでお転婆なお嬢さんだ。縦に巻いたたおやかな金髪に、透けるような白い肌……とても聡明そうめいで美しい少女さ。おっと、歳は聞かないでくれよ? 十代もなかばだが、レディに歳の話はマナー違反さ。


「先生? あの……どうかなさいまして?」

「おっと、いけないね。なんでもないよ、ローズヒップ君。では……推理を始めようか」


 僕は一歩もこの事務所を出ない。

 必要なのは、ローズヒップ女史の集めた情報と、一杯の紅茶だ。

 この場にいながら僕は、事件のすべてを掌握しょうあくして支配し、その真実をあばす。

 今日もまた、僕の桃色の脳細胞がうずき始めていた。


「では、先生! また素敵な推理をお見せしてくださるのですね」

「勿論だとも、ローズヒップ君。さ、リラックスして……普段通りに」


 そして僕は、いつもの精神集中のために儀式を始める。

 そう、迷宮入りして迷子になった真実を探すための、おごそかな手順を踏んでゆく。

 僕は人間椅子探偵……その名の通り、推理に没頭するための手段は一つだ。


 僕は、その場で床に手を置き。


 つんいに膝を突いて。


 いつもの格好で……


「さあ、ローズヒップ君! 座りたまえ!」

「はいっ、先生!」


 笑顔を咲かせてえローズヒップ女史が僕に腰掛ける。

 嗚呼ああ……なんて柔らかいんだ、最高だ。

 ローズヒップ女史の弾力に富む安産型あんざんがたの尻が、僕の背中でシャツ越しに体重を浴びせてくる。そして僕は即座に、ミクロン単位を計る体重計のように神経を張り巡らせた。

 オシリーナ・ローズヒップ、体重52.4キログラム……先の事件よりプラス0.6増だ。

 どうやら少し食べ過ぎのようだね、最近。

 それにしても……いい、最高だ。


「では、先生。まず、明らかになっている情報をご報告します」

「おほぅ……始めてくれたまえ」


 テイクアウトの紅茶を手に、ローズヒップ女史が手帳の文字列に目を落とす。

 すらりと背を伸ばして、姿勢よく僕に座っているね? 素晴らしいよ、ローズヒップ女史!

 さあ、もっと君の体重を浴びせてくれ。


「事件はメイクィーン男爵家だんしゃくけ御当主ごとうしゅが亡くなった夜に起こりました。開封された遺言書ゆいごんしょによれば、全財産は長女のロザンナさんが全て相続するむねが書かれていたそうです」

「ふほぅ……そう、そうだったね。ん……ハァハァ、そ、それで……もっと、もっとだ!」

「はい、先生! その遺言書が開封された八時間後、ロザンナさんは自室で死亡……死因は鈍器どんきによる頭部への打撲だぼくです。即死でした」

「んくぅ、昇天してしまったんだね……ハァハァ、僕もそろそろ……いや、まだだ! まだ!」


 嗚呼! なんてわがままなボディなんだ、ローズヒップ女史。

 その細い腰のくびれの下に、こんなにもむっちりと質感あふるるたわわな桃尻ももじりをぶら下げているなんて。

 素晴らしいよ、流石はこの人間椅子探偵カウチ・チェアマンの右腕と呼ばれる女性だ。

 いや、右腕などと……尻に右も左もない!

 左右で一つ、その谷間の奥のすぼまりを挟んだ臀部でんぶこそが全てだ。


「ヤードが容疑者としてあげたのは、次女であるヨナさんです。姉のロザンナさんが死亡したため、彼女には自動的にメイクィーン男爵家の全ての財産が相続されることになっていました」

「そう、しかし……凶器は見つからなかった。そうだね? ハァハァ……」

「ええ……そうですわ、先生。事件現場にはヨナさんの靴下が……まだ洗いたての、湿った靴下が落ちているだけだったんです」


 そう、凶器である鈍器は見つからなかった。

 ヤードは血眼ちまなこになって探したが、見つからない。

 そして勿論もちろん、靴下で人を殴り殺せるはずがないのだ。

 証拠不十分のまま、次女のヨナは近々釈放しゃくほうされ、そして財産を全て手に入れる。

 だが、だが……ハァハァ、これは……これは、イカン。

 そう、イカンのだ……イカンが、イキそう、だ……!


「ローズヒップ君、さあ……君の見解けんかいを、んほぉ! き、聞かせたまえ」


 僕が言葉をうながすと、紅茶でくちびるらしたローズヒップ女史が再び喋り出す。

 彼女がことつむたび、聴き心地のよい声をかなでる楽器のようなのど……その中を行き来する呼気こき。彼女が息を吸って吐く度に、微細な振動が僕の上で踊る。

 最高だよ、ローズヒップ女史!

 僕はゆっくりたわんでくる背骨をきしませながら、じっとり汗に濡れてあえぐしかない。

 本当に最高の尻だ、そしてスカートや下着の些細な凹凸おうとつすら感じられる。下着のレース、そしてフリルが触れてくるかのような錯覚。それくらい、ほどよい重みがあって、それがじかに僕の腰から背中にかけてのラインをあっしている。重すぎず、かといって軽くない。ずしりとした存在感に僕は今、支配されている。

 こうすることで、僕は真実へと辿たどくのだ。


「凶器は見つからない……何故でしょう? 私、ちょっと違うと思いますの」

「そ、そうかい……ックゥ! ハァ、ハァ……さ、さあ、もっと」

むしろ、誰もが凶器と気付かない。しかしもう、凶器は白日の元にさらされているのでは? そう、凶器はやはり……洗いたての靴下」


 僕は絨毯じゅうたんの一点をにらんで、そこにしたたる自分の汗が作るシミを見詰める。

 ちらりと横目に視線を走らせれば、ローズヒップ女史の細い足首が見えた。


「では、どうやって靴下で……そのトリックだけが謎ですの」

「そう、だね……靴下では人は殺せない。さあ、考えてみたまえ……濡れた靴下を鈍器に変える、そんな魔法だ」

「ふふ、先生ったらまた意地悪を」


 その時、ローズヒップ女史がクスリと笑って……脚を組んだ。

 静かに荷重が僕の全身を突き抜ける。

 おおう……たっしそうだ、気をである。

 恍惚こうこつにも似た薔薇色ばらいろの甘いしびれが、全身を駆け巡る。

 四本脚のあわれな人間椅子が、五本脚になりそうだ!


「……濡れた、靴下。濡れた……水。そうですわ、もしかして!」

「あ、ああ……言って、イッってみたまえ」

「先生、もしや……凶器はやはり靴下! その中に水を満たして凍らせれば? 氷ならば、不意をついて人間の頭蓋ずがいを砕く凶器になりますわ」

「そう、そうだね……うむ、仕上げといこう。その氷はどこへ消えた? それだけが最後の謎」

「逆でしてよ、先生。消えるために、消すために氷を使いましたの。ヨナさんは靴下に入れた氷で姉のロザンナさんを撲殺、そしてそのまま凶器を放置。死体発見時、既に氷は溶けたのですわ……わずかに、残された靴下に湿り気を残して」


 声を弾ませ、ローズヒップ女史が見事な推論を提示してくれた。

 正解だ、何故なら……何故ならば、その推論は人間椅子探偵カウチ・チェアマンの導き出した物と完全に一致するからだ。

 寧ろ、こう言えよう。

 こうして少女の体重を身に受けた時から、答はすでに出ていたのだ。

 いつものように、僕に座るとローズヒップ女史のひらめきが生まれる。

 彼女は嬉しそうに両の脚をぶらぶらと揺らしながら、最後にグッと僕に体重をかけると、その反動でピョンと飛び降りた。

 オフゥ! ンホォォォォォ……!!!! 推理完了、迷宮は踏破された。

 僕はその場にへたり込んで、ピクピクと尻だけを突き出しながら絶頂。

 立ち上がったオシリーナ女史は、手早く手帳に話を纏めると走り出す。


「チェアマン先生、わたくしはヤードに行ってきますわ。……悲しい事件でしたわね」

「あ、ああ……彼女もまた、変わりゆくロンドンの闇が生んだ犠牲者の一人だったのさ。財産に、お、おおっ、おっ……ぅはあ……くぅ! はぁ……財産に、目が、くらんだ、悲しい、犠牲者」

「いつもながらお見事ですわ、先生。流石は人間椅子探偵ですの」

「さあ、イきたまえ……真実を皆が、待って、いる……」


 僕はきりけむるロンドンで、白い闇に消えゆく真実を追う探求者。

 少女の尻に敷かれて全てを見抜き、大探偵時代を生きる一匹狼……

 人は皆、僕をこう呼ぶ――人間椅子探偵と。

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