第21話 天下人
照姫が豊臣秀吉に謁見するときがきた。その日は朝から謁見の準備をしていた。月姫に着替えの手伝いをさせて衣装をととのえたのだ。
「お姉さま、本当にこの格好でいくのですか?」
「もちろんよ。言ったでしょ? 死ぬつもりでいく、と」
「確かに言いましたが……」
照姫の今の格好は常軌を逸している。これでは秀吉を激怒させることにはなるまいか。
「大丈夫。あなたの
そういわれては月姫も何もいえない。照姫の行動を否定することは自分の黒脛巾組を否定することにつながるからだ。
「照姫様、こちらは準備ができました」
小十郎が部屋の外で声をかける。
「わかりました。すぐに向かいます」
照姫は月姫の頬に手を寄せる。
「では、行って参りますわ」
月姫はコクリと頷く。目には涙がうっすらと浮かんでいた。
「大丈夫。すぐに戻ってきますわ」
照姫は月姫の涙を指で救い上げる。もしかしたらこれが姉妹最後の会話になるかもしれないのだ。
(そんなことには、私がさせませんわ)
☆☆☆
豊臣秀吉は小田原城の近くで陣幕を張っていた。照姫はその陣幕へ向かうことになる。
その前に、各諸侯たちが集まる集会場に顔を出して案内を請わなければならない。
付き添いは、小十郎ただ一人だ。
照姫が集会場に足を踏み入れる。中には徳川家康、前田利家、浅野長政らが座っていた。
照姫が集会場に足を踏み入れた瞬間、中にいた諸侯たちは皆が息を呑む思いをした。
まず立ち上がったのは先日照姫たちに詰問に来た浅野長政である。
「ま、政宗殿、その格好は一体どういうことですか」
「これですか? 似合っていると思いますけど」
照姫の格好は白装束、つまり死化粧をしていたのだ。死ぬ覚悟で来たというアピールを大げさにやっている。
「私は殿下に首を捧げるつもりで参りました。死んだあとのことも余人に手間取らせるのは私の流儀ではありませんもの」
「だからと言って、その格好はいかがなものかと。すぐに戻って正装に着替えてくるが良い」
「まあ、まあ」
長政の言葉を遮ったのは徳川家康であった。家康は照姫の行動に興味を持ったようだ。
「長政殿、ここは政宗殿にやらせてみましょう」
「しかし……」
「責任は私が持ちましょう。もちろん、殿下までの案内も私が」
徳川家康といえば小牧長久手の戦いで豊臣秀吉を破った大大名だ。その家康にここまで言われたら長政も引き下がるしかない。
「わかりました。家康殿、お願いします」
「うむ。政宗殿、こちらに」
「ありがとうございます」
小十郎も照姫のあとについていこうとする。しかし、前田利家がその行く手を阻んだ。
「従者はここで待たれよ」
チラリと照姫の様子を見る。仕方ない、という表情でコクリと頷いていた。
「わかりました。ここで待たせていただきます」
「それが良い」
小十郎は視線で照姫の無事を祈った。照姫のその視戦に十分気づいている。
(大丈夫。きっと生きて戻ってきますわ)
照姫は家康に案内されて豊富秀吉のもとへ赴くことになった。ついに、独眼竜の妹と関白秀吉が顔を合わせることになるのだ。
☆☆☆
豊臣秀吉。尾張の中村の百姓から天下人にまでなった戦国時代の化け物である。体躯は小柄で、顔は猿に似ていた。とても天下人といえるような体つきではない。
「殿下、伊達政宗殿をお連れしました」
「きたか、通せ」
家康に連れられて照姫が秀吉の陣中に入ってきた。すぐに秀吉の前で平伏する。
「ほほう」
秀吉は床几に座りながら好奇な目で照姫を見ている。長政から聞いているはずだが、本当に男装をした女なのだ。しかも今は白装束を着ている。好奇心の強い秀吉が興味を持たないわけはなかった。
「政宗、詳細は長政から聞いておる」
「はい」
「今ここで、裁定を下す」
秀吉はそういうと床几から立ち上がり、照姫の前まで進み出た。
(……自らの手で首を落とすつもりなの?)
照姫は祈るような気持ちで視線をさげている。ここまできたらまな板の上の鯉である。何もできることはなかった。
秀吉の手に持っている扇子を照姫の頭上に上げた。そして、バシッ、という大きな音をたてて照姫の首を打った。
「……!」
照姫は急なことだったので大きく目を見開いて唇をかみ締めた。秀吉の意図がわからない。
「政宗、もう少し到着が遅かったら、ここが斬り落とされていたぞ」
秀吉は、ははは、と笑いながら床几へと戻っていく。照姫は冷や汗を流しながら苦笑いするしかなかった。
「政宗、お前の命は奪わん。遅参したとはいえ、参陣したことは評価しよう。ただし、会津は召し上げ、本領のみを安堵することとする。異存はないか」
「はい、ありませんわ」
「ならば良い。さがれ」
照姫はゆっくりと退出していく。天下人の威圧感とでも言うのだろうか。短い間だったが、照姫にとっては何時間も拘束されていたような気がした。
(豊臣秀吉、侮れませんわね)
☆☆☆
「殿下、政宗は、どうでしたかな」
家康が興味深げに尋ねた。
「面白そうな奴じゃ。何より女だというのに男として振舞っているのがいうのが良い。それだけで命を取る気も失せたわ」
「殿下の女好きにも困ったものです」
「お前も人のこと言えんじゃろう」
秀吉と家康はお互いに笑い合った。この先、天下人となる二人の会話は、今はまだ穏やかであった。
☆☆☆
「お姉さま、無事でしたのね」
底倉に帰って来るとすぐさま月姫が迎えに来てくれた。もはや涙を隠そうともしない。それをみて照姫のほうが困ってしまった。
「そんなに泣かないで欲しいわ。せっかく生きて帰って来られたのだもの。月には笑って欲しいわ」
照姫はニコリと笑う。それにつられて月姫も不器用な笑みを見せた。
「まったく、九死に一生とはこのことですな。ははは」
大内定綱が空気も読めずに大笑いする。これには一緒にいた小十郎も苦笑いだ。
「とにかく、照姫様の命も無事。会津は召し上げられましたが、本領は安堵。まずは一安心といったところでしょうか」
「ええ、これも皆のおかげよ」
照姫が深々と頭を下げる。小十郎は慌てて照姫の頭を上げさせた。
「今回は照姫様の才覚のおかげです。我々は何もやっておりませぬ」
「そんなことはないわ。私一人ならすでに首はなかったわ。これは私たち全員の勝利よ」
照姫を中心に皆が笑顔になる。生きていれば政宗の野望も続く。
(お兄様、私は、お兄様の意志を受け継ぎますわ)
奥州の独眼竜は生きている。それは照姫と月姫と名を変え、姿を変えてうごめいているのだ。伊達政宗の隻眼は、いまだに天下を睨んでいた。
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