第20話 小田原参陣
伊達政宗となった照姫の最初の課題は政宗が残した宿題ともいえるものだった。豊臣秀吉からの催促である小田原参陣である。
政宗の死という事態が起こったために家中は一時混乱した。そのため一度政宗が決めた小田原参陣が大幅に遅れてしまっているのだ。
「月、まだ小田原は落ちていないのかしら?」
照姫が不安そうに尋ねる。北条がすでに降伏していたとしたら今更参陣しても遅い。そうなったら徹底抗戦に切り替えた方が良いだろう。
「大丈夫です。北条も大国だけあってなかなかしぶといですわ」
「そう、でも、悠長には構えてられないわね」
ここまで遅刻したら叱責は免れないだろう。だとしたらどうやって被害を小さくするかが肝要だ。
(こういう場合、お兄様ならどうするかしら)
照姫は目を閉じて政宗の姿を思い出す。軍事、政治ともに天才的な才能を見せた兄を思い出して自分も同じ行動を取ろうと考えているのだ。
(お兄様は敵の虚を突くことを好みましたわ。それは戦場でも政治の場でも同じこと。だとしたら今回も敵の虚を突けば良いですわね)
敵の虚とはどこなのか。豊臣秀吉は伊達政宗に何を求め、何をされたくないのか。
おそらく、秀吉は政宗に死んで欲しいと思っているのではないか。自分に服従しない諸侯は全て敵だ。そんな考えが秀吉に見え隠れしている。ただ、使える奴は使う。それだけだろう。
(ならば……)
照姫の眼が見開かれる。思考が一つにまとまったようだ。
「月、小十郎を呼んで。小田原に行くわよ」
「え、策はあるのですか? このまま参陣しては首をはねられるだけだと思いますけど……」
照姫はニヤリと笑う。我に策あり、といったところだろう。
「死ぬ気で行く。それだけよ」
月姫はポカンと口を大きく開けたまま固まってしまった。何も考えていないのか、それとも深い考えがあってのことなのか、月姫にはそれを判断できなかった。
☆☆☆
天正十八年(1590年)五月九日、照姫たちは会津の黒川城を出立した。付き添ったのは小十郎、月姫、さらには郡山の合戦直前に帰参した
「お姉さま、どうして定綱を小田原に連れて行くのですか? もしかしたらまた主を変えられるかもしれませんよ」
照姫は馬上にいながらふふん、と笑っている。そんな心配はしていないようだ。
「定綱を連れて行くのは秀吉に言い訳をするため。譜代の家臣の言葉はなかなか信じられないでしょうけど、主家を何度も変えた定綱の言葉だからこそ信じられる、ということもあるのよ。定綱は伊達家にあって伊達家の家臣にあらず、って印象だからね。客観的な意見が聞けると思われるはずよ」
「はあ、なるほど」
少なくとも照姫は自暴自棄になっているわけではない。月姫はそのことがわかり安心した。
照姫の作戦は小田原に着く前から始まっているのだ。
☆☆☆
照姫たちは会津から直接南下せず、一度北の上杉領を経由し、真田、徳川の甲州、駿河を通って小田原に到着した。これはいまだに佐竹や相馬の動きを警戒してのことだろう。もし百人という少数で伊達家に怨みのある領内へ入った場合、取り囲まれて討ち取られるとも考えられるからだ。
そのため、小田原参陣はさらに遅れ、到着したのは六月五日。出発してからおよそ一ヶ月もかかっているのである。
照姫たちは小田原に着くと
「随分な歓迎ですわね。私たちを罪人として扱うなんて」
照姫が不機嫌そうに呟く。
「仕方ありませんわ。実際、秀吉にしたら私たちは罪人ですもの」
「もうすぐ訴追の使者が参るでしょう。そこからが勝負ですね。定綱殿、頼みましたぞ」
小十郎が大内定綱をジロリと睨む。しかし定綱はそんなことを気にしていないかのように飄々と
そこに、豊臣秀吉の名代として
長政らが部屋の中央に並んで座る。代表は浅野長政のようだ。
小十郎、定綱、月姫も長政らに対峙するように座った。遅れて入ってきたのは政宗になりきった照姫だ。
「私が伊達藤次郎政宗よ。お初にお目にかかりますわ」
長政らの動揺が表情となって表れる。伊達政宗が女と知って驚いているようだ。
「どうしたのですか。何をそんなに驚いていますの?」
「これは、政宗殿の武勇はこちらまでに聞き及んでいました。そのため、てっきり政宗殿は男かと……」
「はい。私は男ですわよ」
「……」
確かに男装はしているがどこからどう見ても照姫は女である。しかし、こうまではっきりと男と宣言されては追及の仕方がない。
長政はチラリと小十郎に視線を送って意向を確かめてみた。
コクリ、と小十郎が頷く。照姫の言っていることに同意するという意思の表れだ。
「そうですか、これは失礼いたしました」
今回の本題はそれではない。長政は素直に認めることにした。
ここからが本題だ。秀吉は政宗に対して怒っている。一つは秀吉に恭順を示していた蘆名を討伐したこと、もう一つは小田原参陣を遅らせたことだ。
「さて、まずは蘆名討伐。なぜかような暴挙に出たのか、説明していただけますか?」
照姫はチラリと定綱を見た。出番が来たという合図だ。
「それはわしから説明しましょう」
「おぬしは?」
「申し遅れました。小浜城主、大内定綱と申します」
「ほう」
長政の様子からすると定綱のことも知っているようだ。田村から伊達へ、また伊達から蘆名へと何度も主家を鞍替えした男だと。
「蘆名は伊達家にとって敵でありました。それは蘆名が支援した私、大内定綱と二本松の
定綱は政宗が家督を相続したときから摺上原の合戦まで蘆名家が滅亡した経緯を事細かに説明した。一時は敵側として働いた大内定綱の言葉だからこそ、重みがあるともいえよう。
「なるほど、蘆名討伐に関してはわかった。それでは、小田原に遅参したことはどう釈明する」
「小十郎」
照姫は小十郎に視線を移した。
「それに関しましては私が説明いたしましょう」
「ほう、そなたは片倉小十郎殿だな。ご高名、こちらまで聞き及んでおる」
「ありがとうございます」
小十郎は一礼するとキリッとした目つきで長政の顔を見つめた。訴追されているという後ろめたさは微塵も感じられなかった。
「我ら伊達家は関白殿下の書状が届きましたときにはすでに小田原参陣を決定しておりました。しかし、家中でいざこざがあり、さらには相馬、佐竹などの敵国の様子も気がかり、なかなか動けない状態にありました」
小十郎は家中のことから周辺諸国の情勢まではっきりと述べた。もちろん、照姫が政宗となっていることは話していない。
「なるほど、なるほど。では今まで話、関白殿下の前でもはっきりと言えますかな? 政宗殿」
長政の刺すような視線が照姫に向けられた。だが照姫も怯まなかった。ここにくるときは死ぬつもりできている。今更怖いものはないのだ。
「当然ですわ」
「では、そのように」
長政ら一行はそのまま底倉から出て行こうとした。今までの話の内容を秀吉に報告しに行くつもりなのだろう。
「ちょっと待って欲しいですわ」
長政たちの足が止まる。まだ何かあるのかという思いが表情に表れた。
「何か?」
「確か、殿下は千利休という茶人にお茶を習っていると聞きましたわ」
「……それが?」
「ここにいつまでも閉じ込められているのも暇ですもの。その千利休という茶人にお茶の一つでも習いたいですわね」
「……ほう」
照姫はこの状況でもまったく臆していない。遅参の言い訳をするだけでなく、さらには秀吉への牽制も入れてきたのだ。
「その旨、殿下にお伝えいたそう」
「お願いしますわ」
長政たちは今度こそ退出した。残った照姫たちはひとまず長政たちの詰問を乗り切ったことになる。
「小十郎、どう思う」
「まずは上々、といったところでしょうか」
「そうか。ならば良い」
伊達家の運命は秀吉の前での申し開きにかかることになった。照姫は今まで秀吉にあったことはない。黒脛巾組の情報だけが頼りだった。
(豊臣秀吉。お兄様に代わって、私がお相手いたしますわ)
照姫と秀吉の対決の日は近づいていた。
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