第19話 黄泉帰り

 照姫の部屋にトトト、という軽い足音が近づいてきた。おそらく妹の月姫であろう。



「お姉さま」



 照姫にとって聞きなれた月姫の声が聞こえた。それだけで心が少し軽くなった気がする。



「月……、入って」



 障子を開け、月姫が照姫の部屋に入ってくる。その表情は悲しみにくれているというよりも何か決意をしている顔に見えた。



「月は、強いですわね。お兄様が亡くなったというのに涙一つ見せない」


「泣く必要がないからです」


「え?」



 照姫は月姫の言っていることがわからなかった。月姫は政宗が死んでも涙一つ見せない心の冷たい人間なのだろうか。照姫にはとてもそう思えなかった。



「お兄様は、死んでいませんわ」


「……」


「お兄様はまだ生きています。それはお姉さまが一番良く知っているはずです」



 照姫は月姫の瞳の奥をじっくりと見定める。月姫が何を言いたいのか見つけなければならない。



「そういう……、ことですのね」



 照姫は全てを悟ったようにうつむく。その視線は手元にある政宗の書状に落とされた。



「今、悲しんでいる暇はありません」


「そうね」



 照姫は政宗の書状を閉じて桐箱の中にしまった。やることは決まった。そういう決意が照姫から漂ってくる。



「月、頼みがあるのだけど」


「……何なりと」




   ☆☆☆




 翌日、照姫は家中の一同を謁見の間に集めた。そこには小十郎、成実の重臣たちや義姫、月姫などの政宗の親族も多くいた。


 しかし、照姫の姿はどこにも見えなかった。


 義姫は息のかかった重臣たちに目配せをしている。ここで照姫と最上の子息との婚礼を発表するつもりのようだ。



「小十郎、照はどこに行ったのじゃ。呼び出した本人がここにいないのでは話が進まぬではないか」


「はっ、ただいま呼んでまいります」



 小十郎が席を立とうとしたその時、廊下から足音が聞こえた。主だった者は全員この謁見の間にいる。だとするとこの足音は照姫のものだろう。



「やっと来ましたか」



 義姫の顔がニタリと歪む。もうすぐ伊達家は最上のものとなるのだ。


 バッ、と障子が開け放たれた。そこには照姫が毅然として立っていた。しかし、その姿は今までの照姫とは似ても似つかなかった。



「……な、なんじゃ、その姿は」



 義姫は息を呑んで言葉が出ない。他の重臣たちも似たようなものだ。


 照姫の右目は眼帯で覆われており、着物は陣羽織に袴、腰には両刀を下げている。誰が見ても政宗を真似していることは明白だった。


 照姫は政宗の姿のまま重臣たちの間を歩き、当主が座る上座にドカッ、と座った。



「うむ、それでは評定を始めますわ」



 照姫が発したその一言で義姫はハッと眼が覚める。



「ま、待たれ。照、なんじゃ、その格好は。おぬしが伊達家の当主になるということか?」


「照? いえ、お母様。照という人物はいませんわ」


「何? ではそなたは誰じゃと申すのじゃ。姿かたちは政宗に似せても照姫に違いないぞ」


「黙れ!」



 あまりの大声に義姫は口をつぐんでしまう。その気迫はまさに政宗そのものだった。


 照姫は息を大きく吸い、腹に力を込める。そして左目をカッ、と見開き、口を大きく開けた。



「私は伊達藤次郎政宗なり。伊達家の当主にて奥州の覇者である。これに異存のあるものはいるか!」



 照姫がジロリと重臣たちをゆっくりと見回す。誰一人異議を唱えるものはいない。それほど照姫の気迫は政宗のものに迫っていた。


 その時、すっ、と小十郎が立ち上がった。政宗と化した照姫のもとに近づいていく。義姫をはじめ、他の重臣たちは奇異な目で小十郎を見ている。


 小十郎は照姫の前まで来ると膝を屈し、拝礼の姿をとった。



「藤次郎様、皆、あなた様の指示に従います。どうか、お言葉を」


「な、何を言っておる、小十郎!」



 色めき立ったのは義姫である。まさか小十郎が照姫の芝居につきあうとは思わなかったようだ。顔を真っ赤にして小十郎に抗議する。


 このままでは照姫の婚儀どころか政宗が生きていたということで話が進んでしまう。それでは最上の伊達家のっとりは水泡に帰す。義姫にとってそれだけは避けねばならなかった。



「照じゃ、そこいるのは照姫じゃ。政宗は死んだのじゃ」


「……お母様はご乱心のようですわね。実の息子のこともわからなくなってしまったとは」



 照姫は重臣たちの反応を細かく感じ取る。ほとんどがどうすれば良いか迷っているようであった。



(あと、少し)



 照姫は立ち上がった。



「お母様は気がふれたようだ。奥で休ませておきなさい。皆のもの、お母様を取り押さえて」



 重臣たちは動かない。義姫は顔を真っ赤にしてジロリと重臣たちを睨みまわしている。



「お前たち、この政宗の言うことが聞けぬというのか!」



 一際大きな声が謁見の間に響いた。重臣たちはその言葉で次々と行動を起こした。義姫を部屋から退出させるということだった。



「な、何をする。お、お前たち、話が違うではないか!」


「お母様、ここはおとなしく退出してくださいませ」



 義姫に付き添ったのは月姫である。月姫も照姫の行動に賛成しているようだ。



「嫌じゃ、何じゃ、これは。こんなこと認められるはずはないのじゃ!」



 数人の重臣たちの手で義姫は評定の場から退出させられた。残ったのは照姫の行動に賛成するもの、見守っているもの、呆然としているものばかりだ。


 照姫は残った重臣たちを見回して言い放った。



「皆のもの、先日死亡したのは伊達政宗の弟、小次郎政道というものだ。照姫、月姫という人物も幼い頃に夭折している。つまり、伊達家の跡取りは私、伊達藤次郎政宗しかいない。異存のあるものはいるか!」



 一同、シーン、となる。誰もが照姫に服しているようだ。


 そこに小十郎が一言加える。



「伊達家の棟梁は藤次郎様一人でございます」



 その言葉を聞いて成実も立ち上がった。



「そうだ。藤次郎が死ぬはずねぇ。今もこうして生きているんだ」



 小十郎と成実の言葉に引きずられるように他の重臣たちも各々似たような言葉を発する。


 照姫はまんまと政宗を生き返らせることに成功したのだ。これは、義姫の伊達家侵略を防ぐとともに、家中の混乱を収めるという効果をもたらした。


 伊達家は、照姫、いや、政宗を中心として再びまとまったのである。




   ☆☆☆




 義姫はその日のうちに最上義光のもとへ出奔した。伊達家にしては危険だと判断したのだろう。



(まあ、その判断は正しいですわね。今は心が落ち着いていますけど、いつお母様を殺したくなるかわかったものではありませんから)



 照姫は右目の眼帯を外さずに自室で小十郎、成実、綱元、月姫と今後のことについて話し合っている。主に照姫をどうやって政宗に近づけるかということだ。



「とにかく資料の改ざんが優先ですわね。綱元、黒川城にある資料はもとより、米沢、二本松、小浜城などにある領内全ての資料に照姫、月姫の存在を消し去って。初めから伊達家にはお兄様と小次郎という弟しかいなかった。小次郎は兄・政宗への謀反の疑いで切腹。これで行きましょう」


「わかりました」


「小十郎と成実は他の重臣たちにこのことを徹底させて。歯向かうものは斬ってもいいわ」


「御意に」


「おう」


「月はこれから完全に黒脛巾組として行動して。私以外に伊達家の跡取りがいると利用しようとする存在が出てくる。跡取りは一人がいいわ」


「忍びは影。私はお姉さまの影になります」



 照姫はコクリと頷く。


 伊達家はこの日から新しくなった。しかし、それを他のものに悟られてはいけない。あくまでも政宗は生きているのだ。そう、政宗の姿となった照姫の心の中で。

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