第18話 毒殺

「ぐっ!」



 義姫の作った汁物を口にした途端、政宗は首を押さえて苦しみだした。息が荒く、脂汗をかいている。顔は真っ赤に染まり、目が飛び出さんばかりに見開いた。



「お兄様!?」



 照姫と月姫がすぐさま政宗の体を支える。政宗は照姫の体をかきむしるように抱き寄せた。



「ほほほ、どうしたのだ? 政宗」



 義姫の態度で政宗は全てを悟った。政宗が口にした汁物の中には毒が混じっていたのだ。その毒を入れたとのは、もちろん母の義姫だろう。



「は、母上……謀り、ましたな」


「何のことぞ? 顔色が悪いようだが、誰か呼んだ方が良いのでは?」


「くっ」



 政宗は脇差の柄で自身の腹を力いっぱい突いた。腹の奥から今まで食べたものが逆流してくる。政宗は、ガハッ、と食べたものを吐き出すとその場に倒れ伏してしまった。



「誰か、誰か来て!」



 月姫が転びそうになりながら部屋を出る。照姫は政宗のそばに寄り添いながら母である義姫を睨みつけている。



「お母様、これはどういうことですの! お兄様と和解したいという言葉は嘘だったんですの!」


「何のことぞ? 政宗は食あたりじゃ。きっと照の持ってきた食材が悪かったのだろう」



 話にならない。きっと義姫は食あたりと言い張って逃れるつもりだ。証拠がない以上、追求は難しい。


 月姫が部屋を飛び出してからすぐに小十郎と綱元がやってきた。青い顔をしてすぐに政宗の介抱を始めた。



「医者だ、医者を呼べ!」



 小十郎と綱元の怒号が黒川城に響きわたった。


 義姫は、その様子を薄ら笑いで眺めている。




   ☆☆☆




 政宗はその日から寝たきりになった。照姫たちの必死の看病もむなしく、政宗は日に日に衰弱していく。



「お兄様、しっかりしてくださいませ」



 照姫は政宗の手をしっかり握って呟く。政宗は起きているのか、寝ているのかよくわからない。視点は虚空を見つめていた。


 部屋の中には照姫以外に月姫、小十郎、成実がいた。鬼庭綱元は家中の混乱を抑えるために奔走している。


 その時、政宗の口がゆっくりと開いた。かすれた声で何かを呟いている。照姫が耳を政宗の口元に近づけて聞き取ろうと試みた。



「……小十郎、お兄様が私と話がしたいそうですわ。皆に席を外せ、と」


「……御意に」



 小十郎は月姫と成実に目配せして退出を促した。二人が退出したのを確認してから小十郎も退出する。


 部屋を出るとき、小十郎と政宗の視線が合ったような気がした。小十郎は全てを悟った顔で部屋を後にする。



「照」



 蚊の鳴くような声で政宗が照姫を呼ぶ。



「はい」


「それがしはもうすぐ死ぬだろう」


「そんな、弱気なことはおっしゃらないで」



 照姫は泣きそうになるのを必死にこらえて政宗の言葉に答える。政宗を握る手の力が強まった。



「聞け。もう時間がない」


「……」



 照姫は素直に政宗の言葉に耳を傾ける。



「それがしが死ねば伊達家は混乱するだろう。下手をすれば秀吉に潰されるかもしれん。いや、その前に最上にのっとられるか……」


「そんなこと、私がさせませんわ」


「くくく、照はいつも強気だな」



 政宗は一息つくと真剣な眼差しで照姫を見つめた。ここからが本題だ、といわんばかりである。



「照、それがしが死んだら家督はおぬしに譲る」


「そんな、縁起でもない」


「いいから聞け。それがしの葬儀はしなくともよい。すぐに小田原に参陣するのだ。それと……」



 政宗の視線がどこか寂しげになる。



「母上のことは怨むな。あの人は伊達家にいながら最上に囚われておる。かわいそうな人なのだ」


「それは……」



 できない、と言いたかった。政宗をこんな姿にした母を怨むなといわれても照姫にはできる自信がなかった。



「照にならできる。母上を、許してやってくれ」


「……わかりましたわ」



 政宗は瞳を閉じる。その表情は安心しきったように和らいでいた。



「昨晩、小十郎に今後のことを書面に書かせた。花押はそれがしが書いたから正式な書類だ」


「……」


「それがしが死んだらそれを開けろ。それだけだ」


「お兄様は、死にませんわ」


「……ふっ」



 政宗は眼を閉じるとそのまま何も喋らなくなってしまった。照姫は相変わらず政宗の手を握って動かない。


 時間は、流れる水のごとく過ぎていった。




   ☆☆☆




 天正十八年(1590年)四月七日、伊達藤次郎政宗は静かに息を引き取った。享年二十四歳という若さであった。


 伊達家は悲嘆にくれ、この世の終わりかと思うほどの悲しみが家中に漂った。



「お兄様、お兄様……」



 照姫は小十郎から渡された政宗の書状を何度も読み返している。そこには今後の伊達家が取るべき方針が事細かに書かれていた。


 その時、すっと障子が開いた。言葉もかけずに誰かが照姫の部屋に入ってきたようだ。



「誰?」


「私じゃ」



 そこにいたのは政宗を毒殺した張本人である義姫だった。照姫の心臓が跳ね上がる。



「照、おぬしに縁談を持ってきた。私の兄、最上義光もがみよしあきの次男、太郎四郎はどうだろう。まだ八歳とはいえ、才気はおぬしには引けを取らんぞ」


「こんなときに縁談ですか? お兄様が亡くなってまだ数日しか経っていないではありませんか」


「だからこそ早く次期当主を決めねばならんのじゃ。秀吉からも催促の書状が矢のように参っていると聞いているぞ」


「当主は私です。これはお兄様の遺志でもあります」


「おぬしでは力不足じゃ。最上から婿をもらい、私と兄上で伊達家を輔佐し、切り盛りして見せようぞ」


(……やはり、それが狙いだったのね)



 照姫は奥歯をかみ締めて怒りに堪えている。政宗の『母上を許してやってくれ』という言葉がなければ今すぐにでも義姫を殺してしまいそうだった。



「出て行ってください。私には私の考えがあります」


「ほほほ、その考え、明日の会議で発表してもらいましょうか。私も私の考えを明日に発表するつもりじゃ。重臣たちが、どちらを支持するか、見ものですね」



 照姫が、キッ、と義姫を睨む。



「おお、怖い」



 義姫は薄ら笑いを浮かべながら去っていった。ここまで余裕がある態度を見せたということは家中の根回しも済んでいるということだろう。照姫に、勝ち目があるとは思えなかった。



(お兄様、私は、照はどうすればよろしいのですか?)



 いつもやさしく教えてくれた政宗はもういない。照姫はこらえきれなくなった涙で政宗の書状を濡らしていった。

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