第17話 殺意

 政宗が小田原参陣か、徹底抗戦かを悩んでいる頃、照姫は母の義姫に呼ばれていた。



「お母様、用とは?」



 照姫は義姫に毅然とした態度で臨んだ。実の母とは言え、兄の政宗を快く思っていない人物だ。油断することはできなかった。



「そう鋭い目つきで見ないで欲しい。剣山で刺されているようで話しづらいわ」


「申し訳ございません。こういう目つきなもので」


「ふむ、まあ、良い」



 義姫は姿勢を正して照姫をじっと見つめる。今度は照姫がたじろぐ番になった。



「用というのは政宗のことじゃ」



 照姫に、またか、という顔色が見えた。また政宗を当主の座から引き摺り下ろそうという考えなのだろう、と暗澹たる思いで義姫の次の言葉を待った。



「私は政宗と和解したい」


「え?」



 照姫はあまりのことに阿呆みたいに口を大きく開けたまま固まってしまった。



「私は長年政宗を憎んでおったような気がする。政宗の方も私の気持ちを感じ取ってか、私を避けてきたであろう」



 照姫は黙って義姫の話を聞いている。



「しかし親子で憎み合うのはもうやめじゃ。今は伊達家存亡の危機。私も伊達家のために何かしたいのじゃ」


「そのために、お兄様と和解がしたい、と?」


「そうじゃ。親子が和解したとなれば家中の聞こえも良い。小田原に参陣するにしても、徹底抗戦するにしても、家中がまとまっていることに越したことはないであろう?」



 確かにその通りだ。今までは義姫という存在が伊達家にあって不気味に漂っていた。それが伊達家の中に取り込まれるとなれば伊達家の内外に聞こえが良いだろう。



「わかりました。それで私に協力をして欲しいということですわね」


「そうじゃ」



 照姫は嬉しそうに口元を歪める。もともと照姫は義姫の愛情を受けて育ってきた。政宗に向けられるはずだった愛情を照姫と月姫が受け取ったといっても良い。


 そんな愛情を注いでくれた義姫と敬愛する政宗とが仲直りするというのならこれほど嬉しい出来事はないであろう。



「承りましたわ。私にできることなら何なりと」


「それでこそ私の娘じゃ。頼もしいぞ」



 義姫も嬉しそうに笑う。


 しかし、これが義姫の策謀だとは照姫も気づくことはなかった。




   ☆☆☆




 後日、照姫は政宗と義姫の会食を取り持った。親子水入らずで食事をしようというのだ。



「何、母上が?」



 政宗は最初、訝しがった。しかし照姫が言っている以上、無下にはできない。不安はあったが照姫の顔を立てることにした。



「わかった。その会食、参加しよう」



 照姫はその言葉を聞いた瞬間、嬉しそうに跳ね上がった。母と兄が仲直りしてくれる。それが娘として、妹として嬉しくてたまらないようだ。



「して、日時は?」


「明日の夕食でございますわ。都合はよろしいですか?」


「かまわん」



 政宗はそれだけ言うと照姫から去っていった。その顔つきはどこか強張っており、心から義姫のことを信じているわけではなさそうだ。


 しかし照姫はそんな政宗の表情などお構いなしに明日の夕食の準備に取り掛かる。食事は義姫自身が作ると言っているので照姫は材料の調達を行うつもりだ。



(親子で食事なんて何年ぶりでしょうか。この場にお父様もいらっしゃったらどれほどよろこんだことでしょう)



 照姫の後姿は明るい。これから起こることなど、まったく考えていないようであった。




   ☆☆☆




 政宗は小十郎の屋敷に来ていた。二人きりで重要な話をしているようだ。



「小十郎、それがしは小田原に参陣しようと思う」



 ほう、と小十郎が感嘆の声をあげる。小十郎は小田原参陣に賛成なのだ。自分の意見を聞き届けてくれて嬉しくもあるのだろう。



「考えを、聞かせてもらってもよろしいですか?」


「うむ、おそらく徹底抗戦してもそれがしならば秀吉には負けないだろう。その自信はある」


「……」



 小十郎もそこは同意していた。何万という大軍が押し寄せてくるといっても、地の利がある。人の和がある。そう簡単には負けはしないだろう。



「だが、それは一回か二回だろう。何度も攻め寄せられればこちらが次第に疲弊していく」


「つまり、短期戦ならばこちらが有利ですが、長期戦になれば西半分を手に入れている秀吉が有利ということですね」


「そうだ。それでは領民は苦しみ、天下は混乱していくばかりだ」



 小十郎の目はじっと政宗の瞳を見つめている。政宗はまだ天下をあきらめたわけではない。


 政宗は今までとは違う方法で天下を目指すつもりなのだ。



「さすがです、藤次郎様。そこまでわかっていらっしゃるならばこの小次郎、何も言うことはありませぬ」


「うむ」



 政宗と小十郎の間にこれ以上の会話は必要なかった。二人は主従の関係を超えて一心同体と化している。お互いの考えなど手に取るようにわかるのだろう。




   ☆☆☆




 義姫との会食の日が来た。義姫の部屋に政宗、照姫、月姫がやってきたのだ。



「おお、政宗。こっちじゃ、こっちじゃ」



 義姫が政宗の手をとって席に案内する。政宗が席に座るとすでに豪華な母の手料理が据えられていた。



「照と月も早く席につきや。今日は親子で心行くまで語りあおうぞ」



 照姫と月姫はお互い顔を見合わせて笑い合う。こんな楽しい会食は何年ぶりだろうか。


 政宗が母を見据えて口を開く。まだ少々ぎこちなさが見える。



「母上、このたびはこのような会食を開いていただき、ありがとうございます」


「政宗、固いことは言うな。今日は仲の良い親子に戻って一緒に楽しもうぞ」


「はっ」



 照姫と月姫も席につく。


 義姫は皆が席に着いたのを確認すると食事を勧めた。



「今日の食事は私が直々に調理した。思う存分食べるがええぞ」


「これは、珍しいこともあるものです」


「ほほほ、政宗、母とて料理ぐらいはできるぞ」



 少しずつだが政宗と義姫の距離が縮まってきたような気がする。長い間のわだかまりが少しずつ解けてきているのだ。


 政宗はまずおひたしを食べた。あっさりしており、素材の味を良く引き立てている。



「うむ、これはうまい」


「ほほほ、そうであろう、そうであろう。確かこれは月が取ってきてくれた野草であったな」


「はい。城のものと山の中を練り歩き見つけてきたものです」


「さすがは月じゃな」



 月姫は照れくさそうにうつむく。母に誉められるのはいくつになってもうれしいものだ。



「これは、川魚か」


「これは照が釣ってきてくれたものよ。なあ、照」


「そうですわ。お兄様とお母様に食べていただくためにいっぱい釣ってきましたわ」


「ほう、さすがは照だな。昔はよく一緒に釣りにいったものだ」


「覚えていらしたのですね。うれしいですわ」



 政宗はガブリと川魚を頭から食す。塩味がきいていて食べやすかった。



「うむ、これもうまい」



 照姫は嬉しそうに体を揺らす。あまりの嬉しさに落ち着いていられないのだろう。



「ささ、次は汁物を食してみんか? 私の自信作じゃ」


「ほお、この汁は母上が作られたのですか」


「そうじゃ。隠し味もあるゆえ、じっくりと味わうがええぞ」



 政宗がゆっくりと汁物が入っているお椀に唇を近づける。義姫はその様子はうっすらとした笑みで見つめ続けていた。

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