第9話 決断
天正十三年(1585年)十月八日、
輝宗の側にいるのは照姫、月姫、伊達成実などの家臣団である。
「このたびは、政宗殿にお取り成しいただき、ありがとうございます」
義継は謁見の間で深々と頭を下げる。その様子に輝宗も義継の人の良さを感じた。
「いや、面を上げてくだされ。わしは当然のことをしたまで。とにかく藤次郎の機嫌が直って良かったですな」
義継は再び、はは~、と言って平伏する。ここまで慇懃にされると輝宗も困ってしまう。
「まあ、まあ、そう固くなさらずに」
義継は平伏しながらも左右をチラリと見る。この場所に政宗の姿が見えない。そのことが気になっているようだ。
「輝宗殿、政宗殿のお姿が見えないようですが」
「……うむ」
輝宗は少し言いづらそうにうつむく。本来なら当主である政宗が義継に会うべきなのである。それを隠居した輝宗が会っているという時点で少々失礼にあたった。
「藤次郎は鷹狩りに行っておる。義継殿が来ることは知っているはずなのだが、どうも忘れてしまっているらしいですな」
「そうですか」
政宗が義継の会談を忘れるとは思えなかった。明らかに会う気がないのだ。それは輝宗だけでなく、義継にも感じ取れたことだった。
輝宗は政宗の機嫌は直ったと言ったが、実際にはそうではなかった。むしろ大内同様に所領の全てを没収してやりたかっただろう。
それを輝宗が間に入ったことで一部の所領を安堵することになった。これが政宗にとって気に食わなかったのである。
「それならばまた日を改めましょう。本日はこのあたりで失礼いたします」
義継が退室しようとする。
するとそこに義継の家来と思われる武士が慌てた様子で入ってきた。
「どうした。輝宗殿に失礼であろう」
「申し訳ございません。しかし……」
家来は義継に厳しい目つきで耳打ちする。その言葉を聞くうちに義継自身も目つきが変わってきた。
「義継殿、いかがなされた」
「あ、いや……」
義継は額に汗を流して言いよどんでいる。どうも伊達家に関することのようだ。しかも良くない話と考えられる。
「苦しゅうない、申せ」
「……ならば」
義継はゴクリ、とつばを飲んでから話し出した。それほど緊張しているのだろう。
「この宮森城の城下に私を暗殺しようとしている集団がいると。しかもその集団は伊達家が放ったという噂があります」
「馬鹿な、そんなことは偽りだ!」
声を荒げたのは輝宗の側に仕えていた成実だ。暗殺などすれば伊達の威信に関わる。たとえ噂であろうとそのような話が出るのは喜ばしいことではなかった。
「成実、まあ、待て」
鬼のような形相をする成実を輝宗がなだめる。照姫も月姫も成実の表情には恐ろしいものを感じた。
「義継殿、伊達家は決してそのようなことはいたしませぬ。証拠としては何ですが、護衛として二本松まで成実に送らせましょう」
輝宗は良いか、といった目つきで成実を見る。成実も当然と言わんばかりに大きく頷いた。
「ありがとうございます。これで安心して二本松まで帰ることができます」
「わしも門まで送ろう」
輝宗がすっと立ち上がると成実、照姫、月姫も立ち上がった。義継も後に続くように立ち上がる。
「では、参りましょうか」
☆☆☆
宮森城の門に近づいたとき、突然畠山義継が輝宗に向かって土下座をしだした。
「このたびは、政宗殿へのご仲介、ありがとうございます。何とお礼を申し上げればわかりません。なにとぞ、これからも畠山家をよろしくお願い申し上げます」
これには輝宗のみならず成実や照姫も驚いた。ここまで信義にあつい人であったのか、と感心する思いだった。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございまする。ささ、面をあげてくだされ」
輝宗は義継の手を取って立ち上がらせようとする。それが輝宗にとっての油断となった。
「今だ!」
義継はバッ、と立ち上がると懐に忍ばせていた短刀を抜き放った。義継は輝宗を羽交い絞めにすると短刀を首元に突き当てる。いつでも輝宗を殺せるぞ、という威嚇であった。
「ご隠居!」
「お父様!」
輝宗を助け出そうとする成実や照姫たちの前に義継に従ってきた家来が立ちはだかる。あまりの連携の良さにこの輝宗の誘拐は義継の計画通りなのだと実感させられた。
「このまま二本松城まで連れ帰る。本当は政宗を拉致したかったが、いないのなら代わりに父親をもらっていく。返して欲しくば政宗自身が頭を下げに来い! ははははは」
義継はじりじりと成実たちを牽制しながら後退して行く。輝宗を羽交い絞めにしたまま二本松城まで帰るつもりのようだ。
「月、このことをお兄様に伝えて。
「わかりました!」
月姫は一度、宮森城の中に戻っていく。黒脛巾組を使って政宗と連絡を取るためだ。
そうしている間にも伊達家の者たちが集まってきた。槍を持つもの、鉄砲を持ち出すもの、様々である。しかし、その誰もが畠山義継に手を出すことができなかった。
「照、成実、わしにかまうな。義継を討て!」
輝宗の言葉が宮森城に響いては消えた。照姫も成実も、悔しい思いをしながらも手を出すことができなかった。
☆☆☆
照姫と成実は義継に手が出せないまま
「くそっ、鉄砲隊、前へ!」
成実は阿武隈川沿いに鉄砲隊を配置した。
しかし、次の言葉が出てこない。成実が、撃て、というだけで鉄砲隊は輝宗もろとも義継を撃つだろう。
しかしそれは政宗の父親を殺すことでもある。とても成実に判断できることではなかった。
「何をしている、成実! 撃て、わしごと撃つのだぁ!」
輝宗の言葉が阿武隈川のせせらぎをかき消すように響き渡る。もはや輝宗は覚悟ができていた。
「……お父様」
その様子に照姫は泣きそうになる。今ほど無力な自分を呪ったことはなかった。拳を握り締め、爪が刺さる痛みで無理やり自我を保っている。
「照! お前は藤次郎と一緒に天下を取るのだろう、こんなところで止まってどうする。天下は、お前たちの手で掴み取れ!」
輝宗はその言葉を言った後に
しかし、輝宗の想いはしっかりと照姫に届いていたようだ。輝宗と照姫は瞳と瞳で会話する。その輝宗の視線に照姫は大きく頷いた。
「……撃って」
ぼそりと照姫が呟く。
「何!? 照姫様、今、なんと」
「撃って! お父様ごと、畠山義継を撃つのよ!」
成実は呆然としている。照姫の言葉を聞いてもまだ自分が輝宗を殺すという決断ができないのだ。
「貸して!」
照姫は瞳を潤ませながら近くにいた足軽から鉄砲を奪い取った。鉄砲にはすでに火は入っており、後は引き金を引くだけの状態になっていた。
バーン。
阿武隈川に鉄砲の大音量が鳴り響いた。その音に成実もはっ、とする。
「撃って、お願い、お父様を撃って!」
照姫は泣いていた。その姿は哀れというほかにない。成実は照姫にここまでさせておいて動かないわけにはいかなかった。
成実は腕を大きく振り上げ、そして大声を発した。
「鉄砲隊、撃てぇー!」
バーン、バーン、バーン、と次々と鉄砲が放たれる。鉛玉は輝宗と義継をかすめていった。
「もはや、これまでか」
ブスッ。
「……ぐっ」
逃げ切れないと悟った義継は短刀で輝宗の胸を刺し通した。輝宗は口から血を吐き、その場に倒れこんだ。
「全員、突撃ー」
輝宗が倒れるのを見て成実は突撃を命じた。伊達の家臣たちは鬼のような形相で義継とその家来たちを取り囲む。
義継はあっという間に首をはねられた。義継の家来たちも全て殺害される。
阿武隈川は、血の色で染まった。
政宗が馬を飛ばして到着したのは、全てが終わり、阿武隈川の色が赤色から元の色に戻った頃であった。
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