第8話 黒脛巾組

 伊達輝宗は政宗の陣中見舞いのために小浜の宮森城みやのもりじょうに到着していた。付き添いとして月姫も一緒だ。


 その頃、政宗は一つの思案をしていた。ちょうど良い機会なので政宗、輝宗、小十郎、照姫が集まり、政宗の新しい一手を聞くことにした。



「藤次郎、隠居したわしに相談とはどうした。それほどの大事か」


「はい、伊達家を立てていくために重要なことでございます」



 輝宗はチラリと政宗の隣に座っている照姫を見た。


 小十郎からすでに照姫が伊達小次郎政道として従軍していることは聞いている。

当主の政宗が了承しているため、そのことに言及するつもりはなかったが、やはり不安は拭い去れないようだ。照姫の顔を見ても嬉しそうな顔をすることができなかった。



「それで藤次郎、その大事とは」


「はい、忍び集団を組織しようと考えております」


「ほう」



 輝宗は目を細めた。小十郎も照姫も驚いた顔をしている。確かに忍びは戦国大名になくてはならない存在になってきている。伊達家が今まで組織しなかったのが不思議なほどだ。



「確かに、それは良い考えだ。やったほうが良いだろう」


「はっ、しかし、一つ問題がございまして」


「む? 何が問題だというのだ」



 忍者というのは元々山などで修行する修験者がなることが多い。そのため、山が多い伊賀や甲賀の忍者が有名なのだ。


 伊達領周辺には蔵王連峰ざおうれんぽうがある。そこにいる修験者たちを忍びとして採用すれば数はすぐに集まるだろう。諜報機関としての能力も問題ないはずだ。



「忍びの棟梁がおりませぬ」


「頭か」



 これには輝宗も悩まざるを得なかった。忍びの棟梁ともなると潜入能力よりも指揮能力、さらには信用の方が重要だった。


 潜入や流言は末端の忍びがやれば良い。しかしそれを指揮する忍びの棟梁は政宗を絶対に裏切らないという信頼がなければならない。政宗に最接近できるという立場も考えれば当然の悩みだ。


 輝宗だけでなく小十郎も照姫も考え込む。確かにこれは難しい問題だった。



「そうですわ」



 突然、照姫がパンッ、と手を叩いて笑顔を見せる。何か良い思案でもまとまったのだろうか。



「どうした、照」



 照姫はニヤリと笑って政宗を見つめる。これは照姫が悪戯を思いついたときと同じ顔だ。



「私に任せてくださいませ」



 照姫はすっと立ち上がるとそのまま会議の部屋を出て行ってしまう。その姿を政宗たちは呆然と見送るしかなかった。


 しばらくすると照姫の足音が聞こえてきた。しかし足音は一つではない。照姫とは別にもう一人いるようだ。二つの足音が政宗たちのいる会議室に近づいた。



「お兄様、お父様、連れてきましたわ」



 照姫の隣にはなぜここにいるのかわからないといった様子の月姫がいた。政宗も輝宗も疑問符を頭の上に浮かべている。



「あの、お姉さま? なぜ私がここに呼ばれたのでしょうか」



 照姫が口元を大きくゆがめて笑う。その笑顔に月姫はなにやら不穏な気配を感じた。



「それはね、月、あなたが忍び集団の頭領になるからよ」


「……え?」



 月姫だけでなく、輝宗と小十郎も驚嘆している。大笑いしているのは政宗だけだった。



「ははは、なるほどな。確かに月ならば裏切らないだろう。これは名案だ」



 政宗は手を叩いて照姫の案を支持する。しかし輝宗も小十郎もこれには反対だった。



「いけません。照姫様だけでなく、月姫様まで危険なことをやらせるおつもりですか。お二人にもしものことがあれば伊達家の将来に関わります」


「忍びの棟梁が決まらない方が伊達の将来に不安を残すわよ」



 照姫と小十郎は火花を散らしてにらみ合う。二人の意見は真っ向から対立した。



「月、お前の意見はどうだ」



 政宗は月姫の意見を聞こうと話を振った。しかし月姫は今ここに連れてこられたばかりだ。政宗たちが何を話していたのか理解できていない。



「私は……何が何やら」


「私が簡単に説明するわ。月には忍びの棟梁をやってもらいたいのよ。お兄様の指示に従って忍び集団を手足のように動かすの。月も私と一緒にお兄様の側で働くのよ。お兄様と一緒に天下を目指しましょう」



 照姫は月姫の手を握って微笑む。そこには悪意のない笑顔が月姫の瞳に映っていた。



「月姫様、無理する必要はありませぬ。今すぐ断ってくださいませ」



 月姫はチラリと照姫の方を見る。相変わらずニコニコしているが、何か米沢城で鬱屈していた頃の照姫とは違って見えた。それは政宗と一緒に天下を目指す、という目標を得たからかもしれない。月姫はそう思ったのだ。



「月、どうだ」



 政宗が笑みをこぼしながら月姫に問いかける。月姫は政宗と照姫、二人を見比べて決心した。



「忍びの棟梁になるというお話、お受けいたします」


「月姫様!?」



 小十郎は膝立ちになってうろたえる。今にも月姫に飛びつきそうな勢いだった。それを輝宗が腰紐を掴んで何とかおさえている。



「月、いいのか?」



 輝宗が驚きを隠さずに問いかける。月姫の決断は輝宗にとっても意外だったようだ。



「はい。私もお姉さまのようにお兄様の側でお役に立ちたいのです。忍びのことは良くわかりませんけども、今からでも勉強いたします。それが私のなすべきことです」


「そこまで言うのならば……」



 輝宗も月姫の気迫に認めざるを得なかった。現当主の政宗と前当主の輝宗が月姫を忍びの棟梁にすることを認めてしまっている。これでは小十郎も認めるほかない。



「よし、決まった。名は、黒脛巾組くろはばきぐみとする。棟梁は月だ。月、頼んだぞ」


「……はい!」



 月姫は頬を紅潮させて政宗を見た。政宗の役に立つことができる。それがどうしようもなく嬉しいのだろう。



 照姫も嬉しそうに月姫と政宗を見ている。


 ここに、伊達の忍び集団・黒脛巾組が誕生した。




   ☆☆☆




 さて、大内定綱おおうちさだつなを蘆名領に追いやった伊達だったが、定綱と共謀していた畠山義継はたけやまよしつぐも伊達に恭順の意を示してきた。これは小手森城の撫で斬りが義継の心理に大きく影響したためであろう。


 しかし、義継は政宗に直接降伏の意を示さず、政宗の父・輝宗に仲介を頼んだ。それほど政宗が恐ろしかった。


 人の良い輝宗は政宗に取り次いだ。しかし政宗が出した降伏の条件とは所領の大半を差し出せという義継にとって厳しいものだった。



「藤次郎、これでは義継がかわいそうではないか? もう少し領土を安堵してやったらどうだ」


「父上は甘すぎます。その甘さが今までの奥羽をこのような状態にしたのです。それがしは今までの奥羽の領主は違う。それを見せ付けなければならないのです」



 結局、畠山義継は二本松城付近を除くほとんどの所領を没収、さらには嫡男である国王丸くにおうまるを人質として伊達家に差し出すという屈辱的な条件で政宗に降伏した。


 しかし、義継の命は奪われることはなかった。その点は輝宗が政宗にとりなした結果だろう。輝宗の口添えがなかったら今頃義継の首は体を離れていたかもしれないのだ。


 輝宗は義継に同情的だった。


 だが、その輝宗の同情心が、輝宗自身も、政宗たちをも苦しめる結果になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る