第4話 連判状

 天正十年(1582年)、伊達家と相馬家の戦いは続いていた。戦況は四月に相馬家家臣・桑折左馬之助こおりさまのすけが伊達家に寝返ったことにより伊達家が優勢となる。


 その約二ヵ月後、六月二日未明に京都で天下を揺るがす出来事があった。本能寺の変である。織田信長の家臣・明智光秀が謀反を起こしたのだ。


 信長は本能寺で自害。天下は明智光秀の手に渡ったと思われた。


 しかし、わずか十三日後、信長の家臣の一人であった羽柴秀吉が山崎の戦いで光秀を撃破。天下の情勢は波の上の小船のように揺らいでいた。




   ☆☆☆




「照、月、いるか」



 ガラッ、と障子が開け放たれた。照姫と月姫は開け放たれた障子のほうを見る。そこにいたのは兄の政宗であった。



「お兄様、いかがなされたのですか」


「うむ」



 政宗は照姫と月姫の部屋の中に入ると部屋の真ん中にドカッ、と座りだした。照姫と月姫はそんな政宗の側に寄ってくる。



「織田信長が、死んだ」


「え!?」



 驚嘆の声をあげた照姫だったが、隣にいる月姫はポカンと口をあけて呆けている。何のことだか理解していないようだ。


 元々軍事に興味のある照姫とは違って月姫はおとなしい性格だ。天下人が誰であろうと月姫にとっては関係のない話なのかもしれない。



「お兄様、お姉さま、織田信長……とは?」


「足利幕府を事実上滅ぼした人ですわ。長篠の戦では武田騎馬軍を鉄砲隊で打ち破ったほどの戦上手と聞いていますわね」


「うむ、京都では右大臣にまでなり、今は毛利家と戦っていると聞いていた。それがまさか……」



 政宗は沈痛な面持ちで天井を見上げる。政宗にとって織田信長の存在は小さいものではなかったようだ。


 しばらくの沈黙の後、政宗はすっと立ち上がって照姫と月姫を見下ろした。



「照、月、それがしは決めたぞ。それがしは信長のようになる」



 政宗の急な発言にも照姫はついていく。まさに政宗のことなら何でも知っているといった具合だ。



「それは、お兄様が天下人になるということですわね」



 照姫が満足そうに尋ねる。



「そうだ。それには恐れられなければならぬ。信長は叡山を焼き討ちした。本願寺の宗徒も殲滅した。その恐ろしさがあったからこそ天下人になれたのだ」


「その通りですわ」



 照姫が賛同する。しかし月姫の表情はだんだんと不安げなものになっていく。



「しかし、慈悲の心がなければ民衆はついてこないのではありませんか? 恐ろしさだけでは天下は取れないと思われますが」


「そうだ。しかし慈悲の心は時と場合だ。まずは敵に恐れられる。その後に慈悲があってようやくわかるのだ。伊達政宗は恐ろしくも慈悲深い人だ、とな」



 月姫はなおも不安げだった。月姫にしたら父の輝宗のような人が天下人になってほしかった。そうすれば民衆はいつも笑顔で農耕をすることができる。商いをすることもできる。そう信じていたからだ。


 しかし政宗の考えは違っていた。政宗は戦のことを念頭に考えていた。それは民衆を蔑ろにするという意味ではない。民衆を守るためにも戦は重要になってくる。そのための手本を織田信長という男においたのである。



「さすがですわ、お兄様。私もお兄様の考えには賛成ですわ」



 月姫と違って照姫は満足げだった。


 照姫と月姫、この二人の考えは太陽と月のように違っている。しかし、それでも政宗を思う気持ちは同じだった。これこそが後々、伊達家にとっての強みとなっていくのである。




  ☆☆☆




 天正十二年(1584年)四月、輝宗は再び相馬家との合戦をすることになったが、田村清顕たむらきよあきの仲介により、ようやく和睦をすることとなった。


 輝宗は早速論功行賞を行った。輝宗は譜代、外様、古参、新参の区別なく公平な評価を心がけた。


 しかし、この論功行賞が思わぬ結果を生みこととなる。


 中央では羽柴秀吉と徳川家康が小牧・長久手こまき・ながくての合戦を繰り広げている頃であった。




  ☆☆☆




「お屋形様、お屋形様、大変でございます」



 輝宗の側近、遠藤基信えんどうもとのぶが駆け足で輝宗に近づいてきた。



「どうした、基信」


「こ、こちらをご覧ください」



 基信は一つの巻物を輝宗に渡す。そこにはずらっ、と血判つきの名前が並んでいた。



「これは、連判状か!?」



 連判状とは同じ志のものが募った名簿のようなものだ。そこに名前が書かれたものは同じ目的を持った仲間とみなされる。


 連判状に書かれていたのは論功行賞における不満、新参と譜代の論功が同等とは納得いかないという内容だった。


 しかし、それとは別に輝宗を驚かせた内容も連判状には書かれていた。



「世継ぎが藤次郎政宗では不満である……照姫と最上の子息を婚姻させ、最上の子息を伊達の世継ぎとせよ、だと!?」



 これは実質的に家中の反乱であった。その反乱の裏側に輝宗の正室、政宗の母である義姫の姿が浮かんでは消えた。


 義姫は最上家からの輿入れで輝宗の正室となった。しかし、正室となってからも最上家との縁は深く、しきりに兄の最上義光と連絡を取り合っているという噂もあった。伊達家の中にあり、最上家のことを第一に思う癖がある女性である。


 また、義姫は政宗のことを嫌っていた。政宗が幼い頃はそうでもなかったが、政宗が疱瘡ほうそうで右目を失った頃から、醜い姿となった我が子を避けるようになったのだ。



「まさか、この連判状……お義が」



 輝宗はすぐさま義姫のもとに向かった。



「お義、お義はいるか」



 ガラッ、と輝宗が義姫の部屋の障子を開ける。そこには侍女と戯れている義姫の姿があった。



「あら、お屋形様。何か?」


「何か、ではない。これはお前の差し金であろう!」



 輝宗はバシッ、と連判状を義姫の足元に叩きつけた。義姫はその連判状を拾ってさっと中身を確認する。



「これは……私は存じませぬが」


「嘘をつくな! ならばなぜ家臣どもが世継ぎを最上の子息にと推薦するのだ。これはどう考えてもおぬしの差し金であろう」


「これは、お屋形様のお言葉とは思われませぬ。もとを正せばお屋形様が行った論功行賞に不満を持ったのがこの謀反の始まり。そのお屋形様が決めた世継ぎでは皆が不安である、と申しているだけでござまする。非は、お屋形様にあるかと」


「黙れ! その不平不満を巧みに扇動したのがおぬしであろう」


「証拠は、あるのですか?」



 義姫は輝宗の顔をじっと見つめて口元を歪める。暗に証拠は握りつぶしてある、とでも言っているようであった。



「……くっ」



 輝宗はバッ、と義姫の手から連判状を奪い取ると部屋から出て行った。もはや義姫と話して無駄だと思ったのだろう。




   ☆☆☆




 自室に戻った輝宗は信頼できる家臣として遠藤基信を呼んだ。自分の心中を誰かに聞いてもらいたかったのだろう。



「基信、わしは道を間違えたのだろうか」


「お屋形様、何を仰せられます。お屋形様は立派に伊達家をたてておりまする」


「しかし、現に連判状が出てきておる。これは、わしの力ではもうどうにもできないということではないか」


「お屋形様……」



 輝宗の悲痛な表情を見ると基信も何も言えなかった。


 しばらくの沈黙の後、輝宗はポツリと呟くように基信に話しかけた。



「藤次郎は、今年でいくつになったかな」


「十八になってございまする」


「そうか」



 輝宗の目は決意に満ちていた。自らの身を捧げても家中を統一する。その心意気が近くにいる基信にはひしひしと伝わってきていた。

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