第3話 照姫の憂鬱

 小十郎に見つかった照姫と月姫は輝宗の前につれてこられた。これには輝宗も困ったらしく、ひとまず陣中の安全なところで謹慎することとなった。場所は角田城かくたじょうの一室である。



「全く、何でこうなりますの?」



 照姫は膨れ顔で月姫と向き合いながら座っている。服装は米沢城よねざわじょうにいたときに着ていた服に戻っていた。



「私は安心しました。これで戦場に出なくても済みます。もうこのような経験はこりごりです」



 照姫とは反対に月姫は安心しきった顔つきだ。ようやくもとの姫としての生活ができると思っているのだろう。


 そこにドシドシと重たげな足音が聞こえてきた。誰かが照姫たちのいる部屋に近づいてきたようだ。



「照姫様、月姫様、小十郎でございまする」


「入れ」



 すっ、と障子が開けられた。そこには具足をつけたままの小十郎が片膝ついて座っていた。



「照姫様、月姫様、お二人はこの片倉小十郎景綱かたくらこじゅうろうかげつなが米沢まで送り届けることになりました。出立は明朝。よろしいですか」



 小十郎の言葉には有無を言わせぬ力強さがあった。照姫と月姫の軽はずみな行動が頭にきているのだろう。しかし、そんな小十郎の言葉も照姫には無意味なのかもしれない。



「嫌」


「……は? 今、なんと」



 小十郎は眉をひそめて問い返す。小十郎の耳が悪いわけではない。確かに照姫の言葉は小十郎の耳に届いていた。しかし、耳に届いていても信じられる言葉ではなかったのだ。



「い・や、と申しましたわ。私たちはここでお父様とお兄様の戦を見学いたしますわ。これも後学のためです」


「な、何をおっしゃいます。いけません。何が後学ですか。照姫様は伊達の姫ですぞ。後々は名のある領主に嫁ぐ身です。戦を学んでも何の益もありませんぞ」


「私は将来お兄様と一緒に天下を目指すのですわ。今から戦のことを学んで何がいけませの? ちなみに、私は誰のもとにも嫁ぐ気はありませんから」



 小十郎は開いた口がふさがらない。照姫のことはよく知っていると思っていたがそれは小十郎の勘違いだったようだ。ここまで普通の姫と違う考えを持っているとは思ってもみなかった。



「それは、月姫様も同じ考えなので?」



 ジロリ、と小十郎が月姫を見る。その視線に恐れおののいたのか、月姫はブンブン、と何度も首を横に振った。


 それをみた小十郎はひとまずほっとした。月姫まで照姫と同じようなことを考えているとしたらどうしようもなかった。



「ひとまず、その話は米沢に戻ってからじっくりと聞きましょう。今は、米沢に帰る支度をしてください。もし拒否された場合、首に縄をつけてでも連れ帰りますので、そのように」



 小十郎の目は本気だった。月姫は何度も首を縦に振る。しかし照姫はそっぽを向いて小十郎の話を聞こうともしていない。



「はあ、月姫様。照姫様のこと、頼みました。見張りのものが立っていますので、逃げようなどと考えられませんように」



 小十郎は最後にじっと照姫を見てから去っていった。ようやく照姫と月姫は小十郎の小言から解放される。



「はあ、何が『戦を学んでも何の益もありませんぞ』、よ。それを決めるのは私ですわ」



 照姫は頬を膨らませて怒っている。よほど小十郎の態度が気に食わなかったのだろう。



「お姉さま、ここは素直に米沢に帰られた方がよろしいのでは」


「月、あなたまでそのようなことを言うんですの? 月はお兄様と一緒に天下をとりたいとは思わないんですの?」


「え、私は別にそのようなことは……」


(ただ、お兄様とは一緒にいたいかも)



 照姫はむっとして月姫を睨む。月姫になら自分の気持ちをわかってくれる。そう思っていたのが裏切られたように感じたのだろう。



「と、とにかく、今回はもう動かない方がよろしいですわ。これ以上お父様や小十郎の言うことに反抗しては後からの折檻が厳しくなりますわよ」


「う、折檻は嫌ね」



 照姫は勇猛ぶっているがまだ十代前半の娘である。まだまだ叱られるのが怖い年頃だ。仕方なく、といった様子で照姫はおとなしくなる。その様子に月姫もほっと胸を撫で下ろした。




   ☆☆☆




 数日後、照姫と月姫は米沢城へと戻ってきた。城では二人がいなくなったと大騒ぎになっていたようだ。早馬を輝宗に出そうかという話も出たそうだが、戦に支障が出ては、と城に残っているものたちだけで探していたらしい。


 城に戻ってきた照姫と月姫は自室に押し込められた。側には総傅役もりやく鬼庭左月おにわさげつがじっと照姫と月姫を睨んでいる。傅役として今一度教育をしなおすつもりのようだ。



「じい、これは何かしら」


「万葉集、源氏物語、新古今和歌集でございます」


「それは見ればわかる。なぜ今更そんなものを持ってくるのかしら、と訊いているの」



 左月はジロリ、と照姫を睨む。その鬼のような顔つきにさすがの照姫もたじろいだ。



「今一度、和の心を学んでもらうためです。他にも花嫁修業として学びなおしていただきたいことは山ほどあります」


「せめて書物を変えて欲しいわ。四書五経、六韜三略りくとうさんりゃく、孫子の兵法はないのかしら」


「そのようなものは照姫様に必要ありません。花嫁修業には軍略の何が役に立つのです」


「役に立つ! 私はお兄様と一緒に戦場に出たいのです」



 左月は深いため息をつく。このようなことを言っている限り照姫がこの部屋から出られることはないであろう。照姫のため、左月は心を鬼にしようと決めた。



「照姫様、そのようなことはもうお忘れください。あなたは伊達家の姫ですぞ。戦場に出ることはないのです」



 照姫と左月はにらみ合う。その様子を月姫がオロオロしながら見ていた。




   ☆☆☆




 このようなことが一ヶ月は続いた。


 そうしているうちに政宗が一度米沢に帰ってきた、という報が照姫と月姫のもとに届く。二人は我先にと争うように政宗のもとに向かった。



「お兄様」


「ん、おお、照に月か。良くぞ参った」



 政宗が具足を脱いでいるところに照姫と月姫は到着した。政宗は具足のことなど忘れたかのようにそのまま照姫と月姫に近づいていく。



「ご無事で何よりです」


「うむ、照には戦場で世話になったな」


「そんな、あれは無我夢中で」



 照姫のあの行動を誉めてくれるのは政宗くらいである。それがわかっているから照姫は政宗のことが好きなのだろう。



「月も元気か」


「はい、毎日のように、じいのもとで花嫁修業をしています。これもお姉さまのおかげですね」



 月姫の言葉は少々ひねくれていた。照姫へのあてつけかもしれない。しかし、政宗はそんな月姫も可愛らしく思えたようだ。



「ははは、それは災難だったな。じいにはそれがしからも良く言っておく」


「お願いしますわ。それよりも、そろそろその格好をどうにかした方が良いのでは」


「ん、ああ、これか」



 政宗の具足は中途半端に脱げかけている。これでは体裁が悪い。ようやく政宗は思い出したように具足を全て外した。



「よし、それがしは今から愛のもとへ行く。二人は部屋に戻っていろ」


「行ってらっしゃいませ」


「行ってらっしゃいませ」



 照姫と月姫は二人して顔を伏せる。


 愛とは政宗の正妻・愛姫めごひめのことだ。愛姫は坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろの子孫といわれる田村清顕たむらきよあきの娘である。政宗との夫婦仲はまだ仲の良い子供の域を出ていないが、良好ではあった。



「愛様は幸せ者ですわね。お兄様の寵愛を受けることができるんですもの」


「ええ、まったく……」



 照姫と月姫は政宗が去っていく足音を聞きながらそのようなことを思った。


 照姫と月姫、さらには愛姫も政宗の運命に重大な関わりを持ってくる。そのことはまだ幼い彼女らにはわかるはずがなかった。

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