第2話 初陣

 伊達の当主、伊達輝宗が率いる軍隊は出陣式を済まし、相馬との合戦の前に柳川八幡やながわはちまんに立ち寄った。伊達家の守護神に戦勝を祈願するためである。



「皆の者、良く聞け。今回こそは相馬を覆滅し、積年の恨みを晴らして見せようぞ」



 輝宗の言葉に兵士たちは意気をあげる。輝宗の想いが兵の端々にまでいきわたっている証拠である。



「このたびの合戦は藤次郎とうじろう政宗の初陣である。伊達家の軍神がこれを守ることは必定である。勝利は我らの手にあるぞ!」



 おお~、と感嘆の声が上がる。その声をあげる中に、一際背の低い兵士が二人いた。



「お父様、城ではいつもぼんやりしていらっしゃるのに、戦になりますとガラッと雰囲気が変わりますわね」


「うう、怖くない、怖くない」



 照姫と月姫である。陣笠を深くかぶっているために正体はばれていないようだ。しかし、その華奢な体つきは明らかに屈強な兵士の中では浮いていた。



「怖くない、怖くない」



 月姫は念仏のようにその一言を呟き続けている。反対に照姫はキラキラとした瞳で父・輝宗と政宗を見ていた。照姫にしたらこんな足軽姿ではなく、立派な鎧を着て、一軍の将として働きたいのかもしれない。



(私も、いつかお父様やお兄様のように)



 伊達の軍勢は移動を始めた。しかし、照姫は他の兵士に諭されるまでじっと輝宗と政宗を眺めていたのだった。




   ☆☆☆




 このとき輝宗は四千の軍勢を率いて相馬に向かった。先着の友軍と合わせて総勢一万二千の大軍である。


 政宗は本陣にいて戦況を見守っていた。敵兵が斬られ、味方の兵が首をあげる。その逆もあった。



「父上、遠目で見ているだけでは面白くありません」



 政宗がつまらなそうに輝宗に言う。輝宗もこの政宗の発言には困ったようだ。



「藤次郎、戦場で大将は軽々しく動かぬものだ。大将が死ねば全軍が揺らぐ。そこを敵につけ込まれれば多くの兵の命が失われるのだ」


「それがしは大将ではありませぬ」


「今はそうだが、これから大将になるのだ」


「それがしが大事にしたいのは今でございまする」



 政宗はバッと立ち上がり、後方へと下がっていった。



「藤次郎、どこへ行く」


かわやです」



 輝宗は一つ大きなため息をつく。初陣で敵を怖れないのは良いが、はやりすぎても困る。輝宗は政宗の言動にどこか危うげなものを感じていた。




   ☆☆☆




「……つまらないですわね」



 政宗と同じように、照姫はつまらなそうに立っていた。


 照姫と月姫が配属されたのは政宗の部隊である。当然、政宗が戦場に出なければ照姫と月姫が活躍する機会は得られない。



「私は安心しましたわ。お兄様はおそらく戦場に出られないでしょう。それならば私たちも無事に米沢に帰れるというものですわ」



 照姫と対照的に月姫はほっとしている。このまま戦が終わることを切に願っているようだ。


 その月姫の発言に照姫は不満顔だ。兜首をあげると大口をたたいたのだ。一刻も早く戦場に出たかった。



(きっと、お兄様も同じ想いですわよね)




   ☆☆☆




 数日、戦況は停滞していた。伊達、相馬双方とも一時的に兵を引いている。戦と言っても四六時中弓矢を合わせているわけではないのだ。



「小十郎、小十郎はおるか」



 そんな中、政宗が自分に割り当てられた部隊の宿営地にやってきた。政宗の部隊を実質的に管理しているのは小十郎であった。



「はっ、ここに」



 小十郎はすぐさま政宗に駆け寄った。政宗の顔はどこか強張っており、戦場独特の緊張が見受けられる。



「小十郎、今日こそは戦場に出たい。準備いたせ」



 小十郎はまたか、といった顔つきでため息をつく。ここ数日、毎日のように政宗に催促されては何とかそれを押しとどめていた。これ以上はいくら小十郎でも抑えきれない。



「仕方ありませぬ。今は相馬もおとなしくしておりますゆえ、偵察ということならばお供いたします」


「それでかまわぬ」



 大きく頷く。初めて生で感じる戦場とはどのようなものか。政宗はあれこれと想像を膨らませて身震いをしていた。




   ☆☆☆




 政宗と小十郎は馬上の人となった。ゆっくりとした速度で草木がまばらに茂っている戦場を進んでいく。後には十数人の兵がつき従った。その中に照姫、月姫も混ざっていることを政宗と小十郎は知らない。



「やっと出陣かと思いましたのに、敵がいないではありませんか。敵はどこにいるというのですの?」


「お姉さま、今回は偵察ということです。敵がいないのは良いことですわ」



 照姫は不満そうな顔をしながら政宗の後を追っていく。照姫にも月姫の言うことはわかっているのだが、せっかく米沢城から出てきたというのにこのままでは何も起こらないで終わってしまう。初陣というのはもっと華々しいものだと考えていたようだ。



「これではお兄様も不満でしょうに」


「……そうでしょうか」



 敵がいないということは戦場では良し悪しだ。この場合、敵がいたほうが良いのか、いないほうが良いのか。それは人によって違っていたようだ。




   ☆☆☆




 その時、政宗たちの前方で、おー、と声があがった。これには政宗も驚き、馬の足を止める。



「敵か」



 どうやら相馬も偵察部隊を出していたようだ。それが偶然にも政宗の部隊を発見した。


 政宗の部隊を小勢と見たのか、相馬は偵察部隊だけで打ちかかってきたのだ。



「怖れるな。敵は少ない。こちらもかかれー!」



 政宗は大声を張り上げる。政宗に従っていた兵たちが一斉に相馬の偵察部隊に襲い掛かった。



「遭遇戦とは厄介な。藤次郎様、私から離れないでください」



 小十郎は政宗の前に馬を出し、兵たちに指示を与えた。ここまで接近した遭遇戦だと鉄砲や弓矢は使われなかった。刀槍による接近戦である。



「あわわわ、無理です、無理です」



 月姫は敵が現れるとすぐさま木の陰に隠れてしまった。元々照姫に無理やり付き合わされただけなのだ。戦意というものがあるはずがなかった。


 反対に照姫は声をあげて敵の中に斬りこんでいった。刀を構え、猪のように突き進んでいく姿はどう見ても猛々しい武者である。



「その首、置いていきなさい!」



 照姫の姿はどう見ても歴戦の猛者であった。とても女、しかも初陣には見えない。周りのものも照姫につられて勢いを増していく。



「むっ、あの武者、いい働きをしておる。あの武者に続けー!」



 政宗もその武者が照姫とは気づかずに下知する。図らずも、兄妹での協力する体制となっていた。




   ☆☆☆




 乱戦になった。敵味方が入り混じる。政宗はその中でもどっしりと馬上で構えていた。とても初陣の姿には見えない。


 その政宗に一人の相馬兵が走り迫ってきた。目は血走り、手には長槍、戦場特有の鬼気迫る顔つきをしている。



「藤次郎様、お下がりください」



 小十郎が馬を走らせる。迫り来る相馬兵は長槍を小十郎めがけて突き出した。


 ビュッ、という短い風きり音が小十郎の耳元をかすめる。小十郎はその長槍を手で掴み、ぐっ、と相馬兵を引き寄せた。



「悪く思うな」



 小十郎は刀を相馬兵の首に突き刺した。そのまま力の限り横に薙ぐ。相馬兵の首は半分だけ胴体から離れた状態になった。



「うむ、見事だ、小十郎」



 政宗は小十郎の働きに満足した。しかし政宗自身も小十郎のような働きがしたい。その思いをじっと馬上で押しとどめていた。


 そこに、おー、と声をあげてもう一人の相馬兵が草むらから現れた。先ほどの相馬兵とは反対側からである。小十郎は驚き、急ぎ政宗のもとに戻ろうとした。



「愚かものめ、この政宗の首がやすやす取れると思ったか」



 政宗は果敢にも襲い掛かってきた相馬兵に斬りかかった。この相馬兵も先ほどの相馬兵同様、長槍を持っている。小十郎と同じように対処すれば勝てるはずだった。


 しかし、キンッ、という音が戦場に響く。政宗の刀は長槍に弾かれ、手元から落ちてしまった。



「お兄様!」



 その様子を見ていた月姫が思わず叫んだ。相馬兵は長槍を手元に引き寄せ、今にも政宗の胸元に突き入れようとしている。



「くそっ」



 政宗は咄嗟に脇差を抜こうとする。しかし到底間に合いそうにない。政宗は初陣でその命を散らせる。そう思われた。



「そうは、させませんわ!」



 ザシュッ。


 鮮血が政宗の顔まで飛んできた。もう駄目かと思われたその時、相馬兵の後ろから一刀で首を斬りおとした足軽がいた。その足軽は小柄で、その声はどこか聞き覚えるある声だった。



「お前は……照!?」



 政宗は目を見開きながら足軽の格好をした照姫を見た。そこにようやく小十郎が戻ってくる。


 自軍の不利を悟ったか、相馬兵は退却を始めた。伊達兵はそれを見て逃げる相馬兵を追っていく。



「深追いはするな。我々の目的は偵察である。すぐに本陣に戻るぞ」



 小十郎は戦場に響き渡る大声で指揮をする。それを聞き、相馬兵を追っていた伊達兵はぞくぞくと政宗のもとに戻ってきた。




   ☆☆☆




「それで、どういうわけか説明していただけますかな、照姫様」



 小十郎の質問に照姫はばつが悪そうに笑っている。こうなっては言い訳できるものではない。



「それと、先ほどからそこの木の陰に隠れている者、月姫様ですね。先ほどの声でわかりましたぞ」



 小十郎は月姫が隠れている木をじっと見つめる。観念したのか、月姫はおずおずと姿を現した。



「全く、このことをお屋形様にどうお話すればよいのやら」



 小十郎は天を仰いで嘆息する。照姫はそんなことなど気にしていないかのように政宗に話しかける。先ほどの働きを誉めて欲しいようだ。


 しかし、政宗に誉められても小十郎や輝宗から誉められることはない。まだまだ精神的に未熟な照姫にはそのことがわからないようだった。

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