第4話

 かのんの目が開いた。

 自分のパジャマだ。自分のベッドだ。自分の部屋だ。


「あれ……? ここは……現実……?」


 深い眠りから覚めたかのんは、ぼうっと、部屋を見回す。

 夢の中の夢の更なる夢。

 しかし、寝た感覚というのはさっぱりだった。

 当然である。精神はずっと起きて特訓をしていたのだから。


『ええ、現実よ。身体の具合はどう?』

「えと、あれ……? 傷がほとんどない……?」


 クロードとの戦い。

 その時に受けた傷は、一日で治るようなものではなかった。

 しかし、かのんの身体にはほんの少しの痕が残るだけだ。

 試しにパジャマを脱いで壁にかけられた姿見で確認してみるも、やはり、怪我という怪我はなかった。


『あなたがノルマを超速でこなしたからね……余った魔力を回復に回させてもらったわ』

「すごいんですね、魔法って」

『万能ではないわ。回復にしたって、自分以外にはかけられないし』

「え……? わたしとマリアさんは違いますよね……?」

『説明してなかったわね。マリア・H・A・ナキリという魔法少女はもうこの世にはいないわ。ここにいるわたしは、いわば残留思念のようなもの。鍵のリソースの一部を使ってこの世にしがみついているだけ。そして、この鍵はあなたと合一している。私はすでにあなたの一部なのよ』

「うーん……?」

『まあ、マリアの複製品があなたに寄生しているとでも思っておきなさい』

「な、なんか微妙な気分です……」

『我慢してちょうだいな。言っている私も複雑な気分なんだから』


 魔力によって生きる模造生物。

 それが、マリア・H・A・ナキリの今なのだ。


「ねえ、マリアさん」


 外用の服に着替えながら、かのんは首にかかる鍵に話しかける。


『なにかしら』

「わたしがクロードさんに勝てる確率ってどれくらいかな?」

『……勝率はゼロ、ではないくらいね』


 控えめに言ってだ。

 マリアの作った空間において、かのんは幻影のクロードを討てるほどにまで成長した。

 しかし、再現されたのはあくまで一部。クロードの全てではない。


「うん、それで、いいよ。マリアさん。ゼロじゃなければ……当てられる」

『根性論でどうなる相手でもないわ。野球なら失敗しても次の打席があるでしょうけど、あなたの命はたった一つ。負ければ――死ぬわ』

「ううん、同じだよ。その瞬間は二度と訪れない。たった一度のチャンスしかないの。それに、わたしが勝てないとりりぃちゃんは――」


 かのんは、言葉を詰まらせた。

 震える手をぎゅっと握る。


「だから。ゼロじゃないとかじゃない。100パーセント勝たなきゃならないんだから、わたしは撃つだけです」

『……いいわ。決戦の地へ行きましょう。鍵に念じなさい。そうすれば、道は開かれるわ』


 やり方が鍵から伝わってくる。

 どうすればいいのか。

 トリガーはたった一つの心。


(行こう、『極星火輪』。りりぃちゃんのところまで!)


 空間に、ひびが入った。

 それは弾痕であった。

 かのんは引き鉄を引いたのだ。

 自らの意志で。


「ん……」


 かのんが気がついた時、そこはネガ反転の世界であった。

 ――叛則世界。自分たちの世界の裏側。

 決して触れ合うことのなかったはずの世界。

 そこにかのんは立つ。紅い軍服を身を包んで。

 鍵はすでにアンチ マテリアル ライフル、『極星火輪』へと姿を変えていた。

 一歩進めば、軍靴の音が響く。

 ビルとビルの間の狭い道だ。そこから出ると、メインストリートと思しき広い道に出た。

 かのんの視界に、一つの影が入った。

 腕を組むサメの様な女――クロードだ。


「来たか」


 来ねえはずもねえか、とクロードは続けた。


「――りりぃちゃんは」

「安心しろ。景品はここだ」


 パチン、とクロードは指を鳴らした。

 空間が歪み、大きな球体が現れる。

 その中には、りりぃの姿があった。


「りりぃちゃん!」

「……かのんちゃん」


 傷はない。しかし、憔悴はしているようだ。

 りりぃは気が弱い。クロードに立ちはだかるという蛮勇とも言える行動を起こしたが、だからと言って、この不気味な世界と凶悪な女というセットに順応出来るかどうかは別の話になる。

 ひとまず、リリィの無事を確認したかのんは、深く息を吸い、そして、吐いた。

 『極星火輪』を、クロードに向ける。


「いいね。いい目だ。覚悟のある瞳だ……くくく、及第点ってとことか」


 クロードが指を動かすと、りりぃの入った球体は、クロードの後ろへと、戦闘の妨げにならない位置へと移動をする。


「10分だ」


 クロードの嗜虐的な笑みが深まる。


「10分で、あの球は爆ぜる。肉片一つも残んねーだろうなぁ」

「一秒でも早く、りりぃちゃんを助ける。10分も、5分も変わらない」

「クッハー! いいねえ、その強気さ。すぐにでもぶち壊してやりてえ……! そんじゃあ、やろうかい。先手は譲ってやるよ、ルーキー」


 挑発をするクロード。かのんの返答は、『極星火輪』を上に向けることだった。


「あ?」


 いぶかしげなクロードをよそに、かのんは、一発の弾丸を空へと放った。

 小さな弾丸が、天へと向かう。

 そして。


「――開幕せよ! 紅天! 極真プロミネンス!」


 紅きオーロラが、出現した。

 ネガ反転の世界が塗り替えられる。

 天を覆う紅の幕。

 爆発的なその輝きは、世界そのものを紅に染めた。


「だから? 派手なだけか、こいつは?」

「極光――」


 かのんは言葉を返さない。銃身を向け、引き鉄を引く。ただそれだけ。


「そいつはもう見切ったつーの!」


 タイミングも、その威力も、レンジも。クロードは全て把握している。

 そう思っている。

 だが、ここにいるかのんは、違う。

 敗北を喫したかのんとは違う。


「――ブレイザァアァアアア!」


 ぎりぎりの位置で避け、カウンターを狙っていたクロード。だが、その思惑は大きく外れた。

 前日とは比べものにならないほどの巨大な砲撃。

 戦艦レベルかと思うような、『デカさ』。

 クロードが赤の奔流に飲み込まれる。


「やった、かな……?」

『初撃は当たったわ。だけど、それだけよ、かのん。クロードがたったこの程度で落ちるはずもないわ』


 マリアの言う通りであった。

 クロードは立っていた。なにもなかったかのように。


「あぶねえあぶねえ」

「……あれだけ魔力込めたのに……ちょっとショックかも」

「いーや、中々いい攻撃だった。てめえに対する評価ってもんを変えなきゃなんねえなあ……今度はこっちの番だ、ルーキー!」


 クロードの周囲に、ネガ反転の球体が無数に浮かぶ。


「墜ちなあ!」

「紅翼を!」


 かのんの背中から放射状に広がる紅の翼が現れる。かのんがその場から離脱するや否や、球体から発射された極小の球体が殺到した。

 連鎖して起こる、ネガ反転の爆発。


「おら、逃げ切れるか? 捌き切るか? 見せてみろ!」


 新たに射出された球体が、かのんを追尾する。

 しかし、球体の爆発は、かのんの髪を揺らすことすらしない。


『かのん、ゆっくりしている時間はないわよ』

「うん……分かってます!」


 紅の軌跡を描きながら、かのんは『極星火輪』を構えた。

 スコープを覗き照準を合わせる。ターゲットはもちろん、クロード。


「魔力を圧縮して、最小で最大の一撃を……! フォーシーム・ファスト!」


 閃光となった紅の弾丸が、クロードの額を狙う。


「あ?」


 クロードの姿が、赤の爆発で見えなくなる。

 しかし、かのんは打ち取ったとは思っていない。


「クッハー! いいねえ、中々だ……だが、アタシにゃあ、及ばない」

(……わたしの攻撃を、ものともしていない……)


 本当に勝てるのか。そんな考えが、頭をよぎる。

 かのんは頭を振った。

 それではダメだと。


「……マリアさん」

『生身とは思えない防御力だわ……初撃も、今の一撃も。かのん、ここは作戦を……』

「そんな時間ないです。一直線で行きます」

『ちょっ……』

「いいねえ。アタシ好みだ。浅知恵働かせないで、アタシをぶち抜いてみな」

「……後悔しないでくださいね」


 紅翼が今までの比にならないほど、展開される。


「このチカラ……」


 紅の幕が、より輝きを増す。


「制御できないんですから!」


 銃から撃ち出されたそれは、紅の河であった。

 何もかもを飲み込む、紅。

 標的を狙い撃つことすら捨てた、殲滅するための魔法。

 その威力は極光ブレイザーの比ではない。

 道をえぐり、建造物を砕き、空間を塗りつぶす。


「こいつは……!」


 クロードの視界を、紅が覆う。


「まだまだ!」


 かのんの周囲に、紅のスフィアが何基も並ぶ。

 円状に揃う紅き球。

 クロードの使っていたそれを見て模倣、アレンジしたもの。


「掃射一掃!」


 紅の河をより濃くしながら、かのんはスフィアにオーダーを飛ばす。

 球の一つ一つから、クロードがいるであろう位置へと紅線が撃ち出された。


「ブレイキング!」


 かのんより先に、紅以外の色はない。ネガ反転の世界が染まる。

 血よりもなお紅き河によって。

 しかし。


「驚きだ。昨日の奴と同じとは思えねえな。天変地異クラスの魔法……アタシも長いこと魔法少女を狩ってるが……お前みたいのはいねえよ。まさしく天才って奴だ」


 クロードは、立っていた。

 紅の中で、ポケットに手を突っ込んでいる。

 否、正確には紅の中ではない。

 球体の中に入っているのだ。りりぃのように。


「あれが、原因……!」

「あー、たく、ルーキーにこれバレちまうなんてよー、中々やるじゃねーの。なあ、ルーキー」

『障壁を展開していたようね』

「うん」

「さて、どうする? この殻を破らない限り、アンタに勝ち目はないぞ」

「まっすぐ、ストレートで……! それしか!」

「お前……焦っているな。十分の時間制限じゃない何かに……」


 クロードの目が細まる。戦闘バカな彼女であるが、頭が悪いわけではない。

 かのんの無意識下の焦りを的確に見抜いていた。


「まあ、予想はつくわあな。阿呆みたいな大魔力……代償があって然るべき、だ。んで、このド派手な展開型の魔法。想像するに、お前の魔力を増加する何かしらのギミックってところか……クッハー! さて、あとどれくらい持つ?」

「その前に、あなたを倒します!」

「やってみろや、ルーキー!」


 クロードを包み込んでいた障壁が、膨れ上がる。メインストリートを覆うほどの大きさまで膨張したそれは、一瞬で縮む。


「パーティしようぜ! ド派手になあ!」


 爆発と共に、周囲一帯が吹き飛んだ。

 ビルも、道路も、球状に抉られている。

 なにもなくなった爆心地で浮くクロードの瞳には、狂喜の色がにじんでいた。


「クッハ、クハハハハハ! アハハハハハハ!」


 かのんは笑うクロードに照準を合わせる。


「ブレイザー!」

「クハッ!」


 紅線と爆発が衝突する。


「ッ、散らされた!?」


 今まで、拮抗していたはずなのに。

 ネガ反転の爆発で霧散された自分の魔法。かのんの目に驚愕の色が宿る。


「おいおい、ルーキー。アタシのことなめてんのか? 今までのが全力なわけねーだろーがよー」

「だからって……! わたしは諦めない!」


 何度目かの極光ブレイザー。威力も射程も、前日とは比べものにならない。

 だが、クロードはすでにそれが意味のないものだと分かっている。

 呆れた顔をしながら、クロードは紅の閃光を打ち消す。

 爆風がクロードの髪を揺らした。


「おいおい、そんなもんか?」

「まさか!」


 クロードは気付く。かのんの声の近さに。ネガ反転の爆発が、丁度目晦ましになっていたことに。

 かのんの狙いはそこであった。接近すること。

 紅の光が漏れる『極星火輪』をクロードに向け、かのんは引き鉄を引く。


(これだけ接近すれば、球体を作る時間なんてない。さっき展開していた障壁よりも更に内側に踏み込んだゼロ距離! 仮に障壁があっても、極光ブレイザーを減衰なしの状態で叩き込める! これで――)

「勝った! か?」

「え……?」


 クロードのぎらつく笑みが深まる。


『……ッ! 引きなさい! カノン!』

「もうおせえ!」


 その一連の流れは、かのんの瞳に、酷くゆっくりと映った。

 かのんの目の前に突き出されるは、クロードの掌底。

 そして、見慣れてしまった、ネガ反転の爆発。


『カノン!』


 かのんの身体が、クロードの作った大穴の底へ墜ちてゆく。


「こんだけ近けりゃあ、球ぁ作る必要なんてねーよ。残念だったな、ルーキー」


 どさり、と音がした。


(まずい……! なんて逆境なの……! 普通なら、人質を捨てるところだけど、カノンがその選択を取るはずもない! 三人仲良くお陀仏しかねないわ……!)


 魔法少女と、一般人。この二つには、大きな違いがある。

 イレギュラーと戦える方法を持っているか、いないか。

 世界という視点から見れば、天秤がどちらかに傾くかは言うまでもない。

 だが、かのんが戦う動機は、りりぃたった一人。


「ぁぐ……」

「丁度ドーピングも終了みたいだな」


 紅きオーロラが、消えてゆく。背中から広がっていた紅翼も、徐々にその勢いをなくしてゆく。身体中からチカラが抜けてゆく。

 視界が暗くなる。

 意識が、遠くなる。

 そうして、このまま。


「かのんちゃん!」

「――ッ!」


 かのんの目に焔が灯った。

 守らなければならない人がいる。

 この戦いは、最初からそうなのだから――!


「……九回裏ツーストライクツーアウト、走者なし……終夜かのんは、負けないよ」


 『極星火輪』を、上に向ける。

 天に立つクロードに向けて。


「せめてものはなむけだ……最大の魔法でトドメ刺してやるよ」


 クロードが高々と腕を上げる。その手のひらの上には、クロードの作り出した大穴よりも、更に一回りほど大きなネガ反転の球であった。

 あれが爆発すれば、どれほどの被害をもたらすだろうか。

 かのんの身体など、吹き飛んでしまうかもしれない。

 けれど。怖いという感覚は微塵もない。


「わたしから託された、わたしだけの魔法を……! 極天スーパーノヴァ……!」


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