第3話

 かのんが目を開けたとき。そこには夜空が広がっていた。

 しばらく、ぼうっとし。


「ぁ……」


 思考が戻る。

 脳が回りだす。

 そうして。

 悪夢のような現実が追いついてきた。


「りりぃちゃ……! ッ!」


 勢いよく起き上がろうとしたかのんだったが、全身に走った痛みで、再び元の体勢に――仰向けになる。

 身体が悲鳴を上げていた。けれど、かのんにとって、そんなことは重要ではなかった。


『急に動いてはダメよ。魔法で減衰させたとはいえ、あなたの受けたダメージは大きいものなのだから』


 いつのまにか、首から下げられていた鍵から、マリアの声が聞こえる。

 それ以外は何も変わっていなかった。

 りりぃがいない。それだけを除いては。


「なんで……! どうして……! りりぃちゃんを……!」

『今のあなたになにが出来るというの』


 ぴしゃり、とマリアは言い放つ。


「っ……!」

『クロードとあなたの間には、経験という絶対的な壁が存在しているわ。今日、魔法少女となったひよっこと歴戦の古強者。勝敗は火を見るよりも明らかじゃない』

「でも、それでも……! りりぃちゃんを、助けなきゃ……!」

『わかっているわ。クロードは時間を与えた。ハンディキャップを埋めるための時間を……』


 それがクロードの享楽的な思い付きだったとしても。

 これを利用しない手はない。それ以外の道は存在していないのだ。


『あなたに出来る道はただ一つ。24時間でクロードを倒せるようになること! そのための手ほどきはするわ。血反吐を吐くくらいのことは覚悟しなさい。それだけの差が、あなたとあいつの間にはある!』

「なんでもします……だから、教えてください……!」


 かのんは起き上がる。


「魔法のことを……!」


 ふらつく足を叱咤し、震える膝を叩き、口から血をこぼしながらも。


「ハッピーエンドのために……!」



   ◇



「クッハー!」

「あぐっ」


 ネガ反転の爆発が、かのんを吹き飛ばした。

 爆風の勢いで、かのんの身体が跳ねて転がる。

 見えない壁にぶつかったところで、凶悪な表情を浮かべたクロードの姿が掻き消えた。


「おめでとう、3000回目の敗北よ」

「ぅ……」


 かのんとクロードの戦闘を観察していたマリアが、そう告げた。

 ここはかのんの夢の中であった。舞台はクロードと戦った場所そのものである。

 魔法によって作られた世界。そこで、かのんは3000回クロードの幻影と戦い、同じ数だけ負けていた。


「クロードの幻影には、私の記憶している限りの行動パターンを叩き込んでいるわ。本物はその上をいくでしょう。残念だけど、現時点であなたがリリィを救える可能性は皆無に近い」


 ここまでの事態になってしまった原因はマリアだ。そのことを承知している。だからこそ、自分の全てを賭けて、かのんを教導する。

 一般人のかのんから、魔法少女のかのんへと。

 そうしなければ、クロードには勝てない。

 つまり。

 りりぃを。


「つぎ……つぎ、おねがいします……」


 3001回目の戦闘が始まる。

 マリアが作り出したクロードは、挑発的な笑い声を挙げながら、ネガ反転の大爆発を起こした。


(たった9歳の女の子……あまりにも過酷な状況。けれど、決して折れないのね……それが生来の気質か、それともあの子のためなのかは分からないけれど……諸刃の刃とも言える危うさがあるわ)


 かのんはたった一つの文句も言わない。

 ひたすらに、マリアの望むことをやっている。それしか方法がないということを差し引いても、それは異常とも言える光景であった。

 十にも満たない少女が、歯を食いしばって、永遠とも言える戦いを続けているのだ。


「我々の生きるこの世界――基底世界の裏側。叛則世界。基底世界が物質的な法則で動くのに対し、叛則世界は精神……心のチカラに左右される」


 爆発を避けたかのんは『極星火輪』を構え、クロードに向かって紅い光線を撃ち出す。

 だが、ネガ反転の爆発で威力を殺され、代わりとばかりにクロードが爆発を圧縮したビー玉状のモノを射出する。


「ここの時間の流れは現実の世界とは大きく異なっているわ。とてつもない速度で加速している。ここでの時間は基底世界では一瞬なの」


 クロードからの攻撃は苛烈になる一方であった。

 爆発に次ぐ爆発。かのんはどこがセーフティゾーンなのかすら分からなくなる。

 そして、爆風が叩きつけられ、かのんは倒れた。

 何も変わらない、3001回目の敗北であった。


「私が叛則世界から持ってくることが出来た魔力は、約700時間分……およそ一ヶ月の間で、クロードと戦えるだけの実力をあなたは得なければならない!」


 かのんはまた、立ち上がる。

 途方もない繰り返しに立ち向かおうとしているのだ。


「次……! 次を!」

「いいえ。ここでやめましょう」

「どうして、ですか……!」

「肉体的な疲労はなくても、精神的な疲弊は蓄積するの。あなたの精神力は桁外れだけど、今のままではあなたが壊れる。非効率的にもほどがあるわ」

「平気です! これくらい! わたしがやらなきゃいけないんです! わたしが、りりぃちゃんを……」


 ふらり、とかのんの足がふらめく。身体中から力が抜けていった。

 『極星火輪』を立てて身体を支えるが、それすらも無駄で。

 かのんは座り込んでしまっていた。紅い軍服が消え、パジャマ姿になる。


「ほら見なさい。それに、あなたにはある程度事情というものを知っておいてもらわないと」

「事情……?」

「そう。私たち魔法少女と彼女たちイレギュラーの」

「そんなの……いらないです」

「そうかもしれない。けれど、あなたは魔法少女になった。知らなくてはならないわ。クロードがなにものであるのか」


 虚像のクロードがにやりと笑いながら、掻き消えた。どこにはもう誰もいない。

 否、元々、誰もいなかったのだ。


「あの人が誰かなんて興味ないです……!」

「困ったわねえ……」


 いいまで聞き分けが良すぎた。

 かのんの初めてのわがままだ。だが、マリアにそれを叶えるつもりは毛頭ない。


「あなたが休憩をして、こっちの話を聞かないと私は訓練を再開しないわ。意地悪かもしれないけれど、それだけ重要なことなのよ。休息も、情報も」

「わかり……ました」


 どことなくぼうっとしながら、かのんは了承する。


「もう分かっているでしょうけど、魔法少女とイレギュラーは敵対しているわ」


 何もない空間からティーセットを出し、マリアは紅茶を注ぐ。

 いる? とかのんに聞いたが、かのんは首を横に振った。

 かのんに何かを飲むような余裕はなかった。


「その理由は基底世界と叛則世界の関係にあるの。この二つの世界は表と裏。決して触れ合うことのなかった世界……コインは表と裏が繋がっているわけじゃない。けれど、縁の部分で繋がっている。イレギュラーはコインの縁の部分を使った」


 マリアの手に一枚のコインが現れる。

 かのんには見覚えがない。外国の通貨であることくらいしか分からない。


「そこからは簡単よ。自分の世界を広げるために彼女たちは行動を始めた……侵略戦争ね」


 マリアの着る白いコートが揺れる。


「それを防ぐのが、私たち魔法少女の役目」


 それはいつから始まったのか分からない、歴史には残らない戦いの記憶。

 数多の魔法少女たちがイレギュラーと呼ばれる存在たちと戦い、そして散っていった。

 マリアのように。

 終わらない戦争は、今も続いている。


「私たちは戦わなくてはならない。この世界のために!」

「……世界のことなんて、よくわかりません……でも、人が傷つくのは、いやです……りりぃちゃんが傷つくのは、もっといや……」


 ぽろぽろと、かのんの瞳から涙が零れだす。

 戦うことで目を逸らしていた現実が、やってきたのだ。


「ひっく、りりぃちゃん……」

「………………」

「ぅ、うう……」

(声をかけられないわね……私には、その資格がない……)


 マリアはぎゅっと口を結ぶ。どうしようもなかった。どうしようもなかったのだ。

 マリアだけの責任ではない。けれど、かのんの運命は、あそこで大きく変わった。

 変わって、しまった。変えて、しまった。

 泣き疲れて眠るかのんを、マリアはじっと見る。


「夢の中の更なる夢の中へ……眠りなさい。今はただ……」


 『極星火輪』にはめ込まれた紅の宝玉が、鼓動するように明滅していた。


(まだ……まだ……! あの人を倒せるまで……りりぃちゃんを助けられるまで……! 足りない……! 全然……! だから、チカラを……! 守れるチカラを!)


 かのんの意識は、落ちてゆく。

 深いところへ。

 奥深いそこへ。


「――ちゃん」


「――んちゃん」


「かのんちゃん!」


 聞きなれた声を聞いた気がして、かのんは目を覚ました。

 それが誰の声かを認識すると同時に、かのんは飛び起きる。


「りりぃちゃ――じゃ、ない。あなた、誰……?」


 かのんは首を傾げた。

 目の前に立っているのは間違いなく、りりぃだった。

 しかし、りりぃではないと、かのんは感じる。

 外身だけがりりぃの形を取っているような、そんな違和感。

 その違和感は果たして正しかった。


「分かっちゃうんだね。かのんには」


 りりぃの姿をした誰かがにっこりと笑う。

 やっぱり違う。りりぃとは違う笑い方だ。かのんはそう思う。


「ずっと一緒にいたんだもん……りりぃちゃんのことで知らないことはないよ」

「ふーん」


 かのんは周りを見回す。

 なにもない。

 ほんとうに、何もないのだ。ただ、透明な空間がどこまでも続いている。上も下も、右も左も、どこもかも全て。

 白ですらない透明。それを説明する術を、かのんは持ち合わせていなかった。

 そんな場所に、かのんは浮いている。上も下もないような世界で。


「……なんでりりぃちゃんなの……?」

「ちょっとしたいたずら。あなたの大好きなものはわたしも大好きだから」


 りりぃの姿をしていた『誰か』は、一瞬でかのんへと変わっていた。


「え……?」

「不思議?」

「う、うん……」

「なにも不思議じゃないよ。ここは夢の中の夢の、更なる夢の中。何でも出来るし、何にも出来ない。だって、夢だもの」

「う……?」


 かのんが首をかしげる。それにもう一人のかのんは分からないよね、とにこにこしながら言った。


「でも、驚いたなあ……」

「えと、なにが……?」

「魔法少女になりたてなのに、ここまで来ちゃうなんて」

「そんなにすごいことなの?」

「とってもすごいよ」

「ふーん……」

「実感出来ないのも無理ないよね」

「わたしは、わたしのやれることをやるだけだから」

「ん。どれでこそわたしだよ。終夜かのんはそうじゃなきゃ」

「なんか……変な感じだね」


 わたしなのに、わたしじゃない。同じだけど、違う。そんな感覚。


「そうかも」


 ふふ、ともう一人のかのんは笑みをこぼした。


「おしゃべりはこの辺りにして……鍵を」

「鍵?」

「鍵を、出して」

「えっと……」


 首に下げた鍵を、かのんは外す。

 改めてみると、鍵というには少しばかり、大きい。そして、古い。

 どこかの屋敷の鍵と言われても通じるようなアンティーク調の鍵だった。

 それを、かのんは素直に渡す。


「はい」

「これは、可能性の鍵。あなたの鍵。閉ざされた扉を開ける鍵」

「扉……?」

「扉っていう形にはこだわらなくていいの。あなたには、今、チカラが必要でしょう? わたしなら、それが出来る」

「強く、なれるの?」

「なれるかもしれないよ。わたしが解き放つのは、運命の選択肢を増やすだけ。可能性を掴めるかどうかはあなた次第」

「りりぃちゃんを守りたいの。だから――だから、チカラを貸して」

「うん」


 もう一人のかのんが鍵を両手で包み込む。

 すると、手の隙間から、紅い光が漏れ始めた。

 徐々にその光が強くなってゆく。

 かのんの目が細まる。光の奔流が空間の透明を埋めていくのが、うっすらと見えた。


「きゃっ」


 一際、紅の光が輝いた。

 かのんは思わず顔を覆う。

 そうしてしばらく。光が引いたのを確認したかのんは、ゆっくりと目を開いた。


「わあ……」


 紅い光が、降っていた。

 煌々と輝く紅が、雪のように降り注ぐ。


「はい、鍵を返すね」

「あ、うん」


 かのんはもう一人のかのんに鍵を手渡される。

 見た目に変わったところは見えない。

 それでも、なにかが変わったのがかのんには伝わった。

 力強い脈動と共に、チカラがかのんに流れ込む。


「ん……」


 かのんはそれに心地よさを感じた。

 強く、それでいて、優しいチカラ。

 気付けば、かのんは紅い軍服を纏っていた。


「……すごい……」


 暖かい。

 かのんの頬が朱に染まる。

 高揚感が湧いてきた。

 なんでも出来るような感覚。

 けれど、かのんはそこで舞い上がらない。舞い上がった結果が、クロードへの敗北だ。


「……行ってくるね。ありがとう」


 紅い光翼を広げ、かのんは紅い空へ昇る。

 その姿がかすみ、消えたときに、もう一人のかのんは一人言葉をこぼす。


「行ってきて。お願いよ、かのん。りりぃちゃんは大切なトクベツなんだから……決して、諦めないで――」


   ◇


 かのんは目を覚ました。夢の中の夢。その更なる夢の中から。

 一瞬、都合のいい夢であったのかと思うかのんであったが、即座に違うと否定する。

 紅い軍服と、身体に満ちるチカラが、伝えてくるのだ。


「おはよう、ございます」


 クロードの幻影と共に立っていたマリアに挨拶をする。

 頭がすっきりと冴えていた。

 深い深い眠りから覚め、頭の霧が晴れたような感覚だ。

 恐怖心すら抱いていたクロードの幻影なんてもうなんとも思わない。

 勝てる勝てないではない。

 立ち向かえるようになったのだ。


(顔つきが変わったわね……そして、魔力もより研ぎ澄まされてる……短時間でこうなるということは、ブレイクスルーを迎えたということ意外考えられない……規格外というか、なんというか……)


 驚愕していることを微塵も悟らせず、マリアは言う。


「さあ、続きを始めましょう。リリィを助けるために」


 それはマリアの、せめてもの贖罪だ。巻き込んでしまった罪。守れなかった罪。十字架を背負わせた罪。


「はい! よろしくお願いします!」


 せめて。守らせてあげたい。

 マリアは目を瞑る。神に祈るような面持ちで。

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