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「あ!危ないっっ!」


振り返ると同時に、僕の視界は暗く覆われ、大きく冷たい金属に54キロの体ははねとばされていた。


「ご、ごめんねぇ!大丈夫っ??」


どうやら僕はマーチング終わりの吹奏楽部員が持つ、チューバにぶつかってしまったらしい。

チューバは傷一つなかったが、はねとばされた僕のほうは、尻餅によるお尻の痛みと両手のひらに擦り傷ができていた。


今にも泣き出すか弱そうな子供にみえているのか、まわりにいたチューバ以外の吹奏楽部員も心配そうに集ってきて、無関係な下校生徒もなんだなんだと覗くくらいざわついていた。

チューバと言えど、女子生徒にはねとばされた男子というのは聞こえも悪いし、恥ずかしい。

僕は目をつむりがちにその場をそそくさと去っていった。

どうしてか、走った方向が校門の外ではなく、また校舎に戻ってきてしまっていた僕は、すぐさま振り返ろうとしたが、ふとあの言葉をよぎった。


「なんでも、先生がめちゃくちゃ可愛いわけよ!」


塩野くんが体育の授業中に話していたセリフだった。

自然と目線が靴箱を通して保健室にいった。そしてじわっと血が滲み、砂のついた手のひらをじっと見つめた。

開いているのだろうか。

いや、用がなければ開いていないと言っていた。

でも…

稀に放課後は開いている…。


僕は興味本位に保健室を尋ねてみた。



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「あ、あれ…。神崎さん…」


そこには窓を全面にあけ、なびいたカーテンから見え隠れする彼女の姿があった。


神崎さんって保健委員だったのかな…。

そう問いかけようとするや否や、僕の言葉は彼女の言葉にかき消された。


「どうしたの。その怪我」


「え、あ、あ、うん。ぶつかって倒れてしまって…」


”はねとばされた”とは、どうしても言えなかった。


「消毒するよ。座って」


さっと丸い回転椅子を案内され、手際よく棚なら薬品や用具を取り出す。

初めての保健室をもっと隅からじっと見たかったのだが、僕の目線は彼女から離れようとはしなかった。


「あったあった。痛いけどじっとしててね」


彼女は僕の座るすぐ前の回転椅子に腰かけた。

近い。

隣の席といえど、こんなに真正面で間近に彼女を見たことはない。心臓がどこか遠くへ行ってしまいそうだった。それでも僕はこんな機会はないと、瞬きする回数を減らそうとまでしていた。

まつ毛も一本一本はっきりとわかる。

清潔感のある香りもほのかに漂う。

黒髪だと思っていたのによくみると、少し茶色も入り混じっていた。


「よし、終わり。お風呂痛いと思うけど」


「あ、うん。ありがとう…」


しばしの沈黙だった。

特に何も悪いことはしていないのだが、こっちが気まずくなってしまう。

何か言わなきゃ。何か。


「あ、あのさ…―

「しーずーこーせーんせっ」


三年生だとわかる紺色の校内スリッパを履いた生徒が、慣れたように保健室を訪れた。


「腹いてーの。寝かせて~」


「だめよ、私、もう帰るんだから」


僕は二人の会話よりも、先に保健室を一周みる。

当然、そこには誰もいなかった。



「またデートまで時間つぶす気でしょ。残念でした」


「デートじゃねーし」


諦めも早く、その三年生は保健室に足を入れることもなく、扉をしめて去っていった。

後に残ったのは、先ほどと変わらない沈黙。

だが、僕は目を大きく開いて、彼女を見ていた。

消毒液を棚に直し、振り返った彼女は、

いつも通り意地悪そうな顔をしていた。



「クラスメートもだけど、教員の顔と名前も覚えなきゃね。溝地千里くん」

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