第13話 恩田助教授の話
「いいんですか?」
恩田助教授が義父である新山教授に問いか
ける。
「放っておくと私たちの目的に悪影響を及ぼ
すこともあるだろう。彼らが綾野君に辿り着
いても何ら問題はないが私たちの目的は知ら
れてはならない。最後の秘密はどんな手を使
っても守る。肝に銘じておきたまえ。」
「判りました。」
二人の会話を隣室で聞いている杉江統一は
自分たちのやっていることは正しいのか、そ
れとも神への冒涜なのか、判らなくなりつつ
あった。教授は尊敬しているし、その目的は
心情的に充分理解できる。恩田助教授も同様
だ。研究に対しての興味も大きい。但し成功
してもどこにも発表できない研究は、どうな
のだろう。
あと新山教授が酷く自分を信頼しているこ
とが腑に落ちない。この計画の開始時から特
にだ。最後の最後、保険として自分が切られ
る可能性も高いと自覚している。『助手が勝
手にやったことだ。』と言い逃れされること
が充分考えられる。その時はその時で、自ら
の研究として公にできるのなら、それでもい
いと思っていた。家庭環境の悪い状況で育ち、
現在は身寄りもいない杉江にとって新山教授
は親のようなものだと感じている。狂った研
究者としてでも後世に名を残せるのなら、そ
れはそれでアリだと思っていた。
「それでは私と岡本君、それと結城記者で綾
野先生を訪ねてみましょう。」
恩田助教授は綾野の行方は既知の事実とし
て認識されているかのような言い方で生物学
室を後にしたのだった。
恩田助教授と一緒に心理学病棟を訪ねるの
は一日置いての明後日と決まった。それまで
は特にすることもないので岡本浩太と結城良
彦は当日の朝、恩田助教授の控室で待ち合わ
せることにした。あと数日でアーカム財団の
マリア=ディレーシアが戻るはずだが、折角
の機会を先送りする訳にもいかない。
岡本浩太はもうすぐ3年生になるが、この
2年の様々な出来事を思い出し、もう自分に
は普通の人生は送れないのだと思っていた。
綾野も当然そう考えているだろう。でもどこ
かに監禁されていたり自由が奪われているの
なら、それは同じ境遇であることも含めて解
放する努力は惜しまないつもりだった。
生物学部の新山教授や医学部の恩田助教授
(この春からは准教授という名前になるらし
い)とは親しくなったが、担当の教授には睨
まれている。講師である綾野と親しいことも
気に入らないらしいので、春の進級は望めな
いこともあり、大学を辞めようかと考えては
いるが綾野の件が片付かないと学外に出る訳
にはいかなかった。学内を自由に行き来でき
るメリットは大きい。但し、行方不明の綾野
本人のことも含めて、この件が終われば大学
を去らざるを得ないと感じていた。
結城良彦は本来の仕事に戻っていた。地方
に取材で出張中の身なので東京にいるほどで
はないがあるていど時間は拘束されるのだが
綾野の行方の方が言い方は不謹慎かもしれな
いが興味があった。正直地方出身代議士の汚
職事件なんてどこにでもある話なので余程の
大物でないと大したニュースにもならないだ
ろうし、場合によってはもみ消される可能性
も否定できない。とりあえず明後日一日の予
定をやり繰りして慌ただしく取材を詰め込ん
でいるのだった。
結局アーカム財団からはマリアが戻ったと
の連絡はなく、恩田、結城、浩太の三人で琵
琶湖大学付属病院心理学病棟にに乗り込むこ
とになった。
心理学病棟は湖北にある本校とは別に湖西
に建てられている。琵琶湖畔ではあるが周囲
は高木で覆われているので周辺から中の様子
は覗えなくなっている。恩田の車で乗り付け
た三人は早速受付へと向かった。
「あっ、恩田先生、おはようございます。」
病棟の受付職員の方から声をかけてきた。
「おはよう。一昨日電話しておいたけど、地
下を案内したいので、よろしく。」
「はい、お聞きしています。ここにお名前を
いただいて、この入館証を付けていただけま
すか。そちらのお二人だけで結構ですよ。」
言われる通り名前を書いてプレートをもら
い胸に付けた。
「では、こちらへどうぞ。」
案内しようとする職員を恩田が止めた。
「いや、地下の鍵を貸してくれないか。僕が
案内するから。」
「先生、ご存知かとは思いますが、規則で必
ず一人は職員が付くことになっておりますの
で。」
「判ったうえで頼んでいるのだけど、駄目な
のかな?」
「申し訳ありませんが、ご要望にはお応えか
ねます。どうしても、と仰るのならご見学は
許可できません。」
断固たる職員の態度に恩田は仕方なく折れ
た。
「判った、君に案内してもらおう。」
「館内には危険な場所もございますので、ご
了承ください。では、こちらへ。」
この手の対応には慣れているのだろうか、
その職員は20代前半の若い女性にもかかわ
らず譲らなかった。自由に歩き回ることはで
きないようだ。
職員を含めて四人は地下に向かうエレベー
ターに乗った。セキュリティカードを翳さな
いと動かないようだ。
「地下1階は女性患者、地下2階は男性患者
が入院されています。地下3階より下は研究
病棟なので今回はご案内いたしません。では
まず地下1階をご案内しますね。」
恩田助教授から事前に得ていた情報とは違
う説明だった。地下3階は確かに研究室が並
んでいるらしいが地下4階と5階は隔離病棟
で地下6階は恩田助教授も足を踏み入れたこ
とがなく情報もない、とのことだった。恩田
助教授の考えでは、綾野はこの地下6階にい
るのではないかと言うことだった。いかにし
て地下6階に降りるかが問題だ。
地下1階に降りると、そこは長い廊下の一
番端だった。長い廊下が続いており、その両
側に部屋が配置されている。いくつかのドア
をみてみると、ドアの向こうに小さな部屋が
あり、その向こうにまたドアがあって、奥が
病室になってるようだ。
一つ目のドアの横には部屋番号が貼ってあ
るが患者名は出ていない。
「病室に患者名は出ていないのですね。患者
の間違いとかは大丈夫ですか?」
結城が質問してみると
「はい、全ての患者さんは腕にICチップ付
きのベルトをしていますので、投薬の時や点
滴はそのチップを確認してますから間違いは
ありません。」
名前が出ていない理由を本当は聞きたいの
だが、そこはとりあえず我慢することにした。
しばらく四人で廊下を進んでいたが、景色は
全く変わらない単調なものだった。両側のド
アが規則正しく並んでいるだけだ。色の基調
が白一色なので、普通の精神状態の者でも何
らかの異常を来たしそうだ。
廊下のほぼ中央付近にナースセンターらし
く職員が詰めている部屋があった。但し通常
の病院のようなカウンターがあって中が見え
る造りにはなっていない。病室よりも大きめ
なドアがあるので、そうだろうと推測できる
だけだ。うっかりすると見逃してしまうだろ
う。
「ここが看護師や職員の詰め所になります。」
案の定、案内してくれている相馬という名
の女性が説明してくれた。
「なんだか病室との区別がつきにくくて間違
いそうですね。」
岡本浩太が素直な感想をいった。
「万が一患者が病室を出てしまった時のシェ
ルターになっていますから、わざと判りにく
くしてあるのですよ。」
「いままで、そんな事態になったことはある
のですか?」
結城が聞いてみると相馬は少しだけ『しま
った』というような顔をした。
「もちろん、そんなことは今まで一度もあり
ませんし、今後もないでしょう。」
平静を装っていたが、その口調からは到底
事実だとは思えなかった。
「トイレをお借りしてもいいですか?」
予め決めてあった合図だ。どうしても下の
階に行くタイミングが図れないときは岡本浩
太がトイレに行く、と行って一旦離れてしば
らく戻らないようにし、『トイレにいない。
どこに行った?探さないと。』という流れで
結城と恩田がバラバラに浩太を探すことにし
て案内の人を撒く作戦だった。もちろん浩太
はトイレに隠れて、他の二人が探しに行った
後に地階へと向かう予定だった。
職員の相馬にトイレの場所を聞いて向かっ
た浩太は、中で意外な人と出会った。
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