第8話 綾野の捜索

 まず最初に尋ねたのは琵琶湖大学医学部の

恩田助教授だった。岡本浩太が一度綾野祐介

の消息を聞いていたのだが、その時はまとも

に答えてもらえなかったからだ。


「綾野先生ですか、そういえばこの間の四月

の二三日に検診の予定だったんですが、みえ

なかったですね。定期的にデータを取ってい

たのですが。どうかされたんですか?」


 単純にとぼけているのか、元々無表情なの

で見抜くことが出来なかった。あまり追求し

ても埒が明かないので結城良彦と岡本浩太は

その場を辞した。


「恩田助教授からは情報を得るのは難しそう

だね。」


「そうですね、でもどうしましょうか。」


「他の関係者には連絡が取れるのかい?」


「桂田は行方不明です。病院から抜け出して

一度保護されたんですが、また何処かに行っ

てしまったんです。自分の意思ではほとんど

動けない状態だったんで、誰かに拉致された

可能性が高いと思います。警察にも家族が届

けたみたいですが、いまのところ何の情報も

ないようでした。橘教授は自宅で療養中と聞

いていますけど。」


「たしか、この大学の教授もひとりなんとか

っていう山に一緒に行ったんじゃなかったか

な。」


「ああ、新山教授ですね。そうですね、新山

教授のところにいってみましょう。」


 ふたりは生物学教室の新山教授を訪ねてみ

た。しかし、あいにく教授は留守だった。岡

本浩太の同級生である杉江統一は在学中に既

に新山教授の助手を務めているのだが、彼だ

けが控え室に居た。


 杉江統一に結城良彦を紹介した岡本浩太は

直ぐに本題に入った。


「それで新山教授は今日は何処にいかれたん

だい?」


「教授は学会で熊本にいっておられます。帰

りは明日の午後になると思いますけど。本当

は学会なんて行ってる場合じゃないんですけ

ど、なんでもどうしてもやらなきゃいけない

講演があるとかで。」


「なぜ行ってる場合じゃないんだい?」


「大切な実験の最中だからですよ。ほんとに

大切な、ね。」


 詳しくは言わないが杉江の話はかなり思わ

せぶりだった。話したいのだが話せない、そ

んな感じがした。元々功名心の強い青年なの

だ。自分が教授と行っている実験の重要性を

示唆しているが、今の段階ではその内容まで

は話せない、というところだろうか。


「ところで、綾野先生を知らないか、最近こ

こに立ち寄ったとか。」


 岡本浩太が本来の目的について質問した。

何故か杉江は、おやっ、という表情で答えた。


「最近はみえてないけど。そういえばこの間

教授宛に電話はかかってきたけどな、でも内

容は知らない、教授も話してくれなかったし。

戻られたら直接教授に聞いてみたらどうだ。」


 多少突き放したように杉江は話はここで終

わり、というような顔をした。しかたないの

で、教授が戻られる頃に再び訪れることにし

て二人はその場を立ち去った。


「とりあえずは、明日新山教授を訪ねてみる

しかないね、僕も一度大阪のホテルに帰って

明日もう一度こっちに来るようにするから。

その間にできるだけ手を尽くして綾野先生の

消息を当たってみよう。それなりの情報網は

ある筈だから。」


「お願いします、結城さん。僕も心当たりを

当たってみます。」


 とりあえず、また明日、といって二人は分

かれたのだった。



 翌日、結城は昼過ぎに岡本浩太の部屋にや

ってきた。何か情報を掴んだ様子だった。


「何か判りましたか、結城さん。」


「ああ、多少のことはね。橘教授には会うこ

とが出来たよ。自宅で療養しておられた。精

神的にはかなり参っているみたいだったけれ

ど、体のほうは何の問題もない、と言ってお

られたよ。綾野先生の消息には心当たりはな

いそうだ。それと、最近自身の遺伝子に残さ

れているの記憶が、少しずつ甦り

つつある、とも仰っておられた。何か思い当

たったら連絡をくれるそうだ。途方もない話

だね。どんな、気持ちなんだろう、自らが

の子孫である、ということが判った

りしたら。」


「僕も子孫ではないですけど、一部は

の遺伝子を取り込んでしまいましたか

らね。もう、結婚は出来ないと思っています

よ。子孫を残すなんてとんでもない話です。

こんな思いは僕の代で終わらせないと。」


 結城良彦は岡本浩太の顔をまざまざと見直

した。不用意に彼の心の傷を突いてしまった

こともさることながら、若い浩太がしっかり

と自分を失わずに生きていこうとしているこ

とに驚きを覚えたのだ。ただの若造ではなか

った。


「すまないね、余計な話だったな。」


「いえ、いいんです。それより、僕も心当た

りのある何人かに聞いてみたんですけれど、

僕の叔父のところに最近電話があったらしい

んです。」


「あったらしい、とは?」


「ええ、実は留守番電話にメッセージが残さ

れていただけで、叔父も叔母も直接は話せな

った、という話なんです。」


「それで、そのメッセージにはなんと?」


 録音されていたメッセージは、


「ご無沙汰しています。綾野です。ちょっと、

勇治に相談があるから、近いうちにそっちに

行きます。では、また。」


 というものだった。この時点では行方を暗

ませる様子はなさそうだ。相談、とはどのよ

うなことだったのだろう。


「相談内容に心当たりはないか、叔父に尋ね

てみたんですけど、特に思い当たらないそう

です。ほんとに綾野先生はどこに行ってしま

ったんでしょうね。」


「君に何も言ってない、ということは、何か

突発的な出来事のために姿を消したとしかお

もえないがね。そうだ、そろそろ新山教授を

訪ねることにしよう。」


 二人は熊本から戻っているはずの新山教授

を生物学教室に訪ねるのだった。

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