第8話 データの検証①

「桂田君はまだ行方不明のままなんだね。」


 答えは判っていたが聞かずにいられない綾

野祐介だった。


「ええ、実家の方にも一切連絡を取っていな

いみたいです。」


 岡本浩太は桂田利明が病院から姿を消して

以来ずっと行方を探しているのだが、今のと

ころ何の手掛かりも得られていなかった。


「橘の消息も掴めないままだしな。」


 橘良平の行方はイギリスに入国した後全く

掴めていない。恩師という人に連絡をしてみ

たが、来ていないし連絡もないという返事だ

った。


「そういえば、新山教授はどうしているのだ

ろう、あれから何の連絡も無いけれど。」


 新山教授は何等かの約束をツァトゥグアと

交わした筈だった。何もないのにヴーアミタ

ドレス山の洞窟までついて来るはずがない、

というのが綾野と岡本浩太の共通の認識だっ

た。


「杉江にちょっと探りを入れてみたんですけ

ど、あまり話してくれないんです。新山教授

の個人的な話が深く関わっているらしくて。

でも、杉江はそれがひいてはすべての人類に

とっての希望となるはずだと言っていました

からある程度予想できそうな話ではあります

よね。」


「そうだな、教授には病弱な娘が居ると聞い

たことがある。その辺りなんだろうな。」


 不老不死の研究をしている、と噂されてい

る新山教授だった。教授によってトカゲの再

生能力を応用する動物実験はかなり進んでい

るといわれている。ツァトゥグアの細胞を持

ち帰ったとしたら相当なデータが得られるだ

ろう。もしかしたら本当に不老不死が可能に

なるかもしれない。新山教授ならば、と思う

綾野だった。


「この実験結果は特に興味深いものがあるね、

杉江君。」


「確かに。でも何を意味しているのでしょう

か。」


「例の遺伝子を同時に組み込めばかなりの確

率で効果がある。ただ問題は効果が無い部分

が存在する、ということだな。」


 世間で噂されている通り、新山教授と杉江

統一はある種の実験を繰り返していた。ただ、

それは不老不死の実験ではなかった。


「もう少し繰り返してみよう。脳と心臓、こ

の二つが蘇生しなければ何の意味も無い。」


「教授、あせりは禁物です。時間はもう少し

ある筈です。確実な方法を見つけ出しましょ

う。」


 杉江には新山教授のようにこの実験を続け

る個人的に理由は無い。ただの好奇心だった。

ただそれだけに、個人的な理由を持っている

教授のためにこの実験を成功させたいと思っ

ている。


「ところで杉江君、例の遺伝子は一体何処で

手に入れたものなのだね。人間の遺伝子が突

然変異したものとも思えない。ツァトゥグア

から採取したものとも似ているが違う。より

人間に近いものだ。」


「それは。」


「聞かない約束だったな。まあいい、いずれ

君から話してくれる時を待つとしよう。」


「すいません、教授。遺伝子を渡してくれた

人とそういう約束をしたものですから。」


 例の遺伝子。それを杉江統一に渡した人間

の正体は杉江にも判らない。ただ相手は杉江

達がヴーアミタドレス山の洞窟から何を持ち

帰ったのかを正確に把握していた。


「僕が誰か、ということより実験を成功させ

ることが大切だとは思いませんか。ツァトゥ

グアの遺伝子をそのままどのようにして組み

込もうと成功はしません。これはツァトゥグ

アではありませんが、別の旧支配者のもので

実験済みです。僕たちの実験よりも彼方達の

方が数段優れた実験者のようですからある程

度の成果はでるでしょうが、必ず行き詰まっ

てしまうでしょう。そこで必要になるものが

これなのです。人間と融合したツァトゥグア

の遺伝子。こまで言えば誰の物かは判るでし

ょう。」


「まさか、行方不明になっている?」


「その通りです。彼の身柄は僕達が確保して

います。もう一人、橘という人も。」


「橘といったら綾野先生の後輩でイギリスに

行ったまま行方不明になっている人だな。君

達の目的は一体何なんだ。」


「彼方達とそれほど違わない、とでも言って

置きましょうか。そして、その二人は彼方達

に対する人質でもある、と言う事もね。」


 それは杉江とほとんど変わらない若い男と

女だった。女のほうは一言も話していない。


「どうしろと言うんだ。」


「この遺伝子を使って実験を完成させて欲し

いのです。それが人類にとって有意義である

のならば、そう願うのは当然でしょう。」


「ならどうして人質なんかを取ったりするん

だ。普通に協力してくれればいいじゃない

か。」


「僕達には僕達がやりたい実験もあるのです

よ。それと実験データはすべてコピーを頂き

ます。新山教授も彼方も実に有能だ。成功さ

せるのも早いでしょう。ホラー映画のゾンビ

のような半端な死者蘇生では無く完全なる死

者蘇生をね。」


 杉江統一には逆らう術は無かった。


「確かに杉江君の行動には不審な点が多い。

ただ今のところ私の研究に多大な功績を生み

出していることも事実なのだ。」


 綾野祐介は生物学教室に新山教授を訪ねて

いた。ヴーアミタドレス山の洞窟から持ち帰

った筈のツァトゥグアの細胞について、教授

に糾すためだった。拍子抜けするほど教授は

事実として認めた。そして、その後の研究の

経過を説明してくれたのだった。ただ、ツァ

トゥグアの細胞の他にもう一つ重要なものが

杉江統一によってもたらされたという話だっ

た。それは多分人間の遺伝子なのだろうが、

完全に人間とは云えないものだ。もしかした

ら岡本浩太か綾野自身の物ではないだろうか、

というのが新山教授の意見だった。


「岡本浩太君のDNAは人間のものとは約3

パーセント程度違っているとの結果が得られ

ています。その時のデータや標本はもしかし

たら入手出来るかも知れませんね。私はまだ

調べてもらっていませんから。多分岡本君と

同じような結果が出るでしょうね。ただ、桂

田利明君のDNAは人間のそれとは約55パ

ーセントも違っていたようです。教授が提供

されたものはどうだったのですか?」


「私が杉江君から提供されたものはその二つ

のどれでもないようだ。とすると一体だれも

のなのだろうね。」


 岡本浩太と同時間ツァトゥグアに吸収され

ていた綾野や橘はDNA鑑定の結果も同様の

筈だ。とすると他に提供者がいることになる。

深き者どもやインスマス面のDNAデータは

揃っている。アーカム財団はトウチョ・トウ

チョ人のDNAデータさえも入手している。

それらとの比較を綾野は新山教授に申し出た。


「杉江君に確認を取ってからにしてくれたま

え。一応彼からの提供なのでね。」


「新山教授、それなら今からでも杉江君を呼

んで比較を依頼しましょう。岡本君のデータ

は付属病院の恩田助教授のところにある筈で

すから。」


 新山教授が大学の寮に居る筈の杉江統一に

連絡を取ろうとしたが、杉江は不在だった。

綾野祐介はとりあえず新山教授に例の遺伝子

の提供を依頼して付属病院に向かった。自ら

のDNAを鑑定してもらう為だった。先日来

恩田助教授にも検査を勧められており、綾野

自身も(3%程度人間離れしていることの)

確認のために、多少の勇気が必要ではあった

が決断したのだ。


「結果が出次第連絡させていただきますよ。

それで新山教授の方は、あちらからの連絡待

ち、ということでいいのですね。」


「そうしてもらえますか。あと、もっと他の

ものとの比較もお願いすることになると思い

ます。そっちの方は私が連絡を入れさせてい

ただきますから。」


 綾野祐介はアーカム財団の持っているデー

タを持ち込むつもりだった。部屋の戻ってア

ーカム財団のマリア=ディレーシアに電話を

入れた。


「判ったわ、こちらにも後でデータを提供し

ていただけるのなら私の方でなんとかしてみ

るわ。でもミスター綾野、気をつけた方がい

いみたいよ。星の智慧派の動きがかなり活発

になってきているわ。クリストファー=レイ

モスはナイ神父の腹心だということは知って

いるわよね、でも最近ちょっと違う人物の動

きが入ってきているの。火野将兵と風間真知

子という二人組みなんだけど、彼方の恩師の

橘教授を亡くなる前に訪ねていたのがその二

人だったらしいわ。それと最近桂田利明君の

周辺にも現れていたとの情報も入っているし。

もしかしたら桂田君が行方不明になったこと

にも絡んでいるかも。」


「判った、その二人の写真でも手に入ったら

送っておいてくれないか。それとさっきの話

は早急に頼むよ。」


 マリアは出来るだけ早い時期に直接恩田助

教授にアーカム財団が持っているデータの提

供を約束してくれた。

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