第6話 影から
「付いて行ってもよろしいでしょうか。」
クリストファー=レイモスはアンチクトゥ
ルー協会(なんと直接的な表現だろうか。自
らの主を過小評価しているかのような団体に
対してはクリストファーは逆に過小評価して
しまう。)から得たデータをナイ神父に手渡
すために東京に来ていた神父を帝都ホテルに
訪ねていた。(神父は三十一階建てのホテル
の最上階特別スイートを常時リザーブしてい
た。)
「結果は見えている。特に付いて行く必要も
ないだろう。」
「それでは私があの本を彼らに渡した意味は
ないのですか?」
「そうではない。綾野たちがあの本を使って
どうするかを見極めたいのだ。ツァトゥグア
の封印が解けようが解けまいが関係ないので
な。」
「それなら尚更その過程を見てくる必要があ
るのでは。」
クリストファーは単純に付いて行きたかっ
た。『サイクラノーシュ・サーガ』にどんな
ことが書かれているのかは、神父も教えてく
れていない。自分がもたらしたものの結果を
自分の目で見届けたかった。
「それほど言うのなら良かろう。ただし、ツ
ァトゥグアに気取られるわけには行かない。
結界を張ってやるから全てを観てくるがい
い。」
こうしてクリストファーは綾野たちに付い
てヴーアミタドレス山の洞窟に向かった。
クリストファー=レイモスは不思議な気分
だった。綾野祐介や岡本浩太、そして名前を
知らない二人の日本人に付いてヴーアミタド
レス山に来たのだが、四人は全く自分の存在
に気付いていないのだ。ナイ神父の結界のお
陰だった。ただ、洞窟に入るには細心の注意
が必要だった。如何に神父の結界とは言えツ
ァトゥグアその人のお膝元である洞窟に入る
ことは勇気がいることだった。結界の存在に
気付かれてしまう可能性も高いのだ。それは
ほんの少しの違和感としてしか認識できない
筈ではあるが。
神父の話では綾野たちはツァトウグアの封
印を解くことはできないようだ。封印を解く
方法も知らないクリストファーには何がどう
なって封印が解けないのか見当もつかなかっ
た。
四人が洞窟に入っていく。クリストファー
は少しはなれて付いて行った。ツァトゥグア
と綾野達の会話が始まった。何を話している
のか、離れているので詳しくは聞き取れなか
った。しかし、これ以上近づくわけにもいか
ない。クリストファーは多少の苛立ちを覚え
た。
暫くして綾野と岡本が出てきた。クリスト
ファーは慌てたが脇に避けて二人をやり過ご
すことができた。気付かれていないようだ。
クリストファーは残った二人が気にかかっ
たので奥へと進んでみた。ツァトゥグアに気
付かれないように慎重に進んだ。そしてクリ
ストファーは初めて本物のツァトゥグアを見
た。最大限に過少表現をしたならば蝦蟇蛙に
似ていると言えるだろう。先日クトゥルーが
暴れ狂っているところを見たクリストファー
だったが、ツァトゥグアの方が更に異質だっ
た。この世のものとは到底信じられない。膿
やヘドロを混ぜ合わせてもあのように醜怪に
はならないだろう。綾野たちはツァトゥグア
に吸収されたと聞いた。クリストファーは自
分には耐えられない冒涜に思えた。
残った二人の日本人はツァトゥグアと話を
していた。年上の方が何やらツァトゥグアに
頼んでいるらしい。よく聞いてみるとツァト
ゥグアの体組織を一部地上に持って帰って調
べさせて欲しい、と言っていた。何を考えて
いるのか。どうも良く聞き取れなかったのだ
が、何か取引をしたようだ。二人が地上で何
かをする代わりにツァトゥグアの体組織を持
ち帰る許可を得たらしい。近づきすぎるわけ
にはいかないので、巧く聞き取れなかった。
やがて綾野達が戻ってきた。アーカム財団
のマリヤ=ディレーシアとリチャード=レイ
は見知った顔だ。他の者は多分アーカム財団
の特殊部隊だろう。
話の経緯を見守っていた。
「なるほど、そう言うことか。」
クリストファーは理解した。綾野はツァト
ゥグアの封印を解く方法を見つけはしたが、
今の地球上ではその方法は取りえないのだ。
時空を超える能力を持つヨグ=ソトースなら
ば或いはツァトゥグアの封印を解くことが出
来るかもしれない。それにはヨグ=ソトース
の封印を解かなければならないのか。ヨグ=
ソトースがウィルバー=ウェイトリィとその
双子の兄弟の他に人間との間に子を成してい
ない確証はない。もしかしたら何等かの手掛
かりが掴めるのではないだろうか。クリスト
フアーは神父への報告の必要性を強く感じた。
クリストファーが考えを巡らしている間に
事態は急変していた。アーカム財団の特殊部
隊がツァトゥグアに向かって発砲したのだ。
仮にも神と崇められるツァトゥグアに対して
そのような通常兵器が効果を示すとは考えら
れなかった。クトゥルーの場合はミサイルで
さえ足止めにしかならなかったのだから。発
砲された弾丸はそれを発した人間にそのまま
返ってきた。特殊部隊は全滅だ。当然の結果
といえよう。
クリストファーはある程度の収穫を得られ
たと判断したので洞窟を出た。そこで突然声
を掛けられた。
「彼方は誰?」
女性か?
「私が見えるのですか?」
「そんな結界を張っていてもここまで近づけ
ば感じることはできるわ。感じられたなら観
ることはそう難しいことではないの。」
あいても結界を張っていたらしい。こちら
からは見えなかった。
「ここはツァトゥグアの影響を強く受けすぎ
るから地上に戻りましょう。彼らと一緒じゃ
ないと戻れなくなってしまうかもしれないわ
よ。」
クリストファーは綾野達と一緒に来たので
ここまで普通に来られたのだが、確かに一人
で戻るには難しい異世界だった。クリストフ
ァーは綾野達とは別にこの見えない彼女に連
れ戻ってもらうことにした。どうも敵ではな
さそうだ。神父に近いものを感じる。逆に彼
女を信じなければここで置き去りにされるか
もしれなかった。
クリストファーの思い通り(或いは願い通
りと言った方が適切かもしれない。)声の主
は無事地上へと導いてくれた。綾野達が戻っ
たことを確認した上でクリストファーがナイ
神父の結界から出ると声の主もそこに居た。
「どこかでお会いしたかしら。」
見覚えのない顔だった。ただ何か圧倒され
るものを感じる。やはりナイ神父とどこか似
通ったところがある。
「私は鈴貴産業の拝藤といいます。あなた
は?」
社名と日本名。どちらも彼女には似つかわ
しくないように思えた。
「私は星の智慧派のクリストファー=レイモ
スといいます。」
「星の智慧派ね。なるほど、全ては彼の監視
下でことが進んでいる、という訳かしら。彼
はいったい何を考えているのかしら。」
彼というのはナイ神父のことだろう。顔見
知りのような口ぶりだった。
「神父をご存知なのですか。」
「ええ、昔、かなり昔にね。まあいいわ、彼
によろしく言っておいて。自分が全てを操っ
ていると思っていたら意外なところで足元を
掬われるかもしれない、と伝えていただけ
る?」
そう言って拝藤女氏はふっと消えてしまっ
た。
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