第5話 暗躍
クリストファー=レイモスは京都にいた。
アンチクトゥルー協会の者と接触するためだ
った。協会の日本支部に直接行っても良かっ
たのだが『サイクラノーシュ・サーガ』の情
報を流したついでに直接そのものを持ち込む
ことにしたのだった。
協会の関西支部に稀覯書収集の第一人者が
居るらしい情報を得たので、自分で持ち込ん
でみようと思った。データを得る取引の材料
にするつもりだ。
その店は京都駅から北に続く地下街の外れ
にあった。『京極堂』というのが屋号らしく、
古びた看板が掲げられていた。
「ご主人ですか?」
店に入ると40歳ぐらいに見える男が奥の
座敷になっているところで机に向かって座っ
ていた。
「そうですが、何かお探しですか。」
「いいえ、探しておられるのはそちらだと思
うのですが。」
あまり商売熱心とはいえない主人は、その
証拠に今始めてクリストファーの方を見た。
「確かに今日探していたものが届く手筈にな
っているが。」
「そうです。その件で来たのですが。」
そしてクリストファーは風呂敷を取り出し
た。この日本の伝統的な簡易運搬用具をクリ
ストファーはいたく気に入っている。どのよ
うな形のものでも包める上に、必要で無くな
ったら畳めばいいからだ。日本人はこのよう
な智慧というのか、倹約の美徳というのか、
古くからの伝統が数多く残っている。日本に
来ることは結構気に入っていた。ただし、自
分の仕事の内容を考えなければの話ではある
が。
「それはありがとうございます。早速ですが
見せていただけますか。」
古書店の主人は非常に丹念に「サイクラノ
ーシュ・サーガ」を鑑定している。内容を読
んでもいるようだ。
「失礼ですがご主人はこの本が読めるのです
か。」
「いえ、少なくとも私の知っている言語では
ないようです。セム語でもネクロ語でもない
ようだ。古代ルーンの上位語かとも思ったの
ですが、それとも少し違いますね。」
クリストファーには全く判らなかったが、
この古書店主は言語学の権威だとでも言うの
だろうか。
「いいえ、私はただの古本屋ですよ。ただ、
父が生前ミスカトニック大学で数種の言語学
を教えていたので多少ならば判らないことも
無いのです。ただ生噛りなものでたいした役
には立ちませんけれど。」
稀覯書の真贋を測るにはどうしても必要な
知識の筈だから充分な知識なのだろう。逆に
その知識があったからこそ稀覯書探索の第一
人者になっているのかもしれなかった。人の
良さそうな顔をしていて案外食わせ者かもし
れない。
「見せていただきましたところ、確かに本物
のようです。よろしい。買い取りましょう。
条件はお電話でお話したとおりでよろしいで
しょうか。」
金などどうでも良かったのだが、あまり欲
の無いことを云っておくと信用されないとも
思ったので、そうおかしくない金額を提示し
ておいた。「サイクラノーシュ・サーガ」は
確かに稀覯書中の稀覯書ではあるが、その内
容や価値は例えば「ネクロノミコン」などと
比べるとかなり落ちてしまう。同じ魔道師エ
イボンが書いたものとしてなら「エイボンの
書」の方が重要だろう。
「お金はお金として実は彼方にお願いしたい
ことがあるのですが。」
クリストファーは本を譲る条件として岡本
浩太のDNA鑑定結果のデータと交換でない
と本は渡せないと伝えた。合法的にデータを
得ようというのだ。非合法な手段は何時でも
取れる。クリストファーはたまにはこう云う
方法もいいだろうと思っていた。
古書店主は暫く何処かへ電話をかけていた
がやがて戻ってきた。
「判りました。データと交換でよろしいので
すね。それでお願いします。実際あのデータ
は私達では手に負えそうに無いと思っていま
した。私どもの検討結果も含めてお渡ししま
しょう。それとこれは虫の良いお願いかもし
れませんが、もしあなた方であのデータに関
して何か新事実でも発見しましたら私達にも
フィードバックして貰えないでしょうか。あ
なた方が私たちと敵対するものなのか、協力
を結んでいけるのかはこの際聞きません。
『サイクラノーシュ・サーガ』を提供してく
ださるのですから味方かとも思いますが、一
概にそうとも言えない団体もあるのは知って
います。そんなことは関係なしに私はただ純
粋に知りたいのです。」
古書店主は真剣だった。この男は知的好奇
心の塊のようだ。地球を救うとか人類が進化
するとかそんな話の本質では無く、ただ「知
りたい」ことが全てなのだ。クリストファー
は自分でも守るつもりなのかどうか判らない
約束をしてとりあえず「京極堂」を辞したの
だった。
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