第3話 星の智慧派極東支部

 火野将兵は星の智慧派極東支部に在籍して

からまだ十ケ月が経過しただけだった。年齢

も二十歳を超えたばかりである。ナイ神父の

直々の声掛かりで入信した火野を他の信者は

多少いぶかしんで見ていた。過去そんな例は

無かったからだ。ここ数ヶ月というもの、い

ままで一度も訪れたことさえなかった星の智

慧派の指導者たるナイ神父が、極東支部の一

信者の入信に関わるとは、極東支部長である

新城敏彦には合点が行かなかった。新城でさ

えナイ神父と直接言葉を交わしたことは今ま

で一度しかなかったからだ。それも、自ら星

の智慧派の本部を訪れたときにたまたま居合

わせたナイ神父にひとこと挨拶しただけだっ

たのだ。


 ただ、先日のクトゥルーの復活の舞台が琵

琶湖だったこともあり、今極東、特に日本は

旧支配者に関わる者達にとって重要な位置を

占めるようになっている。極東といえばすぐ

レン高原を思い浮かべる時代は終りつつある

のだ。


 旧支配者の封印を解こうとする勢力が日本

で活発に活動し始めるのと連動して、それを

阻止しようとするアーカム財団などの組織も

日本に対して本腰を入れてきているのは、仕

方ないこととは言え、煩わしいことである。


 新城としてはナイ神父の指示を直接受ける

立場となった自分が誇らしかった。神父はク

リストファーとかいう側近を連れて来ている

ので、何か内密に事を運ぼうとしている面も

あるのだが、結局日本では自分に頼むしかな

いはずなのだ。


 ナイ神父の指示によって火野将兵と、また

更にナイ神父が新たに連れて来た風間真知子

という二十歳にもならない少女が帝都大学の

名誉教授であり、クトゥルーの復活を阻止し

た張本人である綾野とかいう琵琶湖大学の講

師の恩師である橘教授の元を訪れることにな

った。


「神父、なぜ私どもにお任せくださらないの

ですか。」


「お前は私の指示どおりに動いておればよい。

それとも私の指示することに逆らうとでもい

うのか。」


「いいえ、決してそんなことは。ただ、極東

支部の責任者として多少なりとも私にもご指

示の内容をお聞かせいただければと。」


「お前に話しても理解できないから話さない

のだ。そんなことも判らないのならここの責

任者は務まらないだろう。火野君に代わって

もらうかね。」


 新城は冷や汗がでてきた。ナイ神父の機嫌

を損ねれば人間として想像できる範囲を遥か

に超える苦痛や恐怖を伴った制裁が待ってい

る。ただ、新城も引き下がれないことがあっ

た。


「その火野君のことなのですが、彼は一体何

者なのですか。あの若さで神父のご意向を直

接受ける立場にあるとは。」


「彼の者は火の民の末裔である。」


「そっ、それでは彼はスパイではないのです

か。」


「そういうこともあろうな。」


「それがお判りになっておられて彼を使われ

るのですか。」


「黙って私の指示に従っておればよいのだ。

彼に監視を付ける必要はないぞ。くれぐれも

星の智慧派の一員として遇するのだ。それが

わが意志である。」


 火野将兵が火の民の末裔だとすれば、ナイ

神父にとって敵対関係にあるはずのクトゥグ

アの眷属である可能性が非常に高い。


 クトゥルーの復活を助けるようで、その失

敗を予測し、今またクトゥグアに関わるもの

を配下として使おうとしている。新城にはナ

イ神父が何を成そうとしているのか、想像も

付かなかった。


「君たちと会う約束をした覚えはないが。」


「そうでしょうね。僕も約束した覚えはあり

ません。」


 若い男、更に若い少女とも言うべき女。二

人が帝都大学名誉教授、橘軍平を訪ねた日は

二日前から長雨が続いている、梅雨の真っ只

中だった。


 外出していた橘を訪ねて、約束があるので

待たせて欲しいと細君に無理を言って応接間

に通った二人だった。細君は二人を橘の生徒

と勘違いしたようだが、二人ともそんなこと

は一言も言わなかった。もっとも女のほうは

この家に着いてからまだ一言も発していない。


「どういうつもりなのだね。」


「心配しないで下さい。別に教授をどうこう

しようと思っている訳ではないのです。ただ、

少しお話ができればと。」


 男の名は火野将兵、女は風間真知子と名乗

った。橘には二人が日本人にしか見えなかっ

たが、微妙なイントネーションが、外国人が

日本語をかなり勉強した様な風であり、純粋

な日本語には聞こえなかった。


「綾野祐介さんというのは、教授の教え子で

すよね。実は彼について我が教団は非常に興

味を持っているのです。」


「我が教団?君たちは一体どんな教団に所属

しているというのかね。」


「私達は星の智慧派として知られている教団

に所属するものです。」


「星の智慧派だと。それが本当ならすぐに帰

ってくれたまえ。君たちに話すことなど何も

ない。君のような若い者があのような教団に

関わっているとは、到底信じられんがね。」


「教授はこの世の中に真実はあると思われま

すか?」


「突然何を言い出すのかね。」


「いえ、例えばお伺いしたいのは地球にとっ

て本当の敵とは一体誰なのか、ということな

のです。」


 年甲斐も無く興奮しがちの橘教授に対して

火野は怖いくらいに落ち着いている。風間は

相変わらず一言も話さなかった。


「人間が地球にとって敵だとでも言うのだろ

う。そんな議論に乗るつもりはない。確かに

環境を破壊しつづけているのは人間だけだろ

う。かといって君たちが封印を解こうとして

いる物達は更なる破滅をもたらすことは自明

の理だ。地球どころかこの宇宙さえも破壊し

つづけるかも知れない。それでも人間が地球

の敵だと言うのかね。」


「確かに教授の仰る通りでしょう。僕たちの

目的が達せられれば僕たちも含めて滅ぼされ

てしまうのかも知れません。僕は他の信者の

ように自分たちだけが生き残れるとは思って

いません。ただ僕や星の智慧派の指導者であ

るナイ神父の思いは在るべきものを在るがま

まに、ということだけなのです。未来永劫に

封印され続けること、それだけが罪だと考え

ているから封印を解こうとしているだけなの

です。それによって地球が滅んでしまったと

したら、それが本来在るべき姿ではないので

しょうか。」


 橘教授には理解できなかった。この青年は

自分が今言っている意味を理解しているのだ

ろうか。人類どころか地球丸ごと自殺するよ

うなものだ。


「今日は教授と議論をしに来たのではないの

です。この話は何時までお話しても平行線で

しょうから。」


 それから火野が話し出した内容は、橘の教

え子であり、今滋賀県の琵琶湖大学で伝承学

の講師をしている綾野祐介に関する驚くべき

話だった。


「そんなことがある筈が無い。彼は先日もク

トゥルーの復活を命の危険を顧みず阻止した

男だ。」


「それはそれ、これはこれです。事実は事実

として受け止めなければならないと思います

が。いくつか見ていただきたい物も在るので

す。」


 火野が差し出した書類、写真を食い入るよ

うに見た橘の顔から血の気が引いて行った。


「お判りいただけましたか。これはこのまま

お貸ししますので、綾野先生ご本人をお呼び

になって確認された方がいいと思いますよ。

それでは僕たちの用はこれで終りましたので

失礼します。」


 そう言い遺して火野と風間は帰っていった。

橘は二人が帰ったことに気付くこと無くただ

頭を抱えて身じろぎ一つしないのだった。

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