第2話 ネクロノミコン

 ある日。


「ナイ神父、よろしいのですか。あのような

者達にネクロノミコンをお渡しになるとは、

一体何を考えておられるのです。」


「お前達が心配するようなことではない。た

だ、あの本だけは取り戻す必要がある。お前

は奴らの儀式に潜り込んで、多分失敗するで

あろう儀式の混乱に乗じてネクロノミコンを

回収してくるのだ。」


「失敗すると思っておられるのなら、本を貸

す必要もないのではないですか。」


「いや、最後の最後まで成功する可能性を残

さなければ意味はないのだ。そして、その上

で儀式は失敗する。そこが大事なのだ。とい

うよりも、今まで行ってきた総てのことは、

正にその失敗の為にあるといっても過言では

ない。」


 星の智慧派の指導者であるナイ神父の命令

は絶対ではあったがクリストファー・レイモ

スはどうも納得がいかなかった。神父は一体

何を望んでいるのだろう。クトゥルーの封印

が解けることなのか、解けないことなのか。

いずれにしても自分は神父の命令どおり一度

ダゴン秘密教団に貸し出されたネクロノミコ

ンを取り戻さなければならない。本に記され

ている儀式の内容と呪文は適切に処理されな

ければならない。その上で儀式自体は失敗を

する。それが神父の意向だった。クリストフ

ァーは直ぐにインスマス面の男達の跡を追っ

たのだった。


 クリストファー・レイモスはナイ神父の命

令でダゴン秘密教団に貸し出された『ネクロ

ノミコン』を儀式が失敗する混乱に乗じて回

収するためにインスマス面の男達の跡を付け

ていた。行く先は判ってはいるのだが、確認

の為に跡を付けていたのだ。


 インスマス面の男達の車は予想通り琵琶湖

畔にあるダゴン秘密教団の集落地へと向かっ

た。クリストファーが確認したそのごく普通

の日本家屋(それが日本古来の様式なのか、

最近の様式なのか区別はつかなかったが)に

は「田胡」とプレートネームが掲げられてい

た。その名前はダゴン秘密教団にとって重要

なポストにある人間の名前だとナイ神父から

聞かされていた。


それだけを確認してクリストファーがその

場を離れようと車を来た道に戻したときすれ

違う車が在った。運転者には見覚えがある。

確か琵琶湖大学の講師で綾野祐介といった筈

だ。クトゥルーの封印を解く鍵を握っている

人物とナイ神父からは聞かされていたが、見

た目にはとてもそんな重要人物には見えなか

った。いずれ何らかの形で接触するかも知れ

ない。


 ダゴン秘密教団の儀式の為の準備は着々と

進んでいるようだった。クリストファーには

クトゥルーの封印を解く儀式が成功するよう

に思えた。『星の智慧派』の指導者であるナ

イ神父からは儀式は必ず失敗すると聞かされ

ていたが、なぜ失敗するのかは聞かされてい

ない。


 儀式に必要なものは『ネクロノミコン』も

含めて全て揃っている筈だった。クトゥルー

の復活を望む者と望まない者の、生き埋めに

された恐怖の怯える心臓。25年に一度のル

ルイエの上昇。そして、多分ダゴン秘密教団

の末端構成員には知らされていないだろう、

多くの者の精神の破壊。つまり彼らはクトゥ

ルーの復活における餌なのだ。


 先日、ダゴン秘密教団の集落ですれ違った

綾野という大学講師は、教団に捕まって心臓

を取り出される為に生き埋めにされるようだ

った。クリストファーはそれを確認するため

教団員たちの跡をつけていった。綾野のほか

に計3人の日本人が生き埋めにされるようだ。

彼らはクトゥルーの復活を望まない者達であ

ろう。クトゥルーの復活、復活の阻止両方の

鍵を握ると神父に教えられていた綾野がその

儀式に生贄として参加されられるとは、ナイ

神父はいったい何を言っておられたのだろ。


 クリストファーが見守っていると、穴を掘

って生き埋めにする作業は淡々と進められて

いった。生き埋めにされる恐怖を凝縮した心

臓が媒体となってクトゥルーの封印を解く鍵

の一つとなり、また無数の精神力(特にここ

でも恐怖が鍵となっている。)を吸い取るこ

とで自らの力を倍化させて旧神の封印を破る

つもりなのだ。


 作業が終わり教団のインスマス面の男達が

見張りも残さず一旦立ち去った。作業に使っ

た道具を車に積みに行ったのだろう。これで

準備は整った筈だ。あとは3日後に死体を掘

り起こし、心臓を取り出す作業が残っている

だけだった。


 クリストファーも立ち去ろうとした時だっ

た。人の気配に再びクリストファーは物陰に

隠れた。インスマス面ではないようだ。


 現れた人影は今埋められた三つの場所に近

づいていって掘り返していた。一部だけを深

く掘っているようだ。そして何か細長いもの

を突き刺して再び元のとおりに埋め戻した。

素早い行動だった。その人影たちが大急ぎで

立ち去ったすぐ後にインスマス面の男が一人

戻ってきた。見張りに残るつもりだろう。掘

り返されて戻されたことには気付いていない

ようだ。用具を置きに行っていたのだろう。


「なるほどそういうことか。」


 クリストファーはナイ神父の言っていた意

味を理解した。決して儀式の準備が揃うこと

はないのだ。


 予想通りクトゥルーの封印は解けなかった。

ルルイエも沈み再び水上に上昇するには25

年を経ないと無理だろう。ただ、ナイ神父の

話によればその間隔は短くなりつつあるとい

う。最後には海上に固定してしまうらしい。

そうなるとクトゥルーの封印を解くのはかな

り容易になる筈だ。


 クリストファー・レイモスはナイ神父から

言われていたとおり困難に乗じてダゴン秘密

教団に貸し出されていた『ネクロノミコン』

を回収することに成功したのだった。

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