第9話リリが逝ってから一カ月

リリが逝ってから一ケ月

5月30日

リリが亡くなって一ケ月。

それからというもの夫と日に何度リリのことを話したことだろう。

日に何度リリに話しかけたことだろう。

ある時は自分を責め。慰め。

日に何度も目頭を熱くした。

涙は乾くどころかますますあふれでてくる。

リリの写真をみる。その愛くるしさ。ジッとわたしを見つめる目。

「リリどうしてそんなに早く逝ってしまったの」

と恨み言を言ってリリを困らせ泣いてしまう。

リリはもらったのでもなく、拾ったのでもなく、まさにやってきたのだ。

路地裏のわが家の玄関口に生後三か月ぐらいのミケネコが、買い物から帰るわたし達を待っていた。

考えあぐねた末の決断だった。

わたしたち老夫婦にとって仔猫を飼うには、あと二十年は健康で長生きしなくては……

「頑張ろう」と夫と決めた。

それなのに、たった一年八か月の、あまりにも早すぎた死。

「美人薄命」というから……と夫。

まだまだこれからたくさん笑って、家族二人と二匹で愉快にすごせたのに。

リリはわたしに試練を与えてくれたのだろうか……

試練は再生の始まりというから……


幻聴…ベッドの下でリリがボールを転がす音で目覚める

6月7日  Tue.

寝室のベッドの下、フローリングの床をボールがコロコロ転がる音で目覚めた。

リアルな音、でもリリの足音はしなかった。

紙を丸めてセロテープで回りを巻いた直径2cmぐらいの小さなボール。

リリがわが家の娘になったとき、作ってあげた。

リリはそのボールが気に入った。わたしとよくキャチボールをした。

リリが夜中に起きて、ボールで遊んでいる音で目が覚めたものだ。

リリの姿は見えなかったが、間違いなくボールを転がしている音だった。

勢いよく前足で転がして、緩やかに止まるとまた転がして飽きることなくボールで遊んでいた。


「リリ、おはよう」

朝の挨拶で一日が始まる。

リリのお骨のある部屋は離れのわたしの寝室の隣。

キッチン、リビングが離れているので、わたし達の声が聞こえるように襖、ガラス戸を全部開け放す。

リリが寂しがらないように。

一日に何回かリリの前に座って庭の様子、一日のできごとを話す。

「つるバラの花柄を全部きったよ、疲れたわ」

「ブラッキーがリリの代わりにmimaの膝の上に座ってなぐさめてくれているよ」

「Y・Oさんたちがリリちゃんに会いに来てくれてよかったね」などと。


一日の終わり。

「リリお休み」

「また明日」

「リリだいすきだよ」

「夢でもいいから一緒に遊んでね」

と声をかけて眠りにつく。

どこか一か所空洞になった頭の状態で、また次の日が始まる。


リリの面影

6月9日

リリの写真。目がなにか寂しそう。

リリは時折、愁いを帯びた表情をよくしていた。

小さい時から、よく寝ていた。

体が弱かったからだろうか。

とにかく優しい子だった。

威嚇、爪を立てる、怒ることは一度もなかった。

いつも従順だった。

もっとわがまま言ってくれたらよかったのに……。

生まれつきか、あまりよく鳴けなかった。

そのためか体で表現していたのだろう。

ごろりと仰向けになったり、頬をわたしの頬につけたり……。

仕草がなんとも可愛らしかった。

部屋のどこにいてもリリのことを思いだす。

リリ大好き。短かった猫生だったね。想い出はいまもわたしとともにある。

リリは一握りの灰と骨になってしまった。――でも、愛は死なない。

永遠に生きつづけるよ。


紫陽花に濡れたリリ

6月16日

つゆの朝。

目をこらして見ると雨が降っていた。

樹木を打つ音も雨足も、ぼんやりとしていたのでは、気づかないようなつゆの雨。

深岩石の塀がうっすらと青みをおびている。

紫陽花の花がたっぷりと雨水を含んで花首を垂らしている。

照りつける陽に花首を垂れている紫陽花より、雨に濡れた姿のほうが風情がある。


昨年の今頃はリリが雨にも負けず塀の上をあるいていた。

「グーグーだって猫である」をみた。

グーグーが公園の模造丸太の柵の上をのそのそとあるいている映像をみた。

リリを想いだした。

あのころは、リリが逝ってしまうなんて夢にも思わなかった。

雨水のしたたる紫陽花の下を潜り抜けて、濡れて帰ってきたリリ。

タオルで優しく拭いてあげる。

ドライヤーで乾かすほうが早いが、音を怖がって逃げてしまう。

タオルで拭いているとおとなしく気持ちよさそうに、身をまかせていた。


今年も塀の下では紫陽花が満開。

リリのことを思い出しただけで涙がでる。


悲しみよ、さようなら

6月23日 Thu.

夜来からの雨。

バラに雨がふりそそいでいる。

ときおり雨足が激しくなりバラの木を揺らしている。

花びらから雨滴がころがり落ちていく。

二番花がいっせいに蕾を膨らませた。

昨夜、蕾だったバラが一夜で花びらを開いた。


19日のこと。

「リリの四十九日ね」

「何をしようか……」

「御経をあげる」

「今まで皆さんに悲しみを共有していただいたね」

「そうね、心が萎えそうになるとき癒されたわね」

「今日から、リリの楽しい想い出に生きていこう」

と夫と悲しみに決別する。

リリの写真の前に繊細なフラッシュピンクのシャリフア・アスマのバラをたむける。

爽やかなフルーツの香りがひろがる。

「リリちやんいい香りでしょう」


7月21日

リリの残した爪あと。


リリが障子の桟をかけのぼった。

小さな爪あとが無数にのこっている。

鋭敏にかけのぼった小さな白い足。

ずっとそのままにしてある。

もう障子に爪あとをつくることはないのだ。

リリはいちど死んだのだから。

もう 二度と死なない。

ときおりリリの爪あとに遭遇する。

え! こんなところに。

スリッパ。

ぬいぐるみ。

ティシューのリボン……

思わず笑ってしまう。

リリのいた痕跡、これらはわたしの宝物。

どうしてこんなに物をかじったのだろう。

愛に飢えていた……。

100パーセント愛していたのに、120パーセント心配してあげればよかった。

リリ大好きだよ。

アイスバーグ…ごめんなさい

7月29日

アイスバーグ…ごめんなさい


バラたちはちょっと一休み。

小さな蕾を固く閉ざしたまま。

つゆが明けるといっせいにバラの蕾がふくらみだすだろう。

北側に面した裏庭にアイスバーグの二番花が咲きだした。

別名白雪姫といわれるくらいだから、純白の可憐な美しい花姿。

大好きなバラの一つだった。

リリを亡くしてから、アイスバーグを見る目がかわった。

その冷ややかな白さ、香りは微香。

まさに死を暗示しているように感じられる。

いつの日か、またアイスバーグを好きになる日がくることを願う。

アイスバーグには罪はないのにごめんなさい。


今日はリリの月命日

7月30日

30日。今日はリリの月命日。

リリが逝ってから三ヶ月。

四十九日に悲しみとさようならしたはずなのに……。

まだまだリリの居ない生活なんか考えられない。


最近、深い眠りにつけない。

真夜中、古い家なので、家がきしむのか音がする。

リリがベッドからポンと下りた足音。

誰かがいるような気配。

戸が開いたような音…足音は聞こえなかったから風?

思わず「リリ」と呼びかける。

わたしのリリをよぶ声だけが暗闇にこだまする。


足の方で布団がむくむく動いて、リリが入ってきたのかと目を覚ます。

のぞきこむのはよそう。

そこにいるのは リリにきまっている。

でものぞいたら きっと消えてしまうから。

今夜はわたしの脚元でおやすみ。


●わたしのブログ「猫と亭主とわたし」には、在りし日のリリの写真が毎日のっています。ぜひそちらも、ご覧ください。

 

木村美智子のブログ「猫と亭主とわたし」より。

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