処刑人の娘

川上桃園

第1話 処刑人の娘

 処刑人の一族は皆処刑人になる。処刑人以外の職につくことは許されない。


 彼らはある程度規模のある都市の郊外に住み、国家の命によって罪人の首を刈り取っている。

 処刑は群衆の娯楽だった。どの街にもある広場に、罪人と処刑人が現われればそこは処刑場となる。役人に引っ立てられた罪人は大勢の観客の歓声を浴びせられながら首を吊り、あるいは首を切られる。処刑人はいわばこの人殺しショーでの主役の一人だ。普段は人から忌み嫌われる彼らも、この時ばかりは注目を集める大スターとなる。


 観客がこぞって処刑を見に行ったのは、罪人の死にざまを見るためだった。

 ある殺人者は、首切りの恐怖におびえ、暴れたので処刑人は斧を振りきれず、罪人にさらなる苦痛を与えることになってしまった。四度目に振り下ろした斧で、ようやく首がころんと落ちた。

 ある政治犯は、自らの主張の正しさを群衆に訴えかけた。彼の言葉に皆驚くほど静かに耳を傾け、彼は満足したように処刑人に向かって首を差し出した。

 詐欺を働いたある農夫は、魂が抜けたように唯々諾々と首吊り台に向かった。彼は無言で死んだ。

 また、妻子ある男と恋に落ちて駆け落ちしようとした男女は向かい合わせとなって、互いが炎に焼かれていくのを見つめることだけを望んだ。


 今度はどんな罪人がどんな最期を迎えるのか!

 時間が沈滞したような生活をしている大勢の人々にとっては、処刑はお祭りと同じぐらい楽しませてくれるエンターテイメントだった。


 彼らは喜んで非日常の死に近づこうとする。けれども、じかに接する処刑人には手を触れることさえ嫌がった。普段の彼らは、明らかに差別され、「それ」とわかれば交際することさえ厭われた。だから処刑人一族同士は土地を越えて結束する。結婚するにしても、同じ処刑人一族の出であることがほとんどだ。



 フリンツの街に住むカールはその典型的な処刑人だった。役人に言われたとおりに、罪人に刑を下す、忠実なる国家のしもべ。普段も無口な男だが、処刑時になると一層口が重くなると評判だった。筋骨隆々の男で、見た目も粗野だが、罪人に長い苦しみを与えないようにも配慮する「理想的な処刑人」である。


 彼には亡き妻との間に娘がいた。彼に似て大柄な娘だが、顔ばかりは亡き妻に似て優しげで慈愛に溢れているようだった。実際のところ、彼女自身も顔にふさわしい、勤勉で穏やかな気質だった。


 だが、彼女もまた、処刑人の娘。どんなに心優しくとも、どんなに相手を気遣っても、それが返ってくることはなかった。幼いころからさらされてきた蔑視は、やはり彼女に影を落としている。


 彼女は処刑のたびに男装して、父親の助手も務めた。普通はほかの男の一族がいれば彼が務めるのだが、あいにくと父親と娘しかいなかったのだ。


 だから娘は十歳から死の光景を目に焼きつけ続けることとなった。最初は食べたものを全部吐き、二日熱にうなされ、悪夢も見た。だがあるときから、ふと割り切ることを覚え、自らの「役割」に義務と責任を負うことを考えるようになった。


 ……そして、今日も組み立てられた処刑台の上に立つ。父カールが罪人を首切り台に固定して、斧を振り上げている。娘アガーテは罪人の頭を押さえつけていた。彼女が、切り取った首を群衆に掲げる役目だった。


 アガーテの力は父親譲りで大変強かった。大の大人が辟易するような量の小麦をやすやすと運べるほどだ。そのことが、女でありながら助手を務めることを可能にした一因であった。


 アガーテはいつものように父親が罪人の首を切り落とすのを凝視する。と、ぐっと罪人を押さえつける力も入る。この瞬間こそが、もっとも緊張をしいられるからだ。彼女はしっかりその動作が見えるように、いつも帽子の中に長い黒髪を入れ込んでいる。


 その時、罪人が喚きだした。


「不作、重税、戦争! こんな国はくそったれ! すぐに滅びちまうぜ! 王国のおおいなる狂気と絶望に乾杯を!」


 乾杯を! 群衆の中から声が上がった。どうやら仲間らしい。慌てて役人たちが捕縛しようと動くが、あいにくと逃げられたようだ。

 アガーテが父親の顔を見れば、集中が切れていないことがわかった。

 迷いなく斧が振り下ろされ、すぱん、と首が落ちた。アガーテは群衆に首を掲げ見せながら、安心していた。


 よかった。今日も無事に終わった、と。









 次の処刑は数日も経たないうちだった。近頃では随分と簡単に死刑判決が出るらしく、アガーテはひそかに父を心配していた。

 カールは見た目と違って、とても優しい人間だった。むやみに処刑人を嫌う人々もいるが、彼に命を救われた人間はこぞって彼に感謝を捧ぐ。

 医者、というのも処刑人の別の顔だった。彼らとて、処刑人の役目で得られる給料だけでは生活していけず、副業として医者をするのだ。処刑人はすみやかに人の命を奪わなければならないため、人体の構造にも詳しくなるのである。よって、そのための高度な教育が必要だ。

 処刑人は、知識人でなければならないのだ。


 アガーテは父親が医者をしている時の顔が一番穏やかであることを知っていた。命令とはいえ、自らを奪い取った命への悔恨や懺悔の意味かもしれないが、それこそが処刑人の心を救うことにもなる。


 あまりにも人を殺し過ぎた処刑人が、人を殺せなくなってしまうという話はよく聞いていた。

 だから一日に三件も四件も処刑がある日には特に父親の細かい振る舞いを気にするようにしていた。


 アガーテは、縄をかけられた罪人の立つ床を開けるための縄を切ろうとする父親を見た。

 首吊りは首切りほど直接的な感触を与えないから父の負担は少ないはず。空中でもがく罪人とそれを見上げる父親とを見ながら祈った。


 明日は処刑がありませんように、明後日も処刑がありませんように。……二度と、処刑がありませんように。





 その日、処刑されるのはある学者だった。何でも王政廃止論を含んだ著作物を出版し、再三の警告にも従わず、あまつさえ国家転覆を企てたという。白い髭を蓄えた、非力そうな老人だった。手だって、小さい。そんな小さな手で、国家を転覆させられるわけがない、とアガーテは思った。


 そもそも、バーナー先生はそんなことを考えられるわけがないのだ。


 バーナーはカールとアガーテに学問を授けてくれた恩師である。二人が処刑人の一族でも、まるで気にしない奇特な人物だった。付き合いは、もう数十年になるはずだ。


 アガーテはいつになく、暗澹たる気持ちで恩師の頭を押さえた。日焼けした様子のない縦皺の入った細い首がさらされる。


「すまんが、一思いに頼むな。痛いのは勘弁してくれ」


 以前と同じような気安い口調に、アガーテは涙が出そうになる。


「なぁ、カールや。こんな老いぼれの命を奪ってどうしようというんじゃろうなぁ。最近はとかく不穏なことが続いておる。……一体、この国はどうなるんじゃろうか」


 わかりません、とカールは斧を振り上げながら言った。


「誰かが旗印となって、皆を明るいところへ連れ出してくれない限りは、暗黒の時代が続くでしょう。我々には、その光がどこにあるのか見つけられないのですよ」

「そなたからは世の中のひずみが全部見えるじゃろう。……処刑人の仕事は、これからどんどん増えていくなぁ」


 その言葉がいけなかったのかもしれない。アガーテは父親が斧を取り落とし、自分の足の甲に刃先が埋まるのを呆然と見ていた。


「うわああああああああっ」


 父親の足からは血が流れ、芋虫のように転がる。

 観客の罵声が辺りを包んだ。


「父さん!」


 彼女は父親に駆け寄ったが、歯をがちがち鳴らし、手足がぶるぶると震えているのを見てしまった。

 話に聞いていたのと同じ。処刑人になれなくなった、処刑人。


 いつか、こんな日が来ることをアガーテは恐れていた。だって、それが処刑を妨げる口実にはならないからだ。しかし、十中八九、父親はもう人を殺せない。痛いほどわかっている。


 だからこそ、私は。アガーテは「早く殺せ」という観衆を無視して、目を瞑る。

 目を開けた時、自分が別人に生まれ変われることを祈った。


 彼女が次に見たのは、元処刑人の父親だった。いまだにのたうち回る横で転がる斧を手に取る。

 ついさっきの処刑で飛んだ血と父親の血がまだこべりつき、切れ味は悪くなっているだろう。


 持ち上げて、二度三度振ってみる。振り下ろすことができそうだった。

 処刑が予定通りに行かないことに怒る立ち合いの役人には目で合図を取る。

 父親はすみやかに広場の外へ運び出され、処刑台の上には彼女と罪人だけが残った。


「すみません、先生」


 できるだけ柔らかな声音で呼びかけた。


「この処刑には先生の協力が必要です」


 そうかい、と罪人はかろうじて動く頭を持ち上げ、ちょっと笑った。


「できるだけ上手くやってくれよ」

「はい」


 恩師にしてあげられる最後のことは、安らかな死を与えることだ。

 彼女はできるだけ微笑んだ。恩師だって、笑顔で見送られたほうがいいはずだ。たとえ、涙でくしゃくしゃになった、ひきつった笑みだとしても。


 父親に代わって、斧を振り上げる。

 処刑人の娘は、処刑人になる。


 アガーテは一息で、罪人の首を切り落とした。ごとん、と転がる。骨と肉を断つにぶい感触がストレートに伝わり、血しぶきが体中に飛ぶ。


 これが、人を殺すとということなのか。あまりにも重い、と彼女は思う。この重みを知るのなら、決して無益な争いは起こさないだろうに、でも結局のところ、命令する者は、その死の感触を避けているのだ。


 嫌悪感と恐ろしさで手が震え、胃の中が逆流しそうであったが、彼女は懸命にこらえた。

 下ろした斧をその場において、恩師の首を持ち上げようとする。その時、偶然かぶった帽子がずれて、腰にかかるほどのゆるくウエーブした黒髪が流れ落ちた。


 群衆は息をのんだ。彼女を知る者も、知らない者も、罪人の首を持って、堂々と立つ女処刑人に、一種の神々しさを見出したのである。まるで歴史的、あるいは絵画の一場面に遭遇したような驚きに、大衆は一瞬の沈黙後、彼女に熱狂的な歓声が沸き上がったのである。


 ある者は「女処刑人!」と叫び、ある者は「血の女神!」……そして、ある者は「微笑みの天使!」と呼んだ。


 これまで処刑人に女は存在していなかった。だが、今ここに至って、公式に記録された初の女処刑人が誕生する。彼女は、「フリンツのアガーテ」、「慈愛の女処刑人」と呼ばれる。


 そして彼女の名をもっとも高めることになるのが――それは、まったくの本意ではなかったけれど――。


 この数年後、王族の命をも無残に散らせた血の革命だと言われている。

 彼女はその手で、国王の命をも刈り取ったのである。



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