Outside / 肉薄

 思えば、壮絶な一瞬だった。

 頬をいくらつねっても、痛みしか残らず。あまつさえ痛みの残った頬を風に逆撫でされ、ほんのりと苛立ちが募る。

 今はただ目の前にいる、人生初の多重人格な恋人の屈託のない笑みからほんの少し目をそらし、胸元で風に少し揺れる紅色のスカーフに目をやっていた。

 その視界の先で、彼女の両手が合わさって、パチンと乾いた音を立てた。

「じゃあ、お互いに腹を割って話したということで、ひとつ頼み事をお願いしてもよろ……いいかな?」

「え」

「実は、喫緊の困り事がありまして」

「はぁ」

 学校の仕事かな。

 本業が忙しくて手が回らないから手伝ってくれ、みたいな。

「それで、みーたんに白羽の矢がクリーンヒットしたの」

「それは、自分でないと出来ないことなんですか」

「八割ぐらいお任せしたいな」

 それはかなりデカい。

「抜擢いただきありがとうございます、と言いたい所ですが。……きっとその仕事は、自分以外の誰にでもできる事だと思います」

 彼女が言ったとおり、自分はモブキャラを宿命づけられているのだから。自分ができる仕事は、何処かに必ずできる人がいるのだ。

 だけど、栖漫さんは眉間に皺を寄せ、その返事にやや不満そうにしていた。

「私は、みーたんがみーたんだからこそ頼んだんだから、そんなこと言わないでよ」

 思わずゴメンと謝ると、彼女の表情はまたいつもの柔和な笑みに戻った。

「それでよし。じゃ、行こっか」

「どこへ!? ……まさか、その仕事に?」

 まだ行くとも行かないとも言っていないのに。

「ううん。流石にちょっとこればっかりは、強引に引っ張っていくわけにはいかないから。場所を移して話そう? ファミレスとかでさ」

 ファミレス、と言うときの栖漫さんの口の端が緩んでいるのが見えた。

 ……ひょっとして、楽しんでる?

「分かりました。ここで話してると立ちっぱなしになっちゃうし」

 自分の返事を聞く前に、彼女はもう屋上のドアに手を掛けていた。

 だけど、扉を五センチほど押し開いた所で、彼女は背を向けたまま静かに、

「次、さっきみたいな事言ったら殺すね」と言った。

 その言葉が、せっかくの告白よりよっぽど強く頭に焼き付いてしまったことだけが、心残りだった。



 


 そこは高校の最寄りから二つ離れた駅の目の前にある、ここら辺では石を投げれば当たるぐらいにポピュラーな名前のファミリーレストランだった。

「ドリンクバーふたつで。あとチョコレートパフェひとつ」

 彼女は座るなり、店員さんがお冷やを持ってくるよりも前に呼び出しベルを二回連打した。少し慌てた様子でやって来た、疲れとあきれ顔が2割ぐらいの女性店員さんの気苦労を察して、自分は窓の外に目をやって、駐車場に留めてある軽乗用車の数を数えることにした。

「楽しいね」

「何がですか……」

 普段だったら心の中に押し込めていたはずのツッコミが、口から漏れ出ていた。

「私、ファミリーレストラン初めてなの」

 初めてにしては随分とアグレッシブに行ったな……と、ドリンクバーのジュースを次々に足す行為、所謂『ミックス』をキメる彼女の横顔を見ながら思う。

「栖漫さん」

「玲」

「玲さん」

「……」

「玲ちゃん」

「……二十点」

 点数的にはだいぶ不満のようだったが、そう言う彼女の頬が一瞬緩んだのを自分は見逃していなかった。

「玲ちゃん、そもそもですね」

 自分がそう切り出そうとしたら、彼女は右手を『張り手』の形にして自分の方へ向けていた。

「聞きたい事が山ほどあると思うけど。こちらの話が始められないので、パフェが来るまでの間だけ、話を聞きます」

 五分かそこらかと考えると物足りなかったが、約定を破る方がよっぽど怖いので、従うことにした。

「じゃあ、一つ。玲ちゃんは遺伝能力者シーズ?」

 遺伝能力者――つまり自分と同じように、異能力者を親に持つ子供のことである。

 異能力者はこの世界の存在ではない。それゆえに年を取らないが、生殖能力はある。そのため、子をなす事はできる。

 そしてその子供は、異能力を行使出来る人間――遺伝能力者となる可能性がある。

 その発露率は8パーセント。それ以外の子供は無能力者……一般人となる。

 誰もおくびにも出さないが、自分たちが普段通学しているあの高校は、遺伝能力者の合格率百パーセントだ。それが明示されているわけではないのだが、それは既に『公然の秘密』としてまかり通っていた。

 栖漫さんはにっこりと笑みを浮かべ、ストローで虹色の液体を啜ってから答える。

純粋能力者フィクサーだよ」

 ――やっぱり! ある程度の確信はあったが、彼女は異世界からやってきた、『本物の異能者』なのだ。あの生石を一撃で仕留めたのも、何らかのワザを使ったんだろう。

「ちなみに、生石は?」

「あれはみーたんと同じ」

 まぁ、そうでしょうね。

 あの目、顔、凶器。あれが総て嘘だったのかと思うと――今でもぞっとする。

「結局、生石はどうなったんですか」

「警察に引き渡したわ。表向きは未成年者略取で保護観察処分かな」

 略取? てっきり、近隣で起きていた学生の失踪事件に関わっていると思っていたのに。

「それは当たってるの。ただ、彼自身に問題があってね」

「問題? 精神状態に難あり、とか?」

 彼女は首を横に振る。そして、顔をぐっと近づけてこう言った。

「アイツ――極度のビビリだったの」

 既に(栖漫さんの)周囲では、生石櫂が学生失踪事件の犯人候補として浮上していたそうだが、どうしても犯行の瞬間を抑えられなかったらしい。

 そして乗りかかった船のような昨日の事件。警察関係者の嬉々とした顔が目に浮かぶようだ。家宅捜索したところ、彼はやはりクロだった。彼の家は古式ゆかしい家屋で、自宅の敷地にくすんだ白塗りの大きな蔵が建っていたそうだ。

 当然、蔵を開ける方に捜査が向かっていくことになる。捜査員達は最悪の状況を危惧していた、が……。

「これが何とまぁ、全員無事だったの。彼は捕まえた女の子を全員閉じ込めてただけで、一人も殺してなかったってこと」

「でも、あの時の生石は……」

「ええ、そうね。きっとあの瞬間、アイツはみーたんを殺していたかもしれない。そうしたら最後、は本物のシリアルキラーになってしまっていたでしょうね」

 二つの意味で、背筋がゾクッとした。やはり、あの日の栖漫さんは、ヒーローだったのだ。

「じゃあ……玲ちゃんについても聞いていいですか」

 すると、彼女は笑みを崩さないまま「いいよ」と返したが。

「――と、言いたい所だけど」

 彼女が視線をゆっくりと右に動かすのが見えた。その先で、高さ二十五センチほどの器に、チョコレートソースが大量にかかったバニラアイスの山がこちらに向かってくるのが見えていた。





「――何これ、甘いし冷たいし! 固形物と液体のどっちでもない奇妙な形状なのに、美味しい!」

 本当に美味しいと思っているか微妙な感想だったが、彼女は今にも頬を落としてしまいそうな笑顔で、銀色のスプーンを握って、アイスクリームを頬張っていた。

「楽しそうですね」

「楽しいよ! 初めてがみーたんで、本当によかったんだから」

 それが嘘か本当か、どちらにとっての本当かを聞くのは、怒られそうだったのでやめた。

 彼女が謎の感想を叫びながらチョコレートパフェと格闘している間、自分はこの後どんな話がされるのか気になっていた。

「――ふぅ。大変美味でございました」

 カラン、とスプーンが器の中で一回りして、小気味良い音を立てる。

 栖漫さんは目の前の緑とも紫ともつかない『ミックス』三杯目にストローを立てながら、自分の方へ視線を移した。

「じゃあ、本題ね」

 ごくり、と唾を飲む。自分もあんな危険な真似をしなきゃいけないのかと思うと、どうやってそれを断ろうかという方に思考を回すべきなのではと、防衛本能も活発化してきた頃であった。

「クラスメイトに、恒河沙琉生こうがさるいちゃんって居るでしょ?」

「……はい。ただ、」

 恒河沙琉生こうがさるいは、自分と同じクラスの生徒だ。出席番号五番。

 ――だけど、入学以来、自分が彼女の姿を見たことは、ない。

「みーたんにお願いしたいのは、まさにそれ。その恒河沙琉生こうがさるいくんの――復学の手伝いをして欲しいの」

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