第12話 「神の越権行為」

 救うとか、救われるとか、どうでもいいじゃん。

 要はお前がマルかバツか、だろ?





「関係者は揃ったな。……それでは、の計画の概要を話す」

 二百人ほどが収容できる、大学の講堂のような大会議室の中心部に、数名の人間が集まっていた。

 その中心に居るのは樋場莉玖。

「まず、発端だが――これを見て欲しい」

 周囲には桐生芽衣、ラキス・ルヴェント、神在月泉、鋤島糸里、蘭堂仟、ほか数名。

 台の上には、世界地図と数枚の新聞紙の切り抜きを纏めたものが広げられている。一ヶ月前の日付が記された新聞の見出しは『村民消失から二ヶ月!?周辺地域の極低温現象との因果関係は』などといったものであった。

「現場は、第三地区北西部アラスカ。先に話すが――三ヶ月前に起きたこの事態の全容を、我々『協会』側は把握し切れていない。、その砕氷作業だけで向こう半年はかかる見通しだ」

「半、年」

 神在月泉は、右手を口に当てながら、そう大仰に驚いて見せた。

「そう、半年だ。もっとも、これはから聞いた理論値。これ以上遅れる可能性は大いにある……というのはどうでも良いことだ。肝心なのは、これを引き起こした『原因』にある」

 すると、樋場は背面からその世界地図よりも二回り小さいラフ・スケッチを取り出した。

「何すか、これぇ?」

 蘭堂仟の素っ頓狂な声が、静寂な会議室を少しだけ震わせる。

「見ての通り『原因』そのものだ。当時、現場から逃げてきた人間の目撃情報や記憶を元にした」

 その樋場の声も無視して、素描をしげしげと眺めていた鋤島糸里が、講釈を垂れ流し始める。

ワイバーンだな。ドラゴンとは違って、腹や四肢が明確に存在してる……いやしかし、こんなのが『原因』なんだとしたら、連日テレビで大騒ぎになっていてもおかしくないがな」

 その姿は白黒のスケッチ画であったが、ぼてっとした大きな腹、トカゲのような眼、長く太い首、鱗だらけの皮膚など、いかにも『それっぽい』パーツで構成されていた。

 一瞬の沈黙の後、樋場莉玖は続ける。

協会我々でも、これに関する報道管制は敷いていない。――つまり、こいつは今も『何処かに潜んでいる』ということだ」

「あら怖い。それならばこのは、今日、今、この瞬間にでも、ここにやって来てもおかしくないという事ですわね?」

神在月イズミのソレは極論だが、否定は出来ない。――つまり、コイツを呼ぶには何かしらの条件トリガが必要という事は容易に想像が――」

 樋場が全部言い切る前に、桐生芽衣が前に出てそれを遮った。

「回りくどい。――この条件が、明後日の作戦の本当の狙い」

 ほぉ、という声が聞こえる。一方で樋場はやれやれと言った表情で頭を掻きながら、話を続ける。

「……まぁ、桐生芽衣メーヤの言うとおりで、既に原因は分かっている。『決闘』だ」

 樋場が読み上げた中では、とある村の若者同士が小競り合いからの口論に発展し、近隣住民と警察が駆けつけていたという証言があった。

「決闘? そんないざこざ、どこの国でも日常茶飯事ですわ。むしろ戦争している箇所に現れてくれれば、最終戦争ラグナロクよろしく、綺麗にオチがつきそうなものですのに」

 ふん、と樋場は神在月の言葉を一蹴した。

「なあ、イズミ。こんな自動砲台が、諍いの規模や人間・文化の価値、環境影響を慮って弾を撃つと本気で思っているのか?」

「思いませんわ。は全て、基本欲求以外の感情から産まれた物、嫌忌される行為に他なりませんから」

 彼女は得心したように頷く。

「私はこれを神や竜などと呼ぶつもりは無い、敢えて『災害』と呼称させてもらう」

 そして、と彼女は一拍置く。

「これは防災訓練などではない。一歩間違えれば犠牲が出るかもしれない。だが、我々はそれを乗り越えてでも――破壊装置それを全力で阻止しなければならない」

 樋場の決意は揺るぎない。

 迂遠な口ぶり、蒙昧かつ曖昧に聞こえる指令、昼行灯と誹られようとも、決して自分のスタンスを崩さない彼女が信頼されている理由は、ここにある。

 たった一つの目的のためには、目の前の多少の犠牲は厭わない。

 その場に居た全員が息を飲む中、ラキス・ルヴェントが口を開く。

「しかし、今は六月だ。防寒に意味があるかどうかは分からんが、薄着で作戦開始させるのはまずいんじゃないか?」

「そこについては問題ない。冬用の装備を最初から支給させてある。最初は暑くて動きが鈍るだろうが……ルルナリィに接触させない事を厳命しておけば、仇となる可能性は低いだろう」





 ――その結果が、これか。

 樋場莉玖は、厚手のコートを羽織りつつ、双眼鏡でその『災害』を睨めつける。

 瞬間、穴から見えていた竜がほんの少し首をもたげて――吼えた。

「ぐうッ……!」

 それは腹の奥から突き上げる程度の生やさしいモノではなく、矮小な生物に『今すぐ消えて死ね』と言わんばかりの、全てを吹き飛ばしかねない衝撃波だった。

 欄干に身体を預けながら、通信機に向かって樋場は叫ぶ。

「蘭堂! メーヤを回収しろ!」

『無理っす! 十二世界完全が隣に立ってるのに飛び込む勇気は無いっす!』

 





「おい……起きろ、起きろって!」

 ルルナリィ・マクロック・スティーンは、桐生明夜のの上半身を抱き起こし、何度かはたいてみた。目から一筋の血涙が流れているのを見て、彼女はそれを自分の服の袖でさっと拭う。

「すっげーぜ、ほら!ちゃんと目開けて、見てみろよ! おばけだ、おばけ!」

 すると、桐生明夜は目を閉じたまま、ゆっくりと口だけを開いた。

「……ごめん。目、開けてらんない。覆うもの、そこら辺にない?」

 ルルナリィはその問いかけに一瞬考え込むと、徐に先ほど彼女の血を拭った服の右袖を噛み千切り、らせん状に器用に切り裂いていった。

「キツかったら言えよ」

「ん」

 肘の辺りまで剥き出しになった上着には目もくれず、お手製包帯を明夜の目から後頭部に向けて結ってあげていた。

「でもよぉ、これ、よくよく考えたらもっと見えないんじゃねえか?」

 彼女の指摘とは裏腹に、桐生明夜はまるで全部見えているかのように、探る様子を一切見せず、無駄の無い所作で立ち上がる。

「ううん、大丈夫」

姿はちゃんと見えてる」

 そう言う彼女の口の端は、笑っていた。

「へぇ」



「そりゃ、良かった」

 彼女がそう言って笑った瞬間、二人の背中を影が差した。

 ルルナリィが脊髄反射のように空を見上げると、そこには既に太陽の姿は無く、先ほどまでのかんかん照りとは正反対のどんよりとした雲に覆われていた。

「おー、すげぇ曇ってきた。――つか、寒くね?」

「ええ」

 そう言って。桐生明夜は、くくっと声を上げて笑った。

「本当に」





 空中に突如広がった『穴』は、今や小さな家が丸ごと一つ入ってしまう程に巨大化し、そこからは白色の鱗を纏った竜が、その腹までもを露わにしていた。

 ごうごう、ばりばり。ごうごうごう、ばり、ばり。

 中心地ではその『穴』が拡大するたび、振動と腹の奥底を突き動かすような轟音が、不規則なタイミングでやってくる。

「周辺地域の気温、急速に低下。このままでは、三分後に氷点下に達します」

「ああ分かってる。各隊員は、奴の身体が完全に出てから攻撃を開始するように通達だ」

 身体が出る前に攻撃すると、穴に戻ってそのまま逃げてしまう可能性がある。

 それでは、本懐を達成する事は出来ない。

『強き者あり、見極めの時来たれり』

 その言葉は、言語化された表現では無かった。ひょっとしたら獣の鳴き声だったかもしれないし、格式ある楽器の音色であったかもしれない。しかしながら、その音が持つ意味合いは、その場に居る全員に、漏れなく伝わった。

「来るぞ……!」

 瞬間、穴が消え去り、竜の全体が詳らかとなる。体長はその顔の五倍以上あり、長い首に大きな腹、そして全身を覆う白色の鱗。

『我が名はヘッフェンラーグ。世界を見極める存在也』

『全員、態勢Aに移行! 可及的速やかに、世界の脅威を排じ――』突如として、樋場の命令が止まる。樋場は、握りしめていた通信機を降ろし、双眼鏡でその竜よりも遙か向こう側――既に封鎖されて誰も居ないはずの道路の真ん中に立つ、とある存在を見やっていた。

『……来たな、クソ野郎め』



×



「やぁ、やぁ! ここは本当に地球なんだね? 素晴らしい! 僕はやっと帰ってくることが出来たんだ!」

 少年は、笑みを浮かべたまま、誰も居ないはずの道を、その竜の方へ向けて歩いてくる。真っ黒く、切りそろえられた髪を風に靡かせながら、彼の目はただ一点を見つめていた。

「待って下さい! 一般人は――」迷彩服の隊員が近づいて声がけをしようとした瞬間、その身体が大きく吹き飛んだ。

「五月蠅いなァ」

 そう言って指をパチンと鳴らす。すると突如として、転がっていた隊員の身体が腹から裂ける。断末魔のような叫び声と共に、周囲が血に塗れる。

「キミはだ」

 隊員の亡骸には、この都会とは無縁そうな、無数の紅い花が咲いていた。しかし彼は目もくれず、歩みを続ける。

「動くな! それ以上動けば、異能特措法に従って強制排除に移行する!」

 しかし、既に彼を取り囲むように、十名程度の隊員が銃を彼の頭に向けていた。

「うるせェな……君たちは誰なんだ? ?」





「樋場ァ。お前がモタモタするから、また変なのが出てきたじゃねえかよ」

「ああ、そうだ、実に迷惑だな。しかしながら今現在はこの状況、少しばかり事故が起きてしまっても、問題ないだろう?」

 夜木は、大きくため息を吐いた。「上手く行くなら、それでいいんだが」

 樋場莉玖はそれを端に見ながら、通信機に向かって声を張り上げる。

「隊員各位に次ぐ。ポイントD付近から現れた異能者については、対象名を『ロゼ』と規定する。ロゼは植物系能力、焼けば何とかなる! 以上だ!」

 彼女の勝算を得たかのような笑みと裏腹に、夜木は渋い顔で深々と帽子を被り直し、屋上入り口の壁に身体を預けるのであった。

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