第11話 『それがあなたのルール』

オッソいなぁ」


「そう思わんか、お前?」


「あぁ、そうさ。お前ってのはお前だよ、これを見ている、だ」



×




 灰色の建築物で囲まれた半径五十メートルの鉄檻に、小さな小さな穴が開いた。

 煙も、爆発音も無い、日常から切り出された風景の一枚でしかない。

『死傷者は?』

 迷彩服に身を包んだ男の右手に握られた、黒い無骨な形をした通信機は、司令部HQと繋がっていた。

「こちら第十八分隊、確認中。目視ではゼロ。対象、混乱している模様」

『対象については構うな、各部隊は被害状況の把握を残り二分で纏めろ。第四隊を出す』

 通信が切れる。迷彩服にヘルメットを被った隊長格の男が、他の四人のメンバーの方を振り向く。

「引き上げだ。各自警戒は緩めぬまま、中央部隊に合流して――」

 瞬間、その隊長の声が途切れた。

 何かに気付いて言葉を切ったかのようなタイミングだったので、各隊員が武器を構えて顔を上げる。――そして、その異常に気が付く。

「よォ」

 戦場の緊張感とはかけ離れた、とても軽い挨拶。

 その言葉が放たれたとき、既に、『隊長』と呼べる人間は居なかった。

 ただその代わり――ルルナリィ・マクロック・スティーンが一人、乾いた笑みを携えたまま、右手を握りしめて立っている。

「遊びに来たゼ」

 もはや、考えるヒマなど無かった。相手の特性は全員が熟知していたからこそ、本能的に他の隊員は身体を動かしていた。

「撃――」

 そう誰かが叫ぶ。幸い、先ほどの緊張から全員が引き金に手を掛けていたせいで、四人は間髪入れずに攻撃行動に移行できた。

 しかし、銃口は火を噴く寸前で、一陣の風に遮られる。気が付くと、その銃身は熱に溶かされたチョコレートのように、でろりと歪な形に削り取られてしまう。

「散――」

「じゃあな。――二百十六世界完全ブランク・エンド

 この間、五秒。

 背中を焼く逆光に、一人残された彼女は少しだけ身をビル影に寄せながら、目標を探し始める。





 ビルの屋上では、相変わらず風がごうごうと音を立てながら、樋場莉玖の前髪を靡かせていた。

『第十七分隊、第十九分隊、被害者ゼロです』

 右手に握りしめられた受信機から、その一言を耳にした樋場莉玖は、澄ましていた表情を途端に硬化させた。

「ちょっと待て。?」

『い、いえ――そもそも、第十八分隊は。理由は……不明ですが。総司令の意図かと考えておりました』

 樋場は、持っていたレシーバーを壊れる寸前まで硬く握った。

「……分かった、これよりフェーズ2に移行する、内容に変更は無い。尚――指令部長、状況に混乱を来さぬよう、先ほどのような憶測に基づいた発言は控えるように」

 彼女はそう言い放つと、返事も聞かずに受信機の電源を切った。

「明夜。アイツ――アレを、戦場の真ん中で叩きのめせ」





「激昂めされているようじゃないか」

 強い風の中、背後で屋上入り口の壁に背中を預けていた男が、低く笑いながら言った。

 対して、樋場莉玖は、目を細めて遠くを眺めたまま、ゆっくりと呟く。

「夜木。人を殺す行為を許容する事は、出来るとお思いで?」

「社会的には、無理。個人的なら、ケースバイケース」

 樋場は眉根を寄せる。

「私刑は可と?」

「『俺はお前の感情まで止める手段を持ち合わせていない。やるなら勝手にやれ、俺が被害者や関係者でなければな』という言葉を省略したんだ」

「世間の隠れた本音――消極的な正解、というやつだな」

 普通の人間は、それを否定できないからこそ、自由を獲得している。

 樋場莉玖は、そう言った。

「その中で、極々一部の人間だけが、本当に他人の命を奪ってしまう。殺された人間は、もうそれ以上、動くことはない。金や価値を生み出さない。残るのは禍根と悔恨だ」

「法律の話なら大学でやれよ」

「私は、その認識を正したい。人を殺すことは、その人間の未来を奪う事だと、大ぼらを吹いている奴を、梟首にしてやりたい」

 夜木はようやく、詰まらなそうだった顔を崩し、口角を上げてフッと笑った。

「殺された人間が奪われるのは未来だけじゃない。その人間の尊厳、今生きていたいたいという思い、つまり過去現在どちらにも水を差す、愚劣な行為に他ならない。――だからこそ私は、ルルナリィ・マクロック・スティーンを断罪する」

「殺すのか?」

 夜木がそう聞いた時、樋場の手元の通信機がノイズをかき鳴らした。

『総司令、メーヤを放ちました。援護に回りますか?』

「いいや……放置しろ、監視も要らない。その間に我々は、の準備を進める」





 ルルナリィ・マクロック・スティーンは苛立っていた。

 ただ、それがどういう要因でそうなったのかが分からず、それが尚のこと彼女のモヤモヤを増幅させている。

「アンタ、私を撃っただろ?」

 五十メートルほど向こうに立つ彼女は、ゆっくりと縦に首を振った。

 ルルナリィはヘルメットを脱ぎ捨てる。汗ばんだ髪が、風で少しだけ揺れる。

「あの時からずぅっと、撃たれたところがジンジンいてぇんだ」

 こんなの初めてだぜ、と彼女は言い、一瞬だけ目を閉じた。

 と同時に、星が飛んだ。

 星が飛んで、痛みがゆっくりと眉間を走り――ルルナリィの身体も、少しだけ仰け反って――、倒れた。

「てめぇ、――」

 とっさに膝を立て、悪態を吐きながら顔を上げると、氷のような表情を携えた――遠くに居たはずの――桐生芽衣が、血の滲んだ右の拳を握りしめたまま、彼女を見つめていた。

 シ・カ・エ・シ。

 彼女の口の動きは、そう言っているように見えた。

「一方的に殴られるの、嫌い? でもね、家族二人分とヤコーギとであと二発分、赤字なんだよね」

「だってそれが、あなたのルールでしょう?」





 その光景は、漫画やアニメでしか見たことの無い、超高速戦闘なんかではなく、髪を掴んでは引っ張り、投げ、時折顔面や腹部に拳が飛ぶ、ただの喧嘩だった。

「おいおい。こんなものを見るために、お膳立てをしたってのか?」

 夜木は双眼鏡から目を離し、それを樋場莉玖に返却した。

「あなたの所感はどうでもいいので、コレ着てさっさと安全な場所へ行ってくれ」

 渡されたのは、黒い厚手のコート。六月という時季には、まったくそぐわない代物だった。

「やだよ、汗かくじゃん」

「じゃ、潔く死ぬがいいさ」

 背後からの文句を無視し、樋場は通信機からのコールをひたすら待っている。

 殴り合いがそこから六分ほど続いたとき。

『緊急連絡!』

 その鳴動に、彼女はいち早く反応し、声を上げた。

「反応か!?」

『はい、予測通りです! プランBへの移行を通達して下さい!』

「然り!」

 樋場はチャンネルを切り替え、全体へ通達を流す。

「これよりプランBへの移行を開始する! 全体、所定の位置に就き、!」

 彼女がそう叫んだ瞬間。空虚だった街の中を、大きな銅鑼がねを叩いた後のような、腹部の奥底から突き上げるような何かが、その場に居た全員を襲った。

 その間隔は段々と短くなり、耳鳴りで倒れそうになるかと思った時、今度は明確に、感覚が音を以て、桐生芽衣とルルナリィが殴り合っている丁度真上の部分に現出した。

「何だ!?」

「あれは――」

 ルルナリィが叫び、明夜は冷静にその方向を見やる。そこには、地下鉄を丸呑みにしてしまうほどの大きさの穴が、地面に対して平行に浮かんでいた。穴の向こうは、何故か真っ暗で、こちらからは何も見えないが、『何も見えない状況がある』という事は辛うじて二人にも分かった。

 桐生芽衣が聞かされていた指示は『ルルナリィと戦闘になった場合はその場で時間を稼ぎ、応援が来るのを待つ』というものだけであった。

「まさか桐生芽衣テメェ、この仕掛けでハメるつもりで」

「違う。だけどこれは――まずい」

 そう言い放つが早いか、穴から何かが出てきた。象の足のような太さを持ち、白い鱗に覆われた、右腕だった。

 やがて左腕が現れ、そして――面長に対となる長い髭、そして血のように紅い瞳を携え、鱗に包まれた顔が表出した。

「おいおい、どういうことだこれは? 見た事もねぇ、でっかいトカゲが出てきやがった」

「違う。あれは――」

 ルルナリィの言葉を訂正しようとして口を開いた桐生芽衣が、突然黙り込む。

「あれは……、何だよ」

 そう言って彼女がメーヤの方を振り向いたとき、既に彼女の身体は、背中から地面に向かってもたれ掛かっている状況だった。

「おい!」

 桐生芽衣はその両目を見開いたまま、赤色の涙を流し、気を失っていた。



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