第10話 『ブランク・エンド・マトリクス』

 光が殆ど届かぬ、監獄のような暗闇の中。

 ひとりそこに立つ少女は、両手の中に閉じ込めていた何かを、天へ向けて解き放つ。

 塊はゆっくりと羽を生やし、重力に逆らい始める。鳥籠の頂点に存在する、一縷の光を目指して。

 少女はそれを見届けると、彼の持ってきた一枚の紙片を、左手でつまみ上げる。すると紙は突然赤々とした炎を上げる。一瞬だけその炎に、少女の冷たい笑みが照らし出され、すぐに鳥籠は暗黒に包まれる。

「伝書鳩とは、何とも遅れた文明だ」

 少女はクッケケと笑ってそう呟くと、パチンと指を弾く。

 籠の中には、黒く塗りつぶされたキャンバスだけが取り残された。





「あら、お父様。アルマお姉様は?」

「――中部戦線に、夫と出向している。小数多の月が巡る後いっかげつごに戻るそうだ。そういうわけで残念ながら、本日は欠席だ」

「エイラ姉さん、ひょっとして会話の主導権を握れるからって、ほくそ笑んでるってワケ?」

「なッ、何を言うの、ウィント!? あろう事かお父様の前でその様な狼藉を――」

「エイラ! それにウィントも、静かにしなさい」

「ふんッ」

「ふぅ。……それで、エイラ、キリエ、ミシェ、ウィント、ロミン、レナ、ディン、メリー、フレイ。今日は全員に話がある」

「あ、あのぉ……お父様。リーザお姉様がいらっしゃいませんのですけれど……」

「あらあらあらあら、メリーったら、本ッ当に察しが悪いのねっ。アルマお姉様は別として、お父様がこうやって家族全員を円卓に呼ぶ理由なんて、たった一つしかありませんわっ」

「そうですわ、ミシェお姉様。――それに、メリー。貴方は何時からその末席近くからアーサーお父様にご用伺いを立てられるようになったのかしらね?」

「……メリー、ロミン姉様の言うとおりだ。座って」

「……分かったわ」


「メリー、それにフレイ、ロミンも、宜しいかね。話というのは――ミシェの言うとおり――九女リーザ・ヴィーンを、我がマクマイズ家から追放する」


「まさか!」

「メリー、座るんだ」

「でも……!」

「それはもう、覆ることは無い、つまり、我が愚妹はもう戻らないという事でよろしいのかしら?」

「その通りだ、ディン。リーザは

「軍? 指揮官にでもなるつもりかしら?」

「そう思うか? 腕っ節なら私にも引けを取らないアイツが、本当に?」

「あら……という事は、まさかとは思いましたけれど――本当に剣を取るおつもりなのですね?」

「そうだ。リーザは我々が代々築いてきた魔術の道を全て捨て、野蛮にも前線に出る、騎士としての道を選んだということだ。無論、私はその道を尊重する」

 ――その言葉に笑ったのは、フレイだけだった。





「何しやがった、てめぇ!」

 ルルナリィがそう猛って鋤島に飛びかかる。

 彼はふと笑みを浮かべ、まるで何かに身体を引っ張られたかのように、動作を見せないまま一歩後ずさって見せた。彼女の伸ばした手はそれに間に合わず、空を切る。

「……インチキ野郎!」

 今回の”作戦領域”を『壁』が取り囲んでいた。それは鳥籠というよりは、もっと冷たく直線的な、プラスチック製の虫籠に近い。

 鋤島糸里は、歪なリズムを刻みながら、彼女と距離を離していく。

「お褒めのお言葉、感謝申し上げる。『切札スリーブ』の使命は元より『監視』、こうして町中でドンパチやるのは、ポリシーに反するんでね」

 神在月泉かみありづきいずみをサブリーダーに据えた『赤薔薇ランカスター』、追儺幸ついなさちの所属する『五星宴フィヴス』、そしてここには存在しない、『狩猟社ティーアガルテン』、『トワール』、『寄生木やどりぎ』。この五つの秘密結社が鎬を削る世界の中で、そのパワーバランスを保つために存在する六つ目の秘密結社こそ『切札』であった。

 ルルナリィはギリッと奥歯を噛みしめると、被っていたヘルメットを脱ぎ捨て、左手で右手首を掴み、地面を蹴る。飛びかかる動作ではなく、地面を踏みしめて、鋤島の不可視の一撃を避けようとする。

「おっと、かけっこは苦手だなぁ」

 彼はそう嘯きながら背を向けて、ビルの裏道を走り始める。

 時々、ビルの壁面や地面に大きめの杭を打ち込んだような穴が開く。光の屈折具合をよくよく見れば、それが彼の放つ光の柱であると、ルルナリィにも分かってきた。既に暗い路地は終点に差し掛かり、その先は車の通らぬ四車線の道路だった。歩行者信号は赤く光っていたが、鋤島は既に中央分離帯の方まで到達していた。

 ここで堪えれば良かったものを、流石にルルナリィの理性はそこまで強靱ではなく、獲物を射程に得たと見て大きく跳躍する。目当ては彼の上に存在する街灯の柱。そこを起点にし、空中から追撃する――。

「正々堂々と勝負しやがれッ」

 その言葉に、ずっと背を向けて走っていた鋤島がピタリと足を止め、ゆっくりと彼女の方を振り向く。その顔は先ほど彼女と対峙していた時よりも、ほんの少しだけ眉がつり上がっていた。

「あァ?」

 瞬間、ルルナリィの身体が、腹部からくの字になるように弾け飛ぶ。不可視の光楔こうせつを彼女の視界の外からバットのスイングのように発生させ、叩き込んだのだ。

「正々堂々って言ったか、今?」

 少女は強かに地面に身体を打ち付け、二回ほど転がってから地面に膝を突き、少しだけ嘔吐く。

「お前が発するべき言葉ではない」

 鋤島はそう言って右手首を捻って鳴らし、踵を返す。

「くそォ」

 ルルナリィは、肩で息をしながら腹部を手で摩りつつ、そう呻いた。

じゃあな、Farewell,十二世界完全Blank-end.

 日光が少しだけ霞んでしまう程の光の柱が、彼女を押し潰す為にゆっくりと空中から振り下ろされる。

 手を出せば、それを打ち破るのは容易い。だが、そこから次の手が思い浮かばない。直感で殆どを選び取る彼女に、組み立てという概念は存在しない。

 ――だけど、こんな所では終われない。身体は動く。脳には少し酸素が足りなくなったが、もう数分で完全にリカバリー出来る。このだけが、どうしても欲しい。

「届けッ! ――届けよ、届いてくれよッ!」

 そう叫んだ瞬間、彼女が知らずの内に伸ばしていた右腕に、刃物を突き立てたような痛みが走る。

 瞬間、光の柱が空気に溶けるときの、薄氷を踏み砕いた時の音が、空虚な広場を

「……何だ、それは」

 鋤島の声に、初めて動揺が混じる。ルルナリィが視線を移した先の、右手から肘までをなぞるように――うっすらとした紫白色の、電気を可視化ような筋が、アトランダムに発生しては消えていく。




「樋場!」

 夜木と呼ばれた男が叫ぶ。

 樋場莉玖は我を忘れ、ビルの転落防止柵に近づき、双眼鏡でその光景を眺め始めた。

「見えている。そして直ちに鋤島を退かせろ、そして全員を出せ、もだ」



「そうか――そうかよ」

 光の筋はすぐに収まり、ルルナリィはゆっくりと立ち上がる。

 そして、口の端で少しだけ笑って見せた。

「おめでとう。これは、予測データに無い事態だ」

 鋤島はそう言いながら、一歩、また一歩と後ずさっている。その背後から投げかけられた声が、静寂に包まれた世界を破った。

「鋤島班長!」

 二、三十人ぐらいの迷彩服集団が現れ、彼の退路を確保するように、中心を空けた隊列でルルナリィに銃を向けていた。

「直ちに退却して下さい、ここから先は総動員で対応します!」

 ――だが、事態を目にした彼は、意外にも舌打ちをして見せた。

「馬鹿共が……」

 言うが早いか、鋤島はルルナリィに背を向け、その集団の元へ走り出す。

「鋤島班長!?」

 この時ルルナリィ・マクロック・スティーンは右腕を天ではなく鋤島の背中へ向けていた。腕がぶれないように、左手でその光の筋を再度浮かばせた前腕を、しっかり掴みながら。

「散開だ!」

「問題ありません、この距離なら相手の攻撃で消滅させられることは――」

「違う! あれは――」

 事態を受け止めきれない隊員達の様子を見ながら、鋤島は右前方と左前方に、虚数指定で展開した光楔を打ち出す。

 自分は地面を強く蹴り、前方に見えるビルの屋上目がけ、虚数光楔を数メートルごとに配置する。

「あれは――、照射式の十二世界完全だ!」

 ルルナリィの腕の先から――腕に纏った筋の色とはまた異なる――青紫色の太い筋が迸る。その直ぐ後に、大きな鉄の塊を落としたような衝撃波が、その筋の通った部分から放射状に生み出される

 鋤島が飛び去った場所に生えていた街路樹は――まるで大砲の弾で打ち抜かれたかのように――木の生えている方向と垂直方向の大穴が開いていた。自重を支えきれなくなったそれは、やがてバリバリと音を立てて崩れ始める。

 彼女は、その光景を見ながら――事も無げに呟く。

「これが、十二世界完全ブランクエンド――白き虚欺マトリクス

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