01-004 十二世界完全(ブランク・エンド)

第08話 「大義名分を得たのと同じなんだよ」

訳扇やこうぎはどうだ、ラキス?」

 『協会』極東第二支部の緊急対策室の端に、小さく明かりが灯っている。樋場莉玖は書類の山に目を通しながら、時折ボールペンを走らせている。

 他方、それを問われたラキス・ルヴェントは、黒色の帽子を脱ぎ、右手に持つ。

「無事に入院中だ。刃物ブツが、傷つけてはいけない神経や臓器の隙間を縫うように刺さっていなかったら――もとい、まかり間違って刺された後に少しでも動いていたら、入院があと一ヶ月は延びていただろうな」

 状況報告の最中で一瞬だけ樋場は手を止めたが、すぐに再開し、顔を上げることなく呟く。

「良いじゃないか、学校も休めて願ったり叶ったりだろ。荷物だけ置いておけば、





 病室で惰眠を貪っていた訳扇を起こしたのは、黒服の男達を引き連れた、彼が今まで見たことの無い青年だった。

「おっす、ワコーギ君。見りゃ分かるけど、樋場さんの差し金ね」

 残念ながらヤコーギです、と告げると、青年は脇に挟んでいたメモ帳を捲りながら、少しだけ慌てる。

「ゴメンゴメン、珍しい名字だからメモってたつもりだったんだけど……許してくれ」

「……そこまで、気にしていないですから」

 訳扇は自然と小声になる。目の前に現れた男の容姿に少しだけ気圧された為だ。

 髪はサイドもバックも刈り込んだベリーショート、背丈は訳扇と同じかそれより小さいかもしれない。

「刃状沙汰で浮き足立っているところに、水を差す形にはなっちゃうんすけど――いちおう、仕事っす」

 訳扇敬は、あの時の感触を思い出して少しだけ背筋が寒くなる。

 彼が、ラァナ――ルルナリィに接触を図り、綺麗に返り討ちに遭ってしまったのが、先日の十五時過ぎになる。意識は終始ハッキリしていたが、訳扇には自分がそこまで恐ろしい状況にあったという所まで認識が追いついていなかった。そこから最寄りの病院へ救急搬送され、今に至る。

「そんな予感は、してましたけど」

 ただでさえ六人満室状態だった病室の人口密度が急激に上昇したため、カーテンの外からこっそり覗く者、他人の振りをして窓の外やテレビに夢中になる者等、反応は様々だったが、当の訳扇が一番恥ずかしかったのは言うまでも無い。

「ああ、申し遅れちゃいました。僕は蘭堂仟らんどうせんっす。今は、樋場さんの使いっ走りだね」

 はぁ、と訳扇は気のない返事をする。もし蘭堂という男が同級生であったなら、さっさと用件を言って帰ってくれと突き放しているところだった。

「キミも、『向こう側』の人間なのか?」

「一応、そういう事になるらしいっす。去年の五月に来ました」

「故郷の見た目はこんな感じ?」

「うーん。まぁ、大体そうだと思うんすけど……」

 蘭堂は言葉を濁した。そこに、背後の厳つい見た目の男が何かを耳打ちする。

「あ、そうだったな。じゃあ訳扇君、行きましょう」

「え? 何処に?」

「十二階です」

 この病棟は六階で、エレベーターも十一階までしか止まらないのを既に五度ほど見ていた訳扇が、首をかしげる。

「――ちょっとお金を多めに出すと入れる、個人病棟です」

 荷物は着替えだけだったので、ビニール袋に詰め込むだけで事足りた。

 松葉杖を突きながら、貧乏学生のような出で立ちの男が一人、こんな豪勢な真似をして良いのか、と訳扇は若干の罪悪感を覚える。蘭堂はそんな彼を連れ、普段多くの患者が使っている狭小なものとは異なる、関係者以外使用禁止の張り紙が大きく扉に張られた、荷物搬出用のエレベーターへ向かう。

「多分だけど、この病院を指定したのって樋場さんだよね?」

 背後にも無数の荷物――訳扇の持ち物ではない――をカートで運んでいる男達が乗っていたが、訳扇はそれらを無視して蘭堂に話しかける。

「きっと、そうっすね」

 やっぱり、と少年は訝る。

「それにしても、訳扇君はネイティブ……もともとそっちの世界生まれの人間なんすよね? それがここまで手厚くして貰えるなんて、樋場さんの弱みでも握ってるんすか?」

 生まれはもちろんそうだけど、と訳扇は答える。

「それもこれも僕が偶然、そっち側から来た女の子を拾ったからなんだけど」

 そして、彼はエレベーターが上に到着し、該当する病室に着くまで、その経緯について蘭堂に話した。

 あの雨の日、メーヤという少女に偶然出会い、そして傘を差しだしたこと。

 彼女を連れて、誰か助けてくれる人を求めて彷徨っていたときに、樋場莉玖という存在が現れ、手を差し伸べてくれたこと。

 その関係が、三年経った今でも継続していること。そして恐らく、これからも続いていくこと。

「聖人君子じゃないすか」

 蘭堂は目を丸くしながらそう言ったが、訳扇は首を横に振る。

「あの人からしたら、実験サンプルが一つ増えたぐらいにしか思ってないんじゃないかな」

「あー、成る程。だから今回みたいに、渦中の人物に単独で突撃インタビューとかさせちゃうんすかね」

「いや、残念ながら、今回の件は完全に僕の独断だよ。自業自得と言ってしまえば、一番すっきりしてしまうタイプのやつだ」

「……それにしたって、今みたいに肩を刺され、右手はケガで包帯、更に足も捻挫したんすよね? あの樋場莉玖が、ここまでされることを予期してなかったとは思いがたいんすけど」

 蘭堂仟という男は、粗野な風貌とは異なりなかなかに察しが良いようだった。

 訳扇は少しだけ認識を改める。

「別に今更、自分の事だけならそこまで気は立たないよ。これで、対象が一般人であろうと無かろうと、関係者はみんな同じ事になるって認識が広まったわけだし。あの人にとってみれば、大義名分を得たのと同じなんだよ」

 そういうもんなんすかね、と蘭堂はいまいち納得がいかなそうな表情をしていた。

「じゃ、コレ。樋場さん曰く『今日中に一箱は処理しろ』だそうです」

 部屋が開き、広い病室の中をようやく拝む。大型テレビに冷蔵庫、専用ナースコールが整備されていて、外部に繋がる電話も設置されていた。食事も、どうやら普通の患者のものと比べておかずが二品ほど足されているらしい。ホテルのスイート・ルーム程の快適さは得られそうに無いが、それでも少しだけ気分は楽になるかもしれない、と訳扇は窓の外の景色を見ながら、思考を少しだけポジティブな方向へと傾け始めていた。

 ベッドに腰を下ろし、一息つけると訳扇が思った矢先、医療用ベッドを取り囲むように、無数の重たい『検品前』、蘭堂が持った感じでは空っぽと思われる『検品後』と書かれたダンボール箱が置かれ始める。

「ところで――樋場さんには厳禁って言われてたけど――質問いいっすか。何なんすか、これ?」

 箱の中身を見るまでもなく、訳扇には樋場の依頼内容が分かっていた。という事も。

「内職ですね。検針みたいな、アレです」

 ふーん、と蘭堂は頭を掻きながら、ダンボールの山を見ては、どこかに中身が漏れ出ているモノが無いかを確認しようとしていた。

「本当に国家機密なんすかね?」

 こんな小さな病院に、国家機密を詰め込む方がどうかしている、と訳扇は言いたかったが、それをパシリの蘭堂に対して投げるのはあまりにも詮無いので止めた。

「じゃ、何かあったらそっちの外線で、樋場さんにでも電話しちゃって下さい。一応、僕でも良いんすけど、しばらくオンコール体勢は取れなさそうなんで」

 訳扇は左手を振り、蘭堂達に礼を言う。

「――そんなわけで、仕事終了! 一旦ここは解散っすよ、次は討伐作戦っすからね」

 ドアの向こうで、蘭堂のそんなかけ声が聞こえた。

 ――討伐、か。恐らくは――、と考えたところで、訳扇は布団を被る。

「優しかったよなぁ、アイツ」

 そして、それ以上の事は言わなかった。





「人払い、完了しましたぁ。じゃ、私はイズミちゃんと一緒に動くね」

 橙に近い茶色の髪の少女が、ボソボソとそう呟いて、ビルの屋上を後にしようとする。

「ご苦労だった、追儺幸ついなさち。褒美には何を所望する?」

 追儺幸という女は、にこりともせずに独特の間を保って答える。

「イズミちゃんと二人で住めるぅ、最高級マンション?」

 その表情、眼差しは、驚くほど真摯だった。

「考えておこう」

 ドアが閉まるのを見てから、樋場莉玖は持っていたトランシーバーで告げる。

「全体連絡、全体連絡――おーし、じゃあ殺すぞ」

 風が強くなる。樋場は懐から取り出した眼鏡を掛けて遠くを眺めながら、ゆっくりと告げる。

「一班以外は総員準備だ。後は各班長の指示通りに動け、想定外の事態エクセプションは都度連絡する。以上、大主任からの直接報告は以上となるが、最後に一つ、厳命だ――」

 樋場莉玖は一息ついて、視線を空へ移す。昨日のかんかん照りがウソのように、世界は曇天で塗り上げられていた。

「――絶対に、死ぬな」



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