01-003 衝動の行方

第06話 「肯定と見なす」

 余りにもあっけない。

 柄にも無く、拳骨で老人の顔を二、三度殴ったら、もう動かなくなってしまった。

 モノを壊す感覚をすっかり忘れていた自分だったから、ひょっとしたら手加減が出来なかったのかもしれない。そう考える事にした。

 ――あの時。ビルの向こう側から、あの女に右肩を撃たれてから、どうも調子が良くない。

 澄んだ水に、一滴の泥を垂らして延々とかき混ぜられているような感覚。

 今もこうして、撃たれた箇所をさすっている。傷は無い。銃弾も残っていない。それなのに。

 ――ああ、そうか。アイツは、私の敵なんだ。

 復讐など微塵も考えない、空っぽの悪意が、とうとう自分の元にやってきたのだ。



 目の前にそびえ立っている城は文化遺産でも何でもなく、桐生の家。水色の屋根、端には鯱……ではないが、金色の魚みたいな装飾。

 家の囲いの向こうは確かに別世界で、丸形に切りそろえられた庭木、庭石、鹿威しに小さな池まである。本当に、金持ちのステレオタイプみたいな要素をどこまでも詰め込んだ家だった。玄関の引き戸は取り外され、引っ切りなしに黒スーツの男達が出入りしている。

 訳扇は隙間を縫って玄関に入り、靴を脱ごうとする。その時、廊下の向こうから――姿は見えないが――、明らかに彼に向けられた樋場の声が飛んできた。

「土足で入れ」

 訳扇は少しばかり頭を下げてから、他の男達に倣って中に入る。

 確かに現場は、玄関から奥の階段まで、台風が通った後のような光景だった。書類が飛び散り、高そうな壺が粉々に砕け、が千切れ飛んでいる。そして――血痕。ふと目についた、破れた障子を引くと、その中も目を覆いたくなるような光景だった。部屋の隅の古式ゆかしい桐箪笥は段々状に開けられ、中身が畳の上に乱雑にぶちまけられている。

 訳扇は、先ほど樋場の声がした、玄関から五番目、向かって西側の部屋に入る。

「樋場さ――」

 訳扇は口をつぐんだ。部屋の中には樋場と、そしてメーヤが立っていた。桐生芽衣は何も言わずに、その光景に目をやっている。

 襖と畳に残された、大きな血溜まり。先ほどの廊下とは明らかに血液量が異なる。そこから窓の外に向かって、引きずられた後まである。

「(これは、これは――)」

 そこから何があったかを察するのに、時間は必要なかった。

「盆栽の鉢と、あとは隣の木に、だったそうだ」

 残酷な状況をさらりと説明してから、いやはや、と続ける。

「これはもう、、子供の意地の張り合いに成り下がった」

 窓の向こうに何も無いのは分かっていたが、視線を向けるのは躊躇われた。

「意味が分かるな、桐生芽衣? アイツは自分のポリシーに縛られた哀れな獣だ。そして、この光景を刻み込め。これはお前の落ち度でもある――」

 その言葉に、訳扇の頭が突沸を起こした。

「あの時、何故仕留めきれなかった? 訳扇が居なかったからか、それとも横槍に翻弄されたか?」

「樋場さん!」

「説教中だ」

「でも!」

 樋場の前に躍り出ようとした体を止めたのは、メーヤの右手だった。

訳扇ヤコ。樋場の言葉は間違ってない」

「でもそれは、ここですべき話じゃない!」

 ふん、と樋場莉玖は鼻を鳴らす。

「確かに、死を悼むのはこの世界の人間の慣習のようだが、それで何が救える? 感情にを付ける時間なら、後で何ヶ月でもくれてやる。――が、残念ながら――今は原因を潰す方が先だ。お前の我が儘で立ち止まっている間に、お前の責任が及ばない人間が無差別に死んだら、お前はそいつらの感情も拾いに行くのか?」

 訳扇は言葉も無い。

「だから、桐生芽衣。次は殺せ。これは、正式な命令だ」

 彼女は、黙って頷く。

「メーヤ、キミは本当にそれで、」

 言い切る前に。桐生芽衣は、そのまま玄関の方へ歩き出した。

「肯定と見なす」

 樋場は訳扇と、表情一つ変えない桐生芽衣を携え、また車に戻ってきた。

絶祖マギステル。お戻りで御座いますか?」

 運転席には、神在月泉が座っていた。後部座席では、ラキス・ルヴェントが寝込んでいた。

「イズミ、お前は運転免許を返納しろ。お前は全く覚える気が無いだろうが、これは十八度目の忠告だからな」

 神在月はため息をつくと、車を降りて鍵を樋場に投げ渡した。

「折悪しく、それには応えかねますわ、。身分証明書というのは、存外便利なモノですよ」

 樋場莉玖は、その反論には応えず、黙って運転席に乗り込み、エンジンをかける。

「急な流行病だか何だか知りませんが、私たちはここに残って現場の保全ですわよ、ラキス・ルヴェントさん☆」

 酔いで今にも色々と吐き出してしまいそうなラキスだったが、神在月から流れ出る泥のように引きずり下ろされると、訳扇と桐生芽衣を乗せて車は発進する。

「私らの連携が遅かったと取るか、向こうの仕事が早すぎたと褒めるか……ま、こんなんは責任の押し付け合いだろうから、誰かがどっかで諦めてケツ拭きせにゃならんワケだが。これから四日間缶詰めで、国に報告書作業だな、こりゃ」

 向こう一年は私も給料カットだ、と事務所に戻るなり彼女はぼやいた。

「いいか、特別扶養の家族――特に、全く関係の無い人間が犯罪に巻き込まれるなんてことは下の下の下、あってはならない事だ。それは後々――こんな口頭ではなく――、正式に謝罪が伝わるだろう」

 樋場は引き出しから書類を次々に取り出し、コピーを取り始める。

「訳扇、お前は帰れ。……命が惜しいなら協会の施設を貸与してもいいが、どうする?」

 すると彼は、ゆったりと振り返る。

「お気持ちだけ、で」

 樋場莉玖は、どこまでもつまらなさそうな顔をしている。

「これは強制にも近いという事を分かっているか、訳扇? お前が桐生芽衣のサポーターになるんじゃないのか?」

 ええ、確かにそのような事は昔言ったことがあるかもしれませんが、と続ける。

「僕なんかより尊き命を――もっとたくさんそこに収容してあげるべきでしょう」

「勘違いするなよ訳扇敬。お前ではなく、お前に連なる命が無碍にされる可能性があると言っているんだ。お前が手前勝手に死んでも構わないが、お前以外の人間が死ぬと他の誰かが悲しむ、と前もそんなことを言った筈だがな」

 嘆息。

「――分かりませんか、樋場莉玖さん?」

 踵を返す。ドアが開く。

「僕、以外と表情には出ないタチなんですよ」

 彼にはもう、迷いは無い。



「さて。話を聞かせてもらおうか。私の嘆願書の山を代わりに処理するでもないくせに、それを妨げてまで伝えたいこととは何だ?」

『はい。彼――雁ヶ屋匠の不死性がどこまでのものか検証した結果です。事前説明無く申し上げると、彼はという事になります』

「……切るぞ。私は眠いんだ」

『ちょっと待ってください。屍者や吸血鬼のような超再生能力ではない点が、厳密な不死とは異なるのです』

「つまりビデオ・ゲームのように、死ぬとその場で新しい存在に入れ替わるという事か」

『その例えはよう分かりませんが――それは分かりやすく解釈なさってください。なので彼は平行世界理論をその体で証明し、尚且つ遡行時の影響を強く受けにくい存在と言えます』

「お前のその興奮がどこから来るのかがまだよく分からないのだが?」

『はい。それでざっと関連機器を用いて試算させて頂きましたが――その存在は三十二京ほどと見られています』

 指折り数える。ゼロが十六個とか十七個とか。

「はーい電話切りまーす! 眠い頭に計算させないでくださーい!」

 受話器を叩き付けた。

「――随分と大儀な会話だな」

 声がする方を見ると、事務所の隅の安楽椅子が、不規則なリズムでギコギコと音を立てて揺れている。

「あぁ。シャカにセッポーってヤツだったがな」

 返事は無い。

「雁ヶ屋工、なぁ。何がそんなに面白いんだ。こいつそのものは全く面白味の無い復讐鬼――いや。実現できない復讐を永遠に繰り返し続ける、復讐器とでも言うべきか」

、何時調べ物なんてやってるんだ」

「……

「おう、ご苦労。それじゃあな、

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