Between. 5.5 人間未満の住まう街
ワード:福岡厄災
意味:一九六〇年九月三〇日、現福岡タワー周辺で起きた大規模災害。多くの建物が倒壊し、火災が発生。死者は三〇万人に及んだ。原因は不明とされているが、不可解な目撃例も多く、異能者達が寄り集まって実行したテロ事件とも噂されている。
☆
尋問から、二時間が経っていた。私がこの世界で初めて出会った彼は姿を見せなくなり、代わりにその審問官――樋場莉玖は私を真っ黒な車に乗せると、どこかへ繰り出していく。
「外はあまり見ないで欲しいな。予見の無い外界知識の吸収は混乱の元だぞ。……とはいえ、スモークも無いこの車じゃ、ムダな忠告だが」
ぶつぶつと何か文句を言っているのを聞き流して、私は窓の外の高層建築物を見やる。行き交う人々の服装、どこまでも真っ直ぐな、舗装された道路。観たこの無いはずの景色だが、特に違和感は無い。
「この世界は、窮屈だと思うか?」
車はやがて、地下の駐車場に入って停車する。降ろされてから、樋場はにこりとしながらそう聞いてきた。その笑みが死ぬほど気持ち悪かったので、首肯するはずもなかったが。
「精神的に、か。それとも――」
いや、と運転手は言葉と
「着いた。そこの取っ手を手前に引けば、ドアが開くぞ」
空気は少し冷えていた。電灯が等間隔に、明々と灯っている。車は全部で十台ぐらいしか留まっておらず、私は黙って樋場の背中を追う。その先では、大柄な人間が両手を広げてもまだ足りない程の、金色に塗られた門が開いてこちらを待っていた。
「エレベーターだよ。デザイン性は最悪だが」
その二十人は乗れそうなエレベーターに僅か二人で乗り込み、箱はどこまでも登っていく。
「樋場」
「何だ。気になる事なら何でも答えてやろう、今日の天気から私の足のサイズまで、な」
「私をさっきからずーっと視てるのは何だ。尋問は終わったんじゃなかったのか」
樋場莉玖は、車中でも――バックミラーからすぐに分かった――エレベーターの中でも、ずっと私のことをなめ回すように見ていた。俎上の鯉に、憐憫の感情でも沸いたというのか。
「お、分かる? 流石、さっきから全身殺気立ってるだけはあるな」
彼女がわざと茶化しているのが分かったから、それ以上刃を向けることはしない。だが、その興味、関心、全てが煩わしい。私にとっては、それだけの話だ。
「まー、諦めたまえよそこは。キミは、この世界にとっての”異物”なのだから」
――そして、私にとっても。と、腕組みをしていた彼女は、右手でこめかみをトントンと叩いて指を鳴らすと、続けた。
「そうあらねば、死なのだよ――とは思っているね」
行き交う人は、次々に彼女に挨拶している。彼女は首からぶら下げていた何か――カード?――を壁の機械に通す。すると、観音開きの扉がゆっくりと開いて、本棚に囲まれた一人用の大型デスクが見える。
「ようこそ、私の家へ」
本、本、本、書物。背表紙の色だけで世界中の色を表現できそうな程の種類、厚さ、そして押し寄せる威圧感。中央に置かれた黒っぽい机の上には日に焼けた用紙が山のように重なり、外側では雪崩が起き、パーソナルスペースは猫の額が焼け落ちた後のように狭い。おおよそ、人間が作業をするような場所では全く無かった。
「で、ようやく手続きなんだが」
樋場は、地面に落ちている紙や本を気にも留めず、ヒールで踏みつぶしながら机の反対側へ回り、引き出しを開いて、羊皮紙を取り出した。
羊皮紙。……何故?
「まず大前提として問おう。元の世界に帰りたいという気持ちはあるか?」
無い。
考える余地もない事だ。
「嘘ではなさそうなので、この後用意されていた捻くれた質問は全部パスだ。じゃあまず、コレに必要事項を全部記入してもらおう。あぁ勿論、キミの元いた世界に準拠したもの、文字、言葉で記入して貰って構わん」
名前。……名前?
名前、って何だろう。私はメーヤと呼ばれたことはあったけど、果たしてそれはどこ由来のモノだったのだろうか。
なぜ? いつ? どうして?
考えても考えても、たどり着けない。生後の記憶、誰かに育てられた記憶はあるのに――私がそういう事になった過程が抜け落ちている。そんな、気がする。
「――ストップだ」
その声に、意識を引き戻される。
「何を考えてるか知らんが、いいから黙ってお前の記憶の中にある名前を書け。お前のホームシックに付き合う気は無いんだ」
名前。自宅の住所(無いと言い張った)。それから、覚えている限りの『世界を離れた日の日付』。
これが一体何になるのか。そう思って顔を上げると、樋場は分かっていたかのように講釈をたれる。
「書いておかないと、もしまかり間違ってキミが元の世界に帰る事になった時、元の世界でキミが異物になるんだぞ?」
久しぶりに字を書いたから、腕が痛い。樋場に左手をマッサージさせながら、二人でまたエレベータに乗り込み、今度の箱は下に向かう。
「……狭っ」
その光景に感想が口をついて出てしまう。それに背の高い女がくす、と笑った。
「
それは、地獄だった。窓の無い、無機質な空間。電灯は中央部に白色灯が一基。家具は簡易的な寝床と、気持ち程度に仕切られたトイレだけ。見た目上は白色で綺麗に保たれているが、この小さな扉に鍵が掛かってしまえば最後、人間が一日保つかどうか、私には保証できない。
ただ、これは牢獄でも独房でもない、それよりも下の――先ほどの『地獄』は過言だとは思うが――、何かである事は間違いない。
「噂に聞くに懲罰房というあだ名だったが、確かにこれは私も嫌だし、キミを迎え入れるという行為に全くそぐわないな」
パン、と樋場は両手を合わせて、提案を促した。
「改善の余地あり、としておこう。速やかに改善できなければ、ここを潰してキミを高級ホテルに連れ込んでやる」
そう言うなり、彼女は壁にゆっくりと触れる。すると、メリメリと音を立てて――無地の壁が崩れ落ち、部屋が鏡写しのように、倍の面積になった。
「窓も欲しいだろう」
そう言って壁に手を触れると、そこが真四角に、豆腐のように剥がれ落ち、あっという間に風通しが良くなった。
「メシは出る。ただし、モノは壊すな、一般人も殺すな。査定が下がる」
たった今施設を破壊した人間の、説得力の無い拘束。
「今、ちょっとだけ耐えてくれ。君の為の場所を、直ちに用意させる」
――結果的に言えば、その孤独は一日と二時間ほど続いた。その間、銀色のトレーに乗せられた形式張った食事を口に放り込み、排泄は部屋の隅で。気温湿度は寝るときも快適に保たれていた。
その間ずっと、虚無を感じている事が多かった。これからどうなるのか、私は死ぬのか生きるのか。元いた場所に追い返されるのか、それともここに骨を埋めるのか。そんな疑問が過ぎるのはほんの一瞬のことで、実際は扉の向こうに誰が立っているのか、非常時に武器になる物はあるのか、樋場の寝首を掻くには一体どんな手段が有効なのか、等といった事をとりとめも無く考えだし――最後の三時間は、完全に無心だった。
「――いやぁ、遅れた遅れた! 極東第二から欧州第一までの弾丸旅行はやはり体に悪すぎるな。技術部に提案して、ワープ航法でも発明させてみるか」
入口の扉が割れんばかりの勢いで戻ってきた彼女は、大きめの、太った茶封筒を抱えていた。
「まずは結果から述べよう。お前の名前は、今日から桐生芽衣だ。メーヤは……まぁ、コードネームみたいに使えばいい」
……?
一瞬、言葉が出なかった。
「別に、そんな庇護が無くたって、私は生きていける」
封筒で頭を叩かれた。
「アホか。そしたら私がキミに仕事を振れなくなるだろうが。名も無き殺し屋に仕事を頼む公的機関がどこにある」
表だって生きることを公に許可された、という事か。
「おかしい。至れり尽くせりだ。たかがそこら辺に落ちていた人間相手にここまでする、樋場莉玖、あなたの意図は何だ」
その時の思いは……言葉に出来なかった。殺したいとか殺したくないとか、邪魔とかそうでないとか、そんな事が全てトイレに流された糞尿のような、斬新な感情。
「喜怒哀楽すら知らんのかキミは。それは嬉しいと言え」
――とはいえ。夢、という概念も、樋場から教わった。私は何も知らないまま生きてきたし、知る気も無かった。
『――メーヤは、それだけ知っていればいい』
メーヤは、殺す機械だから。
機械は必要最低限な事以外は、学ばなくていい。
そんなことを、昔、どこかで密かに聞いた気がする。本人も、聞こえているとは思わなかっただろうから、何もしなかったけど。
だけどアイツは、そうやって逃げようとする私の肩をしっかりと掴んで放さなかった。
「知識を身につけることは、頭ごなしに勉強するという事ではない。これから遭遇するあらゆる事柄に対し、備える。そして、キミが知らないことに対しての
最初、彼女は自分の事を『
「時間圧縮ではないが、現代で年相応に生きていくのに必要な知識は、三時間五十分あれば覚えられる。あぁ、時間の概念は分かって貰えるかな? 極々たまに、そういう所から教える必要が有る人も居るから、念のための確認というヤツだ。なぁに、福岡厄災からまだたったの二十五年強、キミも私もまだまだ若輩者だよ」
そう言って、樋場莉玖は席を立ち、こちらへやって来ると、私の前で止まった。
「
そう言っている時の彼女の表情の意図は――今でも、よく分かっていない。
「ようこそ、
これは、私の再起点。あの時私は、****を殺して、一緒に死んだんだ。――そういうことなんだろ、誰かさん?
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