第04話 『万国吃驚ゴミ処理機って事だ』

 少女の名前は誰も知らない。生まれてこの方天涯孤独、死んではいないが、もはや生きているとは言いがたい、そんな人間だった。

 きっかけはささいなモノだった。手の平に乗るものが、まるで寒い日に降る雪のように、ふわりと解けて消えていく。どこまで消えるか、少女は試すことを始めた。石が消え、岩が消え、建造物が消し飛び、そして――人が消えた。

「――ならば、俺の所に来い。世話してやる」

 ――最初の記憶は彼女には無かった。する事も無く、死体処理に便利だからとその能力を買われ、最初に手を下したのが誰かなど、まっとうな人間であれば覚えているはずもない。彼女も、最初のうちはそうだったのだ。だが、それが二十を超えた頃には、彼女は数えることを――感情を傾けることを煩わしいとさえ思うようになっていた。

 言葉が話せないと彼女は闇雲に手を下そうとするので、国家騎士団の世話役の者達を総動員して彼女に言葉と知識を与えた。そんな国賓級待遇を受けられるのも国家としての色々な腹積もりがあったのだが――彼女は露も知らない。

 彼女にとって、為政者から賜った賃金で借りた家の象牙色の壁に、自分が看取った人間の数をひたすら刻み続ける事だけが『趣味』となった。

 それが寝床側の壁一面を埋め尽くした頃にやってきたのは、存意不適、所謂不敬罪で逮捕された少年だった。

 ――ああ、この子供は私だ。彼女は一目見て確信する。

 少年は感情を発露することなく、光の無い目で彼女を終始見透かしているような雰囲気だった。それが自分の生に対する諦念なのか、意思のない人間に残った、たった一つの反抗なのかは、彼女には終ぞ分からなかったが。

 裁判は同じ罪状の人間が同日に九十二人検挙された為、三時間程で全員一様に済まされた。

 与えられた罰は等しく銃殺。

 彼女は止めなかった。そんな選択は端っから失われている。顔中皺だらけの将校達が、無表情のまま彼らの頭と腹をち抜いた。

 。老人が、大人が。男が女が、男とも女とも付かぬ容姿の子供が。

 その瞬間を、彼女は正眼で構えた歩兵銃の先で見つめている。

「(――これで、誰が、何が守られたってんだ?)」

 瞬間、彼女の中で、踏み抜いてはいけない最後の一線が砕け散るような音がした――そんな気がした。気がした、というのは。彼女の中でそのような感情に出くわしたことが無かった為である。

 正義は永久不変の理論では無く、場所、時代によって変容する。だけど彼女にとって――正義を背負わされることを強制された人間にとって、そんな答えに行き着く為の道は大抵が遠回りに遠回りを重ねた先にある。

 だから――その行き場を求めて、彼女は、。その人間を罪に問うことで、被害者は何が守られた? 加害者には本当に過失しか無かったのか?

 彼女の職業柄――処刑人は公務だった為、下手人の名前はすぐに知ることが出来た。だが、その目論見が上手く行くはずも無く、彼女は叛意ありとすぐに捕縛され、濫用罪で収監される事となる。

「私は――オレは何も――」

 何も、悪くはなかった。

 それは、ほんの少しの知的好奇心。自分の行いが正しいという義憤などではなく、それはのだ。

「オレは悪くないから――誰が悪いのか、ずっとあの暗い部屋で考えてた。誰も邪魔しなかったから。誰もオレを悪人とは見なさなかったから。じゃあ、本当の悪人は誰なんだ? ――あぁ、今分かった、分かったぜ。――だから、

 そんな少女の名前を、誰も知ることはない。



「この――スズナリィだか何だかっての」

 樋場莉玖から渡された調書をバシバシと叩きながら、彼女が運転する車の中で桐生芽衣はそう喚いた。

「ルルナリィ、だ。たまには話を真面目に聞きな」

 ルルナリィ・マクロック・スティーン。やってきたのは今から五年前。能力詳細は不明だが、通名は『対象復讐者』、能力には『十二世界完全B・E』と書いてある。

も、こいつも、名前と顔をしっかりと刻み込んで、出会い次第ぶっ殺せ、容赦はいらん」

「そんなの、ちゃんと見ないと分かんねーよ」

 メーヤの最終的な価値判断は他人の見聞に依らない。彼女の能力『引く標縄サンクヘヴン』――樋場の命名――は、視界に入った一人について、一度目の反応と、その行動を受けて起こす二手目の行動までを『視る』ことが出来るとされている。

『引く標縄、と書いてサンクヘヴンだ。凄いだろう?』

『変』

『何でだ! せっかくキミの元世界から賜った言葉に相応しい由来を選んできたというのに』

 オ・ジート。メーヤが元いた世界では、彼女の能力はそう呼ばれていたそうだ。正確な意味は不明だが、樋場は彼女の意思をくみ取ってそう命名した。

『うれしくはのちの心を神も聞けひく標縄の絶えじとぞ思ふ――藤原顕季だ。神への誓願と言ったが、これは恋の歌だな。あぁ、神よ! この恋が長続きしますように! って事だ。恋路ぐらい自分でなんとかしろと言いたいもんだが、時代背景を考慮に入れなきゃその程度だ――』

 例えば、相手が丸腰の一般人であった場合、メーヤはそれにあらゆる要因を考える。「居眠り運転のトラックが接近する」「背後から刃物を刺す」「脅しをかける」等々――そして最後が「何もしない」。メーヤは、それに対する相手の反応――「逃げる」「絶命する」「前と同じ行動を続ける」――を視る事が出来る。そしてそれは、どんな不可解な行動――異能力――であっても同じである。そしてその特定の行動に対し同じように行動を加えた結果の行動――二手目までを瞬時に見る事が出来る。

 一対一ならば、まさに敵無しといった能力であった。

「そういや、メーヤ。今日はお前の嫌いな定期健診だった気がするが? まさかサボってないだろうな」

「サボってねぇっス」

 メーヤはそう言ってむくれた。

 人間外れの能力を有する者の中には、本人ないしその周囲に代償を課すものもあるため、その影響度合いを調査することが義務づけられている。

 彼女の場合は、視力。ただし、彼女の目は先ほどのように遠くのビル屋上の異常事態を発見できるほど、常人離れしたものである事は付記しておく。

「詳細は今現在、私を以てしても不明だが――十二世界完全は【成長する】。そして今、協会の懸案事項になっている中で一つ気になっている事が有ってな。それがピタリと当てはまれば、もしかしたら――」



「あれが、対称復讐者リベンジメトリィ――ルルナリィ・マクロック・スティーン」

 メーヤがそう呟くのを、背後の男は聞き逃さなかった。

「知り合いか?」

 首を横に振る。

 一方、ルルナリィと呼ばれた少女は、右手で顔を覆いながら、血走った眼で二人を見やっていた。

「はぁ-、くっだんねぇ。これでオレの仕事オブジエンド、って事か? オーテヒシャトリ、ってヤツか?」

「金取りまで付けても良いぜ、この状況」

 何言ってんだこいつ、みたいな目をしてルルナリィは続ける。

「ひっでぇ。せっかくのオレの善行行脚を止めようだなんてな。お前らは悪魔か?」

「善行行脚ぁ? お前の素性なんて知らんが、覚えておけ」

 男は、左手でルルナリィを指し示す。

「――この雁ヶ屋工かりがやたくみに悪魔だなんて称号は軽すぎる」

 刹那、影が跳ねた。それはルルナリィが地を蹴って、雁ヶ屋工の顔面を右手で押さえつけようとする姿だった。

「おせぇ!」

 タクミはそれを直前で左に避け、彼女の伸びた腕を即座に掴み挙げると、その勢いを利用したまま背中から投げ落とした。ヴッ、とルルナリィの呻き声。

 その間、メーヤは二人の間を、まるで発泡スチロールのようにふわりと浮いたコンクリート片を見ていた。

 ルルナリィは背中を軸にブレークダンスのように勢いを付けて立ち上がり、やや距離を置く。そしてパーカーの内部から彼女の二の腕ほどの長さはありそうなサバイバルナイフを取り出し両手で握り、タクミに向ける。

「はぁ?」

 彼我の距離は、引き金を引くには近すぎる距離だった。タクミは距離を開けようと足下に力を入れるが――それを見て、メーヤは気付いたように叫んだ。

「前に跳べ!」

 タクミは既に姿勢を取っていたためいきなり方向転換は出来なかったが、立ち止まったまま左足を振って彼女を蹴り飛ばす。

「――なるほど」

 吹き飛んだナイフは、空中を何回転もして、ふわりと軽い音を立てて地面に落ちた。それを見ていたメーヤは、何か薄い点と点が、ゆっくりと線を形作るのを感じていた。

「(まさか、ルルナリィこいつは――)」

 メーヤのその思考を遮るように、タクミは右手で指を鳴らし、得意げな笑みを浮かべた。

「オーケー、オールオーバー! 全ての絡繰り見破ったり、って事だ」

 瞬間、ルルナリィの左足が彼の顔に飛ぶ。タクミはそれを手の甲で受けつつ、拳に勢いを付けるために腰を左に捻る。彼女はそれを分かっていたかのように、右手をその左手めがけて伸ばす――!

「いいぜ、そのツラ――」

 その手に紅い筋が走った。

 手裏剣を対角上に分かったような見た目のそれは、メーヤも見たことの無い刃物だった。それが――ルルナリィの右手を貫通していた。

 呆気にとられた彼女の腹部めがけて、タクミは即座に銃を抜いて発砲した。銃弾は左手でその場をなぎ払う事によりまるで雲のように消失し、彼女には傷一つ付けられない。

「痛みの感情が、無い――いや、もはや痛覚も無いと見た」

 一瞬、血が吹き出て――そして、刃物は消え失せ、傷口はゆっくりと収縮していく。まるで、治癒力が人並み外れているかのような光景。

「だが、お前の能力範囲は手の平だけ。手の甲は、手の平で触れない限り傷を消せない」

 つまりだ、と締めに入った。

「お前のご大層な力は、【消す】という言葉に特化した――万国吃驚ゴミ処理機って事だな」

 ルルナリィ・マクロック・スティーンは、手で触れたモノを、任意で何でも消す。先ほどビル床を脆くしたことから、質量や重さといった概念的なモノも対象にとる事が出来るのだろう。

「――うな」

「あ?」

「――を、オレのコトヲオレノコトヲ、嗤うナああああああああああああああああああァァァァァァァァッッッッッ!!!!!!!!!」

 空気がビリビリと震える。彼女の怒りがオーラとなって全身に伝わる。まるで獣の咆哮、大砲の一撃、地を撃つ雷。その波濤が先ほどよりも比べものにならない弾丸となって、タクミを穿った。

「根っからの戦闘狂だな」

「タクミ!」

 ルルナリィの表情は、勝利を確信していた。その左腕は、雁ヶ屋工の口を握り潰さん勢いで塞いでいた。

「まずは、お前からだ。零――、三――、十二――、二一六世界完全ブランク・エンド

「――タクミ!」

 時間が止まった。

 ――無論それは勘違いで、その場に居た誰もが呼吸が止まったような感覚に陥っていただけであった。無音の空間には、ビリビリとした音だけがざわめいていた。

「……あぁ?」

 タクミは――、平然とした顔で、躊躇無くルルナリィの腹部に右膝を叩き込んだ。

「随分とたのしい虚仮威しパフォーマンスだな」

 その言葉で、ようやくルルナリィの表情から笑みと真顔以外のものが引きずり出された。

「俺の言ったことが間違ってないこと、分かって頂けたかな」

 その時、チラッとタクミが彼女の方を見やった。メーヤは何事かを察し、尻餅をついていた姿勢から、片膝を付く姿勢にゆっくりと切り替える。

 同時にメーヤは、片膝を付いていたルルナリィの手が、地を舐めていた事にも気がついた。

「――ダメ!」

 メーヤは立ち上がり、彼の首根っこを引っ掴んで背後の扉から走り出していた。

「なっ、放せよ!」

 全意識をルルナリィの次の一手に注ぐ。こいつは次に何をする? どう間違ったら、自分たちは殺されてしまう?

「――アイツを殺すんじゃねぇのかよ!」

「お前は何を見ていたんだ! もう、ここは――!」

 だからこそ、ここが三階だの、落ちたら死ぬだのという――そんな予感よりも早く、二人の身体は非常階段の欄干を蹴って、自らの力の及ばぬ宙を駆っていた。

 ――ああ、こんな時にアイツが居たら。

「――メーヤ!」

 そして桐生芽衣は、その恐ろしいほどの都合の良さに、口の端を歪ませた。これは勝った、と声の主の姿は見えなくとも確信してしまっていた。

 そしてその言葉通り、彼女の目の前のビルが、まるで彼女を噛み千切ろうとする獅子のように迫り来る。

 メーヤは彼の身体を掴んだまま、落ち行く身体を、ビル二階の枠に空いていた手を掛け、窓を割って押し入った。硬い床でガラスを踏まぬように着地を取ると、彼女は即座にタクミのポケットから拳銃を抜き、両手で構えて――左人差し指で引き金を引く。

「寄るな!」

 その弾は――こちらに向けて飛びかかってきていたルルナリィの左二の腕を穿っていた。

 ――瞬間、ビル同士が勢いよく激突し、閑散としたオフィス街にコンクリートをたたき付ける重たい音が響き渡った。

 

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・桐生芽衣

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