01-002 復讐は平等に、私刑は不平等に
第03話 『やってみろ、ゲロブス女』
――肉体は一対一だが、感情は一対一とは限らない。この世界には人を呪わば穴二つという言葉があるらしいが、まさにその通りで――言い得て妙、と言うらしいが――、恨みは大抵連鎖する。
すると何が起きるか? 戦争である。昔、嫌と言うほど見てきた、赤錆びた死の風だ。それを止めるには何が必要か?
根絶だ。禍根を断つには一方的な暴虐を止めるほか無い。感情をもてあましてしまう人間には、当然の報いだ。
恨みの発生源に興味は無い。その人間が育ってきた中で培われた感情に、逐一心を傾けるのが面倒だから。そんなことをやっていては――仕事は一生終わらない。
「あ-、コレ一応、言いま~す。――幸か不幸か、私はあなたに
右手の指をコキコキと鳴らす。
「これで全部チャラだ、悪党」
†
ああ! と少女は嵐の中で嘆き荒んだ。
法律で公的に私刑が赦されてから、六十一年と五ヶ月が経過した。施行以後、対称犯罪検挙件数は千飛んで五十一人。千人を突破したのは今から八年前の事で、当時の法務大臣は意味も無く、ただそこにあっただけで、マス・コミュニケーションからの弾圧行為に遭い、間もなく辞任に追い込まれた。
刑法の第二百条の条文は諸氏もご存じであろうが、そこがすり替わっていることにご留意願いたい。
『前条(一九九条。つまり殺人)の罪を犯したものを殺害したものは、累犯の無きように処断する』。つまり、言ってしまえば『一度限りの復讐を許可』したのである。
成立当時、戦後間もない事もあり、忠臣蔵等の創作された教義を信じ込む臣民からは篤い賞賛を受けた。
「そして――私は彼女を殺した」
刻限既に日付を跨ぎ、鬼哭啾啾とした埠頭の中に少女は佇む。もうこれで終わりなんだと、骨の髄から虚脱する。
少女は通り一遍の――勿論この世界での常識であるから、その普遍性と読者のそれとを比ぶるのは無駄であるが――少女でこそあったが、少しだけ人とは違う何かを感じていた。
簡素に言ってしまえば、相手の考えていることが分かった。もうすこし突き詰めて見よう。彼女は、相手がこれから何をするかが分かった。長い付き合いの、行動原理を把握した知己でなくともそうである事が分かった頃には、自分自身でもそれが他人と異なる事なのだと理解していた。
最初の内はそれを明け透けにしてしまっていたから、より深く彼女の事を知っている人ほど、それを畏怖の対象としていった。十二の齢を過ぎた辺りには、彼女と真面な関係を築こうと思う者は居なくなっていた。
土砂降りの中、紺色の雨合羽を被った二人は、海に面した大型倉庫の前で最後の話をしていた。
「メーヤ、この人。この人を殺して欲しいの。……大丈夫、少年法と復讐法があるわ、あなたは義手になるだけよ。あとは私がいれば、あなたは生きられる。そうでしょう?」
無を引き裂く銃声。
少女が震える両手で握った拳銃の先にあったのは――木曽居麻の俯せになった亡骸だった。胸の中心を穿った銃弾は、彼女から生命を徐々に奪う。合羽に血溜まりが出来ては、雨に流されていく。は生への渇望を叫喚することはなく、恨みがましく叫ぶでもなく、突っ伏したまま呟いた。
「じゃあね、メーヤ」
メーヤと呼ばれた少女は黙して倒れ込んだ少女に近づき、頭と心臓に一発ずつ接射した。もはや、この顔を伝う水が涙なのか汗なのか雨なのか、分からなくなっていた。
「神が何よ運命が何よ誉れが何よ生まれが何よ! 私は何もしてない! 私の正しさは、何も産んでくれない! そんな世界、最初から願い下げてやるってんだ!!!」
そうして、一生分の虚無と虚勢を吐き出して、彼女は永遠の沈黙へと身体を埋めた。
†
――退座鍵音の残件処理から一週間が経過した。
『ああ、じゃあそれで――。退座暁暗殺の時に話が出て以来だが、ようやく尻尾が掴めたな』
訳扇が事務所に入ると、樋場莉玖はこちらに背を向け、新品で白色の固定電話を相手にそんな事を言っていた。やがて、話が終わるとゆっくりと彼の方へと振り返り「よぉ訳扇。今日もまた一段とつまんなそうな顔してるな」と言った。
「ずいぶんと上機嫌ですね。何かあったんですか」
無論、彼女にとって何も無いときなどない。こうして部屋に居ながら仕事が出来るのは、彼女の身体が不自由である事への配慮による。
「いや。まだ、何も起きていない」
「何も……って、またそのパターンなんですね」
樋場莉玖の言う『対処』は基本的に後手である。被害報告があってから――実際に人が亡くなってからでないと、動こうとしない。
『そういうのは臣民の血税を受けた警察機構がやることだ』
無碍に殺されているのも同じ臣民なんですけどね――とは、当時の訳扇の言である。
「ま、メーヤには念のために辺りをうろつかせてる。先週みたいにここが蟻地獄となれば良いんだが――そんなに簡単にここの存在がバレても困るというのもある」
この事務所は普段から人払いの呪いを掛けている、というのは樋場が常々言っていることであったが、それがどういう仕組みで行われているのかを訳扇が聞いた事は無かった。時折、彼女に用があるとやって来る客は居たが、その時に限っては訳扇も桐生芽衣も事務所を追い出されてしまうのだ。
「いい加減にしてください。メーヤは女の子なんですよ、せめて人並みの生活をさせてあげるのが、あなたの最大の役割なんじゃないんですか」
「訳扇、これは危急存亡の秋というやつだ――この秋を『トキ』と読むのは秋が収穫の季節だからなのだが――まぁそれはともかく、下手を打てば桐生芽衣どころか、人類が吹き飛びかねない大事故に発展しかねない。そしてそれは我々の手で是非とも阻止しなければ、ということだ」
「そんな危ない才能を放置するあなた方のほうにも問題があると思いますけどね」
「む、言うじゃないか青二才。確かにそれはそうなんだが、アイツには拘束という手段が殆ど使えないので、殺すしか無いんだが――三年前に目撃例が出た後、音沙汰が無くてな。単刀直入に言わせて貰えば、これが最後の奴を止めるチャンスになるかもしれん」
「だからいい加減、メーヤにポケベルなり、携帯電話なりを持たせてあげてくださいよ。緊急連絡が取れないから、勝手に彼女が事を済ませちゃうんですよ」
樋場は、一瞬だけ訳扇にもったいなさそうな顔をした。
「それは考えたんだが」
普段そう言うと、樋場は決まって「節約」だの「アイツだけを特別扱い出来ない」だのと言い訳をするはずなのだが――この時だけは違った。
「……?」
「今回に限っては、そんな悠長にしていられないだろうな」
樋場の言葉は迫真めいていたが。
その顔は、少しだけ笑っていた――ように、訳扇には映った。
†
幸か不幸か、その時既に――事は始まってしまっていた。街に無数にそびえ立つビルの中の一つ、そのとある屋上に、偶然メーヤが見つけた、誰かが誰かを追い詰めている光景。
「――見やがったな?」
屋上の扉を蹴破った瞬間に何が起きたのか、メーヤには一瞬理解が出来なかった。
彼女より少し背の高い、ビリジアンの線が入った紺色のパーカーのフードを目深に被って顔の見えない誰かが、おびえる男の首根っこを掴み、持ち上げると――男は氷のように溶けるでも無く、砂のように崩れるでもなく、最初から何も無かったかのようにと消え去った。
――何だ、あれは。
「ふッざけんじゃねえよ。コレじゃあ、平等にならねえ」
その声は男子にしては高く、女子にしては低い声だった。言ってしまえば、その声だけで性の区別は付かなかった。言うが早いか、不審者はぐっと踏み込んでメーヤとの距離を詰める。彼女は見計らって背後へと飛び退き、片膝を突いた状態から何かを放った。右太ももに仕込んでいたペティナイフだった。誰かはそれをは避けられないと踏んで、右手で弾き飛ば――さなかった。
ナイフは飛ばずに、まるでマジックのように、煙よりも潔く消え失せてしまう。メーヤにはその光景すらも見えていたが、その原理は今このように実際に見ても理解が出来なかった。
「
謎の存在は、死を恐れずに飛びかかってくる。純粋な格闘では、メーヤの方に勝算があるはずで、それを強く確信しているメーヤと同じように、目の前の存在もそれを何となく感じ取っている――はずなのに。
メーヤは真っ直ぐに伸びてくきた右手を左手で払うと、左手を振り上げているのを見透かし、その脇腹に左足を叩き込む。鈍い感触と共に、相手の身体は少しだけ宙を舞う。――が、そのまま相手は振り上げた手を地面に置いてしまう。
「――床だ!」
彼女の背後から、聞いた事の無い男の声。と同時に、突如として二人の足下の床が崩れる。まるで障子に穴が空くようにほろりと崩れ去ってしまい、下階のうち捨てられた領域にメーヤは尻餅をつく。と同時に、今まで床だった天井が次々に剥がれ落ち、傾き掛けた太陽がむき出しのコンクリートを照らし出す。
「コイツはマズいぞ。おい
背後から、数分前のメーヤのように扉を蹴破って、先ほどの声の主が笑みを浮かべつつ姿を現す。手入れのされていないべたべたの髪を後ろで一つに纏めた、訳扇よりも少し背の低い男だった。
メーヤは首を横に振る。
「アイツの能力が分からないから、何とも言えない」
――そもそも分かっていたら、こんなにど派手に床をぶっ壊したりしない。メーヤは背後の男の思考を探るが、敵対心は無く、むしろメーヤに味方してくれる確率の方が高かったが、もしもの事を考え、残りの言葉は口に出さなかった。
「なんだテメェら、グダグダ引き延ばしやがって。気がついたらカレシみてーな奴が増えてるし、今日は厄日過ぎるぜ……」
ふぅ、と嘆息すると、背後の窓に触れる。すると先ほどと同じようにガラス窓が消え去ってしまう。まずい、とメーヤが思った矢先、背後から小さい呟きが聞こえた。
「――耳を塞げ」
そいつが窓枠に足を掛けると同時に――鉄骨が地面にたたき付けられたときのような、銃声が三発、響き渡った。
時間が停止したかのような静寂。その存在は窓枠に足を掛けたまま、自由な左手をこちら側に開いていた。
――また、銃弾を消し去ったのか。メーヤがそう思った瞬間。そいつが深く被っていたパーカーのフードが、まるで首筋に鋏を入れたかのようにはらりと切れ、落ちた。
「テメェらァ、俺の顔を見たな」
最初、メーヤには横顔しか見えなかったが、長い髪をつむじの辺りで団子に纏めている、メーヤと同じか、もしくはそれよりも若く見える女性だった。それがゆっくりと振り返ると同時に、その表情は憎々しく歪んでいく。
「クソガキじゃねえか。あんな酔狂な真似する奴ァ、もっと気の狂ったゴロージンだと思ってたぜ」
「天地神明に誓わなくともぶっ殺す……!」
白銀色の自動拳銃を両手で構えたその男は、ニヒルに嗤うと、彼女に向かって宣戦布告した。
「やってみろ、ゲロブス女」
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