20.風に吹かれても、ひとりぼっち
私はいつもの習慣に従って、戸棚から化粧箱を降ろす。
中から取り出した手鏡には、腰まで長い髪を持つ、見知らぬ大人の女性の姿が映っていた。髪に櫛を入れながら、ほんの少しだけ笑ってみせる。
いまだに自分の姿に慣れる事がない。一度は望んだ姿だというのに。
もし彼女が大人になれたのなら、このように私の目には映ったのだろうか。
つやつやして、たっぷりとした黒い髪。
一日たりとも手入れを欠かさない、私に残された数少ない持ち物。
彼女は言っていた。
向こうの世界に引き込まれたくなければ、少しずつでもいい。この髪の毛を切るのだ、と。
でも、そうしない。
これは彼女の持ち物でもあるのだから。
私は、託された最後の『ふたりのもの』を大切に扱わなくてはならない。
ふと、梳く手を止める。
日の光が照らしつつある海原の遥か空の彼方。
かつて、あの町の空にあった黒い物体を思い出す。
今の私には分かる。
あの時、先端に吊り下げられていたのは、やはり全て人だったのだ。
それが食事なのか、それとも何かの刑罰だったのかまではわからない。だけれど、彼女は確か悪いことをした者はああして罰せられるのだ、と、言っていたはず。
私は、どんな怪異相手でもへっちゃらだ。
普通の人がおそろしく思うであろう存在に出くわしても、怖くもなんとも思わない。
でも、あれは……どうなんだろう。
……。……もし何かの間違いで、そこに彼女がいたら?
そう考えると、息も、できなくなる。まるで氷の塊をのどに詰まらせたかのようだ。その場に櫛を取り落として、大きく息をついた。
目をつむる。
瞼の裏には、燃え盛る炎のかたまりが映っている。
それはあの禍々しい夜を彩った炎なのか。それとも、この世界から彼女を解放したものなのか。
眼球を焼き続けるこの炎の渦は、私を生涯、離さないだろう。それは、あの晩、彼女と犯した罪の結果であり、彼女を失った私に課せられた咎でもある。
俯く私の襟元を、潮を含んだ朝の風が吹き抜けていく。
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