12.やどかり

 中は懐中電灯で照らしてみても、隅の方まで見えないほど闇が濃かった。

「…………」

 すぐ隣にいる舞ちゃんも、何かを感じているのか一言も口を利かない。

 とにかく早く済ませてしまおう。

 ほとんど記憶を頼りに、像の前に足を運ぶ。

 懐中電灯で照らし出された像を前に、わたしは立ち竦んだ。

 ―――この像、顔がついていない。

 そんなわけがない。

 まばたきする間に、顔は戻っていた。

 でも、この空虚な感じはなんだろう。そうだ。どうして、こんなに気配が無いのだろう。いつも昼見た時に感じていた、あの重い存在感はどこに行ったのだろう。

 その時、不意にこんなイメージが湧いた。

 …………ひょっとして、初めから像には何もなかった?

 じゃあ、お堂の中に詰まっていた、あの生きているような気配は、いったい何?

 やどかり。

 ゾッとした。

 その、何かが、毎晩毎晩、うろつきまわっている、というそんな光景。

「ねえ、早く」

 せっつかれて、わたしはあわてて櫛を取り出した。

 真っ暗でどこに置けばいいのか分からない。

 でも、たぶん。

 ここで、良いはず。

 震えている舞ちゃんの体を引き寄せ、わななく指を抑えながらマッチに火をつける。ここには、明かりがもっと必要だ。わたしが祭壇に蝋燭を移す間に、舞ちゃんがもう一本、手さぐりで点けようとしていた。

 二つ目の蝋燭の火で、わたし達の影は幾つにも重なって、壁に大きく映し出される。


 その瞬間、背筋が凍りついた。

 いる。

 入り口だ。

 わたしは、祭壇に手をやった姿勢のまま動けなくなった。

 舞ちゃんでさえ、息を呑んだままピクリともしない。

 思い出せ。わたしがここにこの時間にやってきた理由。

 そうだ。

 期待通りに、彼らはやってきたのだ。

 わたしは、振り返らなかった。

 高い声、低い声。はしゃいでいるのか、泣いているのか分からない、無数のひそひそ声たち。人には理解できない、だぁいすきなお祭りが、彼らの心をはやらせる。

 その声たちは、お堂の前でひときわ甲高くなった後、静まりかえる。

 ―――まるで、もっと興味を引かれるものを見つけたかのように。


 蝋燭の明かりが急激に小さくなる。

 いや違う。闇がそれだけ濃くなったのだ。

 わたしと舞ちゃんは、祭壇の前でしゃがみこんだ。

 お堂中に誰かが立っているようで、まともに顔が上げられない。

 ただ手を合わせるだけなのに、

 手足の挙動ひとつひとつを見られているようで。

 神様へのお願い事。

 なんだっけ。

 何を言うんだっけ?

 そのセリフは、まるで命乞いをするかのように、わたしの頭の中に響いた。

『わたしを、隣の子のように、美しくしてください』

 ……。

 …………。

 ………………。

 どれぐらいの時間が経ったのだろうか。

 ふと膝の痛みで我に返って、わたしと舞ちゃんは同時に顔をあげる。

 目の前の祭壇では、蝋燭の炎が何事もなかったかのように、か細い音を立てていた。

 舞ちゃんは立ち上がると、その一つを手に取った。

 今にも燃え尽きそうな蝋燭を見つめるその瞳の中で、小さい火花が散っている。

 そして、こちらを向いて、何を言おうとしたのか、口を開けたその時、

 わたしは気が付いてしまった。 

 彼女の背後に誰かが立ってる。それも大勢で。

 声もなく大口を開けて笑っていた。

 今度こそ完全に顔色を失ったわたしを見て、異変を察知したのか舞ちゃんも凍りつく。

 その瞬間。

 彼女の指に、溶けあふれた蝋が、かかった。

 小さい悲鳴。それと共に放り出された蝋燭。

 蝋燭は、火のついたままくるくると宙を舞って。

 そうしてお札の束が捧げてある部屋の隅に転がっていって。

 暗くなった。

 そして、わたしは見てしまった。

 舞ちゃんの頭上を。


 ああ、なるほど。

 と、わたしは変に納得していた。

 みんなの話す声。みんなの足音。みんなの気配。

 『一塊』だから、こんな狭いところに入ってこられたんだ。

 ただ、しゃべる口がいっぱいあって、歩く足もいっぱいあっただけのこと。


 蜘蛛。いや、ちがう、やどかりだっけ。

 無数の顔の下で、這いずるように毛むくじゃらの脚がうぞうぞと伸びている。

 

 どれぐらいの時間が経っただろう。

 気が付くと、ベットの中でうずくまっていた。

 ここは自分の部屋だ。

 次第に痛みが強くなってくる手首の関節を抑えながら、記憶を振り返る。

 ――無我夢中のまま舞ちゃんの手を力任せに引っ張った、気がする。

 ―――お堂から飛び出して月明りの下を走った、気がする。

 ――――稲穂が、銀色の海のように波うっていた。

 ――――――異様な気配に煽り立てられて、思わず振り返ってしまい。

 ―――――――何か、黒いモノが、お堂の中から、でてきたような。

 怯えきっている舞ちゃんをなだめすかして、ちゃんとまた明日、会おうね、と無理やりに別れて。

 ひとり田んぼを走って、音を立てないように窓を開けて。

 全部、本当の事だろうか。

 現実感のないまま、ぼんやりと膝を抱えていると、嫌にひんやりと冷たい足に気がついた。

 おそるおそる毛布をめくると、そこには泥まみれの外履きの靴が転がっていた。

 わたしは頭を抱える。


 そして、本当の大事は、その直後に起こったのだ。

 気が付くと、外が騒がしい。

 近所の人達が皆起き出してきたようだ。

 興奮で艶めく彼らの声に感化され、自分も憑かれたような目つきになって窓ガラスに頬をつけると、ちょうど無数の赤いランプが走っていく所だった。

 その先の空は、一面真っ赤だった。禍々しい光が揺らいでいる。

 お堂は燃えてしまった。

 全焼してしまったのだ。

 さっき顔を合わせていたモノのこと。わたし達がしでかしてしまったこと。


 わたしはベットに潜り込んで、ガタガタ震えていた。

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