5.お堂
お堂の掃除が終わっても、まだ太陽は高いところにあった。ちょうどよい頃合いだった。わたしと舞ちゃんはお堂の床に座って、彼女のお父さんが持ってきた遅めのお昼ご飯を食べていた。
水拭きしたばかりの木の床の感触が、働きまわって熱くなった足の裏に気持ちよい。やかましくがなり立てているセミの声も、このお堂の中にいると、まるで別の世界に隔てられているように感じる。
わたしはおにぎりをほおばりながら、お堂の中を見渡した。広さは、大人がぎゅうぎゅうにつめて5、6人は入れるぐらいだろうか。
あれだけ念入りにお掃除をしたというのに、お香の匂いがまだ漂っていた。装飾品もお供え物を置く棚も、普段から丁寧に扱われているせいもあって、どれも艶やかに匂いたっている。
でも、ほんのちょっとだけの違和感。
お堂の外側と中身が、ちぐはぐな気がする。
切り出したばかりの木の香りがまだ胸にすんとくる内装が、いかにも年季が入った屋根や外壁に比べて真新しすぎて、どこか不釣り合いなほど明るく感じるのだった。
「ホントウはね。もともとここには別の神様がいたらしいんだ」
わたしの疑問に、訥々と、でも、話慣れた口調で答えてくれたのは、舞ちゃんのお父さんだ。
背が高くて、鼻すじが通っている所が彼女によく似ていて、それなのに、全体的になんとなく野暮ったい所はまったく似ていない。
ヘンな人。本人には絶対言わないけれど。
「この土地を長く見守ってきた神様だったらしいんだけれど、何も残ってなくてね。お供えどころかご神体さえも残ってなかった。このお堂だけだったんだよ。残されていたのはね」
彼は、このお堂を教団から任された時のことを思い出しているのか、目を閉じて、ひとり感慨にふけっていた。
「……それで、せっかくだから新しく神様をお迎えすることになったんだ。本部からたくさん人がやってきて、みんなで中身を入れたんだよ。まあ、いわば神様の引っ越しだね」
「やどかりみたいだね」
そうわたしが感想をいうと、舞ちゃんが笑った。
「さつき、それ、面白い」
「このお堂、なんだかとっても不思議な感じがする」
「古いからそんな風に感じるんだよ」
「古いものには、魂が宿るんだよね。使ってない箒とかちりとりとかが神様になるやつ」
本当に、何気なくわたしがそう言うと、とたん、舞ちゃんのお父さんの笑顔は微妙なモノに変わり、舞ちゃんはぎくりと身体をこわばらせた。
ぴきり、と、手元に持ったコップから麦茶の氷が割れる音がする。
しまった。
ここでは、それはNGだっけ。
今わたし達を見下ろしている、あのへんてこりんな土偶みたいな像だけが、彼女たちにとって良い神様で、それ以外は全部ウソだということになっているから。
その辺かなり微妙なところで、お化けはギリギリセーフだけれど、古いものが百鬼夜行のように動き出して、ましてや神様になるという世界観はアウトだということらしい。
わたしが固まったのを見て、お父さんはやれやれといった笑みを浮かべて、わたしの失態をスルーしてくれた。
舞ちゃんも、笑みを唇に貼り付けて
「さつきちゃん、それは『お化け』だよね」
と訂正する。
わたしは頷いて、小さくなった氷を残りの麦茶ごと口に入れて、わざと音を立てながら噛み砕いた。
コップのガラスに反射して、お堂の像がわたし達を見下ろすように映っている。
ご飯の後は、ふたりして正座して並び、お父さんのお話を聞いた。
隣で座っている舞ちゃんは、これは『子供の仕事』だから、とそれなりに真剣な顔を見せている。わたしも同じ顔をする。でも、こっそりとこうも思う。
偉そうにしている人の前で、こうして神妙な顔をしていればよいだけなんて、ずいぶん楽な仕事もあったものだね、と。
舞ちゃんの手前、そんなことは絶対言わないけれど。
すぐ目の前で、背を正して真面目そうに話を聞いている小学生の女の子が、そんな事を考えているともつゆ知らず、舞ちゃんのお父さんは、いよいよ真剣にお堂にある像の由来について語り始めた。
――昔、遠いところに悪い神様がいて、偉いお坊さんが退治してくれたこと。
―――今も怒らせないように、こうやって祀っていること。
――――お供えをした上でお祈りすれば、願いを叶えてくれるということ。
練習が終わった後、わたしと舞ちゃんをお堂に残し、お父さんは家に帰っていた。
舞ちゃんの家には、信者の人がみんな集れる広い居間がある。
けれども、遠方から人がいきなりやってくる事も多いから、そこで遊ぶとお父さんはあまりいい顔をしない。
今日も遊ぶのならこのお堂の周りだろう。子供が遊ぶとしても、そこは女の子ふたりきりだ。何かあっても物を壊したり、無茶に暴れたりなんてしない、と、彼は信じている。
それに、……ご飯を食べさせてもらった身の上で悪いとは思うけど、できれば彼女のお父さんにはあんまり近くに居てほしくなかった。
わたしは、おにぎりを包んでいたラップをごみ袋に入れると、お堂の外までお父さんを見送り、ごちそうさまでした、とお礼を言った。
舞ちゃんのお父さんは、笑って手を振る。そうして、お母さんによろしくね、と言った。
わたしは目を見開く。
上機嫌で鼻歌を歌うその背中に、口をつり上げて笑顔を作りながら舌を小さく出した。
誰が、お母さんをあんたにやるといった。
このお堂を、手に入れるために、さんざんあんたの教団が地元の人と揉めたことだって知っているよ。
無理やりこのお堂に押し込まれたこの像で、どれだけお金を巻き上げているのかってことも。
そのおかげで、わたしはここでは友達ができなかったんだ。
鼻息荒く振り返ると、お堂の中、開き戸の向こうで、舞ちゃんは『神様』の像を眺めていた。
わたしは、開き戸の上半分によりかかって首を乗せた。片足をぶらぶらさせる。
「舞ちゃん?」
彼女は振り返る。くすくす笑いを口に貼り付けている。
「こっちおいで、さつき」
彼女の言う通りに、明るい夏の日差しから暗く乾いたお堂の影へと一歩踏み入れると、滲み始めていた汗がすっと引くのが分かった。
「さっきの話、本当だよ。ちゃんと神様はお願いことを叶えてくれるの」
「そうなんだ」
知っていた。
この像に何かが入っているということぐらい、お堂に初めて連れてこられた時から、ちゃんと気が付いていた。
この場所は変わっている。真っ赤な幟はお祭りのようで、お供え物の脇にあるおふだの束は短冊そっくり。誰にも簡単にお参りできるように、と申し訳程度につけられた開き戸も、鍵もついていないから、泥棒がいたら入り放題。
でも、変なのはそういう外見の事じゃない。
時々、まるでひとつの大きな生き物みたいに感じる、こんな建物は初めてだった。
やどかり。
「この『神様』はお父さんが言うように、どんな願いも叶えてくれる。家族だって。健康だって……」
彼女の顔には、表情というものがなかった。やさしい顔つきなのに、何の感情も伝わってこない。
「でも、ただじゃダメなんだよ。お父さん達はお布施の事しか言わないけれど、ほんとはお願いにふさわしい物もお供えしないと、神様が怒っちゃうの」
ふたりして像の顔を覗き込む。
「神様はね。真夜中にこの像にやってくるの。その時がお願いのチャンス。誰にも見られちゃダメなの」
アブラゼミが入り口の柱に止まって、やかましく鳴いている。
「これ、本当だからね。嘘じゃないから」
この時のわたしは、彼女の言葉の意味をまだ知らない。
でも、記憶にある限り、ここまで寂しそうに笑う彼女を見たことがなかった。
その瞬間。
このお堂の空気が大きくゆらいだ。
それがまるで神様がこのお堂にいて、彼女の言葉を励ましたかのように感じたから。
わたしは、彼女の言葉を、そのまま肯定してみせた。
「うん。『本当』だよ。分かるよ。絶対、誰にも言わないから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます