第25話√月待
さっきまで昇り続けていた月は傾き、地平線に消える準備をしようとしていた。見張りをしていればそのうち眠気も来るだろうと思っていたのだがその様子は一切ない。
あの後、神湊に自分に用事があると言って会いに来たらしい猫又の事を聞かれたが、
月待「自分の事が嫌いだったみたいでして。これ以上一緒にいるのが耐えられないと言ってどこかに行きました。」
と嘘をついた。神湊はそれ以上言及してくることはしなかった。恐らく嘘だとバレているだろう。だが、本当のことなど言えるわけがなかった。いくら相手が望んでいたとはいえ、自分は人を殺した。そんなことを言ったら神湊は間違いなく自分の元を離れるだろう。誰が好き好んで人殺しと一緒にいるだろうか。
今冷静になって考えてみれば、自分は猫又に対してそれなりの友愛と少なからず愛情を持っていたことが分かる。今思えば8日間も寝食を共にしたのだ。何も感じていないはずがない。だが、それを自覚すればするほど自分がやったことに対する罪悪感が強くなっていくのである。
神湊「月待さん。」
月待「ああ、神湊さん起きたんですか。見ての通りまだ暗いですし眠ってもらってもいいですよ。」
神湊「月待さん寝てませんよね?見張りは私がしますから休んでください。」
月待「自分なら大丈夫ですから。気にしないでください。」
何の温かみもない固い地面でなど寝る気はさらさらなかった。しばらくの間風に揺れて擦れる葉の音が聞こえるほどの沈黙が続く。
神湊「月待さん。」
月待「どうかしましたか神湊さん。」
神湊「私は…月待さんにとって何なんですか?」
あまりに突飛な質問に困惑する。何なのかと聞かれてもすぐに返答できるわけがなかった。
神湊「ただのクラスメイトですか?それ以上だったり、成れたりできないんですか。」
月待「急にどうしたんですか神湊さん。」
意図が全く分からない。自分にとって神湊さんはただのクラスメイトどころか想い人だ。もちろんそんなことを言えるわけないが。
神湊「…月待さんが猫又さんがどこかに行ったって言った時、私の勘が『嘘をついている』って言ったんです。」
自分の嘘はすぐに看過されていたことに思わず内心笑ってしまう。
神湊「もう一度聞きます。猫又さんはどうしたんですか?」
返答はせずに押し黙る。万が一でも、自分のしたことに正当性を見つけて、そうでなくても受け入れてくれるかもしれないと考えた時もある。だが、受け入れてくれるというのはこの思いを感じさせることだろう。こんな思いを抱えるのは自分一人だけでよかった。話したところで百害あって一利なしというのが自分の推察であった。
神湊「…どうしても本当の事を教えてくれないんですか。」
無言を貫き通す。かなり心証は悪くなるだろうが、本当のことを言うよりはだいぶマシなはずである。神湊に傍に居てほしいから、などという自己満足のために伝えないなど自分のわがままなのも分かっている。分かっていてなお、し続けるのだ。
神湊「実は気になって月待さんがきた方向に戻ったんです。そしたら猫又さんが死んでました。」
思わず振り向いてしまう。そこまで分かっているのなら大体推測もついているだろう。なぜわざわざ聞いてきたのだろうか。神湊は重々しくも続ける。
神湊「偶然…じゃないですよねやっぱり。月待さんがしたんですよね。」
月待「そうです。」
そこまで知っているのならこれ以上黙っていても意味はないだろう。覚悟を決める。諦めに近い観念したような覚悟だが。
月待「自分が猫又さんを殺したんです。腕に注射器が刺さっていましたよね?人間心臓に少量でも心臓に空気が直接行くと死ぬらしいんです。注射器に空気を入れて打ち込みました。」
言い淀むことなく次々と言葉が出てくる。そんな饒舌な自分の話を神湊は何も言わずに真剣に聞いている。
月待「よく確認もせずその場を去ったんですが神湊さんの言ったことが本当なら確かに死んだみたいですね。これで自分も晴れて人殺しの仲間入りです。ここでの行いは明るみになるんでしょうかね。なったら自分は警察に追われる身になるかもしれませんね。でも、この能力があればどうにかして逃げ続けられる気がします。そう考えると少し楽しみになってきますね。」
神湊は何もしない、動く気配もない。
月待「どうして何も聞かないんですか!何も聞く気がないのならどこかに行けばいいじゃないですか!」
神湊「何でですか?」
月待「何でって…自分は人殺しですよ!?自分はすでにタガが外れた人間です!神湊さんだって殺すかもしれないんですよ!?」
神湊「私の知ってる月待さん…渚君は意味もなくそんなことをしないはずですが?」
月待「なんでそんなに信じられるんですか…。」
神湊「何日一緒に居たと思ってるんですか。渚君は違ったみたいですが私が渚君を信じるようになるには十分すぎるくらいの時間でしたよ。」
月待「でも、自分は人を殺せるくらい冷血な人間で…。」
神湊が距離を詰めると手を握ってくる。
神湊「何度も握ったから知ってます。渚君の手を温かいって。こんな温かい手をしてる人が冷血なわけありません。」
握られている手がより一層圧迫される。
月待「分かっていると思いますが冷血は実際に血が冷たいという意味じゃないですよ。」
神湊「分かってます。」
月待「自分を拒まないということは人殺しと一緒に居るってことですよ?」
神湊「渚君は一人で背負いこもうとしすぎなんです。今回のことだって私のこと気遣って言わなかったんですよね。忘れているようなのでもう一度言わせてもらいます。もっと頼ってくれてもいいんですよ。」
月待「そうでした。でも、頼るを通り越して甘えてしまうかもしれませんよ?」
神湊「今の渚君からじゃ想像できないのでそうなったらまた何か言わせてもらいます。」
受け入れられてしまった。これでいいのか疑問に思うが、自分は受け入れられるのを否定しつつも心のどこかでは望んでいたのかもしれない。だから自分はとりあえず神湊とまだ一緒に居られることに喜んでおくことにした。
神湊が大きく欠伸をする。しまったと気付いたのか口を手を覆うが遅い。
月待「もしかして眠いんですか。」
神湊「じ、実は寝てなかったんです。どうやって渚君を説得しようか頭が一杯で…。」
月待「なら寝てください。自分はもう少し見張りをしてますから。」
神湊「そ、そんな。渚君だって寝てないですよね。見張りなら私がしますから。」
月待「いや自分はいいんです。神湊さんが寝てください。」
神湊「私は寝ません!頼ってくださいっていったばかりじゃないですか!」
そう言っていたが十分と経たずに寝てしまった。寄りかかっている神湊を横にするため握っていた手を離そうとするが離れない。仕方なくその体勢のままでいる。自分も眠気がき始めていたが、まだまだ起きられそうだ。
朝になると神湊を起こす。今日は地図に書いてある回収地点に向かいたいという旨を伝える。というわけで現在最後の水浴びのため自分はいつも通り川から少し離れたところで水を意味もなく操っていた。相も変わらず能力に何の変化もなかったが。
末尾「どうもこんにちは。また会いましたね。」
声と共に奥から体に不釣り合いな程大きい鉈を持った女が現れる。数日前に自分が襲った確か末尾という人だった。さっきのを聞く限り自分を探していたようだった。人を探す理由など一つしかないだろう。
月待「薬ですか?薬なら今2本ほどの余剰を渡しますから、穏便にいきませんか。」
末尾「凛はどこですか?」
予想外の返答に訝しむ。薬が目的ではない?
末尾「数日前までは行動を共にしていたはずです。まさか知らないなんてないですよね?」
月待「言う必要がないですね。」
神湊ほどではないだろうが直感で察する。こいつを神湊に合わせてはならない、と。
末尾「はぁ、そうですか。なら…。」
末尾が指を鳴らす。次の瞬間、自分の右膝が人体の構造上ありえない方向に曲げられていた。
月待「っーーーーー。」
末尾「体に聞くことにさせてもらいます。もう一度言いますよ?凛はどこですか。」
末尾の能力は幻覚を見せるだったはずだ。それは自分も体験しているからわかる。ということはこれをしたのは、あの時もいたもう一人だろう。物を飛ばす能力と推理していたのだが違ったようだ。
末尾「まだ言うつもりはないみたいですね。」
再び指を鳴らそうとするがその前に操っていた水を自分の前一帯で蒸発させる。水蒸気で視界を遮るためだ。水を新しく取り出しつつしているが長くは持たないのは明白だった。逃げようにも足を折られたせいで立ち上がれても走ることはできない。まず足を折ったのはこれが狙いだったのだろう。取り出した水の一部を地面に這わせ、凍らせて氷の床を創る。水蒸気とは別に霧が発生し始める。
できるのか半信半疑だったが数日前に降った雨もあり、なんとかできた。霧が十分に濃くなると水を蒸発させるのをやめる。しかし水を使ってしまったせいで残りも少ない。折られた膝の周りを氷で固める。
あちらにとって逃がすわけがないだろうからすぐにこちらに向かってくるだろう。この足では逃げられないため迎撃するしかなかった。水を顔に張り付かせようとしても以前のように幻覚で消えられるのが落ちだろう。生かしていても再度襲われる可能性が高い。それならばやるしかなかった。なけなしの水で鉈を受け止めるために胴体と腕を氷で覆う。右の握り拳にはつららのような小さなトゲを付けた。それで水は全て使ってしまった。
息を整えながら足音を拾う。いくらこちらが走れないとはいえ、あちらはゆっくり近づいてくるわけはないだろう。音の近づいてくる方向を向いて待ち構える。はっきりと視認できた瞬間に末尾が3人に増える。消えても走った時に起こる風圧で霧が動くため、消えるより増やしたのだろう。左右とまっすぐ向かってくるのに分かれる。自分はまだ動かない。3人がほぼ同時に振り始める。
と、同時に少し前に出していた左足で地面を思いっきり前に蹴る。前に居る末尾に体ごと当たりに行くがすり抜ける。
前は偽物だった。曲げられない右足を地面に擦りつけ、減速しつつ右足を軸にして左足で地面を蹴り右回転。また同時に両足を蹴り、自分の右側から向かってきていた末尾に体の回転を加えた左拳を当てようとするが空を切る感触。これで本体は特定ができたが、再び振りかぶっている。迫ってくる鉈の軌道を読み、氷で固めた右腕で受け止める。勢いを受け止めきれず右腕が押される。押されている右腕に空振りに終わった左拳を右腕に当て勢いを完全に殺す。止まったのを確信すると右腕を滑らせて本体であろう末尾に振りぬく。重い感触が一瞬右腕を止める。右足を左側に運び松尾の右足を払うと体勢を崩して倒れ込む。そして後頭部に追撃を加える。何発も何発も、相手が動かなくなるのを確信するまで。
動かなくなったら鉈を取り上げる。先端を首の首の幅2割ほどに合わせて右手で鉈を打ち込む。
もう一人が見に来るだろうから、グズグズはしていられない。氷に付着している水滴を熱湯にして腕と体を覆っていた氷を水に戻す。その場から少し離れ、息を殺す。しばらくすると人影が寄ってくる。そして小さく二、三ほど呟いた後叫ぶ。わざと音を立てて振り向かせると、即座に顔に水を覆わせる。室戸のように後ろを振り向くということもなくそのまま動きがなくなる。これまでならその時点で終わっていたのだが、まだ続ける。完全に息が止まるまで。5分ほどしただろうか。もう十分だと思い引きはがす。
そして気付く。自分はこの一連の動作を何も思わずに冷静に行っていたことに。何の抵抗も思わず、ただ人が死に至る行為を淡々とこなした。いくら普通ではないと思っていたとはいえ、ここまでする必要があっただろうか。ああ、一人を殺してもう、自分はタガが外れておかしくなっているなっているのだと分かった時、笑ってしまった。
水で地面に穴を彫り、二人の遺体を埋葬した。自分に残っている良心なのだろう。荷物を持つと川に向かって歩く。
神湊「渚君どうしたんですか。」
自分のいる方向から霧が急に発生したのと、自分が右膝を氷で覆っているのを見るなりそう聞いてきた。
月待「薬が打てなかった人に襲われまして、でもなんとか撃退できました。」
神湊「本当ですか?」
月待「ええ、本当です。それより早く回収地点に向かいましょう。」
今回は能力が発動しなかったのと、自分が平然としているためか納得したようだった。そして地図を見ながら回収地点に向かった。川が一つしかなくそこを基準に考えられたのもあり、すぐに辿り着けた。そこは初日に自分が目覚めた場所だった。
神湊「地図を見る限りここですね。」
月待「そうですね。じゃあ…。」
リュックサックを置いてそこに頭をのせる。さすがに限界だった。
月待「自分は少し寝ますね。」
神湊「あ、おやすみなさい渚君。」
なんだかんだで疲れは溜まっていたのだろう。神湊の言葉を全て聞いたかも怪しいほどすぐに自分は意識を手放した。
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