第10話

 何処をどう走ったのかわからない。

 森を抜け、いくつかの川を飛び越え、地を駆けた。

 背後で嗤う死の恐怖を振り切るための、それは必死の逃走であった。

 そして、その声が消えたとき、ようやく桃太郎たちは足を止めた。

 そのときになって初めて、自分たちが何処にいるのか確かめる余裕が出た。

「ここは……?」

 肩で激しく息を繰り返す桃太郎たちの眼に飛び込んできたのは、荒廃し、生命の死滅した不毛の地であった。

 恐らく漁村であろう。かろうじてそれとわかるのは、波打ち際に残された二艘の舟のおかげであった。

 押し寄せる瀬戸内海の波に、ただ、二艘の小舟が木の葉のように、寂しく漂っている。

 この地は、恐らく妖魔襲撃の初期に鬼どもに襲撃され、絶滅させられたのであろう。

 地中より生じる不気味な粘着質の物質が、全てを消化しきってしまったのだ。

 その物質が澱のように大地を覆い尽くす以外は、もう、この地には何も残ってはいない。そして、何も戻っては来ない。

 ここには、人間の、いや生命の尊厳などはもとより、ほかの村のような雑然とした死もなく、あるのはただ無常――無明の世界であった。

 なんと言うことだ……。

 一刻も早く天魔王を倒さねば、この地上は全て、こうなってしまうのか。

 桃太郎が、くそっと心の中で呻いたとき、天翔が声をかけてきた。

「どうした?」

 天翔の方を向き直ると、鳥人は遥か沖の方を指さしていた。その指の先――そこに不気味に垂れ込める暗雲があった。

 妖魔に喰われた人々の怨み、嘆き、哀しみ、憎しみ、あらゆる負の想念がないまぜになり、そして作り上げた流れが暗雲となって溜まっているのだ。

 その雪崩れ落ちる先こそ――

「あそこが、鬼ヶ島か…」

 あそこが、この呪いと災いの始まりの地であり、彼等『神の戦士』の運命の帰結する処。

 自分を拾い、育ててくれた老夫婦、何の罪もないのに殺された村人たち、そして母親のかたきのいる処。

 それら全ての敵を、必ず討ってみせる。

「行くか」

 桃太郎の声に、今や二人になってしまった聖獣が決然と頷いた。

 天翔の翼の傷はすでに回復していたので、桃太郎たちは、彼につかまって島まで飛ぶつもりなのだった。

 天翔が大きく背の翼を広げた。

 そのとき、彼等は――

「――!?」

 再び迫り来る『死』を背中に感じ取っていた。

 これは、鬼の咆哮だ!

 戦慄し、恐怖しながら、桃太郎たちは踵を返し、村の入り口に眼をやった。

「まさか――」

 桃太郎たちは呻くように言う。

 ああ、そんな、そんなことが――

 絶望と死を幻視する。

 鉄鋼鬼が背中の背のうより炎を噴き出して、自分たち目がけて空中を突進してくるのが見える。

「行かさぬぞ、桃太郎!」

 鉄鋼鬼の地獄の叫びが、桃太郎たちを恐怖で縛する。

 猛然と迫り、そして鉄の剛腕が伸び、桃太郎のすぐ左脇にいた羅猿の頭をわし掴みにするや、そのまま凄絶なスピードに乗って羅猿を地面に思い切り叩きつけたのである。

 瞬間、羅猿の絶叫が迸り、鮮血が宙に奔騰した。

 地表を覆っていた粘着質の澱が、長々とえぐられ、その先に、羅猿の巨大な身体が横たわり、そして、そのすぐ脇に、狂気の笑みを浮かべる鉄鋼鬼が立っていた。

「――潰れたか」

 手にべっとりと付いた液体を見て、鉄鋼鬼が嗤う。潰れたとはどういうことなのか、一瞬、桃太郎たちには理解できなかった。

 潰れたとは、まさか羅猿の頭が潰れたと言っているのではないか。ならば、あの鉄の手に付着しているのは、羅猿の血と脳奬なのか…。

 ククク。

 鉄鋼鬼の鉄の面から、不気味な笑い声が洩れる。

「どいつもこいつも、犬死にだ」

「貴様――」

 そのとき、桃太郎は青龍剣を振りかざし、鉄鋼鬼に向かって疾走していた。

 青い閃光!

 真っ向上段より、鉄鋼鬼の頭頂目がけて剣が疾り抜ける。

 ぎいん!?

「――!?」

 愕然と眼を剥いたのは、しかし、桃太郎たちの方であった。

 全てを断ち切る筈の剣の一撃を、鉄鋼鬼がその猿臂で受け止めたのである。

「無駄だ。俺を今までの奴等と同じにするなよ。――今のお前の剣では、俺の身体を断つことは出来んのだよ!」

 凄まじい殺気を感じて鉄鋼鬼から飛び離れようとする桃太郎の脇腹に、一瞬早く鉄鋼鬼の脚が弧を描く。

「げえっ!?」

 と不様な苦鳴を吐き、桃太郎は地面に叩きつけられた。

「――霊格の差よ」

 惨めにも地面に這いつくばる桃太郎に、鉄鋼鬼が嘲笑を吐きかける。

「俺は、純粋な悪意のみでつくられた鬼だ。しかし、貴様は違う。神の使徒といえども、所詮は人間なのだよ、貴様は。そう、ただの虫ケラだ」

「許さぬ!」

 嘲笑う鉄鋼鬼に、天翔が突っかける。

 その手には、羅猿の杖が握られていた。

「やめろ、天翔!」

「無駄だと言ったろうがぁ!」

 桃太郎が叫び、鬼が嗤い、そして風が唸った。

 しかし、羅猿の杖が鉄鋼鬼に打撃を与えることはなかった。

 鬼の双眸より迸った赤い光が杖を半ばより分断したのである。

 茫然となり、一瞬動きが止まった天翔に、鉄鋼鬼の巨大な拳が疾る。

 逃れることも出来ず、天翔はその手に頭をわし掴みにされた。

 羅猿の死に様が脳裡に浮かぶ。

 死ぬのか――。

 瞬間、身体が強く引かれるのを感じた。

 鉄鋼鬼が、天翔の身体を羅猿の脇目がけて叩きつけるように投げたのである。

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