第7話 カンパをめぐる葛藤

 Dがギリアイルに渡って1年たった頃、A氏のバンガローがなくなることが決まり、とりあえず、Dはバリに戻ることになった。ギリアイルでの1年は、Dを内面的にも外見的にも大きく変えた。彼はもう以前のような女にまったく縁のないさえない自動車修理工ではなかった。ギリアイルでは幾人もの外人女を難なくものにし、ヒーヒー言わせることだってできたのだ。Dの予想では、バリでもこのままモテ続けるはずだった、、、ところが、どうしたことか、行く先々で人から胡散臭そうな目で見られる。それもそのはず、、、Dは原人の格好(本文の冒頭の場面でうちに現れたときの格好)のままだったからだ。いくらバリが来る者を拒まない土地柄だとはいっても、原人スタイルはあまりにも浮きすぎていた。体から漂う奇妙な匂い(体臭と磯の香りの混ざった)も人々の顔をしかめさせた。

 さすがにD自身もこれではまずいと感じたのか、髪を短く切って、ヒゲを剃った。そして、たっぷりの真水で石けんをよく泡立てて体を洗い、シャンプーをよく泡立てて髪を洗った。服も下着も新しいものに取り替え、こざっぱりしたふつうの青年の姿に戻った。すると、人から胡散臭い目でみられることはなくなったが、今度はふつう過ぎて誰の目にも留まらない存在になってしまった。そして、まったくといっていいほどモテなくなった。(まあ、本来の状態に戻っただけのことではあるが、、、)やはり、原人スタイルが威光を放ったのは、ギリアイルだけだったようである。(そりゃあ、そうでしょう)

 ふつうの青年の姿に戻ったあとのDは、バリで観光客相手の職に就こうか、古巣の自動車修理工場に戻ろうか、迷っていた。そんなDのもとに、お父さんが病気で倒れたという知らせが届いた。Dが急いでジャワの生まれ故郷に帰ってみると、お父さんの病気は予想以上に重く、すぐにでも入院して治療を受けなければいけないくらい危険な状態だった。しかし、比較的物価の安いDの田舎でさえ、入院施設の整った病院での入院費、治療費はかなりの高額で、彼のわずかな所持金ではとても払い切れそうにはなかった。

(あとで知って驚いたのだが、DがA氏のバンガローでもらっていた給料は、「えっ? それっぽっち?」というほど小額だった。居室と1日3回の食事が付いているし、お客さんからのチップもあるから、、、というのが、バンガローの経理担当=A氏の奥さんJ嬢の言い分だったらしい。これを聞いて私が思ったのは、Dがぼろぼろの格好をしていたのは、給料を少ししかくれないJ嬢への当て付けの意味もあったのではないかということ。ダンナによれば、J嬢というのは顔が悪いうえに、お金を持っているくせにすごいケチで、性格もすごく悪い、とボロクソだった。でも、そんなところにDを送り込んだ自分に、少しは責任があるとは思わないのだろうかというのが、私の心の声)

 それで、Dの実家の経済事情はどうなっているかというと、大工さんをしていたお父さんが倒れてしまうと、残るのは年老いたお母さんだけで、ほかに稼ぎ手はいなかった。何年か前からシンガポールに出稼ぎに行っているお兄さんがいるらしかったが、音信が途絶えているということだった。

 とまあ、救いがたい状況だった。しかし、Dは何としてでも、お金をかき集めて、お父さんを病院に入れてあげたいと考えた。

(インドネシアのお金がない世帯では、病気の症状が重くて助からないというような場合、病人は何の治療も受けられずに、家でただじっと死を待つだけ、ということも、、、とくにお年寄りの場合は、そろそろ寿命だから仕方がないと放置されることが多いらしい。でも、Dはそれだけはしたくなかったのである)

 そこでDは行動を起こした。お金を出して(または貸して)くれそうな人たちに片っ端から連絡をとって、救いを求めたのである。(その連絡はうちにも届いたのだが、そのときの状況についてはあとで述べることにする)

 そうしたDの努力は実を結んだ。何とかお金が集まり、Dはお父さんを町の病院のこぎれないな病室に入れてあげることができた。そして、可能な限りの治療を受けさせてあげることができたのである。


「では、ここで問題です」(いきなりテレビのクイズ番組ふうになるが、これはまさにこういう展開がふさわしい場面)

「それでは、Dのお父さんの入院治療費を出したのは、いったいだれったのでしょう?」というのが、ここでの問題。

で、その答えは??? その答えを聞いたとき、私は思わず、

「えっ、うそ? ほんと? わ~ それって、すごいね、うれしいね」と、思わず、子どもみたいな反応を示してしまった。

では、気になるその答えは、、、ジャジャ~ン「それは、ギリアイルでDと戯れた複数のジェーンたちでしたあ」

 これをダンナから聞いたとき、私はうれしくなって、ヒュヒュ~ッと口笛を吹きたくなった。でも、思ったほどいい音が出なかったので、その代わり口に言った。「ヒュウヒュウウウ」

 これは、日頃、鬱憤がたまっていて、ものごと何でもネガティブに考えにがちなおばさん=私の心をなごませ、世の中そんなに悪いことばかりじゃないんだね、いいこともあるんだね、思わせる明るいニュースだった。

 ダンナによれば、複数のジェーンからDにカンパのお金が寄せられた、ということだった。Dから送られた、カンパを求めるメールに彼女たちが応えたのだ。

(原人の格好はしていても、彼女たちのメールアドレスくらいは、ちゃんと聞き出していたんだね。えらいぞ、D)

 それでも、結局、Dのお父さんは亡くなってしまう。けれども、きれいな病室で、医者や看護師、家族に見守られながら、まあまあ納得のいく最期を迎えることができたらしい。Dは最後の最後に、インドネシア人の子が親にしてあげられる最高の親孝行をプレゼントすることができたのである。

 

 では、ここで先にちらっと触れた、Dがお父さんの入院費用のカンパを求めて、ダンナに連絡してきた場面へと移る。

 Dのお父さんが重い病気で、病院での入院、治療が必要なのだが、費用が足りなくて困っている、、、という話を、ダンナが私にした場面である。しかし、ダンナはその話を私に面と向かってしたわけではなかった。でも、タイミングを見計らって、私にちゃんと聞こえるようにしたのは確かだった。

 それを背中で聞いたとき、すぐさま私は「ダンナは私に、Dにお金を出してやれよ」と言っているのだなと判断した。ダンナは自分には出せるお金はない、だけど少しはお金をもっていそうな私に「Dにお金、出してやったらどうだ」と振ってきているのだ。こういう状況になると、私の拒絶反応は大きい。一瞬にして、石像のように固まった私の体の中で、ダンナにぶつけたい言葉の嵐が吹き荒れる。

「おい、こら、このケチケチ野郎。Dは誰の友達? あんたのでしょ? だったら、少しでもいいから、あんたが黙って出せばいいじゃん。なんで私に出させようとするわけ? なんで私が、あんたの友達のお父さんの病院代まで出してあげなきゃいけないわけ~~~」そんな言葉が、危うく口から飛び出しそうになった。が、私はぐっとこらえて、口を閉じた。

 お金のこととなると、ダンナは自分の力(お金)で対処しようとはせずに、そのまま私に振ってくることがたびたびあって、そのたび毎に「何でまた私がぁ~」と反発を感じてきたのだった。ダンナだって、一銭も持ってないわけではないのだ。私はダンナのへそくりの隠し場所を知っているし、ダンナの貯金通帳だって見たことがある。持ってないフリをしているが、「意外と持ってるな、こいつ」というのが、私の感想だ。自分のお金は使わないようにしているから、残るんだろうけど。

 それにしたって、自分の弟子ともえる親しいDが困っていて、その責任の一端(給料の安い仕事を紹介した)が自分にあるときくらい、師として力になってあげればいいのにと私は思うのだ。でも、ダンナは自分のお金は使いたくなくて、人(私)のお金を当てにしてくる。こういう場面に出くわすたび、くぅ~と腹の底から熱いものがこみ上げてくるのだが、、、「まあ、そう熱くなるなって」と、私の耳元でささやくもう一人の私がいて、怒りでくらくらきている私に平常心を取り戻させるのだった。そして、このときも、息を大きく吸って吐いたあとで、努めて冷静に私は言った。

「Dのお父さん、お気の毒にね。でもさ、Dがお金持ってないっていうのは本当なの? だって、ギリアイルで1年働いたんだから、いくら何でもぜんぜんないってことはないと思うんだけど、、、」

(これは、私がダンナに問わずにはいられない率直な疑問だった。それほどお金の使い道があるとは思えない小島で、1年通して働けば、少しは貯まるんじゃないかと考えるのがふつうだ)

すると、この私の質問に対するダンナの答えは、、、「給料安かったらしいから、金がないっていうのは、本当じゃないかな」というもの。

(ええ? 何それ? じゃあ、そんな給料の安い仕事、Dに勧めたのは、誰? あんたでしょ。それって、やっぱりあんたの責任じゃないの」というのが私の心の声)でも、これは口には出さずに、こう言った。

「でもさあ、Dにお金出してあげられる人、他に誰かいないのかな?」

この私の疑問に対するダンナの答えは、、、

「う~ん」と、しばらくうなってから、

「ああ、そうだ。A氏もいるし、O氏もいるから、何とかなるだろ」だった。

(「な~んだ。それを早く言ってよ。私がお金を出さなきゃいけないのかって、一瞬、本気で考えちゃったじゃない」というのが、私の心の声)

 

 で、このときダンナが口にしたA氏というのは、すでにおなじみのギリアイルのバンガローのオーナー。たしかにA氏は出すべきであろうと思う。安い給料で1年間、Dを働かせた埋め合わせをする必要があるからだ。

 で、もうひとりのO氏というのは、当時、うちの近くに住んでいた年配のオランダ人男性。で、そのO氏のうちに住み込んでいるS青年(スマトラ出身)というのが、A氏の昔の仕事仲間であり、ダンナにA氏を引き合わせるきっかけとなった人物だった。 

 S青年とA氏は、スマトラでジャングルツアーのガイドをしていた頃からの知り合いだった。それぞれ仕事が縁で、S青年はO氏、A氏はJ嬢と出会い、バリ(A氏はバリ経由でギリアイル)へとやってきた。で、その後も彼らはたまに、バリ・ギリアイル間を行き来していたらしく、ダンナがA氏と知り合ったのは、A氏がちょうどS青年を訪ねてO氏宅に来ているときだった。

 ダンナとA氏は、会ってその場で意気投合した。なぜなら、A氏の逆シンデレラストーリーを知ったダンナが、A氏の幸運を自分にも呼び込もうと、A氏のリクエストに応える約束(ギリアイルのバンガローのスタッフを探す)をしたからだった。

 一方、S青年の方も、A氏ほどリッチではないが、O氏と出会ったことで、まずまずの安定した生活を確保していた。S青年はO氏の身の回りの世話(料理も上手だった)をすることでけっこうな額の給料をもらっていた。それに加え、バイクやパソコン、ケータイといった身の回りの品を買ってもらっていたし、故郷のスマトラで家族が経営するおみやげ物屋用の商品(バリで仕入れて送る)の仕入れ代なども出してもらっていた。

(しかし、さすがにO氏も、おみやげ物の仕入れ代までは、出し渋っていたようではあるが、、、)

 では、O氏がどんな人物かというと、当時70に届くくらいの、独り身の体の大きな老人(何十年か連れ添ったオランダ人の奥さんとは離婚していた)で、S青年をたずねてくる地元の若者たちにも、気前よく食べ物、飲み物を振舞うなど太っ腹なところを見せていた。かつて長い間、自国の植民地であった地で、悠々自適な老後を楽しんでいるといったふうだった。

 そこに頻繁に顔を出し、ついでに飲み食いをさせてもらっていたのがダンナだった。ギリアイルに行くまでは、Dもそこの常連だった。

 O氏ならDにお金を出すのではないか、とダンナが考えたのは、そうしたO氏の人柄、暮らしぶりを間近に見て知っていたからだろう。

 うん。なるほど。たしかにO氏なら、お金の余裕がありそうだし、Dの事情をS青年から報告を受けているはずだから、お金を出す可能性は多いにありそうだな、、、ということはだ、、、私が日々汗水たらして働いて得たわずかなお金から、Dへのカンパを無理にひねり出す必要はないってことになるかな、、、うん。そうだ。Dとは挨拶しか交わしたことのない私がそこまでする必要ある? そんなのどこにもないじゃん。よし、決めた。私はお金を出さないぞ~。という結論に達したのだった。

(しかし、こういう結論に達する過程で、「ここで私がバ~ンと、Dにお金を出してあげて、心の寛いところ、太っ腹なところを見せ、ケチな奴らに思い知らせてやろうか」という気にも一瞬なった。まあ、一瞬だけでしたが、、、)

 結局、お金が惜しくて出さないことに決めたのだが、「出さない」ときっぱり決めると、気持ちがすごく軽くなったというのが、本音である。

 ここでちょっと付け足しになるが、今さっき登場した年配のオランダ人O氏と、そのうちに住み込んでいるS青年、この二人はホモのカップルだった。しかし、彼らと出会ったばかりの頃、ダンナはその事情を知らなかった。(ダンナはS青年のことを、O氏の単なるハウスキーパーだと思い込んでいた)

 なので、ケータイを失くしたといっては、O氏にねだって新しいケータイを買ってもらっているS青年に、ダンナはものすごくうらやましさを感じていた。(S青年は2ヶ月に一度くらいの割合で、ケータイを買い換えていた)

 でも、こうなると、ケータイを失くしたというのはウソで、売ってお金にしているのではないか? と考えるのふつうなのだが、、、O氏もそれに気づいてブツクサはいうものの、結局、S青年の望みを聞き入れ、新しいケータイを買ってやっていた。そんなS青年の獲得しているポジション、これがまさに’ダンナの憧れる生き方(パトロン的な人との出会いによって、恵まれた生活が約束される)を彷彿とさせるものであった。

 で、ここからがダンナの得意とするパターン。

 ダンナはO氏のうちに毎日のように通って、S青年の仕事になってる、そうじや皿洗い、庭の草刈をS青年に代わって率先して行い、O氏のお目がねにかなうように努めた。もし、S青年が仕事を辞めることがあれば、自分がその後釜に納まろうと画策したのだ。(O氏とS青年はよくけんかをしていたらしい)

 しかし、彼らがホモのカップルだとわかったとき、、、たとえ、いくら恵まれた生活が約束されようと、そこまで割り切って考える(S青年の代わりになって、O氏とホモのカップルになる)ことはできないと、考えを改めたようだった。

(恵まれた生活を確保することが、かたわらに見ているほど容易ではないということが、これで少しはダンナにも理解できたのではないだろうか)

  

 本筋に戻ろう。というわけで、結局、Dにお金を出さずじまいになってしまった私に、良心の呵責はなかったのか? といったら「まったくないわけではなかった」といのが、その答え。

(ダンナのやり方に反発を感じて意地を張り、あれやこれやと理由をつけ、お金を出し惜しんだ自分は、ケチで思いやりのない人間だったのではないか、と思う気持ちはほんの少しはあった)

 だから、ジェーンたちから、カンパのお金が集まったと聞いたときには、なんだか無性にうれしくて、柄にもなく、口笛はふくわ、踊りだすわ(?)で、妙にハイな状態に。まさか、ここで再びジェーンたちが登場するとはね、、、世の中、捨てたもんじゃないね、いやあ、いいね、いいね、という気分だった。

 で、もしも、このときジェーンたちが私のかたわらにいたとしたら、、、

「ありがとう。ジェーンたち。私はDの身内ではないが、縁ある者のひとりとして、君たちのあたたかい支援に、心から感謝の気持ちを贈りたいと思う。ありがとう。本当にありがとう」といって、彼女たちの手を順繰りに熱く握り締めていたに違いない。

 しかし、結局、お金を出さなかったA氏とO氏に対しては、「ケチだねぇ、あんたたち」という言葉を、それからダンナには「この無責任男、ドケチ野郎!!!」という言葉を贈りたいと思う。

 

 ここでちょっと、Dにカンパのお金を差し出したジェーンたちの、胸のうちを探ってみようと思う。

 結局のところ、自動車修理工場の開店資金は出さなかったが、Dのお父さんの入院費用のカンパはいとわなかった彼女たちの胸のうちは、どんなものだったのか。ひと夏の休暇を終えて、自国に戻り、ふだん通りの生活をおくっている彼女たちの元に、D(原人BOY)からのメールが届く。お父さんの入院費用がないから助けてほしいという内容だ。

 やはり、Dを不憫に思う気持ちに襲われたのではないか。下手くそな英語で書かれたメールを読んだ瞬間、彼女たちの脳裏に浮かんだのは、ギリアイルをボートで発つときの別れのシーン、、、ボートに乗り込んだ自分を、浜にぽつんとたたずんで見送る原人BOY、、、今にも泣き出しそうな悲しげな目、、、置いてきぼりにされる犬のような寂しげな姿、、、島を離れるボートに乗っている自分、、、小さくなっていく原人BOY、、、そんなシーンが浮かんできて、どうしようもない胸の痛みを覚えたのではないかと思う。

 あんなに激しく求め合って、親密な時間を過ごしたというのに、滞在期限がくると、別れを惜しむ彼を置き去りにして、さっさと自分の国に帰ってしまったのだから。寝物語で聞いた、自動車修理工場の資金うんぬんという話も聞き流してしまったし、、、彼女たちの心に大なり小なり、良心の呵責とか、罪の意識といったものがあったのは間違いない。だから、カンパというのは、彼女たちからDへの償いの表出だといっていい。カンパすることによって、彼女たちはDを救っただけでなく、彼女たち自身を、良心の呵責、罪の意識、というものから救ったのである。

 これでもう、彼女たちの旅の記憶に、後ろめたさや後味の悪さといったネガティブな影はなくなった。あとに残ったのは、甘く懐かしくエキサイティングな、原人BOYとのめくるめく冒険(?)の思い出だけだ。

 彼女たちは、ときどき、あのときの自らの体の高ぶりを思い出し、「いやあ、あのときのあれは、すごかったな」と身震いし、ひとりほくそ笑んだりする。しかし、彼女たちが再びギリアイルに戻ることはないであろう。次の休暇には、どこか別の場所で「ジェーン」となってはじけるのだ。

 では、島に残されたDは、自分のもとから旅立っていくジェーンたちを、どんな思いで見送ったのだろう。あれほど親密で濃厚な時間を分かち合ったというのに、、、一人、また一人と旅立ってしまうジェーンたち、、、何とかして自動車修理工場の資金を出してもらおうと、汗だくになりながら、へとへとになるまで体をくねらせ続けたというのに、、、誰一人、自分の話をまともに聞いてはくれなかった。Dは、ボートに乗り込んで島から遠ざかっていく彼女たちの姿を眺めながら、自分は彼女たちのいったい何だったのだろうと嘆き、激しく落ち込んだ。ウブで思考が単純なDには、女というものがまったく理解できなかった。 

 けれども、お父さんの入院費用を求めるメールには、彼女たちは意外とすんなり応じてくれ、快くカンパを寄せてくれた。このことはDに、失われた自信とプライドを取り戻させた。自分の存在が、彼女たちに快感をもたらすための、ただの道具だったのではなく、多少なりとも彼女たちの心を動かす存在であったこと確かめられたからだ。こうして、ジェーンたちとの汗だく体験は、Dにとって、苦い記憶ではなく、甘く懐かしい「でへへ」の思い出になったのである。

 しかし、Dも二度とギリアイルへは戻らなかった。バンガローの賃貸契約の更新ができなくなったあと、ギリアイルに土地を買い、ヴィラを建てたA氏とJ嬢から、スタッフとして働かないかと打診を受けたDは、その誘いをきっぱりと断った。


  



 


 


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