第6話 褐色のターザン
ここからは、どこまでが真実かわからないダンナの話をもとに、私が適当に色づけしたA青年とJ嬢の物語である。
二人がはじめて出会ったのは、A青年がジャングルツアーのガイドをしていたスマトラ島のジャングルだった。J嬢(スウェーデンの有名な音楽家の娘らしい)が、観光で訪れたスマトラ島でジャングルツアーに参加したのがきっかけだった。J嬢は若い野生動物のようなA青年に出会った瞬間、魂を奪われた。キラキラ輝く黒い瞳、褐色の引き締まったしなやかな体、敏捷な身の動き、、、A青年はまさに
熱帯のジャングルに住む褐色のターザンだった。J嬢は磁石のようにA青年に引き寄せられると、そのまま彼から離れられなくなった。J嬢の中のジェーンの血が、A青年の放つ野生のオーラを激しく欲したのである。
一方、A青年の方は、白人のいかにもお金がありそうなJ嬢の求愛を受け、満悦至極だった。正直いえば、J嬢は自分よりもいくつか年上だったし、それほど美人とはいえなかった。だけど、この肉体以外に何も持たない自分を激しく求めてくる彼女を愛しく感じた。J嬢の体から漂ってくる異国の高級そうな化粧品と富(お金)の香り、、、彼女の傍らでこの香りをかぐとき、A青年はこれで自分も自分の親兄弟も、一生お金の心配から逃れられそうな気がして、心が安らいだ。大金を持っているA嬢は、何も持たない彼にとって、万能の女神のような存在だった。
その後、二人はイスラム色の強いスマトラを離れて、外国人が多くて住みやすいバリに来て、結婚、新生活を始める。堅い絆で結ばれた二人は、バリでも互いに求め合い、愛し合った。しかし、バリに住んで数年たった頃、J嬢はA青年の体から野生の輝きが失われつつあることに気づき、不安になった。また、この頃、出会った頃の彼の純粋さ、無垢さも薄れてきいて、他の女(自分より若くてきれいな白人女)から向けられる視線にも物怖じすることのなくなったA青年を目にするとき、漠然とした危機を感じるのだった。このままいくと、私たちはだめになるかもしれない。バリは住むには便利なところではあったが、人の出入りが多く、何かと邪魔が入りやすいという問題があった。
もう一度、二人きりになれる場所へA青年を連れていかなければ、、、J嬢は考えた。行き先は、ジャングルとまではいかないが、自然がたくさん残っていて、文明社会から遠く離れた場所。でも、まったく外国人がいないところは住みにくそうなので、少しは外国人のいるところ、、、そうして行き先を探すうち、たどり着いたのが、ギリアイルだったのである。
また、熱帯のジャングル(山奥の村)で育ったA青年にとって、バリは刺激に満ちた楽しいところではあったが、正直いえば、自分が田舎者のように思われて気後れを感じる場面もしばしばあり、それほど居心地のいいところだとはいえなかった。自分に色目を使ってくる女たちに戸惑うこともあったし、J嬢のお金を目当てに集まってくる怪しげな連中をうっとうしく思うこともあった。腰を落ち着けて住むには、バリは騒がし過ぎると感じていた。
なので、A青年もギリアイルに移り住むことには賛成だった。スマトラのジャングルからはさらに遠く離れることになるが、その島には村人のための小さなモスクがあることが、彼をほっとさせた。そのモスクは小さく簡素ではあったが、手入れが行き届いていて、彼の故郷の村を思い起こさせた。A青年は敬虔なムスリムだったのである。
こうして、A青年とJ嬢、二人の新たな生活がギリアイルでスタートした。島での暮らしは、A青年の体に表情に、野生の輝きを取り戻させた。J嬢はその輝きを誰にも邪魔されることなく、独り占めすることができた。堅い絆で結ばれた二人の間を割って入ろうとするものは、ここには何もなかった。
静かな島にときおり、A青年の雄たけびにかぶさるように、J嬢の長~い雄たけび(?)が響き渡り、ヤシの木々を振るわせた、、、
というのが、A氏とJ嬢がギリアイルに住むことになった経緯である。
残念ながら、私はこの二人に会ったことはない。が、ダンナにいわせると、A氏というのは、男がみてもクラクラくるくらいいい男なんだそうだ。ダンナがそんなふうに人を誉めるのは珍しいことなので、A氏がいい男(ダンナから見て)であることは間違いないだろう。
(ここで、どうしてダンナはめったに人を誉めないのか、ということについて補足する。おそらく、ダンナにとって、「人を誉める」という行為は、相手の優勢、つまり、相手の勝ち=自分の負けを認めたことと同じになる。だから、そう簡単に人を誉める=自分の負けを認めるわけにはいかないのである。たとえ、相手の方が明らかに勝っている、または、正しいという場合であっても、である。で、それはなぜかといえば、ダンナの根っからの負けず嫌いな性格によるものなのだが、、、)
そんな性格のダンナが、手放しで誉めるA氏の容姿は、いったいどれほどのものなのか、内心、興味がないわけではなかった。しかし、ダンナが「いい」というものを、私も「いい」と素直に思えることはめったにないので、たとえば、わざわざこちらから出かけて行って、A氏のお顔を拝見させていただくとか、そこまで考えたことはなかった。(まあ、人のダンナでもあることだし、、、)
しかし、その後、A氏の実の弟のB青年にお目にかかる機会があり、ふだんダンナの発言に反発を感じることの多い私も、そのときばかりは、すんなりダンナの言葉(A氏がすごくいい男である)を受け入れようという気になったのである。というのも、このB青年というのが、むむむむっとおばさん(私)の心にさざ波を立てるタイプの若者だったからである。骨格のしっかりした長身で、目に野生的な黒い輝きがあり、思わずすぅっと引きこまれそうな磁場のようなものをその奥に宿しているという感じ。しかし、その瞳をまともに人に向けることはなくて、シャイで寡黙。ちゃらちゃらしたところがなく、毅然としているのだが、やさしさのようなものが感じられる体温の持ち主というか、、、まあ、ちょっとやそっとじゃ、お目にかかれないタイプの青年だったのである。
そうか、これか、A氏の持っている雰囲気というのは、、、と妙に納得するものがあった。で、このB青年をさらにもう一段階バージョンアップして、よりシャープな顔立ちにし、手足をすらりと長くすると、A氏になるということだった。
そんなA氏のまばゆいばかりの男ぶりを想像するとき、私の中で、まだ会ったことのないJ嬢への嫉妬心が、むくむくと湧き上がってきた。(会ったことのない人のことを、勝手にネガティブなイメージで捉えるのはどうかと思うが、、、)日頃、いい男ともお金とも、まったく縁のない私の、意地の悪い私の目には、J嬢のしていることは、こう映るのだった。お金のある白人女が、現地の若くて見栄えのする貧しい青年を、お金の力で釣り上げ、ペットのように飼いならしている、と。
J嬢がもし私の身近にいたとしたら、「あんた、うまいことやってるね」といって、彼女のわき腹のあたりを肘でつついているんじゃないだろうか。で、そのあと、さらに「まあ、お金があるからできるんだろうけどね、いひひ」と意地悪くいってやることができたら、気分は爽快だろうなと思ったりする。
(とはいっても、J嬢に対して、私自身、個人的な恨みがあるわけではない。ただ日頃、思うようにいかないことばかりでたまっている鬱憤を、お金の力でうまいことやっているように見える彼女に向け、吐き出してみたというだけなのだ。ははは。鬱憤のはけ口にしてしまって、ごめんね。J嬢)
まあ、それはいいのだが、、、
私が本当にJ嬢にうらやましさを感じるのは、正確にいえば、お金の力でいい男を釣り上げたということではない。では、いったい私がJ嬢のどこにうらやましさを感じるかというと、、、それは女だったら、少女の頃に一度は夢に見たことのあるロマンティックなシチュエーション、すなわち、愛しい男との無人島(?)での生活を、彼女が実生活で実践しているという、そこのところなのだ。
(ギリアイルはもちろん無人島ではない。しかし、J嬢の目には、A氏以外の人間は風景の一部としてしか映っていないのではないか。彼女にとって、ギリアイルは、どれだけ他に人がいようと、「二人だけの恋の島」なのではないかと想像するのだが、、、)
これって、やっぱり、反感買っても仕方ないよなあと、鬱憤のたまっているおばさん(私)は思うのである。
さて、そのJ嬢はいったいどんな容姿をしているのか、気になるところだろう。ダンナにいわせると、お世辞にもかわいいとか美人とかいえるタイプではぜんぜんない=「ブ女」なのだそうだ。そこまではっきり言っちゃってていいわけ? とは思ったが、私はJ嬢がブ女だというダンナの心の奥底の感情をなんとなく理解できる。ダンナはJ嬢をブ女だと断定して、貶めたいのだ。そうすることで、A氏への「やっかみ」を緩和させたいのだ。
ダンナから見れば、金持ちの外人女との結婚によって、一気に下層の人の群れから抜け出し、お金に不自由することのなくなったA氏の生き方は、ダンナが子どもの頃から想い描いていた、あの「願望」を地で行くもので、自分が願ってやまない理想の生き方。とにかく、うらやましくて仕方がないというのが本音だろう。もし、このうえ、奥さんがすごい美人だときたら、うらやまし過ぎて悶絶死しかねないところだであるが、それがそうでもないので、「いくらお金があっても、奥さんがあの顔じゃあ、オレはやだね」と、ひとりつぶやくなどして、ドス黒くなりがちな「やっかみ」を緩和させているのだろうと思う。
とはいえ、ダンナがA氏に対して、強い羨望を抱いていることに間違いはなく、Aの周辺にいて何かの恩恵にあずかりたいとか、いつでも友人役を買って出てるのが、大人の振る舞いだと思っていることに間違いはない。
その証拠にダンナは、
「まいったな、A氏からバンガローのスタッフを探してくれないかって、またいわれちゃってさあ~」とか、
「ギリアイルでいっしょにパダン料理屋やらないかって、いわれててさあ~」とか、困った素振りをみせつつも、A氏に必要とされているのが、まんざらでもない口ぶりなのだ。
(パダン料理=スマトラ島のパダン地方を発祥とするインドネシアを代表する料理)
しかし、こんなとき私が、
「じゃあ、A氏といっしょにパダン料理屋やってみればいいじゃない」というと、
「いや、オレには出資する金もないし、もし、ジョイントすることになったら、A氏の方が立場が上になるだろ。そういうのは、いやなんだ」と、ポジションの上下にこだわりのあるダンナはいう。それを聞いて、私はひとり、こうつぶやく。
「なんだ、また、それか」
では、この私のつぶやきには、どういう意味があるかというと、ダンナはよく、誰それからビジネスパートナーにならないかと誘われたとか、誰それからビジネスを立ち上げるのを手伝ってほしいと言われたとか、そういう話をする。で、そのたびに私は、いよいよ、この人も絵描きのような収入の安定しない商売に見切りをつけ、もっと堅実にお金を稼げる業種へと職業替えをして、ついに家族を養おうという気になったのかと一瞬、希望をもつ。けれども、そんな話が具体的になったことは一度もない。ダンナはただ人から信用されて、ビジネスの話を持ちかけられたことを自慢したいだけで、現実に人と組んで何かを始めようなどどは少しも思ってないのだ。まあ、そういうことが性格上、無理だという自覚もあるのだろう。
考えてみれば、相手と自分のポジションや利益(損失)の配分において、ぜったいの負けられない、または自分だけはぜったいに損したくない、という自分本位な性格のダンナのような人間に、人と組んでのビジネスはとうてい不可能に違いない。というか、そもそもダンナにビジネス(利益を得るために、用意周到に準備を整えたり、根気強くものごとを順序だって進めていく)は向いていないのだ。
ダンナに向いているのは、霊感のようなものを感じたときにキャンバスに向かって絵を描き、それが運よく人の目に留まるまで待つというような、霊感と偶然と運が頼みの自由業なのだ。
ふ~っと、ここで私は大きなため息をついて、頭のほてりを冷ます。そして、今度こそ、ダンナにはっきり言おうと心に決める。人と組んでビジネスをするんだなんて話(私に期待を持たせるような)は、二度と私にしなくていいから、と。
(まあまあまあ)
話を少し戻すと、A氏からいっしょにパダン料理屋をやらないかと言われた話は、ダンナの口から3度は聞かされたと思う、なので、パダン料理屋をやりたい(食べたい)というAの思いは切実なようだ。A氏は生まれ故郷の味が恋しいらしい。それもそうだろう。ギリアイルのような小さな島で、「無人島ごっこ」のようなことを何年も続けるのは、やはり息苦しいのではないか。スマトラの広大なジャングルが恋しいのではないかと想像する。
ここで、A氏のバンガローについて触れておきたい。A氏とj嬢はギリアイルに住み始めてまもなく。現地の人が経営するあるバンガロー(何室かある、あまり客の入ってない)を全室まとめて2年の契約(かなり安い金額)で借り取った。そして、お金をかけて改装し、新装オープンした。改装してこぎれいになったことで、バンガローにはまあまあ客が入るようになった。しかし、2年経って、契約の延長をしようとしたとき、延長はさせてもらえなかった。元のオーナーが欲を出して、自分でバンガローをやろうと考えたのだ。(こういうパターンはよくある)
というわけで、私がA氏のバンガローだと思っていたものは、じっさいにはA氏のものではなく、2年だけの賃貸物件だったというのが正しい。
(しかし、その後、A氏とJ嬢はギリアイルに土地を買い、そこの自宅とヴィラ建て、ヴィラを旅行客に貸して、そこそこの収入を得ているという。でも、それほど、収入を得るために、あくせくする必要はないようであるが、、、)
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