第4話 横着でムシのいい幻想

 それでは、D自身はわが身が突然、モテモテモードに入ったことをどう感じたのだろう? まったく思いがけないことだったのか。あるいは、ある程度、期待があったのか。

 じつをいうと、期待があったという方が正しい。なぜなら、Dのギリアイル行きにはこんな目標があったらしいのだ。それは、将来、自分がもちたいと考える自動車修理工場のスポンサー=資金提供者を探すこと。もっとわかりやすくいえば、お金を出してくれる外人の彼女を見つけること。

 ここで「こんな目標があったらしい」という言い方をしたのは、Dにそんな目標があるという話を私にしたのが、ダンナだったからだ。ダンナの話は、いつも何となくウソ臭い。で、このときも私の頭をかすめたのは、あのDがそんな野望を? 外人の彼女を見つけ、お金を出させて自動車修理工場を始める、、、う~ん、あの純朴を絵にしたようなDが、そこまで大それた野望を持つかね、という(何かおかしいぞ)だった。

 しかし、この疑問の答えはすぐに見つかった。私にはこんな発想(お金を出してくれる外人の彼女を見つける)をする人間に心当たりがあり、ピーン(!)ときたからだ。どう考えてみても、この目標はD自身が思いついたものとは思えなかった。とすれば、、、こんな発想の出所は、Dを何とかしてギリアイルに行かせたいと考えた人間、つまり、ダンナに違いない、と。

 ところで、ダンナのこうした発想には、その元になっている「幻想」(少年時代からもち続ける)というのがあるので、それをここで紹介したい。で、それがどんなものかというと、、、いつか自分の前に、白馬に乗った王様か王女様(王子様とうことは趣味的にありえない)が現れて、これを好きに使ってビジネスを始めなさいと、札束をポンと手渡してくれる、、、みたいな「棚からぼたもち」式サクセスストーリーへの強い憧れである。

 つまり、人生は汗水垂らして、コツコツ地道に歩むものではなく、すべてはパトロン的な人との出会いから始まるという、考え方である。(まあ、貧しかった少年時代ならともかく、50に手の届くオヤジがまだそんな夢を見ているとしたら、バカじゃないの、というくらい横着でムシのいい幻想というか、願望なのだ。もちろん、こういう願望があることを、ダンナ本人の口から聞いたわけではない。が、長年の彼の生き方、言動に’接していれば、容易に察しがつくのだった)

 まあ、そんなことが頭にあって、「汗水垂らしてコツコツ派」推奨の私としては、ダンナのその種の願望がちらっと顔をのぞかせるたび、強い反発を感じずにはいられなくて、「いい加減、目を覚ませ、幻想オヤジ」と叫ばずにはいられないのだ。(じっさいには声に出していわないけれど)

 だから、Dの目標だという「外人の彼女にお金を出してもらって、うんぬん」をダンナの口から聞いたとき、私のセンサーはすかさず反応を示した。そして、その発想の出所がダンナであることを直感した。そこには、明らかにダンナの幻想と同じ種類の横着さと、身のほど知らずの野望の匂いが感じられたからだ。

 しかし、少し冷静になれば、ダンナがDの説得に「あの幻想」を引用した気持ちがかわらないわけではない。Dにギリアイル行きを説得する方法を探っていたダンナの頭に、ひょこり浮かんできたのが、「あの幻想」だった。ああ、そうだ。あれなら、Dの心をぐっとつかむはずだ。自分が長年追い続けてきた「あの幻想」、あれには男心をくすぐるロマンがある。だから、Dにギリアイル行きを決断させたいなら、あれをDに語って聞かせ、自分の熱い思いを託すのが、得策だろう。

 そして、あの幻想をD向けにアレンジした口説き文句を練り上げた。で、その口説き文句とは、おそらくこんな感じだ。

「なあ、D。自分の自動車修理工場ほしくないか。ギリアイルに行くとな、セクシーグラマーなネェちゃんがいて、誘ってくるんだってよ。(うひひひ)そのネェちゃんつかまえて、お金出してもらって、修理工場始めるっていうのは、どうだ。あそこに行けば、そんなことも夢じゃないんだと。だからな、行ってみないか、ギリアイル。こんなおいしい話、めったにないぞ~」

(この時点では、ダンナ自身もまだ、ギリアイルには行ったことがなかった。しかし、ウハウハな情報だけはたっぷり耳に入ってきていたのだろう。ダンナはダンナで、勝手にギリアイルのイメージをふくらませていたに違いない。金髪のセクシーボディー娘が、にっこり微笑んで手招きしている姿なんかを思い浮かべながら、鼻の穴をぷ~っとふくらませたりして、、、)

 

 で、そこで気になるのが、どうしてダンナはそれほどまでして(説得に腐心し、英語教師になってまで)、Dをギリアイルへ行かせたかったのか? それは、おそらく、自分が一目を置くA氏(ギリアイルのバンガローのオーナー)の期待に応えることで、自分もA氏から一目を置かれる存在でありたいと願う強い気持ちが、動機としてあったからだと思われる。

 ここでまた、ダンナ特有の「願望」があるので、それに注目したい。

ダンナには、本来の自分より何ランクも上の人間として、見られたい、扱われたいという強い願望がある。で、その願望に似合う形の「グレードアップした自己像」というものを身にまとっている。なので、ふだんダンナは、自分がまあまあサクセスした人間だと思いこんで行動しているのであるが、、、じっさいには、たいして売れない絵描きにすぎないという自覚も多少あるので、その行動は、常に自分のポジションを気にしながらのものになる。

 そこで、もし運よく、「大物」として扱われたときは、それはもう得意満面、「ブタも木に登る」勢いなのだが、反対に自分の置かれたポジションが低いと感じたときには、とたんに機嫌を悪くし、報復的な行動に出たりする。

 たとえば、ダンナはうちで自分の思い通りにならないことがあるとき、「OK,OK,わかったよ、ビックボス。あんたがそういうなら仕方ないな」という言い方をする。ここで、ダンナがいうビックボスとは、私のことらしい。つまり、ダンナはこの家の長(ボス)は自分であるが、さらにその上のビックボスが私だといっているわけである。もちろん、これはダンナ流のイヤミであり、報復である。

(いくらポジションへのこだわりがあるからといっても、何もまあ、家庭の中にまでそれを持ち込まなくても、と思うのだが、、、)

 しかし、弁解のため言わせてもらえば、私はけっして高圧的な「もの言い」をする人間ではない。何か言いたいことがあるときには、ダンナ様のご機嫌を損ねることのないよう、ものの言い方、言い出すタイミングには最大限の配慮しているつもりである。でも、悲しいことに、その配慮はダンナには伝わってないらしい。

(まあ、まあ、まあ)

  

 ギリアイルへと戻ろう、、、ここで、もうひつ付け加えておきたい重要なポイントがある。それは、この島で働く人材の確保のむずかしさである。この島で働きたいという人間は、地元にもロンボク本島周辺にも間違いなくいる。しかし、能力的にはちょっと物足りない感じがあるので、バンガローのオーナーのA氏のように、他の島(ジャワとかバリ)出身のスタッフを側近に置きたがる経営者は少なくないのだが、、、

 働く側からみるギリアイルは、決して魅力のあるところだとは言えなかった。町に住むインドネシア人が見たら、何もないただの田舎だし、島での日々の生活は、海水での水浴び、洗濯はもちろんのこと、不便、退屈、単調の連続。それに小さな島という閉塞感もある。というわけで、この辺境の島には、長期間、島にとどまって働けるスタッフ(まじめでちゃんと仕事のできる)の確保が、たえず悩みの種としてあるのだった。A氏のところでも、Dの前に確保したバリ人のスタッフ(2つ星ホテルで働いた経験のある)が、1ヶ月で逃げ出してしまっていた。

 とまあ、ギリアイルというのは、こういう事情を抱えることろなのだ、と頭に入れていただくと、Dに対して行われた勧誘活動に、過剰ともいえる周到さ、(無理やりな感じ)があったことも、ご理解いただけるのではないだろうか。

(この勧誘活動を計画、実行した人間がダンナだったということが、「無理やりさ」をより際立たせる原因になっているともいえるが)

 

 では、ここからはDの側に立って、ギリアイル行きをどう考えたのかを探ってみよう。もちろん、あくまで想像だが、Dの胸のうちはこんな感じではなかっただろうか。(ここからは、Dの心の声、、、)

 I(ダンナ)さんの話によれば、ギリアイルで働けば、外人の彼女ができることも夢ではなく、おまけにその彼女にお金を出してもらって、自動車修理工場を始めることも夢ではないという。こんな話を信じていいものだろうか、、、ふ~む。これまでの自分の目標は、修理工として一人前になることだった。が、じつをいえば、観光客(外人)相手の仕事にも憧れがないわけではない。しかも、あっちの方のお相手もできるらしいとなると、心を動かされる。でも、、、ただ、、、これまでインドネシアの女にさえモテたことがないのに、いくらギリアイルが特殊なところだといって、この自分がほんとに外人女にモテるのだろうか、という疑問がある。う~ん。迷うな。悩むな。行くべきか。行かないべきか。

 こう悩んだ末、Dが出した結論は「行く」だった。このとき、Dはまだ20代初めで若く、思い切った冒険をしてみたいという気持ちがあったからだ。それに、もし、万が一、ダンナが言うように、外人の彼女ができて、お金を出してくれて、自分の自動車修理工場をもてるとなれば、こんなにおいしい話はないと考えたからだった。

(再び、ここからDの心の声、、、)

 あと、問題はなんといっても英語だな。これまで英語とはまったく無縁の人生を歩んできたこの自分に、英語で外人と会話するなんてことが、ほんとにできるんだろうか。いまひとつ、実感がわかないが、、、でも、英語ができないことには、イケイケネェちゃんに自分の夢(自動車修理工場をもつこと)を語ることもできないからな、、、まあ、このさい、英語はがんばるしかないだろう。Iさんがオレに任せろと言ってるから、任せるとしようか、よ~し、、、

 こうして、D自身の頭にも、いつのまにか「外人の彼女をつかまえる」「自分の自動車修理工場をもつ」というのが、目標として、しっかりインプットされていったのである。とはいっても、これがあまりにも望みの高い目標であることは、D自身十分承知していた。それでも、彼はこれを目標にかかげることで、自分をいっそう奮起させ、英語の特訓にも耐えてきたのだった。そして、どうにか初級レベルの英会話を身につけることに成功し、ギリアイルへと向かったのである。

 そんなDが旅立つ場面で、ダンナがDに贈った印象的な言葉がある。で、その言葉はというと、、、「外人の彼女ができても、結婚の約束はするな。まず、先に金を出してもらえ」である。これはもちろん、Dの前途を思うダンナの親切心から生まれた言葉には違いない。しかし、これを聞いたとたん、まるでスイッチが入ったかのように私の耳の奥で警鐘が鳴り出した。(ダンナの言動に問題があるとき動き出す私の中のセンサーが、この言葉を素早くとらえ、反応したのである)

 ダンナがこれを口にしたのは、Dを無事に送り出して、一仕事し終えたあとの高揚感の中にいる、そんなときだった。で、そのあと、さらにこう続けた。

「だってさ、あいつまだ女のことなんか、ぜんぜんわからないだろ。だから、そういう関係になったら、すぐ結婚しようなんて、言い出すんじゃないかと思ってさ。オレはそれを心配して言ってやったんだ。相手がほんとに金を出す気があるのかどうか、先にちゃんと確認しろって。それに、相手がすごいおばさんで、金も出さないのに、結婚迫られたらかわいそうだろう、、、」

 ダンナのこの言葉を聞くあいだ、私のセンサーは鳴り続けた。自分のアドバイスがいかに適切なものであるかというダンナの口ぶりも、私のセンサーを刺激するのに役立った。でも、私はただ黙って聞くにとどめた。ここで、正直に自分の感想をいってしまうと、収集できない事態(熾烈な夫婦げんか)が勃発しそうたっだかただ。では、私の感想をがどんなものだったかというと、、、

「先にお金を出してもらえって、、、ちょっとあんた。恋人になっても、結婚の約束をするなって、、、ちょっとあんた。あのDがそんな器用なことできるとは思えないけどね。それに、そもそも、その考え方って、、、人をなめてるというか、女をバカにしているというか、世の中を甘く見ているというか、そんな夢のようなことが起こると、本気で思っているわけ? はあ?」だった。まあまあまあ。

 

 それでじっさい、Dに外人の彼女ができたのかというと、、、(本人から根掘り葉掘り聞いたわけではないが)漏れ聞くところによると、何人もの彼女ができたらしい。といっても、同時に何人もの彼女がいたわけではない。ギリアイルに滞在する旅行者は、どんなに長くても2,3週間で、島を出るか、帰国してしまう。なので、ひとりの彼女が去って、次の彼女ができて、その彼女が去って、ということを繰り返していたらしい。

 しかし、結局、Dのために自動車修理工場の資金を出してもいいとまで言う、奇特な女は現れなかった。自動車修理工場というと資金の額も膨大だろうし、あの島からDを連れ出し、いっしょにビジネスを始めようと考えるほど、Dに入れ込んだ女はいなかったのである。

 まあ、彼女たちにすれば、原人BOYとの戯れは、ギリアイルという場所限定、期間限定の、日常からの逃避行、常識からの逸脱行為だったのだろうと、私は考える。だから、島を出たあとまで続く関係ではありえなかったのだ。しかし、そのぶん、彼女たちがDととも過ごした島での時間は、濃密なものだったに違いない。

 ギリアイルという限られた空間、限られた時間の中で、原人BOYと激しく体を重ね合わせる彼女たち、、、そして、しばし、官能とか陶酔の中にその身を横たえながら、彼女たちが手にしたもの、、、それは現実であってないような冒険の記憶、または夢の中でつづられる物語のようなものだったに違いない。

 

 

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