第2話 秘島ギリアイル

 それでは、当時、Dが向かったギリアイルというのは、どんなところなのか?

 スピードボートを使えば、バリから2時間弱で行ける、辺境好きな欧米系旅行者の間で秘かな人気を呼ぶ小島。(周囲約4キロで、歩くと1時間くらいで一周できる)そこにあるのは、数十件の民家とヤシの木、観光客向けにつくられた簡素な造りの数件のバンガロー、レストラン、ショップだけ。車もバイクも走っていないので、アスファルトの道路もない。島全体がひっそりとした静けさに包まれ、存在そのものが忘れられてしまいそうな、辺境ムードあふれるところ。

 、、、という情景は、Dがいた頃(2010年から2011年にかけて)のもので、現在のものとは違う。その頃の島は、まだ本格的な開発に入る前の、穏やかな眠りの中にいるという感じのところだった。

 ちなみに、現在のギリアイルはというと、かつての静けさがウソのように活気あるリゾート・アイランドへと大きく姿を変えた。2015年2月に島を訪れた友人によれば、以前はヤシの木が生えてるだけの空き地だったところにも、バンガローなどがぎっしり建ち並び、ハイシーズンでもないのに、小さな島に観光客があふれんばかりにいたという。かつての「秘島」は、今やシーズンを問わず、観光客の押し寄せるメジャー観光地になったのである。


 では、再びDがいた頃の、穏やかな眠りの中にいるギリアイルへと戻ろう。

 Dがそこでどんな風景を見たのか、その頃の島の様子をもう少しお話したい。といっても、Dが島にいた時期に、私が居合わせたわけではないので、これから語る島の様子については、Dが去って約半年後に島を訪れた私が、じっさいに目にして感じたことであると、前置きしておこう。

 私が家族とともにギリアイルを訪れたのは2011年12月。このときはまだ、島は本格的な開発に入る直前という時期だったので、私が目にしたものと同じような風景をDも見ていたのではないかと想像する。

 というわけで、Dがいた頃とは半年のズレはあるが、私が見て感じた、当時のギリアイルの様子とは?

 ボートから島に降り立って、まず感じたのは、車やバイクの騒音(人工の音)がないっていうのは、こんなにも静かなんだということ。乗ってきたボートがエンジンを止めてしまうと、まったく音のない世界にいるようだった。しかし、じっさいには何も聞こえていないわけではなかった。浜に打ち寄せる潮騒、ヤシの葉のざわめき、小鳥たちたちのさえずり、、、という自然の奏でるやさしい音色が、風景に溶け込むようにそこにあって、私の耳に届いていた。けれども、それが耳に入り込んでくる「音」として感じられないのだ。つまり、神経にぴりぴりくるような「人工の音」というものが、一切ないのだった。

 そうか、、、「人工の音」がないというのは、こんなにも神経の奥の奥まで休まるんだ、、、この島の、海と空と砂浜とヤシの木だけの、素朴そのものの風景の中

で、それをひしひしと感じたのである。と同時に、このとき、気づかされたのは、自分が意識している以上に、バリで「人工の音」によるストレスをうけ、神経をすり減らしているのではないか、ということだった。

 そうだ。あの音だ。私の神経をすり減らす元凶になっているのは、、、私はふだん生活しているバリの道路事情を振り返って、一瞬、暗い気持ちになった。

(「神々の島」「癒しの楽園」ともいわれるバリではあったが、道路に限っていえば、年々増え続ける交通量のせいで、楽園とはほど遠い状態だった)

 そんなバリで、毎日の移動にバイク(排気量100ccの小型車)を使っている私は、先を急ぐ車とバイクの群れ、それらがまき散らす騒音と排気ガス、、、連日、そんなものにさらされていた。しかも、その車やバイクのハンドルを握るのは、運転マナーなんて知ったこっちゃないという暴走ドライバー(ライダー)ばかり。(バリの人は、ふだんは穏やかでのんびり屋なのに、なぜか運転となると、まるで人が変わったみたいにせっかちになった)

 その結果、どんなことになるかというと、道路という道路が、自分さえ早く目的地にたどり着けばいいという人たちの、レース場という様相、、、そこに混じって、日本式の安全走行(やさしく走ろう、日本)でバイクを操る私などは、スピードレーサーの彼らから見たら、めちゃくちゃイラつく存在らしい。クラクションをガンガン鳴らして蹴散らせたい、のろまなカメのごとき存在なのだ。

 で、まあ、私に向けられるクラクションの音の大きいこと、激しいこと。間近でそれを鳴らされたら、心臓が飛び跳ねて、寿命が縮まるかと思うほどだ。

 そうなると、私ももう平常心ではいられない。頭にカーッと血が上って、

「うるせぇーんだよ。このやろう」と、相手には届くとは思えないが(日本語だし)、声に出していう。

(でも、それほど大きな声ではない。つぶやく程度の声。万が一、相手がこっちの言葉を理解して、反撃に出られると怖いから。小心者なので、、)

そして、つぶやく程度の声で、私は続ける。

「クッソ~。何なの~ この音。なんでこんな近くで、なんでこんなでっかい音、鳴らされなきゃいけないわけ~。うあ~ 腹立つ~。いくら私が邪魔だからっていっても、ここまでするか、ふつう? ふつうはな(まあ、日本では、だが)、相手の気持ちってものを考えてだな、音を加減するもんなんだ。ちょろっと音を鳴らして、道を空けてください。先に行かせてもらいますよ。みたいな感じで、、、ああ、でも、ここは日本じゃないから常識ってものが違うんだろうけど、、、いくらなんでもひどすぎない。これって~。う~ もうちょっと何とかして~」と、こんな感じだ。

 しかし、結局、非力な私にできることといえば、おとなしく道路の左側にバイクを寄せて、うしろに迫っている暴走車を「どうぞ、お先に」と通してやることだけ。ああ、この悔しさ、この屈辱、、、こんな感情をどう収めたらいいんだろう、という場面が週に何度もあるのだ。で、あるとき、こんな想像をしてみた。そしたら、不思議と胸の空く感じをおぼえたので、そのイメージをここで紹介したい。

 それはこんな感じ、、、もしも、私が屈強な男だったら、「どうぞ、お先に」と道を空けたりせずに、道の真ん中でバイクのブレーキを踏んで、うしろから来る暴走車の通行を阻止する。そして、バイクから降り、つかつかとうしろの車に歩み寄る。そして、運転席のドアを開け、恐怖に顔をひきつらせるドライバーを引きずり降ろす。そして、「おりゃ、誰に向かってクラクション鳴らしとるんじゃ、このオカマ野郎」といって、ドライバーの胸倉をつかんで、一発殴りつける。そして、ゆっくりと自分のバイクに戻って、走り去る、、、というもの。はははは。

(はっきりいってバカですが、、、)でも、こんな感じのことを思い浮かべてみたら、屈辱でドス黒くなった気分が、一気に晴れて軽くなったような、少しは仕返しができたような、、、そんな気がしたので、以来、運転中にクラクションをガンガンに鳴らされ、悔しい思いをしたときは、このイメージを繰り返し、頭の中で流して、平静を取り戻すようにしてきたのである。

 が、、、やはり、こんなやり方では「あの強烈なストレス」を吹っ切ることなどできなかったのだ。「あの強烈なストレス」によるダメージは、私の神経の奥の奥のほうまで達していたのだ。

 、、、ということに気づかされたのは、その神経の奥のほうの「ダメージ」で傷ついた部分(自分では気づいてなかった深い部分)が、じわじわっじわじわっと癒されていく、、、ああ、とっても気持ちいい、、、という感じを、ギリアイル到着後まもなく味わったからだった。

 こんな心地(自分がとろけるような)へと私が導かれたのは、揺れるボートから陸の上に降り立ったという安堵や、目にしている光景の素朴さ穏やかさ、、、というものが、まず先にあったからなのだが、、、そのあとに続いた「ああ、いい、とってもいい」という深いところでの安らぎが、どこから来たのか? と考えると、、、それは、車やバイクのないギリアイルには、私をうしろから激しく追い立てる存在=暴走ドライバー、爆裂クラクション(ほとんど私の脅迫観念にまでなっている)がない。そして、そのことによって得られる「自由、開放感、心身の安全」があったからではないのか、と。

 

 さあ、再び、ギリアイルへと戻ろう。

 私がボートから降り立って、「人工の音」がないというのは、こんなにも神経の奥の奥まで休まるんだと感じた場面である。

 、、、で、こうして、島のフレッシュで心地よい風とか空気(排気ガスなどの不純物の混じっていない)に包まれていると、普段の生活で気づかないうちに身にまとってるガードのようなものが、ササーッと取り払われていく感じがして、ああ、なんて気持ちがいいんだろう、という言葉が、思わず口からこぼれ出るのだった。

 そして、そのあと島に踏み出して不思議に思ったのは、島の中へと続く道の細さ。島の一番の中心、船着場の近くでさえ、人が2,3人並んで歩けるだけの道幅しかない。もちろん舗装もされていない。私たちはその道を、島に1台だけあるというチドモという馬車に揺られて、宿泊先のバンガローへ向かった。道はチドモがぎりぎり通れるくらいの道幅だった。で、その道沿いに、ちらほらとレストランやバンガローが並んでいるのだが、それらの建物がわりあい大きな構えであるのに比べ、道は細く貧弱で、人が通るからいつのまにかそこが道になったという感じのものだった。島には車もバイクも走っていないのだから、幅何メートルもあるような立派な道は必要ないのだが、建物がこうあったら、道はこのくらいの大きさでこうあるべきみたいな、道のイメージが私の中にあって、それがなかなか抜けなくて、軽い違和感にとらわれながら、島の中を巡ったことを思い出す。

 島の細道を馬車(ぎこぎこ音のする)に揺られながらの、私のギリアイルの第一印象は、日常(バリ)の喧騒、日常(バリ)のあわただしさから遠く離れた、静かで気持ちのいいところ、という好感度の高いものだった。

 

 が、しかし、、、滞在2日目3日目(私たちが島にいたのは3日間)になると、最初気持ちがいいと感じた「静けさ」が、閑散とし過ぎているせいだとわかってきて(島のバンガローやレストランはどこもガラガラだった)、余計なことが気になり出した。これでこの島の人たちは生活していけるんだろうか、とか。ここで働いている人たちはちゃんと給料をもらっているんだろうか、やせて小柄な人が多く、顔色もよくなくて栄養状態悪そうだけど、とか。

 私たちが島を訪れた12月の初めというのは、1年のうちでももっとも旅行者が少ない時期らしかった。(バリでも12月上旬は観光客がもっとも少ない)なので、この島の閑古鳥状態は、この時期だけのものなのだろうか?

 聞くところによれば、ハイシーズン時(7,8月と年末年始)には、宿泊施設がどこもいっぱいになり、民泊(現地の人のうちに泊めてもらう)する旅行者も出るということだった。だから、年中こんなに閑散としているわけではないようだが、まあ、1年のうち10ヶ月近くはこんなふうに静かな状態らしい。

 となると、やっぱり、長く住むには退屈だろうなと思わざるをえない。というか、じっさいに長く住むまでもなく、たった3日で、その退屈さが容易に想像できるのだった。

 というのも、ギリアイルに行ったら、透き通るような海で泳いで、色とりどりの熱帯の魚たちと戯れたり、砂浜できれいな貝殻を探したり、一日海辺で遊びまくるぞ~ という当初の私たちの予定が、悪天候のせいで狂ってしまい、時間を持て余すことになってしまったからだった。(海で遊ぶことができないとなると、小さい島なので、行くところも見るところもなく、何もすることがなくなってしまう)

 3日間の滞在中、島の天候は、雨期のため、晴れ間の少ない曇り空、ぱらつく雨、、、からっと晴れていれば、「青い空に青い海のら・く・え・ん」みたいな光景が広がるはずだったのに、、、その期待は裏切られ、この島の最大の見どころである「透き通るような、きれいな海」が、シュノーケル装備で海に入っても、魚一匹見えない「荒れて濁ったカフェオーレ色の海」と化していた。お金を出して、シュノーケルの道具を借りたのにもかかわらず、である。

「なんだ。魚ぜんぜん見えないじゃん」と、いう私たちに、

「おかしいな。いつもなら、魚、このへんにいっぱいいて、見えるはずだけどなあ、、、だったら、もう少し真ん中のほうまで行ってみれば、、、」と、貸しシュノーケル道具屋がいうので、思わず、

「この荒れた海の真ん中へどうやって行けというわけ? ひょっとして、あんた、私たちに死ねって言ってるの。ええ?」と、言い返して、憂さを晴らすしか、このときのがっかり気分の持っていきどころはなかった。しかし、さすがに「この道具返すから、お金返してよ」とはいえなかった。(ほんとは言いたかったけど)この人も、見るからに栄養状態悪そうで、生活がかかっていそうな感じがしたから。

(晴れて風のないとき、このあたりの海は、ガラス面のように波がなく透明で、その下を泳ぎ回る色とりどりの魚たちの姿が海の上からでも見えるという)


 というのが、2泊3日という短い滞在ではあったが、私が見て感じたギリアイルだった。天候のことはさておいて(運、不運があると思うので)、きれいな海以外に何もない、世界の果てのようなところで、ただひたすらのんびりと過ごしたいという旅行者には、これ以上の場所はないだろう。じっさい、この島を目指してくるのは、そういう旅のスタイルを好む、主に欧米からの旅行者だ。

 しかし、根がまじめでせっかちな日本人の私には、この島の静けさ、活気のなさは、正常値をやや超えたものに感じられた。(不安を誘うレベルというか)まあ、ごちゃごちゃ考えていないで(島の人の生活の心配などしてないで)、思い切って身も心も開放し、つかの間、この島の空気に身を任せれば、この上ないほど心地いいに違いないのはよくわかるのだが、、、

 そんなわけで、その頃(Dがいた頃)のギリアイルがどんなところだったのか?といえば、、、私の個人的な感想では、短期滞在で心身のリフレッシュをするにはすごくいいところだが、長く身を置くのはまずいかも、、、という不安を抱かせるところでもあった。その頃の島に満ちていたのは、とてつもなく堕落してしまいそうな、社会復帰が不可能になりそうな、人を限りなく怠惰にする空気だった。

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